note|tacrow.com


2005年09月29日(木) アドバイス

自分がやっている作業(インタビュー記事作成)に関して、
第一読者の彼女にアドバイスをもらいました。

正確には、遠慮のないダメ出しです。
「これじゃ記事にならない」「クローズアップすべきは
むしろこっちなんじゃない?」「やり直した方が早いよ」

最終的に「巻頭差し替え!」のひと言。
(たぶん『働きマン』の影響)

自分が積み上げてきた仕事をここまであからさまに
指摘されるとふつうは怒って反論したくなるものだけど、
あまりに的を射た、目から鱗のダメ出しに感動を覚えて
その時ばかりは上司と呼びたくなりました。
編集長でもいい。


でも、
「編集長はあなたなのよ。私は外野で、
外野は好き勝手なことを言うものなのよ」
と言われて納得。

「あなたが納得してどうするのよ。
私を納得させてよ」

ちょっとマンガの影響受けすぎ。


2005年09月27日(火) Think about Tiger



やっとMac OSを10.4Tigerにした。

メールの使い勝手が格段に上がり、
Dashboardからはお天気はもちろん、
ログインせずにmixiの更新まで把握できる。
SafariがRSS対応になって、友達のブログも
全員分を1画面でナナメ読みできてしまう。

ひとことでいえば「検索」能力がアップした。
その場にいかなくても情報が把握できてしまう。
Google ニュースのように。

アクセスの手順が減ることは、いいことなのか?
今のところ恩恵を感じてはいるけど、自分のサイトは
逆にRSS対応にしたくないなと思った。

ジャケットの概念を崩してしまったiTunesの台頭と似ていると思う。
情報というと漠然としているけど、技術の進歩で、もっと漠然とした
「意味」だけでやりとりが可能になった。意味さえ捉えられればいい。

逆に、リッチコンテンツ(Flash)がもてはやされるのも分かる。
実際にその場へアクセスして初めて意味を感じてもらうために。

Appleだけじゃない。
来年にはWindowsも検索能力を上げてやってくる。
それでも、人のイメージ処理能力が上がるわけじゃない。

まっとうでちっとも面白くない「意見」だけど、
まずは、より一層、丁寧に作ってゆくしかないだろう。


2005年09月26日(月) Maybe Autumn

さまざまな過程を経て
あるひとつの表現に辿りついた人と、
今まさに辿りつこうともがいている人
の両者にインタビューをし、記事にする。

これが目下のぼくのお仕事です。
不思議な巡り合わせでやっております。

他人から発せられた声を字に起こす行為は
自分の頭の中を書き出すことよりもずっと
間接的な行為で、世のあらゆる新聞・雑誌の
インタビュー記事や対談記事がいかに上手に
読みやすくまとめられているかを痛感します。

やってみないと分からないもんだなぁ。

連休中もずっと取りかかっていましたが、
要所をうまく抽出するには単なる書き写しじゃダメで、
ある程度の再構築がモノを言うことが分かってきました。
分かるとさらに作業が果てしなく感じられます。

思いっきり、時間の経過を気にすることなく
無為に写真を撮りたい欲が出てくるのですが、
今月は諦めています。


他には映像コンテを書いたり提出したり、
部屋の模様替えをしてみたり読書をしたり
いたってインドアな生活を続けています。

25歳の秋口としてはいい滑り出しなのでしょうか。
分かりません。


2005年09月23日(金) 銀ちゃんとヤス

TSUTAYAにて。

男A「まじっすよ、この映画オススメっすよ」
男B「いいからパス。次!」
男A「コレはどうっすか?アイロボット」
男B「アイボ?もっと他にねーのかよぉ」
男A「じゃあランキングの棚をぜんぶ見せます!ほらっ」
男B「どれもパッとしねーなぁ。何だよ?これ」
男A「だからTSUTAYAランキングっすよ!」


面白いなぁと思いながら観察していた。

男Aは緑のジャージ姿の金髪少年で、彼はずっと
FOMAをDVDの棚にかざしたり自分に向けては
受話器の先の男Bにお伺いを立てていたのだ。


TV電話のCMになりそうな風景だった。
来てるな、未来!


2005年09月22日(木) about 9.22

朝。
彼女はモーニングを食べると言い残して
雨のどこかへ消え、入れ替わりに大家さんと
電器屋さんが来てエアコンの取り替え工事。

昼。
喫茶店で彼女と再会。
浪人時代の昔話をし、秋服のチェックに
駅前ルミネを上から下までぐるぐる巡る。

夜。
ポートフォリオを持参して
アルバイトの面接のために代々木へ。
とてもいい雰囲気の会社だった。結果は後日。

深夜。
お隣からキーンという怪音がして
また寝るタイミングを逃してしまった。


2005年09月19日(月) 9.19

敬老の日の今日は、
うちの母の誕生日でもある。

というわけで弟に電話した。
「なんか誕生日のお祝いやった?」

「肩たたいたよー」

電話の先にはなぜか弟と父と母がいて、
そういえば弟は夏休みで実家に帰っていることを
すっかり忘れていた上、彼のケータイはハンズフリーで、
そのまま実家に勢揃いの家族全員としゃべる羽目になった。

音が反響して聞き取りづらかったけど、
とりあえずみんな元気そうで安心した。


2005年09月18日(日) 文章

前後の関係性で、
つまり文脈を押さえて書いているA君と、
文脈は最小限で単語のみを書いているB君では
時間の経過と共に大きな差が生まれてくる。

B君の箇条書きは文章の設計段階では有効だけど、
そこで止まるとなんとなく書けている気になるだけで、
ひとに伝わる情景描写というにはほど遠いように思う。
単語のみで情景描写ができる人は詩人かラッパーなんだ。

最近、B君タイプの子供が増えているそうだ。
文脈は自分の頭の中にだけ存在し、省略してしゃべる。
言葉に気を遣うA君ですら陥りやすいことでもある。

B君の文章をスタイルと見なすこともできるけど、
読み手に対してひとつの出来事を伝えようとすると、
どうしても言葉数は増えてくる。自ずと文章は長くなる。
それを恐れていては文章は一向に上手くならないと思う。

初めから短いのではなくて、長いのを削ることが大事。
国語塾で働く友達の話を聞いて、そんなことを思った。
編集という意味では映像にも写真にも通じるんだろな。

(ここ数日、国語づいてます)


2005年09月17日(土) Grandfathers

そういえば、
父方は商売、母方は教育の家系で、
ぼくの母方の祖父母は国語教師でした。

そんなことをふと思い出しました。

母方の祖父は今のぼくと同じ年頃に
第二次大戦でシベリアに抑留され、ソ連軍のもと
樹の根っこや少しばかりの芋を食べながら生き抜き、
極限状態で日本に帰ってきたそうです。

もちろん、こんな一言で片付く出来事ではなかったはず。

ですが、今となってはあまり詳しい話は聞かせてくれません。
多くの友を亡くし、もう戦争映画ですら見たくないと言います。

60年前に死別した友人の名前や性格を覚えていることに驚きます。
同じ高校(旧制中学)の人は日本で最初の特攻隊員だったそう。

敗戦に伴い帰国。
祖父は寺の坊さんと教師の二足のわらじを履き、
紅白歌合戦の審査員をやったり、市長のゴーストライターをやったり、
戦時とは打って変わって“文化功労者”として生きてきた人です。

そんな一切を知らずに寺の孫に生まれたぼくと弟は、
ふつーの家庭の子供よりも特殊な環境下で育ったと思います。
庭で除夜の鐘を突いたり、閻魔さまの絵や地獄絵図を見て泣いたり、
寺の華美な装飾に触れながら墓場でかくれんぼしたり。

今になって、あの環境のありがたさを感じます。
南〜無〜(祖父は生きています)。

父方の祖父母の家は庭が工場だったので、
やっぱりクレーン車やショベルカーの下でかくれんぼをして遊びました。
自然に包まれた寺と、人工物に囲まれた工場が幼少期のぼくを形成しています。


何もないゼロ地点から、どちらも
個人の力で家族と仕事を築いてきた人たちです。
きっと周囲の協力も並大抵ではないかと思いますが、
好きなことで環境を造り上げていったところがカッコイイ。

未だに、ぼくは二人の祖父に憧れを抱きます。


2005年09月15日(木) 広告学校

9/12
広告学校修了式。
半年間の講義と実習を経て、
めでたく天野祐吉校長から修了証を頂いた。
広告学校大賞CM部門と神谷幸之助賞ノミネート。
どちらも受賞は逃して悔しいけど、それも財産ってことで。

二次会で同志と呼べるクラスメイトとおしゃべり。
秋山具義さん、黒須さん、鈴木先生、谷山先生、佐倉先生、
黒田秀樹さんも来られたが、緊張して話せなかった。
それにしても濃い半年間だった。

ある先生からの言葉「この調子で」が嬉しかった。


9/13
浪人時代からの友人Kと喫茶。
とりとめのない話や現実的な話題を延々と。


9/14
大学で授業アシスタント。
その後、工房で一眠りし、院の連中と夕食。
ここでもとりとめのない話や現実的スパイラル。


9/15
やり残した映像コンテを描いたり
ロケハンしたり、どっぷり一人の作業が続く。


2005年09月12日(月) 撮影

昨日、朝から渋谷で電車と駅を撮影しました。
デザイン事務所で働いている先輩のお手伝いで、
鉄道の広告ラフに使用する写真の撮影でした。

短時間の撮影で役に立てたのか、かなり不安です。

朝から夕方のあいだに駅を移動しながら
平面のラフに使えそうなものを意識して撮りましたが、
ロケハンもなしにぶっつけでとなると、短時間です。

しかも夕方から赤道直下みたいな豪雨に見舞われて、
あまりにも激しいスコールを前にふたり爆笑しながら
撮れるだけ撮って逃げ帰りました。使えないだろうな。


今日はチラシ用に、OPAQUE丸の内で
開催中のゼミの映像展を撮影しに行きます。
いずれ自分も出展したい場所なので下見も兼ねて。

天気がいいので買い物も兼ねて。


2005年09月11日(日) 9.11

これほしい!
かっこいいなぁ。

そういえば昨日の居酒屋で、
お客とマスターが揃って「郵政民営化」を
「みんせーゆーえいか」と言って混乱していた。

お客「小泉さんに出来るかね?みんせーゆーえいか」
マスター「みんせーゆーえいかは出来ないでしょう」

民生…遊泳化?


2005年09月10日(土) Be a 謙虚

人生初、カウンターの居酒屋に入り
サンマの刺身をツマミにビールを飲んだ。
おごりで。

毛ガニと厚揚げ豆腐とそばサラダ。
美味しいことは当然で、マスターも客も
明日の総選挙の話で持ちきりだった。

誰に入れたって同じだね、と誰かが呟いていて、
そうだよなぁ…なんて思っていたらデザイナーの先輩から
「明日、渋谷で撮影してもらっていい?」と電話が入った。
ヒマだったので即OKして、明日は久々に写真を撮ることに。

「何ごともBe a 謙虚だよ」という名言を吐いた彼女から
大岡越前のテーマ曲CDをもらった。何を意味するのか?

何も裁けないぼくは、きっと明日の選挙にも行けない。
それより9.11に地下鉄を撮影することの危険度が知りたい。


2005年09月09日(金) webDirection

すぐれたアイデアは個人の力だ。
大勢での会議や長い文章、過去のデータを経て、
あるいはそれらを捨て去ったりチョイスして、
出てくるコトは結局、個人的な考えだと思う。

ただし、大事なのはアイデアを具体的に転がす行動だ。
内容が立派であればあるほど、アイデアは個人の領分を超える。
そこでものをいうのが集団の力だと思う。身内。仲間。同志。


来年度より、武蔵野美術大学・映像学科が新コース制を取る。
映像表現コースと写真表現コースという2つの領域。
それに先立ち、写真表現コースのWebサイト制作を依頼された。

http://eizou.musabi.ac.jp/photo/

同時にゼミのサイトも運営させてもらっているので、
とても勉強になるし、足りないことも多々痛感する。
いろんなことが複雑に横たわっているが、やりがいも大きい。

もっと若い集団の勢いがほしい。
新規スタッフの話じゃなく、シズルとしての若さの話。

早い話、実際に制作している生徒よりも教授陣の方が
目立つ美大なんてぜんぜん魅力的じゃないとぼくは思う。
そうではない構造が存在するのに、サイトではまだ見えてこない。
完全にぼくの力不足だが、挽回はこれから。

Webは個人で持てるメディア。チャンネル。
だが、現実の世界とリンクして初めて機能する。
ネットは広大で、問題は山積みだ。だから面白い。


夜、友達と彼女を呼んで
肉や魚や野菜や餃子をぶち込んで鍋をした。


2005年09月08日(木) 緋色の足首

これほしい!
ブラックかっこいいなぁ。
厚さ6.8mmっていうのもいい。


授業アシスタントのお仕事スタート。
Photoshop兄さんとしてがんばろう。
(18歳の一年生から見たらオジサンか…7歳差!)


台風の大雨に見舞われた昨日、
駅で、ずぶ濡れた靴下を懸命に脱ぐ女の子を見た。
赤いコンバースを履いていたせいで、その子の白い靴下は
真っ赤に色写りしてしまって、さらに日焼けのしていない足首も
まるで出血したかのように赤く染まっていた。

一部始終を脳裏に焼き付けてその場を立ち去った。

そのあと、駅のホームに立つと
目の前に並んでいた女子高生のケータイが
全部プリクラでびっしり貼られているのを見た。
折りたたみの液晶画面を除くすべてのボタンの上に、
きれいにスキマなく一面のプリクラ。だけどその子は
何の不自由もなくプリクラの上からキーを叩いていた。

ブラインドタッチもここまで来ると驚異だと思った。


2005年09月07日(水) Creative First

クリエイティブエージェンシーTUGBOATの
立ち上げ人で、クリエイティブディレクターの
岡康道さんとお会いし、いろいろ話を伺った。

最近の仕事は「ライフカード」「JR東日本」のCM。
過去に「セキスイハイム」「家庭教師のトライ」等。

岡さんはぼくの大学の恩師・小田桐昭先生の
電通時代の部下でもあり、まず小田桐先生の話をした。
我ながら策士。

そして質問を3つも投げた。
1:TVCMにおける「音」の設計とタイアップの問題。
2:海外と日本に歴然とあるモノ作りへの温度差のこと。
3:Webという翼が広告的にこれからどう羽ばたいてゆくか。

以上3つの質問に対し、
岡さんの回答は実に納得のいく明快なものだった。
実際に問題をクリアするために新会社を立ち上げたり、
温度差や慣習を打破するためにアレコレ仕掛けていると。

ぼくは高校時代に大貫卓也氏の仕事にガツンとやられ、
美大に入って岡康道氏の仕事にうっとりして今に至る。
それぞれにまったく違う色を持っているが、学ぶことは多い。

いま作っているWebサイトや構想中の映像に対して、
個人的にいいヒントを沢山もらえたように思うから。
ただ、それをすべて咀嚼する力量がないのが泣ける。


本当はゴキブリもんちゃんの末期を書こうと思っていたが、
もういいや。昨夜、仰向けになってました。虫らしい死に方だ。

日本海に抜けた台風、でもまだ雨。
今日から大学で新しい仕事(アルバイト)。


2005年09月06日(火) もんたがうちにやって来た!

昨日の昼、出かける用があって
雨だなぁいやだなぁと思いながら
下駄箱に手をついて玄関で靴を履いていた時。

捨てようと思って下駄箱に置いてあった
コカコーラの空き瓶に、なんとゴキブリが入っていた。
なんで?おまえ入って出られないのかー、罠に落ちたかー。
しかも罠とかじゃないし。落ちても何にもないし。くっくっく。

ガラスの瓶はすべって出ようにも出られないことが分かると、
ぼくは靴を履くのをやめて、ゴキブリに話しかけていた。
出てこないんなら余裕。とりあえずフタにガムテで栓をした。

おっと。
電車の時間を思い出し、ぼくは慌てて傘を手に家を飛び出した。

ゴキブリのもんた(命名。ツヤツヤと黒いから)のことなど
すっかり忘れてアートディレクター・大貫卓也氏の話を聴いて、
満足して家に着くと、さすが白亜紀からの生命力。もんたは生きていた。



このまま窒息死するのを待とうと放置していたが、
なんとなく晩ごはんを作っている時にごはん粒を入れてあげた。

アパート1階のゴミだらけの一室がこいつの生まれ故郷だろう。
あそこの人が引っ越さない限り、もんた一族はまたうちにも来る。
やっぱり許せない。

なのに、一度ガラス瓶に落っこちたゴキブリもんちゃんは
その瞬間から鳴かないコオロギのような、いち「虫」と化したわけで、
殺すのは忍びないなぁ、でも元気でなーとか言って放すのも違うし。


認知すべきか、ひと思いに息の根を止めてやるか…。
サスペンスだ。


2005年09月04日(日) 音、波、浜

秋に開催される、くるりの全国ツアー。
東京公演のチケットが購入できた。
3度目のくるり。


ラジオのアンテナを直した。
ほぼ4年ぶりに流れるJ-WAVE。
見えない電波をキャッチできて感動。


昼から友達3人と横浜へ。
中華街でエビチリ食べてお茶飲んで
麻婆豆腐食べてお茶飲んでチャーハン食べた。


2005年09月03日(土) Aromatrix

ハナを刺す映像。


9月5日(月曜)、
六本木ヒルズで行われる特別試写会において“香りの演出”が登場します!
放出される香りはプロモツール(株)の製品Aromatrixによるもので、
USプレミア時に会場でチョコレートの香りを放出した事で話題を呼びました。
さらに、7月15日からの全米一般公開でも50館でこの放香システムが採用され
大変な好評を博しています!


映画『チャーリーとチョコレート工場』Webサイトより。


Aromatrix(アロマトリックス)。
ニオイのする映画館。それが臨場感?
映像でいちばん臨場感を生むのは音だろう。

展覧会やデパートの販促では効果的な演出かもしれない。
だが、映画・映像は時間軸の上に成り立った表現だ。
この、空間のない「時間のアート」に香りがイイのか?

香りは現実感の最たるものだと思う。
もし爆発シーンで火薬のにおいがしたら、
映画館で火事?と勘違いされそうだ。

ということは「この映画は香りの演出付きです」と
あらかじめアナウンスしなければならない。
それはつまり、最初から演出をバラすことになる。

個人的な考えだが、現実感と同じく、
五感のなかで最も記憶を呼び覚ますのが嗅覚ではないだろうか。
便せんを開けると相手の匂いがして、鮮明に思い出すことがある。
匂いは空気だから、写真や音楽より直に脳へ訴えるのだろう。

きっと、その捉え方や快・不快も個々人でバラバラだ。
当然、匂いと記憶の絡めようは人の数だけあるはずで。

映画が目指すイメージコントロールに即しているとは
やっぱり思えないのだけど、果たして。


2005年09月02日(金) 10年志向

高校最後の1年間、
生徒会で文化局長というのをやってました。

日々、体育館のステージのどんちょう(幕)を
上げ下げしたり、国旗を上げ下げしたり、まぁ
唯一の仕事といえば文化祭の企画・演出・監督。

あとは美術部で遊んでました。写真と油絵。
アルバム委員で卒業アルバムも作りました。


中学生の頃は、
新聞委員会というところで記者をやってました。

校内新聞としては珍しく週刊で、
それだけの理由で県に表彰されたりもしましたが、
中身もわりとがんばっていたと思います。

そのなかで、ぼくは教師陣の中学生時代を振り返る
インタビューの連載記事をひとりで担当していました。
先生の昔話を膨らませ、似顔絵を添えて毎週書いていました。

あと、生徒会の選挙管理委員もやりました。開票してました。


小学五年と六年の2年間、
放送部に所属していました。

昼休みの音楽リクエスト、校内TV放送、
運動会のBGM、アナウンス、ビデオ撮影をやっていました。
裏方の楽しさを知った、まさにルーツです。


どれも今とやっていることが大差ないな、と思いました。


2005年09月01日(木) 残暑見舞い

新橋では昼飯を済ませ、
夜、飲んだのは神谷町。

終電まぎわの東京タワー。
夜風に蒸し暑さが含まれていない。


帰宅。
やっぱりまだ暑い。




< prevnext >ALLtacrow.com