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2005年03月31日(木) 中国記

3/19 上海

歩道をバイクがバスが突っ走る。必死でよける。
聞こえるのはクラクションと喧噪で、大阪以上。
コックさんがおたま振りかざして食い逃げ男を追いかけていた。
上海戯劇学院の方々と交流。美食デブ食生活のはじまり。


3/20 朱家角

水郷の街。ここにも肯徳基(ケンタッキー)があって、
その周りを鶏が歩いていた。バスのTVで殺戮少年という
エグいドラマを見る。公共の乗物でずっと銃乱射シーン。


3/21 上海

攻殻機動隊でみた夜景。思い出されるのがアニメというのが
情けないような気もするが、なにせウソみたいな光景だから。
ネオンの下に吉野家を発見。しっかり牛丼。店内ガラガラ。


3/22-24 桂林

山河。山水画。亀仙人とか孫悟空がいそうな感じ。
思い出されるのがアニメというのが情けないような以下略。
いかだに乗る。少数民族と踊る。沖縄と同じ緯度なのに、意外と寒い。
50mの鍾乳洞。そこに無理矢理エレベーター。ディズニーを軽く超えている。


3/25 浙江省杭州

西湖のほとりでお茶。借景。
瀬戸内海を連想させる。気持ちいい。


3/26 紹興

紹興酒を飲む。舌でとろけるのは分かるが、
飲めないのでひとくちだけ。みんなは満足そう。
博という名の人力車の運転手にお世話になる。博の自慢話を聞く。


3/27 寧波

ニンポーと読む。200万都市で三番目の金持ちさんにご馳走になる。
瓦屋根。寺院。道元の訪れた地。歴史と近代のごった煮。衝撃的トイレ。
流しそうめん状態のトイレ(便器が全部つながっている)に吃驚。
スターバックスの精巧な偽カフェ。ロゴまでそっくり。


3/28-29 上海

まだ人が住んでいるアパートも取り壊されながら、
中が丸見えになっている。ドリフじゃないんだから。
こんな変化のめまぐるしい都市もない。高度成長期。
次に訪れるときが楽しみだ。トイレ何とかしてくれ。


中国では、車で移動する度に風景が紙芝居のごとく切り替わる。
自転車の大群は水牛の群れに、妙な形のビルはドラゴンボールの山に。
そして再び高層ビルとネオンの漢字が見えてくる。
少しの移動で何もかもが変わるほど、混沌としている。

今回の旅では、ほんとうに数々の方によくしてもらった。
おいしいものを食べすぎて(常に回転テーブルで)、5キロ太った。


2005年03月29日(火) 帰国



中国は広く。
元気で。
おいしかった。


次から次へと現れる、見たことのない山・街・人。

昼はドラゴンボール、夜は攻殻機動隊で見た世界的。
上海の摩天楼にはジャッキーを想う安易っぷり。

でもBGMに最適なのはTMNのGet Wild。





上海戯劇学院をはじめ、たくさんの方々に多謝。
また会う日まで。


2005年03月19日(土) 謝恩会

謝恩会(at目黒雅叙園)は感動した。
あまりうまく書けないんだけど、最後、心が動いた。
おもてには見せなかったが。主役はみんなだから。


思えば、こんなにも美人に囲まれた年は
2004年度以外になかったし、将来もあり得ないだろう。
ましてあだ名が社長だなんて、まず無い。本職にならない限り。

02年に休学し、03年から今の学年の人たちと一緒になった。
なので、最初は知らない人たちばかりの中で三年生を迎え、
写ゼミの人と仲良くなって、四年で今のゼミ生や他の友達と知り合った。

そんなわけで、ぼくはみんなと仲良くなるのが遅れた。
付き合いにしてみれば一年に満たない。


それでも、制作にまつわる話や日々のたわいもないことで
ずいぶん楽しんだ。と思う。…遅れを取り戻せたとは思わないが。

遅れというよりは、もはや種類が違う。
休学の空白期間、復帰後の人見知り、ジェネレーションギャップ。


ま、どうでもいいこと。
この学年で得たことは大きいし、前の学年で男友達ほぼゼロの自分が
男のアパートに押し入るなんてすごい進歩だ。
これもどうでもいいか。

自分では振り返る材料がみんなと違って一年間なので、
置いてけぼりをくっている感じ。だからうまく書けない。
ようするに「おめでとう」ということ。

再見。


2005年03月18日(金) 卒業式



卒業式だった。

久しぶりにスーツを着ました。
みんな着飾っていて、普段とは別。

淋しい気もするが、
それぞれの地でしっかり楽しんでほしい。



そんな父兄のような言葉をかけたくなる。


2005年03月16日(水) 訃報

二年生の頃
だからもう三年前になるが、
カラー写真基礎という授業で
カラー現像〜印刷を初めてやった。


当時、買ったばかりのペンタックス67で
撮り下ろした数枚を課題提出し、先生に講評してもらった。
中判にして正解だったな、面白いよ、と言ってくれた。

もっと気の利いたことも言ってくれたのかもしれないが、
忘れてしまった。笑顔しか思い出せない。

その先生が亡くなっていた。
知らなかった。ネットで知った。
ショックだ。


あの時の中判カメラも、もう無い。


trash更新。


2005年03月14日(月) 多摩美の卒展

横浜赤レンガ。
昨年、自分が写真の学外展をやった場所で、
多摩美の情報デザイン学科が卒展をやっていた。

とくに知り合いがいるわけでもなかったが、
岐阜でお世話になった★くんが来ていたので
お礼もかねて遊びに行った。


情デのアートコース主催の学外展というわけだが、
作品の見せ方や個々の配置、展示計画は練られており、
作品もインタラクションを楽しむカタチのものが多く、
個人的には見どころが多かった。同じ四年生として。


そして、DVD付きカタログの出来映えが何にも増して秀逸で、
作品も素晴らしかったが、それらを「お持ち帰り」できたという
満足感を与えてくれるほど、価値があるものに仕上がっていた。

この一点だけで、映像学科とのモチベーションの差に愕然とした。

作品ひとつひとつを見てゆけば、武蔵美も多摩美も映像も情デも、
千差万別に大なり小なりがあって、学科や施設、教育方針の違いは
バリエーションとしてそれぞれに受け入れられるべきだろう。

しかし。

今年、武蔵美映像学科の卒制デザイン部、いわゆる広報班に所属して
カタログ制作の話も提案されたが、お金と時間の関係で廃案になった。


映像や印刷で残し配ることの重要性は、こうした外部での展示を見るにつけ
再認識される。でも今の学科にその視点がないのだから、立ちゆかない。
学内での保存はしても、生徒(作者)個人や外部へは行き渡らないのが現状。
情デさんは毎月一万円を各自で積み立てていたそうだ。ハナから違う。

いいものはお金を払ってでも見たい。そう思うからぼくは今回のカタログに
1200円を払ってしまった。「安い」と思った(実は原価割れだとか)。
「つい買っちゃう」。これって素敵。


有志が集まって開催された多摩美情報デザイン学科の
卒業制作展は、全体のグルーヴが気持ちのいい方向へ向いていた。
学外でやるという緊張感も功を奏したのだろう。まとまっていた。


結局、映像学科がカタログを作れなかったことへの不満は問題ではなく、
展覧会を自分たちで運営することの意識の差を埋められなかったことに
後悔が残る。生徒間のモチベーションの落差。

でも、落差があってまとまらないんなら、それを出し切ればいい。
まとまりないけど集まっちゃいました、的な強さに到達したかったな。
それには裏でまとめ役が必要なんだけど。


情デさんの謝恩会は水族館でやるんだとか。
謝恩会までそのグルーヴを持ってゆくつもりらしい。


2005年03月12日(土) girl's day

何から書けばいいものやら。


■女子高生四人と飲みました
→来月で僕は25歳だと告げたら
 関係ないよと言ってくれました。
 四人もほんとはOver20ですが
 セーラー服似合いすぎ。


■イタリア人に写真を気に入られました
→メールが部分的に日本語でした。

■来週は卒業式
→あまり興味なし。関係ないし。

■バイト先で働く彼女を初めて目撃しました
→窓越しにずっと見ていたら、他の店員に怪しまれました。

■花粉症になると写真とかどうでもよくなる
→フリーズだ。

■Tahiti 80 の新譜はいいです
→クルマの中で聴きたい感じ。クルマないです。

■花粉の多い日は、電車の中が鼻水の合唱団になる
→多チャンネル音声。


2005年03月10日(木) 過ぎたるは

もう一ヶ月以上も前の話になりますが、
卒業制作の片づけ・搬出でポンプを使いました。


ぼくの制作したインスタレーションは
3m四方のフレームに水を張っていたので、
搬出には水をぜんぶ汲み出す必要があったのです。



で、大学院の人から池の水を排出する時に使うポンプを
お借りすることができて、そいつに20mのホースを繋げ、
いざスイッチを入れました。じょぼぼぼぼ…と、なんとも
不気味な音をたてながら、大量の水が屋外へと吸い出されます。

文明の利器だなぁと感心。
これがなかったら手伝ってくれている友達みんなに
バケツリレーを強いるところでしたから。

しかし、ポンプとホースの径(けい)が合わなかったのか、
差し込み口を常に手で固定していないと、ホースが外れて
水が今にも地面から垂直に噴出しそうでした。


当時手伝ってくれていた友達は14、5人で、
現場にいたのはみんな女の子でした。

そんな状況下で肉体労働させてもいいものか?と
良心の呵責を感じずにはいられませんでしたが、
私たちはいいからポンプの方に集中しろと諭されました。

なんていい人たちなんだ…と心の底から感動し、
頬と一緒に、思わず手元がゆるんでしまいました。

その瞬間、

ぶしゅーーーーーーーーーーっっ!!!


と、水が龍のごとく天井へ昇りました。

一瞬、ハリウッド映画のカーチェイスを思い出しました。
消火栓が車に吹き飛ばされ、下水が街中に噴き出すアレ。

近くで作業してくれていた松井さんが腰を抜かしました。
遠藤さんがケタケタ笑っていました。藤井さんの目が点になりました。

ぼくは抜けたホースを必死でたぐり寄せ、
思いっきり水をかぶりながらポンプの口に差し込みました。
さながら、魔封波と格闘する悟空のよう。

ヘルプに来てくれていた彼女(既卒)に至っては、
「あ、わたし見逃した。もう一回やってよ」
と平然と言って周囲をさらに驚かせる始末。


そんなコントみたいな事故を都合3回もやらかしました。
水が天井の照明機材に当たらなかったのは不幸中の幸い。


今さらですが、
排水ポンプを水槽から取り出したらよかったのかと。
抜けたホースでポンプと格闘することはなかったのです。

でもいいんです。経験が人を育てるんです。という訓話。


2005年03月08日(火) バカ粉

天気がいいので、
友人koni氏くんと銀座へ。


さまざまな展示を見て目がかゆくなって、

秋葉原へ行きCFカードや液晶モニタを見て

なんか鼻がムズムズするなぁと思いながら
ヤマギワリビナでオシャレ置き時計を買って、

帰りのJRで元木みゆきちゃんにばったり会った。

「ばいばーい」と鼻声で手を振り合った。

中央線の車内でくしゃみが止まらず、
なぜか鼻がグズグズ。目も未だカユい。


で、小西くんに「花粉症じゃない?」といわれた。
あえて避けてきたフレーズを淡々と告げられ、涙が出た。
たしかに今年の飛散量は30倍とも100倍ともいうけど…。

でも、今まで花粉症とは無縁で育ってきたのに、
よりによって今年に花粉症一年生?イヤだ。すごくイヤだ。


立川に戻って男ふたりで鍋をしているとき、
水菜をざくざく切りながら、生暖かい液体が鼻孔を伝うのが分かった。


分かりたくなかった。


2005年03月07日(月) in English please



外国人の方に

「あなたの写真は面白くないんだけど、
どこが面白いのか説明してくれないか?」

と、英語で聞かれました。
ぼくの彼女くらい正直だなぁと思いました。


うっぷす、一枚一枚にコンセプトがあるわけではなく…
と日本語で答えました。通じませんでした。

ただ、それは日本語だから通じなかったというより、
むしろ自分が何を言いたいのか整理しきれなかったのが原因です。
Well...私も同じことを聞きたいです for me, HAHAHA と言いたい。


自分の写真について語ることも慣れていないのに、
それを英語で、目を見て話すのはさらに困難で。

But 他国語から考える→単語化するのはいいかもしれません。
自分の写真にタグをつけて分類、単語化する。
しりとりのような構図に落とし込んでみる。


I like girl くらいは言えたな、と後悔しています。


2005年03月06日(日) trip



★くんありがとう。


from ito@tacrow


2005年03月04日(金) 胞子



今朝の東京郊外。


昼から新幹線で名古屋へ向かう予定なのに、
この雪。やむ気配なし。


都会で降ると、ナウシカの「胞子」を
思い出させる。街が腐海に見えたり。


2005年03月03日(木) 文化庁メディア芸術祭

なぜ都写美で?
文化庁メディア芸術祭。


会場の狭さで損をしていると感じたが、
広さを求めて現代美術館などを会場にしていたら
たぶん平日からこの観客数は見込めなかっただろう。

恵比寿という立地はたしかに便利だから。


個々の作品や映像に目を向ければ、
集中の度合いにもよるが、楽しめた。
見本市の様相にはやはり違和感を覚えるけど。

いっそ幕張メッセとかビッグサイトでやれば?
立地より性格を押し出すなら。


今月6日まで。
http://plaza.bunka.go.jp


ひな祭りには縁のない男兄弟で育ってきたけど、
今日はちらし寿司をたべよう。


…余談だが、最近、textが
文章というよりはコピーライティングに
近くなってきた気がする。Going to 簡素。




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