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2004年05月31日(月) ながい日々



朝八時、全作業終了。
長かった。


午後一時、品川経由で有楽町。
ポートフォリオ提出は無事終わり、銀座AppleStoreで休憩。


頑張ったごほうびに、シャツを一枚買った。
フォトショップCS講座を聴講(?)して、これから大学へ。

KIHACHIとか入りたい。カフェでいい。けどお金なくなった。


高輪で、ビル群の上を流れる雲を動画で撮った。
かなり面白いと思うんだけど、誰に見せるでもなく消してしまいそう。


2004年05月30日(日) つき

神戸で茜さんと見た三日月が
今夜、東京で半月になっていた。

石原良純を恨みたくなるような暑さで、
とうとうクーラーをつけた。


学校はもう夏モードというか、露出度高し。
水着のよーな女の子もいて、ドギモを抜かれた。


アップなんてしません。その代わり…


PCに扇風機を当てながら、過去の映像作品をピクチャー化。
動画を静止画に落とし込むのって、やってみいるとけっこー面白い。
映像は1秒30フレームだから、当然、1秒で30枚のシャシンが作れる。


見過ごしていたものをくみ取るような、そんな作業。
見過ごしたままでもよかったような、そんな気分…。


2004年05月29日(土) 前歯が取れる夢を見た




色々更新予定。


2004年05月28日(金) 反響



結局、一睡もする間もなく朝から学校に行き、映像記号論とゼミに出席した。


ゼミでアニメーション映画「東京ゴッドファーザーズ」を見た。

都市描写が半端じゃなく細密で、「イノセンス」よりずっとよかった。
渋い娯楽作。


そのあとも自分の作品やらポートフォリオを持ちかけたり、写ゼミの子の写真を
みんなで見たり(いい!)、三年生の映像作品を鑑賞したり、批評したり。

そんな感じで、終わったら夜八時を回っていた。
来週はデッサンもやって帰りたいなぁ。


くだらない写真課題に翻弄されなくなっただけでも昨年とは違うけど、

幅のある研究室でみんなの作品とか話に触れるのが面白い。
それが巡り巡って自分にもフィードバックされる。

作家としてのアイデンティティも未発達な自分は
今は周囲の影響に素直でいたい。


自分の少ない知識と、経験と、学習と、周りの反響と、影響、&変化。
そういうモロモロの運動。


2004年05月27日(木) MUSICBOX

部屋を片づけた。


まだ途中だけど、自分の部屋がこんなにもモノにあふれているとは思わなかった。

神戸の友達がやたらと「捨てる生活」を勧めてくれて、それを実行している。

絶対着ない服や読まない冊子、聴かないCDは捨てまくった。気持ちいい。
もったいないからと放置しているモノは、結局は不要なんだな。いらん。




友達B、つまりワタビキ、通称bikiが勝手にiTunesに入れて帰った砂原良徳の曲がいい。

他にもなにやら大量にコピーしてくれたようだが、全部聴くには至っていない。

ランダム再生にすると、たまに彼女からもらったユリ・ゲラーの声がしてビビる。


「瞑想シテクダサーイ、スプーンヲ手ニシテ、唱エテクダサ〜イ。曲ガレ…曲ガレ…」



彼女が浅草で買ったおもしろCDや、友達が入れてくれたものは個人の趣味を越えている。

RADIOHEADの後に「スシ食いねぇ!」が流れることもある。うろたえてしまう。


現在、1463曲・4.7GBぶんがMacに入っている。3分の1は聴いたことがないと思う。
要らない曲は消去すればいいだけなので、つい溜まってしまう。

デジタル上では、「捨てる生活」にはほど遠いのかもしれない。


2004年05月26日(水) 5.26 弟の誕生日





いよいよ割れた携帯のガタが来始めた。

電波が入らなくなってきました。近いうちに機種変更します。

余計な出費が増えるばかりだなぁ。

臨時バイト代で食いつないでます。正規のバイトは来月から始めます。

ふぅ。





天気が良いので布団を干しました。


2004年05月25日(火) 帰ってきた

あ〜戦士たちが黄泉の国から帰ってきたぞー!


「もののけ姫」を見た人なら分かるセリフ。

帰ってきました、東京に。あっという間のプチ旅行でした。

よい現実逃避になりました。というかむしろ現実に目を向けた日々でもあった。
やりたいことや今やってることの設計図が、なんとなく頭に映りだした感じです。

何がなんだかこれではサッパリな文章ですが、異文化コミュニケーションをして
ちょっと頭が冴えた気になってるだけかもしれません。気分派。


大阪の梅田あたりは嫌いじゃないけどしっくりこなくて、
田舎の上新庄が丁度いいサイズに感じ、居心地よかったです。
北陽高校(お笑いコンビ北陽の母校!)目の前だし。


弟と別れ、夕方になって神戸の三ノ宮に行きました。
高校時代の同級生が住んでいる街で、向こうでは初めて会いました。

彼女は都市計画とかが専門の院生で、その辺の話をたくさん聞きました。
坂道だらけの神戸をサンダルで案内してくれて「すげぇ」と思いました。



東京はじゃっかん寒い気がします。気温が。

あと、都市とか風景の話を聞いたせいか、それとも単純に土地の差を感じたのか
妙に密集した街並みだなぁと。…昨日今日のことじゃないんだけど。


東京に着いて、大学に行って、普段の生活がリスタートして。

ゼミの友達と昼ご飯食べて、就職課で森本千絵さんや他の先輩方のポートフォリオを
ぜんぶ閲覧させていただいて、おなかいっぱいになって、これから昼寝に入ります。


サイトの工事も終わったし、キャンパスシアターin大阪は夜にします。おやすみなさい。



2004年05月24日(月) おーさか再び

二度目の上新庄。



夜、お好み焼き屋に入った。

弟は大盛り豚玉と焼きそばを頼み、
そんなに食えるのか心配したけど杞憂だった。



阪神が甲子園で劇的逆転勝ちをした。
応援する客のおばちゃんが「よし!」と小声で言っていた。
あぁ、ここは大阪なんだなぁとしみじみ思った。


IP電話の設定はできたけど、着信音が鳴らない。
午前中にカスタマーセンターに聞いて、直ったら
弟の大学に潜入してみようと思う。


CampusTheater in Osaka.



夜中までサッカーのゲームをした。
勝てたのは最初だけで、あとは大差でボロ負けした。
こんなことをしたのは何年ぶりだろう?


部屋がきれいでびっくりした。
毎週土曜日に掃除をしているんだとか。
兄が来て「部屋が汚れる!」と怒っていた。




午前。
カーペットで寝させられて、腰が痛い。

去年バイトしていたインターネット会社に電話し、
客として質問をぶつける。向こうのフローは知ってるので、
早めの返答をしてびびらせた。やな客。

IP電話もメールも使えるようになり、任務終了。


午後二時。

先に出た弟を追って、大学にスニーキング(潜入)しよう。
かなり嫌がってたけど、ごめん、行きます。暇だし。


棚ぼたで面白い一日になりそう。


帰ったら写真載せます。


2004年05月23日(日) ちょっとそこまで

よく寝た一日だった。


昨日の夜、お祝いで飲んだビール一杯で関節痛に。
0時過ぎの帰宅後、足が痛くて痛くて眠れず。

朝7時、小泉総理の政府専用機が北朝鮮に飛び立つのを
見送って、もう飲むもんかと思いながら、テレビ消して
やっと就寝。



18時起床。寒い。気温15度。
足はいつの間にか治っていた。

テレビをつけて、平壌に降り立った小泉総理を見る。



23時、弟と電話でやりとりをしつつ、ごはんを炊く。
元気そうだった。近々向こうで会うことになりそうで、交通費出してほしい。


晩ごはんは白米と焼き肉のたれと納豆。普通のおかずが食べたい。


朝5時台の番組で、写真家の野口里佳が自作を語っていた。
きれいなひとだった。なんというか、すごく賢そう。
終盤に少し見ただけなので話はほぼ聞けなかったけど。

自作を「作品」と呼んでいるのが印象的。「写真」じゃなくて。





ちょっとそこまでと、大阪に着いた。

近々、が、次の日になってしまった。気まぐれ。

大阪は暑い。服装を間違えた。

IP電話とメールの設定をして、明日の午後に帰る予定。

機械オンチの弟は日曜もジャージ姿だった。

テレビでJリーグを見ている。


2004年05月22日(土) 就活 デッサン 鳥




ゼミの連中とデッサンを描いていたら、友達に電話がかかってきた。



それは某大手玩具メーカーからの内定通知で、石膏像に囲まれた部屋が

いっきに祝福モードに。晴天のヘキレキというか、よかった。



その流れでお祝いの飲み会が開かれた。いろんなことを喋ったり聞いたりした。

濃い時間だった。自分もこんな風に祝ってもらえたらいいなぁ、と思った。



それが就職だろうが制作だろうが、なにかが成果になった瞬間を求めたい。



内定は「運も含めて相性だ」と先生は語ってくれたが、
ねるとんのようなものかもしれない。

お互いの相性を探り合って、考え方とかもモノの見方が似ていたり逆に新鮮だったりして、

そこで愛が生まれるかどうか…なのかなぁ?と、まだ面接未経験のぼくは想像した。



自分が何かしたわけじゃないのに、有意義な一日だった。





デッサンの方も、やっと木炭の乗りがよくなってきた。




像記号論という授業で、ヒッチコックの名作「鳥」を見た。



最初に見たのは高校一年くらいだったけど、今見たらすごかった。



鳥の画作りも半端じゃないし、カットバックとか構図、役者の顔が

あまりにきれいで、孫子の代まで伝えたいほどだった。孫とかいないけど。

今さらヒッチコックかよと思ってたらカウンターパンチ食らった。



1960年代の映画だけど、ただ鳥が人を襲うパニックムービーじゃないのがすごい。

人の感情や激情、葛藤の記号として鳥があるとか。深い…。



週末にDVDで見たい映画。オススメ。


2004年05月21日(金) Re:Works





worksのページを更新した。





この前の授業プレゼンでもそうだったけど、じぶんの

作品をアーカイブス的に並べて、じぶんの言葉でまとめるのは

今もっとも必要な作業かもしれません。


過去を振り返ることがこんなに大事&面白いとは思わなかったなぁ。


2004年05月20日(木) 19号

ぼくらが小学生だった頃、
台風19号が、九州・四国を直撃した。



今でも19号という言葉には強いイメージがある。
ぼくら、九州・四国の人間にとって。


ぼくの彼女は九州人で、
共通体験として19号が記憶にある。

だから、あの頃の話がリアルに言い合える。
どちらの地域も必ず台風の通る道だから。



東京に住み始めて六年目、
あの頃のドキドキ感はもう味わっていない。

雨戸を閉め、ろうそくを灯した。
雷鳴の中、弟とトランプをした。
家の目の前が山だった我が家で、
父だけが土砂崩れをことさらに心配していた。
何時間も停電は続き、懐中電灯で影絵をつくり、
テレビの音もなく、ただ外界の轟音だけが止まない。


倒れる木、飛ぶポリバケツ、
きしむ車庫、外れそうな窓。
ワクワクして、眠れない夜。pliceless。



そういえば、
今のアパートには雨戸がない。

暴風雨で自転車が流されることもない。
道で急流下りが出来るなんてこともない。
だから初めから雨戸なんて要らないんだ。

自然の爪痕が快感だった小学生時代に
台風の通り道で過ごしたあの特異な経験は、
絶対に何らかの影響を自分の中に残しているように思う。
まさに、爪痕のように。

当然、台風の被害は
手放しで喜べるようなものじゃないんだけど。



そして今。

強い台風2号は20日午後4時、
沖縄・南大東島の東北東約380キロにあり、
時速55キロで北東に進んでいる。
次第に速度を速めながら21日朝には関東地方沖合に接近し、
三陸沖に流れ込む見込み。



ぼくんちにはろうそくもトランプもあります。


2004年05月19日(水) トリ!トリ!トリ!

前回のしゃぶしゃぶ友達3人と、焼鳥屋でたらふく飲み食いした。



もう当座の生活費が底をついてもいいやとばかりに、手羽先ねぎま唐揚げ棒々鶏ビール!

ぼくだけノンアルコールだったが。ジンジャエールの方がまだ美味い。



小西君に借りたままの390円を返し損ねる。

まぁいいか。その後うちに集まって名ばかりの会議。



何かみんなで面白いことがしたい欲求が、徐々に芽生えてくる頃。

なんとなくアホな話をしつつ、それぞれにやりたいことを言い合う。

結果、紙の上にはアホなことしか残らず、怠惰に解散。いつものパターンか。







卒制だけではなく外で展示がしたいと思っているんだけど、規模が大きすぎて、やっぱり、

結論は「カネが要る」の一言になる。
進級展のインスタレーション作品をブラッシュアップするには、

前回の10倍の資金がいるだろう。ひゃくまんえんあったら言うことなし。

しばらく美味しいものはガマンしよう。ていうかここ三日ほどが異常だった。



授業と制作と就活とバイトの両立をしないと、どうしようもないということだ。





働こう。それも制作のひとつ。


2004年05月18日(火) 年金

お昼に市役所へ出向き、
国民年金保険料学生納付特例申請書を提出してきた。



長い名前だ。とりあえず未納ではなくなるのかな。


面倒なだけのよーな気がしてならない。
国民年金保険料学生納付特例申請書。


年金制度なんていらないよと思いつつも、
遅れて出した国民年金保険料学生納付特例申請書を

あっさり受け取って処理してくれた市役所のオバチャンには感謝。




「卒業したら払ってくださいね」と念押しされたのが感じ悪かったけど。

はい。


2004年05月17日(月) ヒンジ

映画「木更津キャッツアイ・日本シリーズ」を借りて見た。


その九時間前にBに電話し、会って駅ビルのぼてぢゅうでモチ豚を食って、
TSUTAYAに行ってDVDを借りて、二人で見た。バカ映画だった。

面白かったけどレンタルで正解って感じ。
ちなみに二晩連続のお好み焼き。



TSUTAYAに行ったとき、なにげに
自分の携帯電話を見たらヒンジ部分が破損していた。

折りたたみ式の、左の付け根部分が割れてぷら〜んとしていた。

踏んだのかどうかも覚えていない。
とにかく帰ってボンドだ、と思い、映画を見つつ接着した。


そしたら、今度は折りたためなくなってしまった。

アロンアルファが思わぬところでくっついてしまったようだ。

焦っていじると、またポロっと外れてしまった。

ボンドのせいで留め具は着いたんだけど、折れた部分はそのまま。

折りたたみ携帯がいつでも分離しそうな予感大で、それでも画面は死んでないことに驚く。



ぷらぷらしているのに、メールも通話も写真も問題ない。
なんだ、意外と丈夫だな。





いつまで持つか、我がライフライン。

こんなモロいものでも、ないと困る。家に電話引いてないし。あぁ。


2004年05月16日(日) 三社祭

浅草の三社祭に行ってきた。





課外授業だったので、教授やゼミの友達と初の外出、散歩。

おもしろすぎ。出店でだんごを食った。お囃子に一瞬まじった。

シム(志村くん)が男どもの喧嘩をいさめた。

浅草寺は人でごった返していた。



アサヒビールの通称う○こビルで休憩をし、


先生にドリンクとソーセージをゴチになる。

よし、出費ゼロ。そして去年のゼミにいた卒業生も合流し、

課外授業はここで解散、卒業生と先生でなんとなく同窓会へ。

OGの彼氏という微妙な立場でついて行く。
手持ちも少ないので、完全に彼女頼み。



祭を横目に、洋菓子喫茶アンヂェラスに入る。

就職したりバイトしたりの懐かしい友達とダッチコーヒー。

のりさんとはたまに会うけど、あもちゃんとかしゅくちゃんとかけいちゃん達は本当に久しぶり。

五月病の話とか、仕事の話とか、映画の話。



ラストはお好み焼きと初もんじゃと焼きそばで締めた。

げふっ。教授はもんじゃ焼きの焼き方をてきと〜に講評してくれた。

五月生まれが多くて、なんとなく誕生日会にもなった。行き当たりばったりだった。



う○こビルがスタルクのデザインと聞いて、妙に納得した。



2004年05月15日(土) PIZZA

Bとコンビニで辛いおやつばっかり買って食った。
マヨネーズをつけてサンドすると、辛口の沢口靖子。


今日は久々に都心に出るのだが、
どうにも金欠で救いようがない。

無理して殺虫剤とか買うんじゃなかった。
700円あれば片道の電車代にはなっただろう。


辛いおやつはバカだったから仕方ない。
本物のピザが買えないのだから仕方ないよね。


2004年05月13日(木) デザインの仕事



陶器「MEBAE」の作者で、
高校から予備校、大学の先輩である竹林くんが
来月からデザイン事務所でグラフィックデザイナーとして働きはじめる。


卒業して2ヶ月間、ずっと面接やポートフォリオ提出をやってきて、
実家からの仕送りも止まって、深夜のパン工場でバイトをしながらの就活だった。

ぼくはその姿を見てきたから、
彼の努力には今さらながら脱帽する。


ぼくがポートフォリオの写真撮影を手伝っていた頃、
夜通しデザインのことや広告について話した。

感覚的に話しすぎて、ときどき何を言ってるのか分からなくなるけど、
ちくりんの考えることはいつも唐突で、笑える。

しかもそれを形に起こそうとするしつこさに、こっちから手伝いたくなる。



1996年に高校の美術部で出会って、
98年に共にウイイレ(サッカーゲーム)にハマりすぎて
共に大学受験に失敗(ぼくは現役、彼は当時二浪)し、
翌年いっしょに大学入学。


そんで芸祭でイベントをしたり、撮影を手伝ったり、遊んだり。


この人がいなかったら、人生変わっていたかもしれない。








本当にこの先が楽しみだし、またウィニングイレブンしたいと思っている。


2004年05月12日(水) 空襲

学校帰り、自転車にまたがったまま信号待ちしていた。



そのとき、ポンっと誰かに肩を叩かれる感じがした。



感じがしたけど、誰もいない。





何だったんだろう…





と思ったら、肩に鳥の糞が落ちていた。



凹んだ。


2004年05月11日(火) 起床学

朝は体が半分死んでいる。



半死で顔を洗い、服を着替え、自転車をこぎ。



そこまで全自動。自我とか、無い。



でも今日はめんどくせー。



なにせ一昨日から寝られないでいる。



夜中、床についたときが最も聡明かも知れない。



天井を見て、ふと起きて山田詠美の「ぼくは勉強ができない」を再読。



その中の一編「あなたの高尚な悩み」が面白い。







学校に着いて、一限CM論、二限教育学。

「オリエンから問題を作り直す」、「父性の影響と性的倒錯」。



がんばって(でもないけど)学校に来てよかったと思える瞬間。


2004年05月10日(月) 食後




水菜、三つ葉、もやし、牛、豚、ごまだれ。



あとレタス。




げふっ。


2004年05月09日(日) ブルータス

午後から学校に行った。

教室からラーメンズ片桐仁の声がするので

入ってみたら、二年生の授業でラーメンズライヴを鑑賞していた。

お邪魔してコントを二本見る。いい授業だ。





デッサン部が再開した。







夕方の五時から、夜十時くらいまで木炭デッサンをした。

懐かしい。感覚が蘇らずに手間取ったが、だんだん思い出せるだろう。

なにせ最後に描いたのが高三の時、六年前。



そのあと大学の前にある定食屋「フランソワ」で、先生にご馳走になった。

ビールを一杯だけ飲んだ。いろんな話をしてくれた。



帰ったら日付が変わっていた。

日曜日。

今日は、友達の新居でしゃぶしゃぶの予定。


2004年05月08日(土) graph / globe



graph[グラフ]
1:互いに連関する二つまたは二つ以上の量の関係を表す図形。
2:全体に対する割合を示したり、数量の大小を比較するための図表。
3:写真を主にした雑誌・画報。

globe[グローブ]
1:球体<完全・永遠の象徴>
2:地球・地球儀


2004年05月07日(金) プレゼン日

プレゼンテーションの日でした。


高校時代から振り返って、今までから今&これからの興味やテーマについて、喋りました。
順番がラストだったんで、押せ押せでぱぱーっと進行しなきゃいけなくなって、
もうテンション上げて自分の作品やら影響を受けたものについて喋っていたら、
何を言ってるのか分からなくなってきて、質問されるごとにイイタイコトが見えてくるという、
面白い時間でした。

ひとから質問されるっていうのは、気づいてなかったことが自分でも分かっていいな、
と思いました。(…小学生みたいな文だな)
やっぱ、ひとりで考え込んでも無駄というか、堂々巡りになりがちで。
外部からの投げ掛けがよかった。


夜、友達のライヴを見に下北沢まで行きました。
かなりよかったです。ビデオ回したかった。三台くらい使って。


2004年05月06日(木) SITE

来月で、サイト運営一周年になる。

感慨深いモノはなくて、たぶん、
まだ正式に一周年といえないからかも知れない。
それにしても、やるべき工事はまだあったりする。
一年経ってもまだいじっている。


ウェブを持って生活が変わったかといえば、大きな変化はない。
けど、たまにログを見ると海外からもアクセスがあったりして、それは嬉しい。
単純にウェブってすごいと思った。

あと、些細な変化ならいくつか。
うちのサイトを、誰かが誰かに紹介してくれる。誰かが誰かとPCを介して。
うまく言えないけど。リンクするということ。
単純に写真を出せる場所を得たというだけでも、すごいことかもしれん。

すごいけど、すごさが見えないのが面白い。全然、知らない人ばかり。
手応えが全くない。感想を頂くことはあるが、TVのアイドルのように、
バレンタインにダンプカーいっぱいのチョコが運ばれてくるような感じではないから。

それに、「すごい」も三回言ったら普通だし。

第一回目の日記は「webという海の中で」。
ネットサーフィンをしているというよりも、ネットダイビングをしているような。


2004年05月05日(水) 白タイツ

昔、幼稚園の頃、おゆうぎ会とか発表会で制服を着るのが大嫌いだった。

制服そのものはいつもと同じなのだけど、少しでもめかした恰好をさせられるのだ。
そう、白タイツの出番である。魔の白タイツ。

なにかの発表会で、その日も朝から母親が、タンスの中からせっせとタイツを出してきた。

「こんなん女の子みたいー」

「何言うとん!はよ履き!行くよ!」

だいたい三言くらいでぼくの抵抗は押し潰され、しぶしぶ言われるままに履く。

ももがイガイガする。なんか、張り付いて気持ち悪い。
それより何より、足が内股に矯正されるような違和感でたまらなくなる。泣きたい。

準備が整って、パンと牛乳を残さず食して、いざ幼稚園へ。
周りが同じ惨めな恰好をしているのを確認。少し安心する。

体育館のような場所に連れられて、年少組からお歌をうたう。
その間も下半身の締め付け具合が気になって仕方ない。ムズムズする。脱ぎたい。

と、何にも集中できずにいたその時、朝の牛乳が、膀胱にやってきてしまった。
幼心に「いま尿意かよ〜っ」と思ったかどうかは分からないが、かなり焦った。

こらえきれずに先生にこっそり報告。トイレ許可を頂き、廊下を小走り。
そこまではよかった。何もかも。だが。

チャックを開いて、唖然。


白タイツ!!!


これは全部ぬがねば出来ないぞ。でも、脱いだらかなりダサイ姿だぞ。どうしよう…!
あ!個室に入ればいいんだ、大の方で小をすればいいんだ。頭いい。

急いで個室に入り、施錠。一呼吸おいて。
改めて、いざ白タイツの脱衣に挑む。のだが。
思いがけずキツく締め付けられたウェスト、ぴったり張り付いた足回り。


脱げない!!!びくともしない!!!


4歳のぼくは、狭く暗い個室で、遠くから園児の歌がかすかに聞こえる状態で、
もはやあきらめの境地だった。


じょーーーーー…。


泣いたと思う。

こんな、何の役にも立たないものを無理矢理履かせた親や幼稚園をうらんだ。
そして、少し変色した上に、湯気を発している白タイツそのものを、うらんだ。

その後がどう処理されたのかは、定かではない。

20年前の出来事である。…子供の日にちなんで。


2004年05月04日(火) 地カレー

地ビールがあるんだったら、地カレーがあってもいいじゃない。

っていうレトルトのカレーが、実家から届いた。神戸のカレー。
これが意外とうまい。とろみが効いてるというか、肉が神戸牛?
3パックが3日でなくなった。地見めのGW。家でサイトの工事中。

ところで、唐突だけど自分はサドなのかマゾなのか、本気で考えてみた。

ぼくの彼女は、モノの本意とか真意をすぱっと斬るのがうまい人だと思うが、
斬られてばっかりでいる自分は、本当はMなんじゃないか?と疑ってみた。

「このボタンにこんなリンクがあるのはおかしい」とか、
「サイトの表紙にこのボタンは邪魔じゃない?」とか言われると
ぼくはすぐに自分で確かめて、その通りだと思うと「そうだねぇ」と言って
せっせと指摘された部分の直しにかかる。…反論の余地がないから。

だけど、そんな光景は指摘した側にしてみれば張り合いがないらしく、
「もっと言い返せよ」となるらしい。
明らかにSとMの力関係じゃないか、と思った。けど、どうなんだろ。

納得して補正してるのだから、一概にも言えない。
むしろ、ぼくの方が他人には厳しいと言われがちだ。
サディスティックなまでに。
ダサイ、ヌルイ、ヘボイ、雑。
そういうものは、生理的に許せない。
(ユルイのはいっこうに構わない。微妙な違い)


とにかく、お互い毒舌だとは思う。

ぼくの毒に対して、彼女ははっきりと対抗してくる。
彼女の毒に、ぼくは毎回「だよねぇ」と認めてしまう。
そこの差があるね、ということは分かった。


で、お互い忙しくて、半月ぶりに会った。

たぶんコーヒーに牛乳を入れるだろうと思って、買っておいた。

ふんぱつして、うなぎの蒲焼きと野菜炒めで待った。

味付けが濃いと言われた。うーん、ごめんなさい。

「コーラ買ってこい。3秒以内な」


2004年05月03日(月) 黄金週間



ゴールデンウィーク2日目。
大長編の夢を見て、起きたら正午です。

大学の友達の車に乗って、事故って
搬送されてベッドで寝て…そこで今の彼女に出会うという話でした。
ドライバーの女の子は重傷で、
助手席でふざけてた女の子は死んでました。ヒドイ話です。

夢なので他意はないと思うんだけど。
壮絶でもない雰囲気が、妙な感じでした。変に明るい。

その前に見た夢は、宇多田ヒカルのコンサートに行くという話でした。
客席まで来た宇多田ヒカルが、
みんなと握手を交わしながら歌ってくれるんだけど、
会場の床や壁がグリーンで覆われていて、
何で緑色?と思っていたら、なんと映画の特殊効果で、
グリーンバックにいる客席のぼくらの上に、
宇多田本人の姿が合成されていただけでした。
虚像と握手して喜んでいたわけです(現実的にそんな合成は無理だけど)。
で、それを舞台の袖で見ている紀里谷(ダンナ)がニンマリ。


実際のゴールデンウィークは、
就活の準備やらポートフォリオ制作で終わりそうです。
夢のような音の、クラフトワークを聴きながら。
キーボードを打ちまくります。

地味めの黄金週間。


2004年05月02日(日) 土曜午後

夜。
近所のゆーきくんに会って、晩ごはんをおごってもらった。

彼は、友人コニーがヴォーカルのバンドでベースをやってる人で、
うちの彼女に言わせると、クレバーな奴。
とにかく、喋っていて面白い。
いろんな話ができるので、たぶん、店で3時間以上は話していたと思う。

将来のことに話が向いたとき、
26歳から28歳にほぼ決まるんじゃねーかみたいなことを言ってて、
それを越えた30歳ごろの自分が、どんなことに面白味を見いだして
やっているか、冗談半分に言い合った。

結婚観とか創作のこと、普段は話さない事まで及んだ。
クリエイティブについて話すのは、かなり相手が限られて
くるんだけど、それが出来る人。ほんと、自然に。


巻き戻して昼。ゼミのプレゼンがあった。
「自分の作品についての考察」と、「過去に影響を受けた既存作品の分析」。
それぞれに発表して、みんなが質疑応答してゆくというスタイルで進んだ。

作者の歴史を紐解くなんて、そうは無いことじゃないかな。かなり面白い。
その人の秘密を知ったようで、さらにこの先の制作過程が見たくなってくる。

ぼくの発表は、連休明けの5月6日。もちろん、クレバーに決めたいトコロ。


とあるお方から、メールが来た。

「幸運の前兆ですか」

という内容で、画像が添付されていた。


2004年05月01日(土) 五月




ナメクジが出た。五月スタート。




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