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2003年07月31日(木) dayphoto

学校


友達B


新橋


そして明日は、北海道。


2003年07月30日(水) 平日


2003年07月29日(火) difference

高校時代に撮った写真たち。



5、6年前の写真になる。

今と違うなら、それは銀塩とデジタルの差か。
それだけじゃない何かが、ある気がする。

何か、とは何なのか。
昨日、友人と朝まで語り合った。

高校時代、写真を撮るには動機が必要だった。
浪人時代、写真を撮るにはイベントが必要だった。
現在、写真を撮るのに何かを必要とはしていない。

今の写真は対象が定まっていない気がする。ただの視点。
昔は、そこにある思い出というか、感情移入できる記号としてのモノが存在していた。

どんどんカオスになってきていると思う。混沌。



僕の彼女は、「今の方が手探りな感じがする」と言っていた。
昔の方が感情移入出来るコトに溢れているだけ、分かりやすく、取っ付きやすいと。
それはそうだと思う。高校時代も浪人時代も、毎日が記念日みたいなもんだった。


2003年07月28日(月) 僕等.

今年の夏、アートユニット「ぼくら」の二人、
小西俊也と伊藤拓郎でweb写真展を開きます。

一応、紹介文を考えたのでここに載せます。以下。

  ぼくらは僕等へ。

  昨年夏に開かれた、「ぼくらEXHIBITION」。
  ぼくらは生まれや育ち、学校も異なるメンバーで構成されている。
  ゆえにおのずと考え方、表現の方向性も違ったアプローチを備えている。
  あえて共通したものを探せば「全員メガネをかけている」といったことぐらい。
  そんなぼくらは、今年も西東京でなにやらコソコソ。

  web写真展、「僕等.」 。
  場所を立川からwebに移し、メンバーの内2名で
  「僕等.」と称してweb写真を随時アップします。

  小西俊也。伊藤拓郎。

ふたりの僕等はデジカメ片手に、西東京を散歩します。
もしかしたら、貴方の街にも現れるかもしれません。
撮られたガゾウは即日アップ。リアルタイムな展示を目指す、僕等初の試みです。
メガネのフレームと、デジカメのピクセルから見えるものだけを頼りに、街を焼き込みます。
いっそう、僕等の各々の違いや、眼のゆく所が表れると信じています。
これはぼくら始まって以来のコラボレートかもしれません。
西東京の街と、僕の視線、僕等の画像。そして、あなたのクリック。
すべてが、ある世界観を構築せんことを願いつつ。

今年、ぼくらは僕等へ。


今年第一弾の展示となります。
詳細は後日書きます。乞うご期待。

たいそうなものじゃございませんが、
西東京アート・マンス2003との連動で、街を撮ってみます。
こうしたイベントを重ねることが、大事だろうと考えてます。
人と人とのつながりを重ねることです。

て言ってもたいしたことは考えてないんで、楽しめたらいいなーと。

最近のポリシー。適当に頑張る。を、体現します。

そうそう、ところで土用の丑の日、うなぎ。美味でした。


2003年07月27日(日) Fireworks 2003

昭和記念公園花火大会に行ってきました。


'99年からだから、今年で五年目になります。
上京して五回目の花火でした。


去年は、病院を二か月ぶりに退院してから
見る花火で、田舎から来ていた母と見物しました。

今年は元気な体で見れました。
大輪の花。轟く音。

上空に直径300メートルの花が咲く度に、
感慨深いものも有り。


東京の梅雨も明けそうです。
ていうか、もう明けたかな。


そうそう。花火大会で見た、異様な風景。

観客がみんな、ケータイの写メールで
花火の写真を撮っていたんです。

闇に光るは花火だけにあらず。
ケータイのウィンドウが煌煌と白い明かりを発し、
それが一面に広がっていました。
この写真にも少しだけ写っています。ほら、白〜い明かりが。


写メールの光も、それはそれで綺麗だけど、
花火には適うはずもなく。なんだかカルト宗教っぽい。
交信という名の信仰、みたいな。


人のこと言えないか。


2003年07月26日(土) ゴールデンタイム




花火大会、いってきまーす。


2003年07月25日(金) 堂本剛を見た

恵比寿で堂本剛クンを見ました。

モスバーガーで僕の前のレジに並んでいました。

真相。
恵比寿の道を歩いていたら、道ゆく人が「アレ?剛じゃない?」みたいなことを
言い出して振り返るので、もしやクサナギ剛か!と思い、その先にいるのが
誰かも分からず追っかけてみました。すると、そこにいたのは近畿方面の剛。

用もないのに付いていった先のモスでフランクフルトを買いました。
剛君は僕と同じくらいか、もっと背が低かった。164センチくらい?
黒い上着の中にピンクのノースリーブで、ジーパン。スニーカー。
かっこよかったです。むしろかわいかった。ニキビがありました。
雑誌の表紙そのまんまでした。TVの方がいいとか、そういうんじゃなくて。

写真は撮れませんでした。さすがに失礼だと思って。
背は同じくらいでも、踊らせたら凄いんだろうなぁ。
こないだは内山理名とキスしてたしなぁ(ドラマで)。
でも芸能人らしからぬ風貌で、好感持てました。庶民派。

フレッシュネスバーガーじゃなくて、モスバーガー。
クアアイナじゃなくて、モスバーガー(余計なお世話)。

モスの店員の緊張ぶりが面白かったなあ。ドキドキしてるのが。

天本英世も見たことあります。堤真一と、大杉蓮と、なっちも。
でも、なっちはデビューしたての頃に見たので、自慢になりませんでした。
剛クンは地元の子にも自慢できるなぁ。荒木経惟と違って。

「アラーキー?それって、ヒト?」

って言われたもんな。


2003年07月24日(木) 横浜〜アメリカ


今日は横浜に行ってきました。雨のヨコハマ。

なんだか疲れて、やっぱり我が家。

アメリカのお菓子をつまみながら。
着色料がハンパじゃない。…マズイ。


2003年07月23日(水) その先の日本へ

七月三十一日から、北海道へ行くことになった。
雑多な立川とも暫くお別れ。

狭い部屋を抜け。 蛍〜!


2003年07月22日(火)


ウェブ日記をつけ始めて、二ヶ月が経った。

早いようで、早い。


2003年07月21日(月) 除湿気分


アートユニット「ぼくら」の茶話会。

立川のキナコカフェで行いました。
なかなかオツな場所で、まったり出来ました。

話は「じゃあ渋谷で」。
以前までの、銀座で展示案はあっけなく
ぽしゃり、今は渋谷のギャラリーを借りようと話し合っています。
ずっと現実味を帯びて参りました。金銭的にも、土地的にも。

渋谷でやるなら昼食も銀座ほど困ることも無いですし、僕は
新宿でバイトしているのでなにかと定期とか使えて便利です。
センター街とは逆側なので落ち着いていますし。

いよいよ話は現場レベルに近付いてきました。
照明、音声、搬入、壁の色合わせ。

それほど気負ってはいないんですが、適当な中にも勝負師的な眼を光らせつつ。
たらたらと、ぎろぎろと。

今日からバイトだらけで作品制作もウェブ更新も
ままならないのですが、そのお金を糧に、
バイト代で北海道、沖縄(もしくは屋久島)へ行ってきます。
デジカメ片手に。

たらたらと、ぎらぎらと。

テンポの乱れた風、風。


2003年07月20日(日) ニセモノ家族




ただいま。


2003年07月19日(土) クリームパン


おいしい?


2003年07月18日(金) もっと考えろ

建築家、安藤忠雄。
彼の口癖は、「もっと考えろ」だという。

「24時間考えてないとあかん。戦略を練ろ。
 寝ながら考えろ。飯食いながら考えろ」

考え事をするのが一番楽しいと言う。
まだ仕事をもらえぬ若かりし頃、
近所の空き地を見ながら「ここにはどいういう建築が必要か」
を考えて暮らしていたらしい。一見無駄に見える思考の集積が、
今のアイデアの発端。

アイデア、戦略は、考え事をしつくした後に残るものだという。
考えの痕跡。思考の集積。

僕が思うに、考えには鉛筆が不可欠だ。
メモの重要性。

もっと考えなくてはならない。
考えずに、ただ創って綺麗だったらいいじゃない、美しかったらいいじゃない
という時代は終わった。

世の中的には、いうに及ばずそんな時代はとうに終わっていたが、
僕の中で、美大生としてそこに安住するのやめようと思う。
メモを取り、頭で考え、眼で捕らえる。

もっと考えろ。


2003年07月17日(木) もうすぐ夏休み


写真の整理をしていると色んなものが出てきます。
こんなもん撮ったっけなぁ、と思うこともしばしば。

昔は、銀塩の頃はプリントするしかなかったので、
それを一枚一枚確認して、いらない写真は破って捨てていました。
かなり、環境に優しくないことをしていたと思います。

なぜ捨てるかというと、持っていても組みようがないし、
思い出を保存するというにはじゅうぶんな数を撮っているので、
余るんです。余ると捨てる。未練があると眼が鍛えられない。
この潔さ(?)が快感だったりします。

今はデジカメなので、フォルダごと消去したり、とりあえずHDにコピーして
その後フォーマット(初期化)したりして、やはり捨てています。
これも快感だったりします。さっぱり。
でもデジタルは環境に優しいし、バックアップがあるので
捨ててから後悔という失敗もそんなには無いです。

銀塩をやってるとね、ものすごく環境に悪いなぁと思います。
薬液はどれも酢酸やアルカリ性の強い劇毒なので、廃液が配管を腐らせることにもなります。
もちろん薄めて廃棄しますが、そんなの気休めで、実際うちの風呂場は酸の臭いがすごいです。
アルツハイマーになりそうな。危険ですね。
銀塩はこれからもっと衰退しますが、それはそれで淋しい。
けれども、これだけ環境に悪いと、なんだかおっくうにもなります。

その上ダメだと捨ててしまうのですから、何とも贅沢です。
デジタルに移行してからは、モノとして捨てることは無いけど。

今まで、何枚撮って、何枚破ってきたんでしょう。
僕の撮る写真の傾向(?)も、けっこう変わってきました。
…昔は隠し撮りなんて恥ずかしくて出来なかったのに。


いつから平気になったんでしょう。。。


2003年07月16日(水) 洋鬼

先輩ちくりんと、友人カワハラアカミネナカヤマでご飯を食べた。
エロトークとモノマネ披露に花が咲く。どう見てもおかしな集団。

その後当然のようにカラオケへ。
TMN、安田成美(ナウシカ!)、GAO、サザン、
ミスチル、吉幾三、ばんばん、イルカ、谷村新司。
どれもモノマネ。ミスチルとサザンはヤバいほど似ていた。ちくりん恐るべし。

朝まで歌い通し、いつものモスバーガーへ。
エロトークに花を咲かせ、どう見ても朝からおかしな集団。

その後普通に吉野家へ。
朝から牛丼食べて、解散。午前8時。

昼1時まで仮眠し、レポート書き上げ。これから学校。
多分その足でバイト先へ直行。めんどくさいなあ。


今日はヘリコプターがうるさい。



昨日、テストがあったので友人Kちゃんにノートを借りた。
生物学B。

早速ノートで調べる。
神経細胞の図はこうなっているのか、ほほう。
シナプスはこう伝導するのか、ふふん。

と、いろいろと見ていたら。
普通に生物学の記述が書かれた中に、こんな下りを発見。

「洋鬼→ヤンキー」

・・・・。

Kちゃん?!


Kちゃん・・・。


2003年07月15日(火) 1/2の助走


本気で沖縄旅行を計画しようかと思う。

お金を貯めて、三泊くらいはしたいっす。
アルバイトは申請すれば休めそうだ。

沖縄には友達のお父さんがいる。
正確には彼女の父親、なので、会わせてもらえるのか。
でも会ってみたい。

電話で
「ハイ木村拓哉です」
というお父さんに会ってみたい。

嘉手納基地やら、戦没者慰霊碑、首里城、海。

サザエさんばりに巡りたい。
お楽しみ。




2003年07月14日(月) マイノリティ・リポート


写真新世紀に作品を搬入してきました。
前日の晩から昼まで、友達の家でプリンタを借りて、出力。構成。
頑張ったけど甘さが出た。またしても失敗。
失敗作なのに出してきたのは、そこまでやって見えたものもあったから。
その成果は自分の中にある。作品からは見えないかもしれない。
でも、これはケジメ。とゆうわけで出してきた。
評価はされないだろうけど、意味はあったのです。

公募展がこれからどんな意味合いや価値を持つかは謎だけど、
僕はお金が欲しいです。出会いも欲しいです。その意味ではいい行事です。


そして残る課題は、学校のレポート課題が五つ。

全部書く前に寝てしまった。
しばらく寝てなかったので、どっと疲れが出た。今。

単位はまぁ大丈夫だと思う。
でもちょっと恐い。一応、これからあがいてみるか。

日記なんて書いてる場合じゃないか。


では、レポ地獄、突入です。

と、思ったら。

レポート課題をはり出した掲示板の写真を見たら、
自分が取った授業のレポート課題はどこにも書かれていない!

(最近メモ帳に書き写す行為がめんどいので、もっぱらデジカメ撮影。らくちん)


もしや・・・。レポートではなく、筆記試験?
だったら間に合うか。仮にレポートなら落とす覚悟もあるわけだし。
後期に巻き返せるだけの単位は足りてますから。

なんか、救いようの無い日記だなぁ。まぁ、他で頑張ります。


2003年07月13日(日) メモリィ♪

ある種、究極なのかもしれない。

フィルムケースにメモリーカードが何枚か。

友達は、そう保管していた。
フィルムの中にデータが数メガ。

おかしいけれど自然な風景。


2003年07月12日(土) デザイン


デザインって、計画っていう意味らしいね。
夏休みのデザイン、もう出来た?


2003年07月11日(金) 矛盾 12

小林製薬の「あせもにアセモア」は、
名前が矛盾してると思った。moreって。



長崎の駿ちゃん殺人事件。
いじめられっこが腹いせに、幼い子供を裸にして悦に入っていた。
いじめられっこのいじめ。だそうだ。

そいつが近くの大人にバレそうになって、
思わず突き落とした→死んだ→捕まるかも→逃げた→黙って登校した。

短絡的というか、単純。
想像する力がなさすぎる。
落とせば死ぬ。刺せば死ぬ。絞めれば死ぬ。

性癖や精神異常で話される事ではないと思う。もっとシンプル。
きっかけは性的衝動だろうけど、殺害はその延長線上にはないと思う。
バレそうになったから慌てて隠した。それがビルの下だっただけ。
イコール死。を、想像出来なかったのか、しなかったのか。

今回の問題は、彼がそれを分からなかったことだ。
その一点で、彼は酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年Aとは違う。
自分を神格化しようとしたわけでもない。
人をいじめることには興味があったのかもしれないが、
殺すことに興味を持ったわけじゃない。
長崎の少年を神戸の少年Aと同列に話す大人は、根本的に間違っている。
もちろん共通項もあるんだけど、結果の出方がだいぶ違う。

誘拐、裸、子供、転落、殺人。
それらを見ているといかにも猟奇的で異常だが、実際は違う。
拾った子猫が部屋で鳴き出したので、親にばれそうになって慌てて窓から放り投げた。
そういうことだったんじゃないか。

大人なら極刑です。たぶん。
でも彼は12歳なんだな。


2003年07月10日(木) 展覧会の話


過去、何度かグループ展等に作品を出したことがある。

一回目は高校時代、文化祭で美術部員として出展した写真だった。
16歳。当時から写真。タイトルは「美しい日々」。
A1ほどのパネルにL判の写真を並べたコラージュ作品。
「美しい日々」でありながら、そこには友人が鶏を解体する光景や、
どちらかというとグロテスクなものに散りばめられた世界を写していた。
お客さん(特にうちの母)はかなり引いていて、してやったりだった。

二回目が予備校時代。
高校時代でいう文化祭に近い、立美祭で写真集を出した。
ただ写真集を置いても素通りされてしまう。より多くの人に見てもらおうと、
あえて一番人の多く入るギャラリーに出展するように申請し、そこにTVを置く。
TVからは写真集のコマーシャルとして、スライドショーを流した。
前日にビデオカメラを借り、徹夜で作った。広告としてどうしても必要だった。
が、いざ蓋を開けてみるとスライドショーの方が好評を博し、コンクールでは
グランプリを戴いた。映像と広告の力を思い知る。

三度目は大学の文化祭、「芸祭」だった。
高校時代からの先輩、ちくりんを筆頭に集まった団体。
宇宙をテーマにした映像の展覧会「Across the Universe」。
個々の作品以上に、会場設計、デザイン、広報、衣装に力を入れた。
これはこれで大成功。デザインの力を思い知る。大盛況だった。
衣装をデザインしたアカミネノリエ、そしてスーパーバイザーの
レイコイトウ氏にはみんな感謝。広告塔をアピールできた。

最後が2002年の「ぼくらEXHIBITION」。
予備校時代の友人4人で、なじみ深い立川を舞台にグループ展。
表現メディアは写真2つ、音響、映像と、多種に及んだ。
学校の行事に乗っかるのではなく自分達でぜんぶ取り仕切る。
そのことの重要性と、大変さを知る経験となった。


それらを踏まえて。
さぁ、今年はグループ展3つ、出展します。
踏まえるものが多いのが、もはやひとつの財産になってます。

お金はかかるが出会いもある。
新しい出会いを求めたいと思います。


2003年07月09日(水) Face to Face



2003年07月08日(火) 講評


ムサビ映像学科・写真ゼミのモノクロ写真課題。
その全体講評が月曜の朝から行われた。

四月に発表された課題の内容は
「家族の肖像、または自写像」を撮るというものだった。
組み写真で20枚。モノクロ。バライタ紙プリント。
フィルム指定:コダックT-MAX400(iso200で撮影)
最初に言われたのは、「実家住まいの人は家族を、一人暮らしは自分を撮ること」。
もう、そこでおかしいと思うんだけど、話を続ける。

講評は、だいたい教授の「これはいいね」
「これは分からない」のふたことで選別される。
「君のお母さんとの確執が見えるよ」「おじいちゃんとの会話が聞こえる」
といった、写真の話と言うよりは、家庭の話に終始しがち。私写真推奨。

「なぜ20枚か」
「なぜT-MAXか」
「なぜ自分を撮るのか」

そういうアプローチがごっそり無いまま、終わってしまった。
ただ、言われた通りにこなすだけ。
自らアプローチする余裕も持たされることなく。
…でも僕らは、貴方のコピーになるつもりはない。

この授業に意味があったとすれば、
自己も他者も含めて、好みで写真を構成しないこと。
別の先生に指摘され、そのことに気付けたことだろう。
分かっていたつもりでも、大事な眼を見失っていた。

あとのことは忘れました。
やっつけ仕事に反省。


2003年07月07日(月) からっぽ

頭が空っぽになった。

もう一度、考えを改める必要がある。

写真について。
セレクトについて。
自分の、眼に対して。


2003年07月06日(日) 日々




朝のラジオは元気だ。
ジョン・カビラが声高らかに、朝のニュースを読み上げる。
僕は僕で台所に行き、冷蔵庫を物色する。


今日は、さくらんぼを洗って食べた。


2003年07月05日(土) 1996-2003


高校一年の時に撮った写真。
もう七年も前。時のスピードに驚いてしまう。

今より老けた写真だなぁと思う。
田舎の高校生には、アサカメとSTUDIO VOICEしか情報源が無かった。
リバーサルで撮ると、現像は香川県に配送され、帰ってくるまで待つ。
もちろん、デジカメなんて身近には存在しなかった。
色んなものが無いなりに、けっこう楽しんでいたように思う。

そして今。

確実に、興味の対象が変わってきてます。


2003年07月04日(金) 小旅行



撮影日:1999年 夏


2003年07月03日(木) Bの件

あなたは友人の自殺現場を見たことがありますか。

あれは1、2年前のことで、
季節がいつだったかも忘れてしまった。

近頃、友人Bを見かけなくなっていたが、バイトを極端に
多く登録している彼だから、仲間内では、またどっかで
忙しくやってるのだろうと言い合っていた。

そんなある日、ケータイにBの母親から電話がかかってきた。
もう1ヶ月も音沙汰がない。心配なので息子に連絡を寄越すよう
伝えてくれないかとの内容だった。

うちからBのアパートまではそれほど近いわけでもなかったが、
それでも、予備校のクラスでは僕が最も近所ということで、
様子を見に行くことになった。一抹の不安を抱えて。


駅からBのアパートまでは歩いて20分はあった。
着くなり、大家さんが書いた張り紙が目に飛び込む。

「連絡乞う 042-××××-○○○○ 大家△△」

嫌な予感がする、インターホンを鳴らす。

「おーい、開けて〜」

情けない声を発す。

返答なし。誰もいないのか?
足下でノラ猫がこちらを一瞥する。

ドアノブに手をやる。ゆっくり回す。 開いた!

正直、ドアが開くとは思っていなかったので、恐くなって別の友人Pに電話した。
Pにはこちらの事情も雰囲気もよく伝わっていないようで、さっさと入れと促す。
ゴミの山をかき分け、土足で他人の家に踏み入る。異常事態。

この時、すでに僕は最悪の結末を予想していた。
考えまい、考えまいと思いつつ、予想を確かめようと奥へ進む。

昼間なのに日当たりの悪い物件は薄暗い。電気のスイッチを探す。

ふろ場を開ける。いない。
トイレを開ける。いない。
台所を抜け、最後の六畳間へ。

「びっきー、、、、」

誰もいない…と、思ったら。
天井からぶら下がる、人の足。

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

それは、ただのツナギ(作業着)だった。
驚かせやがって!!!!

他に確認できたものといえば、
いつからそこにあるのか分からない食べかけの餃子と、
敷かれっぱなしの布団、線の抜けた電話機だけだった。
電話線を差し、置き手紙を置いて帰った。汗だくになった頬を拭いながら。

後日、Bは「巻き爪」で入院していたということが判明した。
それで誰にも連絡が取れなかったって、そんなの言い訳だ。

今でも、天井からぶら下がる足が忘れられない。

案の定、Bはぴんぴんしている。僕は確実に寿命が縮んだ。


2003年07月02日(水) 彼動





彼動の現在。


2003年07月01日(火) 煩悩

うちの実家の、祖父母の家はお寺だった。
山奥にこつ然とある、南嶺山大福寺。

祖父は僧侶で、けっこう広い庭には灯籠や、鐘、水子地蔵、そして本堂があった。
子供の僕らには、格好の遊び場だった。
正月になると、親戚一同が集まって、たき火をしながら除夜の鐘をついた。
108の煩悩が抜ける瞬間。

そんな祖父母が、山から下りたのが今年初め。
もう、あの鐘を鳴らすこともないのか。

煩悩が溜まる日々。
それもまた、一興。




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