ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年07月31日(金) 取り越し苦労はいくらでも

連日の猛暑日が続いており今日は隣町の黒潮町が日本一の暑さとなる。

自慢するようなことでもないけれど日本一と言うのがなんだか誇らしい。

そんなふうに暑さをたのしんでいる。明日も猛暑になれば良いなと。

ただ熱中症の危険がある。昨日は山里で救急搬送された人が3人も。

幸い命に別状はなかったようだけれどまさに命に関わる暑さだった。

それを思うとなんと不謹慎なことを書いてしまったのだろうか。




午後、けい君の担任の先生から電話がある。

今日は終了式で下校時間がいつもより早かったのだそう。

学校から遠い一年生は保護者のお迎えが義務づけられていた。

それも学校にではなく通学路までと決められていて

けい君が無事に帰っただろうかと心配して電話してくれたのだった。

息子ともお嫁さんとも連絡がつかず私も心配になってしまう。

仕事を終えるなり通学路に向かって車を走らせていた。

猛暑の最中ずっと待っていたら倒れてしまうのではと気づかう。


でもけい君の姿はどこにも見つからず無事に帰っているらしい。

それを確かめようと息子のマンションへ行ってみたけれど

誰もいなかった。いたのは飼い猫のレオンだけだった。

ちょっと心配し過ぎたかなと帰宅する。買物にでも行ったのだろうと。

後で息子から電話があり取り越し苦労だったことがわかりほっとする。

明日からは夏休み。しばらくは登下校の心配もなくなったのだ。


ふと取り越し苦労はいくらでもと思う自分がいた。

孫たちのためならば惜しまない。たとえ火の中にでも飛び込んでいける。

なんだかそれが生きる支えのように思えた一日だった。





2020年07月30日(木) 遠い日の夏の思い出

もくもくと入道雲の空。やっと梅雨が明けたようだ。

今日も猛暑日となりなんと我が町が日本一の暑さだったそう。

これからは暑さとの闘いになるけれど負けてなどいられない。

おもいっきり夏を楽しみたいと思う。まるで子供の頃のように。


そうそう10円でアイスキャンデーが二本も買えたのだ。

それが子供心にどんなにか嬉しかったことだろう。

あれは夏休みだったか母の財布からこっそり硬貨を失敬したことがある。

とても悪い事をしたのだと自覚しながらもわくわくと嬉しくてならない。

まっしぐらに駄菓子屋さんに走り二本のアイスを手にしていた。

そうしたらおじさんが「駄目だよ」って苦笑いをしていて

握りしめていた硬貨が穴の開いていない5円玉だったことを知った。

それはそれは大ショックで目から火が出るように恥ずかしかった。

やっと自分がとてもいけないことをしたことに気づく。

母には言えない。ずっと秘密にしたままもう60年近く経ってしまった。

今なら打ち明けられる気がする。遠い日の夏の思い出として母に。



あやちゃんがちょうどその当時の私の年頃なのだろう。

今日も汗びっしょりになってふうふうと学校から帰って来る。

明日が終了式とのこと。コロナの影響で今年の夏休みは短いようだ。


夕飯前に二階から下りて来たのを娘がふざけて抱っこしていた。

「これは重いよ米俵みたい」ときゃあきゃあと楽しそう。

私も無性に抱っこしたくなって「おばあちゃんも」と言ったら

「きもい」と言われてさっさと逃げられてしまった。


めいちゃんが生まれてからあやちゃんを抱っこしたことがない。

甘えたい時もあっただろうにいつのまにかすっかり大きくなったこと。


短い夏休みだけれど楽しもうね。アイスもいっぱい食べようね。







2020年07月29日(水) 世の中はコロナばかり

すっかり梅雨明けを思わすような晴天。

早朝から蝉の声が聴こえぐんぐんと気温が高くなる。

江川崎では猛暑となり日本一の暑さだったようだ。


北上した梅雨前線は山形最上川の氾濫を招きまた水害となる。

被災された方も多い事だろうに報道が少な過ぎるのではないだろうか。


世の中はコロナばかり。今日は全国で千人を超えたのだそうだ。

不安はつのる一方でなんの改善策もない現実に途惑うばかりである。



義妹が来月のお盆に親族みな集まり宴会をしようと言って来たそう。

じいちゃんからその話を聞くなり「とんでもない」と反論する。

「おまえもそれほど神経質にならなくても」と一喝されたけれど

たとえ親族であっても集まるのはとても危険に思えてならない。


甥っ子が長距離運転手をしていて定期的に東京へ行っている。

そのことを持ち出せば甥っ子を差別することに繋がるのだろう。

甥っ子にとっては命がけの仕事なのだ。分かってあげなくては。

けれども万が一のことがあり得ないとどうして言い切れようか。


大切な家族を守りたい一心で用心に用心を重ねている日々。

平穏無事に終えられる一日がほんとうにありがたくてならない。



2020年07月28日(火) 込み上げてくるせつなさを

時おりにわか雨が降りながらもおおむね晴れ。

週間天気予報にはやっとおひさまマークが見える。

早ければ明日あたり梅雨明けになるのかもしれない。


しかし北上した梅雨前線は東北地方に大雨をもたらしたよう。

空に罪はないけれど今年の梅雨はなんと過酷だったのだろう。



今朝もめいちゃんと保育園へ。小麦色の肌にポニーテール。

昨日は頭が痛くてプールを休んでいたことを知る。

夏風邪かなと心配したけれど今日はもう大丈夫のようだった。

プールを楽しみにしている様子にほっとして職場に向かう朝のこと。



仕事は特に忙しくもなく小休止状態だった。

かと言って閑古鳥が鳴いているわけでもなくそれなりに。

もう月末の資金繰りも整っていてあたふたとすることもなかった。

そんな余裕にどれほど救われていることだろうか。


ふと母と一緒に仕事をしていた頃を思い出す。

いつも会社は火の車だった。取引先に不都合をかけたくない私と

「ないものはない」と言って理不尽を通そうとする母。

何度ぶつかり合ったことだろう。あの悲しさは何だったのだろう。


母さん。私はしっかりと会社を守っていますよ。

今は胸を張ってそう言える。母もきっと喜んでくれることだろう。


会おうと思えばそれがやっと叶うようになったけれど

連休の間にもそれをしようとしなかった私がいる。

薄情な娘だと母は思っているのかもしれないけれど

込み上げてくるせつなさを「距離」と名づけようとしている。


毎晩のように母の夢を見る。きっと今夜も会いに来てくれるだろう。





2020年07月27日(月) きっと乗り越えたのだろう

夜明け前には激しく降っていた雨も日中は降ったりやんだり。

時おり陽射しもありほっとしているとまた降り出したりする。

そんな忙しさに空もつかれてしまったのではないだろうか。


4連休がやっと終わり日常が返ってくる。

私は仕事がしたくてわくわくしていたのだけれど

朝のSNSでは「憂鬱だ」とか「仕事行きたくない」とか

それほど自分の仕事に誇りを感じていない人が多いのだろう。

ストレス社会ではそれも当然のことなのかもしれないけれど

そんなに仕事が嫌ならさっさと辞めてしまえと言いたくなった。

そう思いつつ自分にも思い当たるふしが少なからずある。

辞めたいと思ったことが何度あったことだろうと思い出す。

たぶんそれは大きな試練だったのだろうと今はそう思える。

きっと乗り越えたのだろう。だから今は仕事が好きでならない。

する仕事があるのはありがたいことと心からそう思えるようになった。



夕食はチキンカツ。あやちゃんは豚カツが食べたかったようだけれど

よほど美味しかったのか喜んで食べてくれて嬉しかった。

付け合わせの千切りキャベツやトマトが嫌いなので

胡瓜を花形に切ってお皿に並べたらそれが気に入ったようだ。

「もっときゅうり」と言ってほぼ一本の胡瓜を平らげる。

野菜嫌いでもほんのひと工夫で食べてくれるのだなと学んだばあちゃん。


家族6人みんなで食べる夕食はやっぱり楽しくて美味しいね。






2020年07月26日(日) 「あした」のことをかんがえている

曇り空から雷雨になりそして晴れたりと忙しい空。

梅雨の末期だとのこと。空も耐えていることだろう。


さきほど孫たちがやっと帰って来てくれた。

感動的な再会とはいかずあやちゃんはつんつんとそっけない。

めいちゃんは泣くのをよほど我慢していたのだろう

お風呂の入浴剤を私が先に入れてしまったのに機嫌を損ね

いままさに泣いているところ。わんわんとまるで子犬のよう。

そんなふたりがとても愛しい。これでこそ我が家だと微笑んでいる。


やっと日常がかえってきてくれるのか。

せっかく頂いた4連休も正直言って少し苦痛に思えていた。

する仕事のあることがどれほどありがたいことだろうか。

おまけに孫たちがいないとなんとなく気分が落ち込んでいけない。

悪い事ばかり考え込んでしまうのはほんとうに悪い癖だと思う。

それだけ孫たちに癒され救われている日々だったのだろう。

どれほど死が身近であっても長生きをしようと今はつよく思える。



めいちゃんの泣き声が聴こえなくなった。

空はまだ明るくて燕の鳴き声が夕空にこだましている。

私は「あした」のことをかんがえている。

なんだか生まれ変わっているような気がしてならない。



2020年07月25日(土) だいじょうぶ生きている

真夜中に雷雨があったらしいが眠っていてまったく気づかず。

目覚める直前には耳元であやちゃんの呼ぶ声がはっきりと聴こえ

「はい」と大きな声をあげて飛び起きてしまった。

幻聴なのか単に寝ぼけていたのか分からず不思議でならない朝のこと。


朝と言っても午前4時の事。まだ外は暗く強い風が吹き荒れていた。

窓を開けて風に吹かれているとなんだか心細くて不安でならない。

どこか遠いところに追いやられてしまいそうになりながら

だいじょうぶ生きていると何度も自分に言い聞かせていた。




今日も日中はじいちゃんとふたりきり。

録画してあった映画「桜田門外ノ変」をじっくりと見入る。

原作は吉村昭で私の好きな作家であった。

それを読んだのはずいぶんと昔のように思うけれど

忠実に原作を再現しているように感じる。

いや原作はもちろんの事にしても歴史上の確かな事実なのだった。

明治維新を見る事もなくたくさんの尊い命が無残にも奪われてしまった。




夕飯は「鰹のひっつけ寿司」を。いつもは私が作るのだけれど

今日は最初から娘に作らせてみることにする。

「なんで?はは死ぬの?」とそれがなぜか冗談には聴こえない。

これも終活になるだろうと覚悟のようなものを感じながら教える。


美味しいお寿司が出来上がって食べる頃には笑い話になっていたけれど

私の脳裏には「今夜死ぬわけにはいかない」とそればかり。

明日は孫たちが帰って来るのだもの。どうして会わずに死ねようか。


歳を重ねるという事はきっとこういうこと。

永遠のいのちなどどこにもない。あるのはいつも今と言う一瞬。

明日はいつも奇跡のようにやってくるものなのだ。





2020年07月24日(金) 孫たちがいない夜に

朝から雨が降りやまず。幸い小雨だけれど大雨の地域もあったよう。

明日も降り続くようで天気予報では「滝のような雨」だと言う。

コロナに豪雨が追い打ちをかける。人はどれほど耐えれば良いのだろう。



笑顔で孫たちを見送る朝。内心は心配でならずそして少し寂しい。

孫たちをぎゅっと抱きしめるひまもなくあっけなく出掛けて行った。

「ちゃんとおとまりできるもん」めいちゃんはちょっと得意顔。

そうして成長していくのだなと思う。それは頼もしい姿だった。



娘は仕事に。娘婿は素潜り漁に出掛けじいちゃんとふたりきり。

テレビの録画番組を片っぱし見ながら一日がとても長く感じる。

私は職場が恋しい。もうお休みなんて要らないとさえ思う。

あと二日の辛抱だ。月曜日になるのが待ち遠しくてならない。


ふと退職したら毎日こんな日が続くのかなと思った。

「世の中で一番さびしい事はする仕事のないこと」と福澤心訓にある。

今の自分にはとても耐えられそうにないことだった。



「なんと静かね」と呟きながら娘夫婦と4人で夕食。

娘婿が酔っぱらって饒舌になっていたのが唯一の救いだった。

素潜り漁でアワビを獲ったのがよほど嬉しかったのだろう。

普段はとても無口なのに今夜はしゃべりまくり愉快でならなかった。


孫たちの様子はまったくわからず。娘はあえて電話をしようとしない。

せっかくの親離れが台無しになるから「駄目!」と言って。


いつもならお風呂上がりの孫たちがはしゃいでいる頃。

なんとなくしんみりとしながらこれを記す。



2020年07月23日(木) 嘆いていても何も変わらない

晴れのち曇り。今夜遅くからまた雨になりそう。

例年なら梅雨が明ける頃。今年はもうしばらくかかりそうだ。


せっかくの連休に海苔網を洗いたかったけれど断念する。

思うようにいかないものだ。仕方ないねとじいちゃんと。

仕事が休みなのがさほど嬉しくもなくむしろ働きたくてならない。

それほど仕事が好きだったのかとなんだか不思議に思えてくる。



今日は県外ナンバーの車を多く見かける。

国のGOTOトラベルの影響もあるのだろうけれど

なんとも複雑な気持ちになり不安が込み上げてくる。

はっきり言って「来ないでほしい」自粛を続けて欲しいと願う。

けれども観光業界にとっては待ちに待った人出なのだろう。

明と暗に分かれる。その瀬戸際で現実を受けとめるしかないのか。


我が家の孫たちも明日からのプチ旅をとても楽しみにしている。

娘婿のお母さん「下田のおばあちゃん」と南国市まで。

高知市に近く行けばずっと家の中で過ごすわけにもいかないだろう。

それがとても心配でならず不安でならなかった。

けれども娘夫婦の決めたこと「よけいな口出しをするな」とじいちゃん。

楽しみにしている孫たちにどうして「行くな」と言えようか。

とにかく無事で元気に帰って来てくれることを信じるしかない。


何という世の中になってしまったのかとついつい嘆きたくなるけれど

現実を受けとめながら希望を持って立ち向かっていかなければ。


嘆いていても何も変わらない。怖れていても何も変わらない。



2020年07月22日(水) ささやかな一言で

二十四節気の「大暑」一年で最も暑い頃とされている。

午後から曇り空になり昨日ほどの猛暑にはならずに済む。

けれどもなんと蒸し暑いことだろう。エアコンなしではとても過ごせない。



今朝もめいちゃんを保育園に送り届けて山里の職場に向かう。

すっかり小麦色の子供たち。今日もプールを楽しみにしている様子。


国道から山道に差し掛かったところでお遍路さんの姿。

金剛杖を二本にして一歩一歩踏みしめるように歩いていた。

山道とはいえ朝から蒸し暑くどんなにかしんどいことだろうと

声をかけずにいられなかった。労う言葉が自然に出てくる。

そうしたら満面の笑顔で応えてくれてなんと嬉しいことだろう。

おまけに追い越して行く私に手まで振ってくれたのだった。

感動で胸が熱くなる。なんとも清々しい気持ちでいっぱいになった。



ほんの一言。それがどんなにささやかな言葉でも想いは通じるのだ。

一歩間違えれば罪にもなり兼ねない言葉を心して大切につかう。

これからもそう心がけていこうと肝に銘じた出来事だった。




仕事が忙しく二時間の残業になってしまう。

スーパーへ寄る時間がなくなり朝来た山道を急いで帰る。

家の近所のコンビニで鶏の唐揚げなどを買って帰宅した。

娘が残りご飯でおにぎりを作ってくれてとても助かる。

後はあり合わせだったけれど誰も文句を言わずに食べてくれた。

あやちゃんの機嫌が悪かったらきっと私は涙をこぼしていただろう。


コンビニの店員さんが「おつかれさま」と言ってくれた。

そんなささやかな一言が嬉しいものなのだ。



2020年07月21日(火) 我が家は「牛の日」でした

最高気温が36℃。今日もうだるような猛暑となる。

夕方になり雷が鳴り始め今は熱を冷ますように小雨が降っている。

今夜は少し涼しくなるかもしれない。こんな雨はありがたいものだ。



今朝は久しぶりにめいちゃんと保育園へ。

小学校のプールへ行くのだと言ってとても楽しみにしていた。

それから連休中は南国市のいとこの家に泊まりに行くのだそう。

目を輝かせながらいろんな話をしてくれる。

保育園の門をくぐると一度だけ振り向いてくれて走り出す姿。

そんな後ろ姿に手を振る。なんだか胸がきゅんとしていた朝のこと。



仕事は来客が多く嬉しい悲鳴。暑い中を来てくれてありがたいこと。

オイル交換に来てくれた常連のお客さんからハクビシンの話を聴く。

畑のトマトを毎晩食べに来るので罠を仕掛けて捕まえたとのこと。

その後の話がとても悲惨だった。それほどの罪なのかと耳を疑う。


ハクビシンの命よりもトマトの方が大切だったらしい。

農家の人にとっては当たり前のことなのかもしれないけれど

野生の動物も必死で生きようとしているのだと複雑な気持ちになった。

「そんなもんよ」と笑うお客さんを「ありがとうございました」と見送る。



仕事を終えていつものスーパーに寄ると今日は「丑の日」

店先では店員さんが汗びっしょりになりながら鰻を焼いていた。

買ってあげたい気持ちは山々だったけれど

我が家は先日天然鰻をたくさん食べていたので今日は「牛の日」に。

店内でステーキ肉を三枚買ってそれで鰻一匹分の値段だった。

輸入肉だけれどじゅうぶんに美味しい。家族も喜んでくれて良かった。




最近少しずつだけれど過去の日記を読み返している。

今日は2009年1月の日記を読んだ。

私信になってしまうけれど大分の「とくさん」もし時間があれば

1月4日の日記を読んでみて下さい。

もう11年の歳月が流れてしまったのですね。

なんだか昨日のことのように懐かしく思い出されます。

今もなお続いているご縁にただただ感謝しています。



2020年07月20日(月) きっと笑顔でいてほしい

梅雨明けを思わすような猛暑日。風もなくうだるような暑さだった。

雨が降れば豪雨。晴れれば熱中症と人はどれほど耐えれば良いのだろう。

平穏無事であることがなんだか奇跡のように思えてならない。



あやちゃん参観日の振替で今日は学校がお休み。

どうしたわけか朝からすこぶる機嫌が悪い。

それも私にだけでつんつんと当たり散らす。

反抗期なのかもしれないけれど「ウザイ」のだそう。

そっか・・と少しかなしい。苦笑いするしかない朝のこと。



出勤前に近くの地場産市場へ寄ったら偶然にも息子夫婦に会った。

お嫁さんには先日会ったばかりだけれど息子に会うのは久しぶり。

元気そうな様子にほっと安堵する。マスク越しに笑顔を交わし合う。


寝耳に水だったのは来月から職場が代わるのだそう。

同じ系列だけれど他の老人ホームに異動になったのだそうだ。

特に不祥事があったわけでもなく心配ないよと息子は言うけれど

心配性の母には左遷なのかもしれないと嫌な予感が頭をよぎる。


介護の現場はとても過酷だと聞く。息子はもう慣れてはいるけれど

職場が変わればまた苦労も増えることだろうと気遣わずにいられない。


じいちゃんいわく「栄転かもしれないだろう」と。

「あいつのことだから心配ないさ」とまで言ってくれる。

私はどうしていつも悪いほうにばかり考え込んでしまうのだろう。


いつまでも母にとっては「こども」なのだけれど

もう40歳を過ぎた立派な「おとな」なのだった。

社会の理不尽な渦に巻き込まれることもないのだと信じてあげたい。


今度はいつ会えるのだろう。その時にもきっと笑顔でいてほしい。





2020年07月19日(日) ほうら肩の力をすうっと抜いて

早朝の曇り空が一変し夏空がひろがる。そうして初蝉の声。

まるで梅雨明けを思わすような暑い一日だった。



朝の涼しいうちにお大師堂へ。日捲りの暦を今日にする。

川の水はまだ少し濁っていたけれどさらさらと水音が心地よい。

お堂の中は凛とした空気に満たされていてとても清々しい。

こころもからだもすくっとし生まれ変わったような気持になる。

たどたどしい般若心経も唱えれば救われたようになるのが不思議。



買物から帰宅したらじいちゃんが「ちょっとドライブ」と誘ってくれる。

先日開通したばかりの宿毛中村道路の延長区間を走りたいのだそう。

どんな道なのか私も気になっていたので「行こう」と意気投合する。

往復一時間ほどの短いドライブだったけれどけっこう楽しかった。



早めに昼食を済ませ午後はひたすら寝て過ごす。

孫たちのふたいとこのまあちゃんが遊びに来ていたようで

その甲高い声に「うるさい!」と怒鳴ってしまったようだ。

記憶にございません。まあちゃんほんとうにごめんなさい。

途中で一度目を覚ましたものの4時間もの昼寝は尋常ではなかった。

なんという恐るべき睡魔だろう。まるで寝るために生きているよう。



夕飯は何も作らなかった。娘たちがお昼にバーベキューをしたそうで

その残りのお肉で済ます。めいちゃんとじいちゃんは卵かけご飯。

あやちゃんはお昼に食べ過ぎて何も食べたくないと言う。

娘夫婦はインスタントラーメン。それぞれに食べたい物を食べる。


めいちゃんが今夜も食器洗い。「めいのぶんだけ」と言ってその通り

他の食器には見向きもせずに後は娘が洗ってくれて助かる。


私は気が抜けたようにだらだら。今日はほんとうに怠惰な一日だった。

けれどもそんな怠惰が明日の気力につながるような気がする。


休める時には安みましょう。ほうら肩の力をすうっと抜いて。



2020年07月18日(土) こつこつと頑張るタイプ

薄雲におおわれていたけれどおおむね晴れ。

にわか雨もなく柔らかな陽射しが降り注いでいた。

蒸し暑さはあったけれど青空はやはり嬉しいものだ。



残り仕事があり今日も山里の職場へ。

先月からずっと土曜日出勤の日が続いている。

幸い体調を崩すこともなく元気なのが何よりだった。


今まで職場は休みではないのを私ひとり休ませてもらっていた。

孫守を理由にそうさせてもらっていたけれどもうその必要はなさそう。

それだけ手が掛からなくなった。孫たちは日に日に成長している。



今日はあやちゃんの参観日で水泳記録会があったのだそう。

娘が休みを取っていてめいちゃんも一緒に行っていたようだ。


水泳が決して苦手ではないはずのあやちゃんが

ミニプールを最後まで泳ぎ切れないと聞いていたので心配していた。

他のお友達はみんな出来るのにあやちゃんだけ出来ないのだと。

プレッシャーをかけてもいけないとそっと応援する気持ち。

その願いが通じたのか今日は初めて最後まで泳ぎ切れたのだそう。

先生や同級生や保護者の大拍手。どんなにか嬉しかったことだろう。

「やれば出来る」それは大きな自信につながったのだと思う。

えらかったねあやちゃん。おばあちゃんもその姿を見たかったよ。


当のあやちゃんはのほほんとしていて特にどうってことない様子。

めいちゃんとは正反対の性格でそれが長所でもあるのだと思う。

人と競おうとしない。抜き出ようともしない。悔しがらない。

そんなところが好きだなと思う。そして努力は惜しまないのだ。


こつこつと頑張るタイプ。おばあちゃんもそんな人になりたい。



2020年07月17日(金) いつか読み返す日のために

幾日ぶりの青空だったのだろう。雲が多かったけれど概ね晴れ。

爽やかな風が吹き梅雨の晴れ間にしてはずいぶんと過ごしやすかった。


巣立った子燕達だろうか電線に何羽もとまっていて可愛らしい。

飛ぶ練習をしているのだろうか。餌も自分で探せるようになったのか。

見つめ合えばきょとんと首をかしげる姿もまた愛しいものだ。




じいちゃんの手術から昨日で一年が経ちあれこれと思い出す。

去年の今頃はと一口では言い表せないほどの大変な出来事だった。

それでもその頃の日々を日記に書き残しておいて良かったのだと思う。

読み返せば胸が熱くなりついつい涙ぐんでしまうのだった。

幸い後遺症もなく元気にしている。それが奇跡のように思える。




山里でお客さんから猪肉をいただき今夜のごちそうにする。

母の日に娘が贈ってくれた圧力鍋を初めて使ったのだけれど

説明書をよく読まずに煮てしまってあわや大惨事になるところだった。

火傷こそしなかったけれど煮汁が飛び散りすごい有様になってしまう。

それもすぐに笑い話になり猪肉は柔らかくてとても美味しかった。

使い慣れたら重宝することだろう。さて次回は何を作りましょうか。



めいちゃんが今夜も食器を洗ってくれる。

先日のような口出しはせずにそっと見守っていたら

水量も程よくとてもきれいに洗い流していて感心するばかり。

「まだまだあるよ」と汚れた食器を流し台に運んで行くと

「めいのぶんだけあらうの」と言いつつ手を止めずにいてくれる。

後から見てびっくり殆どの食器を洗い終えてくれていた。

「やるねえ、使えるねえ」と娘と顔を見合わせ微笑んでいた。


泣き虫でかん虫のめいちゃんだけれど日に日に成長している。

出来るかな出来たよ。それが大きな自信につながっているのだと思う。

めいちゃんありがとうね。おばあちゃんはとても助かりました。





2020年07月16日(木) なんの罰なのかなにが罪なのか

曇りのち雨。蒸し暑さはなくずいぶんと涼しく感じる。

雨雲におおわれている空を想う。彼女と呼んでいいのか

きっと欝々と嘆き苦しんでいるのではないかと気づかう。

ほんとうは青いのだ。明るくて朗らかなひとなのだろう。



ぽっかりと浮かぶ白い雲が好きだった

風と一緒に追いかけっこをしたりして

くすくすっと笑ったり抱きしめてみたり


真っ青であればあるほど雲を恋しがる

そうそれほどまでに寂しがり屋だった

風がどんなに宥めても切なそうな顔をして

わたしは独りぼっちだからとぽつんと呟く



ある日とうとう邪悪な雨雲に囚われてしまい

微笑むことも叶わない憐れな姿になった

風がほらねとまるで後ろ指を指すように

それでも歯を食いしばって耐えていたのだ


なんの罰なのかなにが罪なのかわからない

ただ青く白い雲に会いたがっていただけなのに


どうか彼女をゆるしてあげてください

どうか涙をうけとめてあげてください







2020年07月15日(水) 義父と茄子と南瓜と

曇り時々雨。それは濡れても気にならないような小粒の雨だった。

どうやら大雨のピークは過ぎたようで梅雨明けが近いのかもしれない。

けれども豪雨の爪痕があまりにも大きくて手放しでは喜べない。

今度は猛暑がやってくるだろう。復旧作業もどんなにか辛い事だろう。

それでも青空を見あげればきっと希望が湧いてくると信じたいものだ。




仕事中にお客さんから電話があり帰りに寄るようにと。

畑の夏野菜をたくさん収穫したので持って帰るようにと言ってくれる。

なんとありがたいこと。仕事を終えるなりお宅におじゃまする。

段ボール箱にリュウキュウと茄子、大きな南瓜も入っていた。

とても食べきれない量でまた職場に戻りみんなで分ける。

ちょうど常連のお客さんが来ていてお裾分けしたのだけれど

義父の分が足らなくなってしまって私の分をと思ったのだけれど

「俺はいいからみんなで食べろ」と言って聞かない。

気のせいかもしれないけれどなんだか義父がいじけているように見えた。


母がいなくなってから義父は料理に目覚めており自炊を頑張っている。

茄子を炒めたかったのではないか。南瓜を煮たかったのではないか。

あれこれと思いつつ「またもらって来るから」と帰路についた。


母は仕事をしながらも義父の食事の支度だけは怠らなかった。

いつもお昼に夕食の分も作っておき明くる日になると

「全部食べてくれていた」ととても嬉しそうな顔をしていた。


長い別居生活。母も義父と一緒に夕食を食べたかったことだろう。

義父のためだけに作る夕食はとても切なかったのではないだろうか。



おかあさん今夜の夕食は何でしたか?

美味しかったですか?おなかいっぱいになりましたか?

もう何も心配することはないからぐっすりと眠ってくださいね。





2020年07月14日(火) 空を信じてあげなくてはいけない

雨のち曇り。午後ほんのつかの間だったけれど小さな青空が見える。

雲をかきわけるようにそれはまるで希望のように見えた。

空を信じてあげなくてはいけない。空もきっと辛いのだろう。



朝の峠路を越えると山里の民家が見え始め

雨に打たれているのは化石のような紫陽花

その傍らで百日紅の濃い桃色が微笑んでいた


紫陽花はみじめな気持ちになっただろうか

もううつくしくはないと涙雨を流しただろうか

いやそうではないとわたしはおもうのだった


この世にはなんとうけとめなければいけないことが

あるのだろうこれでもかこれでもかと雨に打たれる


それでも生きているとほっと空を仰ぐ時がくる

土にしがみつくように生きなければいけない

またきっと紫陽花の季節がやってくるのだから



2020年07月13日(月) 読みかけの本をそっと閉じるように

ずいぶんと涼しい曇り日。午後少しだけ小雨がぱらつく。

山里では稲の穂が出揃ったけれど日照不足なのだそう。

もう忘れるほど日光を浴びていない。なんとも憐れなこと。


豪雨の被災地では泥だらけになって復旧作業をする人々。

そんな人達にマイクを向ける報道陣に複雑な思いが込み上げる。

けれども報道が無かったら私達には何も伝わらないのだろう。

決して他人事であってはならない。せめて寄り添う心でありたい。




職場にハーレーに乗ったお客様。ヘルメットを外すと白髪の紳士。

それは私が二十歳の頃だったかとても憧れていた人だった。

もうときめくこともないけれどただただ懐かしくてならない。

思い出は思い出のまま胸にしまっておこうと思った。

もしもタイムマシーンがあっても私はきっと乗らないだろう。



我が家の軽トラックが車検受けのため午後にじいちゃんが来店。

私の帰宅時間に合わせて一緒に帰る。助手席に座るじいちゃん。

なんだかドキドキする。まるでじいちゃんが彼氏のようだった。

会話が途切れると途惑う。何か話さなくちゃとあたふたとして愉快。

わずか30分のドライブだったけれどなんだかとても新鮮だった。



この日記を書き始めた時間には夕散歩の孫たちの声が聴こえていたけれど

いつの間にかもう外はすっかり暗く夜になっている。

ゆっくりと時間をかけて一日を振り返っていたのだろう。


読みかけの本をそっと閉じるように一日が終わろうとしている。







2020年07月12日(日) 四万十川の天然うなぎを食べました

曇り日。空ももう荒れたくはないだろうと思ったり。

被災地の惨さの報道を見ながら涙ぐむ朝だった。

「希望を」とかんたんに口にしてはいけないのかもしれない。

それでも少しでも希望の光を届けてあげたいものだ。




朝のうちにお大師堂へ。先々週からお大師ノートが見当たらず

Sさんにメールしたらある方が持ち帰っているとのこと。

よく新聞に投稿される方で今回もそうではないかと言う。

ノートにはお遍路さんの出身地や名前が記されているので

Sさんが個人情報を心配していた。私も同じことを思う。

新聞記事に掲載されるのは嬉しいことだけれど複雑な気持ちになる。



午後は例のごとくでひたすら怠惰に過ごす。

寝たり起きたり録画番組を見ながらごろごろするばかり。


娘むこが天然うなぎを釣って来ていて今夜は蒲焼。

手慣れている友人に手ほどきを受けて初めて捌いたようだった。

それがとても上手に捌けたようで悦に入っていて愉快なり。

丑の日にはまだ少し早いけれどまるで今日が丑の日のようだった。


我が家は元々川漁師の家系なのでお舅さんが生きていたら

どんなにか孫の婿と意気投合したことだろうと思う。

亡きお舅さんを懐かしく偲ぶ一日でもあった。

40年近い歳月が流れまた天然うなぎが食べられるなんてありがたいこと。





2020年07月11日(土) この日記を書き終えたら雨が降り始めた

夜明け前まで降っていた雨がやみ日中は曇り空。

もう強い雨の峠を越えたのかなと思いきや今夜はまた雨になりそう。

週間天気予報にもおひさまのマークは一日もなかった。

梅雨明けが待ち遠しくてならない。夏らしい青空にあいたい。


「雨ならば雨を受けとめ」と雨の季節を受けとめていたつもりだけれど

今回のように大きな水害があるとそれは不謹慎な言葉なのだろう。

言葉はむつかしい。使い方を間違えてしまうと人を傷つけてしまう。

こうしてひっそりと隠れるように言葉を綴っていても

公開している以上は誰の目に触れるやらわからないのだもの。




残り仕事があり今日も山里の職場へ。

お客様は神様。来客が多く嬉しい悲鳴をあげていた。

同僚一人では手の回らないのを義父が手伝ってくれてとても助かる。


私のことをいつも「姫」と呼んでくれるお客さんがオイル交換に。

「姫はそろそろ帰る時間だな」と気遣ってくれるのが嬉しい。

「殿がいらしてくれているのに帰るわけにはいけませぬわ」などと

言って笑い合う。一時間の残業になってしまったけれど苦にはならず。



帰宅したら孫たちのふたいとこの「まあちゃん」が遊びに来ていた。

まあちゃんはそれは活発でおしゃべりな女の子。

まるでめいちゃんが3人いるのではないかと思うほど賑やかだった。

お母さんが迎えに来ても「まだ帰らない」と駄々をこねる。

晩ご飯のあと夕散歩をする約束をしてやっと帰って行った。


娘と肩を並べて夕飯の支度。娘が海老の天ぷらを揚げていたら

めいちゃんがまるで赤ちゃんみたいに「だっこして」と甘える。

「今は駄目よ」と娘が言えば大泣きになって暴れる始末。


仕方なくじいちゃんが天ぷらを揚げてくれた。

私は「鶏ごぼう」を作っていた。じいちゃんと肩を並べるのも良いもの。


玄関に誰か来たよと見に行ったらまあちゃんが心配そうに立っていた。

めいちゃんの泣き声があたり中に聴こえていたらしい。

ぴたっと泣き止むめいちゃん。「恥ずかしいねえ」と娘。


夕食後はお約束の夕散歩。土手からのはしゃぎ声をほのぼのと聴く。






2020年07月10日(金) ひとはひと、わたしはわたし

朝方少し強い雨が降ったけれど日中はほとんど降らず。

心苦しいけれど恵まれているとしか思えない一日。


SNSでは豪雨災害にまったく触れようとしない人が多く途惑う。

他人事だと思っているのだろうか。見て見ぬふりをしているのだろうか。

もしかしたらそれが当たり前のことなのだろうか。

「今日も素敵な一日を過ごしましょう」などとよく言えたものだ。

あまりにも配慮の足らない言葉なのではと思わずにいられない。


そんな怒りにも似た感情を宥めつつ私はわたしの言葉を発する。

「ひとはひと、わたしはわたし」と言い聞かすように。




晩ご飯の後めいちゃんが食器を洗ってくれていた。

小さな手でそれは上手に洗ってくれていたのだけれど

水量が少なく洗剤の泡が残っているのが気になり

「もうすこしおみずをだそうかね」と蛇口をひねったのがいけなかった。


すっかり機嫌を損ねてしまって「もうあらわない」と泣きじゃくる。

洗いかけのお皿を投げるようにして泣きながら二階へ上がってしまう。

「ごめんね、おばあちゃんがわるかったね」

せっかく洗ってくれていたのに余計なことをしてしまった。


もうすぐ6歳になろうとしているめいちゃんの自我が芽生えている。

「ちゃんとできるよ」と。だからほめてあげなければいけなかった。

明日も洗ってくれるかな。おばあちゃんはとても助かるよ。

ありがとうねめいちゃん。ぴっかぴかのお皿がとても愛しい。








2020年07月09日(木) どうかどうか希望と勇気を

午後7時を過ぎた。空は薄黒い雲に覆われている。

けれどもまだ明るいのはおひさまのおかげだろう。

今は希望を持たなければいけない時。

辛い思いをされている人達にそんな希望を届けてあげたいものだ。



仕事は来客が多く活気に満ちていた。

笑顔で応対をしながらふと自分の顔を鏡に映してみたくなる。

愛想笑いではなく心からの微笑みを見てみたかったのだ。



東京のコロナが凄い。すでに第2波が到来しているとしか思えない。

今の状態では封じ込めることは困難に思える。

やがて飛び火するだろう。覚悟をしていなければいけない。

どんなに用心していてもそれは必ずやって来る。

甚大な水害に加えコロナの不安。日本はいったいどうなるのだろう。


嘆こうと思えばいくらでも嘆ける。

けれどもそれでは何も変わらないのだと思う。

希望はもちろんのことだけれど立ち向かう勇気が必要。


ひとはみな弱い生き物だけれど強いこころを持つことは出来る。

そのこころを育てられるのは自分自身なのではないだろうか。


駄目だなと思ったら駄目になる。

大丈夫と思ったらきっと何だって乗り越えられると思うのだ。





2020年07月08日(水) 「ばいばい」きっとまたね

午前3時頃だったろうか激しい雷雨に目を覚ます。

ざわざわと恐怖心がつのりただただ「こわい」と思った。


夜が明けると小雨になっていて救われたように安堵する。

しかし強い雨雲は帯をなして日本列島を覆っていて

今日は岐阜に被害をもたらしたことを知る。

被災された方々を思うとこころがずきずきと痛んでならない。


それでも日常の事が待っている。「ふつう」に暮らさなければと思うばかり。



仕事を少し早めに終わらせてもらって母の施設へ。

6月分の支払いを済ませケアマネさんと話していたら

なんと少しの間なら面会が叶うとのこと。

まだ無理だろうと思っていただけに思いがけず涙が出そうになる。


面会室でアクリル板越しだったけれどやっと母に会う事が出来た。

わずかな時間だったけれどずいぶんとたくさん話したように思う。

母らしく仕事の話ばかり。ふと忘れてしまえば良いのにと思うほど。

心配をかけてはいけないと「大丈夫よ」と何度言ったことだろう。


母の手を握りしめてあげたかった。頭を撫でてあげたかった。

けれども母に決して触れてはいけないのだそうだ。


車椅子で部屋に戻る母に「ばいばい」と手を振る。

母もまるで小さな子供のように手を振って応えてくれた。

今生の別れでもないのにどうしてこんなに辛いのだろうかと思う。


昨夜私が会いたがっていたのはやはり母だったのだ。





2020年07月07日(火) 会いたいひとは誰だろう

高知県西部は小雨が降ったりやんだり。

九州に比べればなんと恵まれていることだろう。

心苦しさはつのるけれども天に感謝するべきなのだろうか。



二十四節気の「小暑」暦の上では本格的な夏となる。

一年前の今日はちょうど日曜日で母の生まれ故郷に行っていた。

あの荒れ果てた家に咲き誇っていた紫陽花の花を思い出す。

もう盛りを過ぎたけれど今年もきっと咲いていることだろう。

母を連れて行ってあげたかった。その想いは今も変わらない。

けれどもあの日それがもう叶わないと思ったことも忘れてはいない。

母が帰る日は母が土に還る時だ。そう母と約束をしている。



七夕でもありラジオからはドリカムの「7月7日晴れ」が流れる。

若き日のようにセンチメンタルに浸ることもなかったけれど

ふとせつなさが込み上げて来て涙が出そうになる。

会いたいひとは誰だろう。小粒の雨に問うてみる。



保育園から帰っためいちゃんが「おりひめさま」を描くのだと言って

タブレットを手に「けんさくして」と娘にせがんでいた。

そんな微笑ましさに笑顔がこぼれおちる夕暮れ時のこと。


雨雲の上には天の川が流れていることだろう。

一年に一度だものきっとふたりは会えるでしょう。



2020年07月06日(月) ふつうにしていればいいよ

午前中には強く降っていた雨も午後には小雨となる。

ほっとして良いものか。九州は各地で大変なことになっている時に。

折りしもあの西日本豪雨から二年が経たという今日と言う日だった。


ひとは自然の猛威には逆らえず為すすべもない現実。

これでもかこれでもかとなんと容赦ないことだろう。

大きな災害があるたびに心が締め付けられるように痛むばかり。



ふとRのことを思い出した。音信不通になってもう10年が近い。

東日本大震災の時にRが言ってくれた言葉が今も忘れらない。

すっかり平常心を保てなくなって取り乱すばかりだった私に

「ふつうにしていればいいよ」と言ってくれたのだった。


朝起きてご飯を食べて仕事に行って買物をして夜になれば寝て

嬉しい事があれば笑顔になって微笑んでも良いのだと言う。


その言葉にどれほど救われたことだろう。

どんなに心が痛んでいても「ふつう」に暮らすことが出来るのだ。

そうしてそんな「ふつう」がどれほどありがたいことかを思い知る。

心苦しさはあっても自分には与えられている日常があるのだった。


Rと最後に話した日は彼の誕生日だった。

風邪で寝込んでいると言ってとても不機嫌だったことを憶えている。

Rは親友だった。それ以外には考えられない存在だった。

その日を最後に縁が切れる。切れたとしか思えない歳月が流れたのだ。


私は何があっても「ふつう」にしていますよ。

今は家族も6人になって幸せに暮らしていますよ。

孫も3人。すっかりおばあちゃんになりました。



2020年07月05日(日) あっけらかんとしていたい

朝のうちぽつぽつと雨。それから思いがけずに青空が見え始める。

風はあったものの湿度が高くとても蒸し暑い一日だった。


新聞には熊本の被害の様子が大きく取り上げられており心が痛む。

平穏無事に朝を迎えられたことに心苦しさがつのるばかり。

明日はまた大雨の予報。どうかもうこれ以上の被害がありませんように。



お大師堂へお参りに行くつもりだったけれど結局行けず。

すっかり怠け癖がついてしまってなんとも情けない。

けれどもゆるしてあげようと思う。出来ないことがあってもよいと。


娘が仕事だったけれど娘むこを自由にさせてあげたくて

孫たちを引き受けたものの例のごとくで野放し状態となる。

近所のお友達が遊びに来てくれて二階はそれはそれはにぎやか。

もう孫守の必要もないくらいにふたりは成長していた。


お友達のお母さんが気遣ってか何度も訪ねて来る。

チャイムが鳴るたびに玄関へ出て「だいじょうぶよ」を繰り返す。

私は少しでもお昼寝がしたかった。でも今日はそれが出来ない。

身体が石のように重い。背中は針金が刺さっているように痛い。


なんのこれしきと思う。これくらいのことでくたばってどうする。


娘が帰って来てくれてほっと一息したけれど娘も疲れている様子。

少し横になりたいけれど寝転ぶ場所もないとぼやいていた。

挙句には「部屋が足らないもう限界」とまで言い出す始末。


苛立つ時は誰にでもあること。文句を言いたい時だってある。

悪い事ばかりにこだわらないでもっともっとあっけらかんとしていたい。


娘が作ってくれたハンバーグは少し焦げていたけれど美味しかった。






2020年07月04日(土) 我が家は草原ではなかろうか

雨のち晴れ。それを幸いと言って良いのだろうか

熊本や鹿児島では豪雨となり大変な被害をもたらしたようだ。

自然災害があるたびに他人事ではなく明日は我が身だと思う。


まだコロナの終息も見えない今。人に何の罪があるのだろう。

容赦なく追い打ちが襲って来る。それを嘆かずにいられようか。



残り仕事が片づき午後は早めに終わらせてもらった。

午前中の大雨が嘘のように青空が見え始める。

なんだか渦の中から救い出されたような気持ちになる。


帰宅したらあやちゃんのお友達が遊びに来ていてそれはにぎやか。

はしゃぎ声を聴きながら横になるなり夕方まで寝入る。

鼾をかいて寝ていたそう。やはり疲れていたのだろうか。

今週の仕事が終わった。疲れよりも達成感の方が大きく思う。


職場が山だとしたら我が家は草原ではなかろうか。

だとしたら私は老いた兎なのかもしれない。

兎の寿命はいかほどか知らないけれどまだまだ生きている。

草原に寝そべり夢を見る。そこは海なのかもしれなかった。


兎の目が紅いのは決して辛くて泣いたのではない。

草原から見上げた山に沈む夕陽があまりにも紅かったからだ。



2020年07月03日(金) 目の前に山があれば登る

梅雨前線が活発になり時おり激しい雨となる。

気温も下がり半袖では肌寒いほどだった。

雨に打たれる向日葵の花。負けはしないと精一杯に微笑んでいる。

「がんばれ」と声をかけながらもふと切なさが込み上げてきた。



午前中に女性のお客さんからヘルプ要請。

「大変なことになったすぐに来て」と泣きそうな声。

運転中によそ見をしていて歩道の縁石に乗り上げてしまったようだ。

同僚と一緒にすぐに現場に駆けつけたけれど生憎の大雨。

私は傘を差し掛ける事しか出来ず同僚はすぐにびしょ濡れになる。

ジャッキを使って車体を持ち上げやっとの思いで車を動かせた。

幸い車は走行可能でほっと安心。お客さんも大喜びだった。


それをサービス仕事にする。そうするのが我が社の方針でもあった。

常連のお客さんには特に。お客さんもそれが当然だと思っている。

決して恩を着せるわけではないけれど目先の事にこだわらない。

そんな商売もあるのだとあらためて肝に銘じた出来事だった。


悪天候でもあり思うように仕事がはかどらず明日も仕事になった。

それが嬉しい。家でごろごろするよりずっと良いと思う。

目の前に山があれば登るのと似ている。仕事が好きな証だった。


振り返れば今週は至って元気。疲れも感じずまだまだいける。

身体が弱ると心も弱ってしまうのでついつい弱音を吐くけれど

まだ弱音を吐いていませんよね?大丈夫ですよね?







2020年07月02日(木) 何があっても笑って生きよう

蒸し暑さもなく爽やかな晴天。なんだか秋のような空。


気がつけばヤマモモの実も殆ど落ちてしまって

ねむの木の花もどこかへ飛んで行ってしまったようだ。

そうして田んぼでは稲の穂がもう見え始めている。

来月には稲刈りだと言うほんとうに早いものだ。



仕事で思いがけずに嬉しい事があった。

長いこと音沙汰のなかったお客さんがひょっこり訪ねて来てくれて

ずっと支払いが滞っていたのを全額清算してくれたのだった。

きっと事情があるのだろうと察しつつ信じていてほんとうに良かった。


聞けばやはり経営難の上にコロナの影響をまともに受けて

3ヵ月ほど休業をせざる得なかったとのこと。なんと気の毒なことか。

まだ本調子ではないだろうに無理をさせてしまったのではと気遣う。


人情だけでは商売は成り立たないことを知っているけれど

「また困った時には何でも言ってくださいね」と告げると

ほっとしたような顔をしてにこっと微笑んでくれた。

経営難はどこも同じ。それでも少しでも助けてあげたいものだと思う。


義父が「今日はなんだか儲かった気分だな」と言って笑っていた。

ほんとうにそう。お客さんを信じることがいちばん大切なこと。

その気持ちはきっと伝わる。今日ほどそれを実感したことはない。


時にはどんなに信じていても裏切られることもある。

夜逃げをしたり行方不明になってしまう例も少なからずあるけれど

人として恨むことだけはしたくなかった。深い事情があってのことと

何処かで元気で生きてくれてさえいればと願う気持ちになる。


商売は人生みたいでおもしろい。何があっても笑って生きよう。



2020年07月01日(水) そのうち卵を産むかもしれない

昨日の荒天が嘘のような晴天。元気いっぱいのおひさまが微笑む。

「半夏生」でもあり季節の移ろいを感じながら文月の扉がひらく。


とある本に「自信がないのは自分を信じていないからだ」とあった。

ほんとうにそうなのかとふと心に引っかかるような気分になる。

なぜなら私は自分を信じているからだ。それが嘘だと言うのだろうか。

自分が信じた道を歩きながらも誰だって不安になるのではないか。

心細くなるのではないか。自信満々になどどうしてなれようか。



今週もありがたいことにする仕事がたくさんある。

そんな活気が嬉しくてならず今日も目の前の事をこつこつ。

まるで鶏が餌をついばんでいるような日々だった。

そのうち卵を産むかもしれないそれも愉快に思う。


帰宅したら電器屋さんが来ていて子供部屋にエアコンを付けていた。

あやちゃんが宿題をするのにこれから暑くなるだろうなあと

気遣っていた矢先のこと。娘たちも同じように案じていたのだろう。


じいちゃんと顔を見合わせながら「ずっと居てくれるのかな」と。

もし娘たちがそのつもりだったらそれほど嬉しいことはなかった。


同居を始めて6年目の夏。決して失いたくはない家族の姿があった。


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