ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年04月30日(木) 思いがけないサプライズ

午後7時。ずいぶんと日が長くなったものだ。

西の空を茜色に染めておひさまが山陰に沈んでいく。

燕だろうか一羽の鳥がそんな空を横切って行った。

帰る巣がある。家族もいるのだろうと思いを寄せる。



月末の仕事を無事に終えほっとしながら帰宅。

あやちゃんの熱は下がっていたけれど念のために小児科へ。

まだほっぺは赤くなっていないけれど背中に微かに発疹が。

やはり「りんご病」らしくしばらく様子を見ることになった。

軽症の場合はほっぺが赤くならないこともあるのだそうだ。

「ほっぺの赤いのはいや」と「はずかしい」とあやちゃん。

学校が休校中で幸いだったのかもしれないとふと思った。


診察を終えて病院の玄関に向かっていたら

母がお世話になっているケアマネさんを見つけ声をかける。

入院から3週間が過ぎ一度も面会が叶わずにいた。

母は順調に快復しているとのこと。ほっと胸を撫で下ろす。

一目会いたい気持ちをぐっと我慢していたところに

「テレビ電話で会いましょう」とケアマネさんが急いで準備を。

それはとても思いがけずにどれほど嬉しかったことだろう。


パソコン画面のなかに母がいた。「ひぃばあちゃん」と

あやちゃんが声をかけると母は歓声をあげて喜んでくれる。

ほんの3分ほどの短い間だったけれどとても貴重な時間だった。

面会の叶わない家族のために病院が用意してくれた粋な計らい。

今後も続けて行くそうでまたいつでも会えるのだそうだ。


「ひぃばあちゃんばいばいまたね」手を振る母の姿がしっかりと見えた。




2020年04月29日(水) ケセラセラなるようになるさ

朝から爽やかな青空が広がり初夏を思わすような一日。

「昭和の日」で祝日。玄関先に日の丸の旗を掲げている家もあった。



昨夜遅くにあやちゃんが発熱。

めいちゃんの時と同じ症状でやはり感染は免れなかったよう。

解熱剤で様子を見て明日小児科へ連れて行くことにする。

コロナ騒動の渦中に我が家は「りんご病」騒動であった。

めいちゃんはもうすっかり元気になっており救われる思い。



娘がお休みだったので予定通りに川仕事へ。

陽射しのきつさにとうとう麦わら帽子の出番となった。

川風が心地よく今日も精一杯の収穫をする。

今週末には最後の収穫を終え漁場の撤収作業を始められそう。


今年は例年の五分の一ほどの収穫。収入もそれに比例する。

家計は大ピンチだけれどもなんとかなるだろうと前向きに。

嘆いていては貧乏神が喜ぶだけだろうと思うことにした。

ドンマイどんまいケセラセラの心意気で行こう。



祝日でいつものローカル情報番組がお休みだった。

コロナ情報だけはいち早く知らせて欲しいものだと

なんだか落ち着かない気分の夕暮れ時のこと。

遅いニュースで県内の感染者一人と報道があった。

濃厚接触者で一度は陰性だったのに陽性に変わったのだそうだ。

どんなにか戸惑っていることだろうと気の毒でならない。


明日は我が身。常にその気持ちを忘れずにいたいと思う。

誹謗中傷は決してあってはならない。寄り添う心を大切にしたい。



娘が「ちょっと雑炊」を作ってあやちゃんが完食。

家族みんなが笑顔でいられる。それがどんなにか幸せなことか。



2020年04月28日(火) 散れない花もありました

朝は曇り空だったけれどすぐに青空になる。

気温もあがりぽかぽかと暖かな一日だった。


あちらこちらに見事に咲いていたツツジの花が

もう枯れ始めてしまった、桜のように散れない

それは憐れでもありなんだかせつなさを感じる。

朽ちていく花びらにふと我が身を重ねてみたり。



午前中に仕事が片づき午後は早めに終わらせてもらった。

今日は買物をしなければならずおそるおそる市街地へ。

家族6人の食料を買い込むのにも限界があって

どうしても足りないものがあるのは仕方ないことなのだろう。

スーパーの店内は思ったよりも空いていてほっと安堵した。

明日は買物に行かない。出来れば明後日も行きたくはない。



帰宅するなりめいちゃんのご機嫌伺い。

今日は娘がお休みだったので例の小児科に行っていたのだった。

やはり間違いなく「りんご病」だったようだ。

ほっぺの赤みは昨日よりも薄れていてもう心配はなさそう。

今の時点での感染も無いとのこと。保育園へも行って良いと。

けれども娘と相談して来月の連休明けまで休ますことに決める。

どんなにかお友達と遊びたいことだろう。もう少しの辛抱だ。

あやちゃんもずっとずっと我慢している。それはとても健気な姿で。


今日も県内の感染者無しのニュース。

ほっと胸を撫で下ろしながらも不安な気持ちは消えなかった。

コロナが影を潜めているだけで突然姿を現すのではないか。

それくらいの恐怖心を持って過ごさなければいけない時。


「三密を避けましょう」市の放送が流れる夕暮れ時。

我が家は家族みんなの笑顔に支えられていた。



2020年04月27日(月) りんご姫がりんごを食べて

最高気温が20℃を越えずいぶんと暖かくなる。

こちらの方言では「よいよぬくい」と言う。

そんなよいよぬくい日の陽射しをありがたくたのしんでいた。


午前10時、村の防災無線からラジオ体操が流れる。

今日が初めての試みだったようでびっくりしたけれど

咄嗟に事務机から立ち上がり体操を始めていた。

コロナ自粛で運動不足になるのを改善する目的らしい。

これはいいなと思った。毎朝続けてみようとおもう。



仕事を終えて朝来た山道をゆっくりと帰る。

昨日食料を買い込んだので今日は買物をしない日。

毎日買物をしていた頃を思うとずいぶんと楽に感じる。

何よりもそうして感染リスクを避けられることが安心だった。


帰宅したらめいちゃんが二階からすぐにおりてきて

「おばあちゃんりんごがたべたい」と。

子供心におじいちゃんには頼めなかったのだろう。

私の帰りを待っていてくれたのがなんだか嬉しかった。


真っ赤なほっぺのりんご姫が美味しそうにりんごを食べる。

お熱はもうなさそう。やっと峠を越えたのだろうとほっとする。



夕方のニュースで今日は県内の感染者無しとのこと。

家族皆でほっと胸を撫でおろしていた。

このまま感染者が出なければどんなにか救われることだろうか。

けれども決して油断をしてはいけないと改めて思う。


明日のことがわからない。それがどれほど不安なことだろう。

それでもただただ立ち向かって行く日々が続いている。





2020年04月26日(日) いつもと変わらないこと

薄曇りの空。時おりやわらかな陽射しがふりそそぐ。

ここ数日の肌寒さがうそのように暖かくなった。

四万十川の土手にチガヤの白い穂が見え始め

季節がもう初夏に変わろうとしているのを感じる。



川仕事は暖かいほど辛く体力を消耗する。

ふうふう言いながら今日も精一杯の収穫をした。

あと二日もあれば今期の収穫が終わりそうだ。

収穫量は大幅に少なかったけれどゴールが見えるとほっとする。



めいちゃんまだ微熱があったけれど久しぶりに外の空気を。

作業場の庭で兎さんみたいに遊ぶ姿はとても微笑ましい。

ほんとうは安静にさせなければいけないのだろうけれど

娘が仕事だったので仕方なく作業場へ連れて来ていた。

ほっぺは真っ赤。足や手にもかすかに発疹が出ている。

抗生剤も効かないそうなのでどうしようも出来ないけれど

昨日相談した信頼出来る小児科医に明後日診てもらう事に。

総合病院の小児科なので週に2回しか診察日がないのだった。

最初の発熱からもう一週間。ちいさな身体で闘っているめいちゃん。

がんばれがんばれ。おねつをりんご病をきっとやっつけようね。


夕食後、今夜はお風呂を我慢しようねと言い聞かしていたけれど

泣いて抵抗する。おそるおそるのお風呂で上機嫌になった。

いまはアイスクリームを食べているみたい。

いつもと変わらないはしゃぎ声を聞きながらこれを記す。



2020年04月25日(土) 今こそ空を見あげましょうよ

今日も北風。朝の寒さを陽射しが和らげてくれる。

きらきらと眩しい空を仰いでいると何もかも忘れていられた。

こんなにも平和なのにと思う。きっと何かの間違いではないかと。

現実の厳しさに負けてなどいられない。空を見あげましょうよ。



娘夫婦がお休みだったので孫たちの心配もなく川仕事へ。

今日も精一杯の収穫を。海苔も一生懸命に生きている。


孫たちが作業場の庭で遊びたがっていたので

「川から帰ったよ」と声をかけに帰宅したら

何という事でしょう。めいちゃんがまた熱を出していた。

おまけにほっぺたが異常に赤くなっており心配なこと。

それでも機嫌が良く元気なものだから外で遊びたがるのを

なんとか宥めて我慢させる。あやちゃんも家にいるからと言って。

娘が解熱剤で様子を見ると言うので病院へは連れて行かなかった。


夕方になりやはり気になって小児科医に相談をしたところ

たぶん「りんご病」だと言うこと。元気なら心配ないらしい。

特に治療薬もなく自然に治るのを気長に待つしかないのだそうだ。

心配し過ぎてもいけないのだろう。そっと見守るしかなかった。


夕飯もいつも通りに食べてお風呂にも入る荒治療。

それから眠くなり今はぐっすりと眠っているところ。

気になって寝顔をのぞきに行けば娘に叱られてしまった。


もっか我が家は「りんご病」でいっぱいになっており

コロナの事を誰も口に出さない。それも良い事なのかもしれない。

そう思うことにしよう。一生懸命に闘っているめいちゃんだった。


真っ赤なほっぺのめいちゃんはりんご姫のように可愛い。



2020年04月24日(金) 寒いほど陽射しがありがたい

今日も風が冷たい一日。冬の名残だと思えばそれもよし。

寒いほど陽射しがありがたく感じるものだ。


ぼたん桜だろうか薄桃色の桜がまだ散らずに咲いている。

田んぼには植えられたばかりの小さな稲がちろちろと風に揺れていた。



今日も孫たちをじいちゃんに託して山里の職場へ。

オイル交換のお客さん。密接するのを気遣ってくれて

作業が終わるまでずっと外で待っていてくれた。

お茶も出せない心苦しさもあったけれどほっと安堵する。

みんながそうして用心しなければいけない時なのだ。


買物をしない日だったので朝来た山道をゆっくりと帰る。

ラジオからは「愛は勝つ」が流れていた。

「心配ないからね」と口ずさみながらちょっと勇気が出て来る。

歌の力はすごいなと思う。元気が出る歌をいっぱい聴きたい。


帰宅したらじいちゃんが洗濯物を取り入れてくれていたけれど

例のごとくで洗濯かごに押し込んであったのでしわくちゃ。

せっかく入れてくれたのにどうして文句が言えましょうか。

「ありがとうね」その一言で返って来る笑顔が嬉しいものだ。

ありがとうの力もすごいなと思う。いっぱい言いたいなと思う。


こんな時だからこそと最近いろんなことを考えるようになった。

嘆かないこと弱気にならないこと絶望しないこと諦めないこと。

精神力を高めることが免疫力にもつながるような気がしてならない。

そうして出来るだけ前向きな言葉を発するようにしましょう。

そうすればきっときっとコロナに勝てます。



2020年04月23日(木) ただつよくなることを私は選びたい

もう花冷えでもないだろうけれど冷たい風。

忘れかけていた冬がなにか伝えたいことがあったのだろうか。

それでも春の花は咲く。おひさまは精一杯に微笑んでくれる。



まだ微熱のあるめいちゃんとあやちゃんをじいちゃんに託して

山里の職場に行っていた。大丈夫かなと気になりながらの仕事。


近所のお友達が外で遊んでいたのだそうだ。その声を聴いて

あやちゃんが一緒に遊びたがっていたのをじいちゃんが駄目だと。

あやちゃんは涙をぽろぽろ流しながら我慢したのだそう。

どんなにか一緒に遊びたかったことだろうか。

我慢してほんとうにえらかったなと思う。


私が帰宅した頃には平熱になっていためいちゃん。

今夜熱が出なければもう大丈夫だろう。

「おねつをやっつけた」と自慢げな顔は笑顔であふれていた。

ちいさなからだで一生懸命にたたかっていたのだと思う。

えらいね。そうして強くなっていくのだと頼もしくてならない。




夕方、とてもショックな訃報が舞い込む。

岡江久美子さんがコロナで亡くなってしまった。

63歳、まだまだこれからの人生だと言うのに何という事だろう。

とても言葉に出来ない悲しみと大きな恐怖心に苛まれる。

明日は我が身だと思わずにいられない現実がそこにあった。


負けてたまるもんかと思いつつ明日のことがわからない。

生きるための保障など何も無いのではと思いながら

つよくなる。ただつよくなることを私は選びたい。



2020年04月22日(水) とにかく立ち向かって行くしかない

今日の風は北風。暖かな春風ではなかったけれど

空には雲ひとつなく真っ青な空がとても爽やかに感じた。



めいちゃんの熱がぶり返してしまった朝。

幼い子供にはよくあることだけれど長期戦になるのか。

風邪の症状は全くなく食欲もあり元気なのが何よりに思う。

娘がお休みだったのでとりあえず様子を見ることに。

あえて解熱剤は飲まさずに体力勝負に臨むことにした。

「がんばっておねつをやっつけようね」と言って。



じいちゃんと私は川仕事へ。今朝の川風は冷たかったけれど

一生懸命に身体を動かしていると寒さを忘れていた。

もう終盤戦となり今月いっぱいが勝負だと思う。

わずかな海苔でも最後の最後まで収穫してあげなくては。

「やったらやっただけのことはあるな」確かにその通り。

今年の収穫は例年の五分の一ほど。欲を言えばきりがないのだ。


作業を終えてから山里の職場に向かう。

出がけに孫たちに声をかけたらめいちゃんが「いってらっしゃい」と

言いつつ「いちごとパンがたべたい」と甘えてくれて嬉しい。

お盆にのせて女中さんみたいに運ぶと「ありがとう」とまた嬉しい。

こんなに元気なのにどうして熱がと不思議でならなかった。



仕事を終えて帰宅するとまたコロナ騒動が待っていた。

ついに我が四万十市にも感染者が出てしまったようだ。

もう逃げ場がないような不安感がひしひしと襲って来る。

夕方には市長さんから直々に市内放送があり緊迫感がつのる。

こののどかな田舎町にもそれはどうしても避けられないことか。


現実を受けとめながらとにかく立ち向かって行くしかない。

決して嘆いたり弱気になってはいけないのだと思う。

「負けるもんか」あらためてそう心に誓った夕暮れ時のこと。



2020年04月21日(火) あしたは明日の風が吹くのだろう

曇りのち晴れ。青空が見え始めると一気に暖かくなる。

降りそそぐ陽射しにふと希望の光が見えたような気がする。



めいちゃんの熱は下がっていてほっとしたけれど

念のために今週いっぱい保育園を休ませることに。

発熱と聞き保育士さん達もはらはらしていたことだろう。

じゅうぶんに休ませてから登園させたほうが良さそう。


娘は仕事。じいちゃんは漁協の出役で留守だったので

私が午前中仕事を休み孫たちと過ごしていた。

あやちゃんはもうすっかり家の中にいるのに慣れているけれど

めいちゃんはパワーを持て余している様子で退屈していた。

熱がぶり返してもいけないので外遊びも出来ずずっと家の中で過ごす。

お人形さんがいっぱい。髪をとかしたり服を着せ替えたり。

こどもは遊びの天才だなと思う。見ているだけでほのぼのと心が和む。



お昼前にはじいちゃんが帰って来てくれてバトンタッチ。

急ぎの仕事だけ済ませ後は明日とつぶやきまた来た道を帰る。

山道でお遍路さんを見かけたけれど声をかけられなかった。

四国霊場の納経所が閉まってしまったことを知っているのだろうか。

とても気になったけれどそれでも歩き通すのだろうと思う。

世の中が大変な時だからこそ必要なお遍路なのかもしれなかった。



今日は感染者が無し。一日でもそんな日があるとほっとする。

けれども明日のことなど誰にもわからないのだった。


あしたは明日の風が吹くのだろう。穏やかな春風であってほしい。



2020年04月20日(月) どうか元気でいてください

明け方まで降っていた雨があがり晴天に恵まれる。

春を通り越してまるで初夏のような陽気だった。



今朝はめいちゃんが発熱。子供の突然の熱はよくあることだけれど

よりによってこんな時期にと思わずにはいられなかった。

娘も私も仕事が休めずとりあえず解熱剤で様子を見ることに。

でもその解熱剤を嫌がって飲んでくれなくて大泣きになる。


午前中に急ぎの仕事だけ片づけ大急ぎで帰って来た。

「おばあちゃんとびょういんへいくのはいや」と泣きじゃくる。

娘に電話をして何とか早退できないかと言っても帰れないと。

仕方なくなだめているとあやちゃんが一緒に行ってくれることに。

やっとめいちゃんがうなずいてくれて病院へ行くことが出来る。


風邪の症状は出ていないけれど風邪でしょうと言うこと。

なんだか納得できなかったけれど熱が続かないことを祈るしかない。

帰宅してやっと解熱剤を飲んでくれる。えらいねがんばったね。


それからヤクルトと牛乳を飲んで枝豆とウィンナーを食べる。

そうして苺を食べ始めたら止まらなくなってひとパックをぺろり。

夕方になったらすっかり元気になってお風呂にも入る。


なんだかキツネにつままれたような一日だった。


コロナ騒動の真っ只中にいて家族の健康がどれほど大切なことか。

めいちゃんもあやちゃんもどうか元気でいてください。



2020年04月19日(日) 明日のことがわからないからこそ

二十四節気の「穀雨」今夜から明日の未明にかけて雨になりそう。

作物にとっては恵みの雨になることだろう。

海苔には少し厳しいかなと思うけれど天に任せるしかない。


早朝より川仕事。今日も精一杯に収穫をする。

いつもより頑張り過ぎたかなとふたりともくたくたになった。

それでも心地よい疲れ。午後はゆっくりと身体をやすめる。



昨夜から孫たちが楽しみにしていた磯遊び。

お友達のお兄ちゃんが急きょ発熱となり中止となってしまう。

けれどもお友達のお父さんが近くの公園へ連れて行ってくれた。

久しぶりの公園が楽しかったようで二人とも笑顔で帰って来る。


夕食は予定通りのカツカレー。あやちゃんの食欲がなく心配。

ついつい顔色を窺ってしまう。ストレスではないかと気遣う。

遊び過ぎて疲れたのだろうと娘が助け舟を出してくれた。

めいちゃんも眠くなっているようでご機嫌ななめだった。

夕食後ふたりだけでお風呂。はしゃぎ声が聴こえほっとする。



また隣町から感染者。一気に4人と聞き不安がつのるばかり。

どうやら娘むこの取引先の会社の人らしいと情報が入る。

そのうち1人とは明日会う予定だったと聞き驚愕が走った。

一歩間違えたら濃厚接触者になりかねないところだった。

娘が「もうパニックになりそう」と嘆くのを皆で宥める。

嘆くのはよそう。とにかく皆で身も守るしかないのだと。


明日の事がわからない。この緊迫した現実からなんとしても

逃げ切らなくてはならない。いや乗り越えていかなければいけない。


試されているのならば試していただきましょう。



2020年04月18日(土) 明日を楽しみにしている孫たち

雨あがりの朝。爽やかな風のなんと心地よいこと。

雀たちのさえずり。お寺の鐘の音。とても平和な朝に思える。



保育園の親子遠足の予定だったけれど中止に。

こども達の楽しみがそうしてひとつひとつ失われていく。

いろんなことを仕方ない事と受け止めなければいけない。



娘夫婦がお休みだったので孫たちの心配もなく山里の職場へ。

急ぎの仕事を優先して川仕事は明日にすることにした。

二足の草鞋を履けない時もある。出来る日にすれば良いのだ。


仕事で隣町に行かなければならず緊張感でいっぱいになる。

それでも驚いたのは人々がごく普通に動きまわっていたこと。

みんな不安を抱えながらも日常の事で精一杯なのだとおもう。

ふとそんな人々を応援したい気持ちが込み上げて来た。

明日は我が身なのだ。我が町もいつ窮地に立たされるか分からない。



二日分の買い物をして帰宅。今夜はトンカツ、明日はカレー。

トンカツを半分残しておいてカツカレーにするのだ。

「いいねえ、いいねえ」テンションの上がる家族たち。


近所のお友達と遊んでいた孫たちが喜び勇んで帰って来る。

お友達のお父さんが明日磯遊びに連れて行ってくれるとのこと。

娘が気遣って同行を願い出たら車の定員オーバーになると断られ

「お任せしようかね」と明日はお言葉に甘えることになった。

きっと楽しい磯遊びになることだろう。よかったよかった。



2020年04月17日(金) 嘆いてばかりいても何も変わらない

曇りのち雨となる。雨音が耳に心地よくなぜか落ち着く。

もしかしたらこころが乾いていたのかもしれないとふと思う。

水を欲しがっていたのだろう。灰汁を洗い流すほどの水を。



川仕事はお休み。おかげでゆったりとした朝だった。

めいちゃんが「おばあちゃんといく」と言ってくれて

保育園に送り届けてから山里の職場に向かう。


国の緊急事態宣言を受けて保育園も休園とはいかないまでも

なるべく家庭での保育をと保育園から通達が来ていた。

娘が休みの日は登園しないほうが良いのだろう。

やっと年長組の生活に慣れて来たばかりで可哀想だけれど

感染リスクを考えるとそれも致し方ない事だと思う。


あやちゃんはおじいちゃんとお留守番。

お昼にまたチャーハンを作って食べたのだそう。

「すごい食欲だったぞ」とじいちゃんが笑っていた。

お友達から「あそぼうよ」と電話もあったらしいけれど

じいちゃんが「駄目だぞ」と。ぐっと我慢のあやちゃんだった。

普段からおっとりとした子なので反発もしないでいる。

それが日に日にストレスになってはいないかと気遣うばかり。

「あやちゃんしたいことがいっぱいあるよね」と声をかけると

「べつに・・」と答える。それが返って心配になるのだった。


こども達の明日を思うと胸が締めつけられるように苦しい。

学校が再開されてもコロナが終息する可能性は無いに等しい。

ただ一時的に拡大を防ぐだけで何の特効薬もないのが現実だった。

いったいこの先どうなるのだろうと思えば不安がつのるばかり。


それでも前を向くことを私は選ぶ。家族もみなそう思っている。

嘆いてばかりいても何も変わらない。それならば勇気を出そう。





2020年04月16日(木) いま大切なのは勇気なのかもしれない

最高気温が20℃を越え汗ばむほどの陽気となる。

季節はこのまま初夏へと向かうのだろうか。

天気予報では「たけのこ梅雨」に入るとのこと。

二十四節気の「穀雨」も近くなり季節の移ろいを感じる。



今朝も早朝から川仕事。朝陽と川風がとても心地よい。

海苔は最後の踏ん張りを見せてくれてとても逞しい。

命尽きるまでと愛しさが込み上げ精一杯に収穫をする。


作業を終え山里の職場に向かう。峠道ではお遍路さんがふたり。

その姿に見覚えがあるなと思えば2日前に四万十大橋を渡っていた。

ご夫婦と思われる。その姿には不安の欠片も見えずとても逞しい。

何があってもなんとしても歩き通す勇気そのもののお遍路に見えた。



仕事を少しだけ早めに切り上げ義父と母の施設へ向かう。

長期の入院になるため今月いっぱいの退去をとのこと

やっと慣れて母も気に入っていただけに残念でならない。

もう母の帰る場所が無くなる。退院したら何処に住めばいいのか。

その不安を一手に引き受けてくれたケアマネさんに感謝しかない。

きっとまた母の居場所が見つかることだろうと頼りにしている。


冷蔵庫やタンス。身の回りの物などを運び出し施設にお別れをした。

親身になってお世話をしてくれたヘルパーさん達には

なんとお礼を言って良いのかただただ頭が下がる思いだった。



いつもより帰宅が遅くなりあれこれの家事に追われていたら

あやちゃんが洗濯物を取り入れてくれていた。

やっと手が届くのをそれでも一生懸命にお手伝いをしてくれる。

「えらいねあやちゃんありがとうね」にこっと微笑む笑顔が嬉しい。



夕方のニュースで国が全国に非常事態宣言をしたことを知る。

もっと早くそうしていればと家族みなそう思っていた。

いまは危機感から逃れようとしている場合ではないのだ。

現実をしっかりと見て欲しい。国民の不安を受け止めて欲しい。

このまま頼りにならないお国で在り続けるならば

国民であることをやめてしまいたいとさえおもう。


おとなたちにはそんな憤慨も少なからずあるけれど

こどもたちは笑顔を絶やさずにいてくれて救われるおもい。


まだ5歳のめいちゃんが「きょうもコロナ?」と言って

おとなたちは我に返り笑顔を交わし合った夕暮れ時のこと。



2020年04月15日(水) 何があっても花は咲く

曇りのち晴れ。少し風があったものの春らしい陽気となる。

桜の季節は終わってもツツジや藤の花やと心を和ませてくれる。

何があっても花は咲く。嘆いてばかりいてはいけないのだ。



早朝より川仕事へ。私の仕事を気遣ってくれたのか

「俺ひとりで行くから」と言ってくれたじいちゃん。

腰の痛みがまだあるのにどうしてひとりで行かせられようか。

6時半に出掛け8時には作業まで帰って来られた。

後の作業を娘が引き受けてくれてとても助かりありがたいこと。


めいちゃんを保育園に送り届けてから山里の職場に向かう。

久しぶりの保育園で少し緊張していためいちゃん。

そっと手を握るとぎゅっと握り返してくれた。

その小さな手のぬくもりに愛しさが込み上げて来た朝のこと。



午前中に急ぎの仕事が片づき午後は早めに終わらせてもらう。

今日は買物をする日。なんだかとても緊張してしまう。

なんとか二日分のメニューを考え逃げるように店を出る。

ふといつまでこんな日々が続くのだろうと思わずにいられなかった。


帰宅してもう日課になってしまったローカルニュースを見る。

そこにはとても悲しいニュースが待っていた。

ついに県下初のコロナ死亡者が出てしまったのだった。

亡くなられた方はもちろんのこと遺族の方々の心痛を思うと胸が苦しい。

その現実に驚愕とする。同時に恐怖心がつのるばかりだった。


感染者が続出している隣町の宿毛市は独自で非常事態宣言をした。

市長さんの判断は正当だと思う。それほど緊迫している状態なのだ。

みんなが自分の行動に責任を持って身を守らなければいけない時。



「ほいくえんたのしかったよ」「あしたもいってもいい?」

この純真であどけないこどもたちにいったい何の罪があるのだろうか。



2020年04月14日(火) みな明日は我が身なのだ

目覚めれば昨日の暴風が嘘のように静まり返っていた。

空には半分の月。いつのまに欠けてしまったのだろうと思う。


夜明けがずいぶんと早くなり朝食を終えた頃には

もう朝陽が射し始めていた。きらきらとそれはとても優しい光。

こんなにも平和なのだとふと悪い夢を見ていたような気がする。



仕事が忙しく一時間の残業になった。

今日は買物をしない日だったので時間も気にならず

帰り道は朝来た山道をのんびりと帰る。

山には新緑が目立つようになった。もう若葉の季節なのだ。

まるで森林浴をしているようなこころ癒される帰り道のこと。


帰宅すれば今日も孫たちの笑顔。

日中は暖かだったのでサイクリングに行っていたのだそう。

娘のママチャリがパンクしてしまって押しながら走ったと。

それも愉快。孫たちが楽しい一日を過ごせて良かったなと思う。


夕方のローカルニュースで今日の感染者は無しとのこと。

娘むこの同僚も陰性だったと聞きほっと胸を撫で下ろす。

どんなにか心配したことだろう。どんなにか不安だったことだろう。

それにしても検査まで日にちが掛かり過ぎるのではないか。

誰しも濃厚接触者になり得る。みな明日は我が身なのだ。



めいちゃんは明日から保育園に行くのだと楽しみにしている。

休校中のあやちゃんはもちろんの事こども達は我慢をしている。

嘆きもしないで少しでも楽しみを見つけようとしているのだ。


おとなの自粛疲れなどほんとうに些細なことに思えてならない。

嘆く時間があるのならもっともっと楽しみを見つけて欲しい。





2020年04月13日(月) ぜったいに負けるもんか

暖かさにすっかり慣れていた身体に真冬並みの寒さがおそってくる。

全国的に大荒れだったようで、高知県西部には暴風警報が。

山間部では積雪もあったそうでとても4月中旬とは思えなかった。


そんな寒さのなかの残り花。昨日の雨ですっかり散ってしまったと

思い込んでいただけにその健気な桜に励まされていた。

あきらめてはいけない。負けてはいけないとつよく思う。



念のためにしばらく仕事を休む予定だった娘夫婦。

肝心の娘むこの職場は休業にはならなくて納得がいかない。

不安な気持ちをいっぱいにしながら仕方なく出勤して行く。

保健所が営業しても良いと言ったのだそうだ。

あまりにも緩い。ほんとうにそれで良いのかと不信感がつのる。


私も出勤したもののどうにも落ち着かない一日だった。

来客があるたびにはらはらする。自分も保菌者かもしれないのだ。

あまり神経質になってもいけないのだろうけれど

それくらいの覚悟をして日々を送りたいと思っている。



帰宅して孫たちの笑顔を見るとほんとうにほっとする。

午後4時を合図に娘と孫たちが「かくれんぼ大会」を始めた。

今日は二階に隠れても良いそうでそれはそれはにぎやか。

娘も童心に返ってはしゃぎまわっていた。愉快な光景だこと。


ふとこんな我が家にコロナが近寄れるはずがないと思う。

そう、それくらい強気でいなくてはならない。

コロナなんかにぜったいに負けるもんか。





2020年04月12日(日) もういいかいまあだだよ

春の雨にしては冷た過ぎる雨がまだ降り続いている。

花散らしの雨になったことだろうと思うと少しせつない。

けれども今年はながいこと咲いてくれて心を和ませてくれた桜。



姑さんの三回忌の法事。親族の会食は中止に決めて

最小限の人数でお寺さんへ。じいちゃんと義妹、義弟だけで

私は行かなかった。心苦しさもあったけれど仕方ないこと。

ひっそりとした法事。姑さんもきっとゆるしてくれたと思う。


自粛はつのるばかりで家族はみな家の中で過ごす。

娘はミシンで手作りマスクをとても上手に作っていた。

孫たちはかくれんぼをして遊ぶ。楽しそうな笑い声に心が和む。


息子から娘にラインがありもうマスクが一枚もないとのこと。

娘が近いうちに作って届ける約束をしたようだけれど

気になってしょうがなく我が家にある紙マスクを届けようとしたら

「それはおかあが使わんといかんぞ」と反対に叱られてしまった。

自分の事より親を気遣う優しさにほろりと涙がこぼれる。



今日も県の記者会見があったようだけれどテレビ放送がなく

娘のスマホで情報を得る。やはり昨夜耳にした通りだった。

間接的ではあるけれど娘むこの職場が危険にさらされている。

そのどうしようもない事実に覚悟はしておいたほうが良いだろうと。


明日から数日のあいだ娘夫婦は自宅待機を決める。

あやちゃんは休校が決まっているけれどめいちゃんも保育園を休ます。

念には念を入れ過ぎるくらいでなくてはならない。


私も体調管理を怠らずさらなる自粛を心がけたいと思う。

もう決して他人事ではない。この危機をなんとしても乗り越えよう。



2020年04月11日(土) 我が家の緊急事態宣言をします

いつもと変わらない穏やかな朝。

近くのお寺から聴こえる鐘の音に毎朝励まされているこの頃。

こころを落ち着かせて深呼吸をするありがたいひと時だった。



また一週間ぶりの川仕事。孫たちを義妹に託し出掛ける。

少しだけれど海苔の生育が良くなっており励みに思う。

とにかく出来るだけの事をと精一杯に収穫をする。


帰りを待ちかねていた孫たちと作業場で昼食。

サンドイッチやたこ焼きを買って来てピクニックのよう。

家で食べるよりずっと美味しい。とても楽しい昼食だった。


今日はめいちゃんがお手伝いをしてくれる。

小さな手は頑張り屋さん。海苔も嬉しそうに陽射しを浴びていた。



夕方になりローカルニュースで今日は感染者無しとのこと。

ずっと連日の事だったのでみんなでほっとしたのもつかの間。

娘むこのスマホに緊急の知らせが舞い込み大変なことになった。

間違いなく明日は公表されるだろう。ついに身近な事になってしまった。


我が家は今夜から緊急事態宣言をする。

感染リスクを背負っている自覚を持って暮らして行こうと決める。



何も知らない孫たちがはしゃぎまわっている夜に

おとなたちも精一杯に微笑もうとしている。



2020年04月10日(金) あしたはあしたの風が吹く

はらはらと桜吹雪。まるで散り急がせるように風が吹く。

いたずらな春風とたわむれるように私も風に吹かれていた。

私はまだまだ散るわけにはいかないのだけれど。



職場に迷子のワンちゃんがやって来て心を和ませていた。

小さくて可愛らしいマルチーズでとても人懐こい。

首輪をしていなかったけれどとても捨て犬には思えず

ご近所さんの犬ではと心当たりの家を訪ねて行った。


独り暮らしのお年寄りでなんと6匹のマルチーズと暮らしている。

その数を数えながら「うちの子たちはみんないるわね」と

さてどこの子でしょうとふたりで首をかしげていたら

職場のお向かいのおばちゃんが急ぎ足で駆けつけて来てくれた。

ちょっと目を離したすきに外に出てしまったらしい。

すぐに飼い主が見つかってほんとうに良かった。


それにしても可愛らしいワンちゃんだったこと。

おかげでほんわかとしたひと時を過ごさせてもらった。



仕事を終えて帰り道のスーパー。

昨夜息子から毎日スーパーに行かないようにと注意される。

私もそのほうが良いと思い今日から2日分の食料を買うことにする。

メニューを考えるのが大変だけれどすぐに慣れてくるだろう。

とにかく人混みを避けなければいけない時なのだと思う。



今日は県下で5人の感染者。内2人が近隣市町村とのこと。

やはり市町村名の公表はなく不安がつのるばかり。

ついつい神経質になってしまうけれどそれが当然のことに思える。

最初のうちは「来るなら来てみろ」と強気な時もあったけれど

今は恐怖心が勝り「来ないでほしい」とひたすら祈っている。


明日のことがわからない。そんな不安が今まであっただろうか。

それでも明けない夜はない。また明日の風に吹かれてみようか。







2020年04月09日(木) このかけがえのない笑顔を守りたい

今日も20℃を越えすっかり春らしい陽気となる。

ゆっくりと散り始めている桜。残り花か葉桜かと

それはそれで目をたのしませてくれ心をなごませてくれる。


朝の道の春遍路さん。コロナの影響なのか例年より少ないけれど

すくっと前を向き歩いている姿はまるで勇気そのものだった。



同僚が朝採れの筍を持って来てくれてありがたいこと。

仕事を始める前に皮をむいてくれて糠も調達してきてくれる。

「だから今日はたけのこ記念日」などと笑い合いながら

ぼちぼちと仕事を始める。今日も出来る事だけだった。


帰宅してさっそく筍を茹でる。春の香りが家中に漂う。

柔らかくてとても美味しかった。ごちそうさまでした。



夕方になればまたコロナの話題。

NHKのローカルニュースで特番が流れていた。

今日は過去最高の10人の感染者。うち2名は近隣の市町村。

やはり詳しい市町村名は公表されず戸惑うばかり。

中傷被害に泣く感染者の事を思うとそれも仕方ない事なのだろう。

みんなが明日は我が身だと思って見守ってあげなくてはいけない。


高知県知事が「非常事態宣言の一歩手前だ」と言っていて

人口当たりの感染率が日本で5位だと言う信じられないような事実。

もっと気を引き締めなければいけないとつくづく思った。


おとな達がニュースに釘付けになっていても笑顔の孫たち。

それがどんなにか救われることだろうか。

このかけがえのない笑顔をなんとしても守ろうとつよく思った。



2020年04月08日(水) またしばらく会えませんね

日中は20℃を越え汗ばむほどの陽気となる。

まだ散り急がずにいてくれる桜がきらきらとまぶしい。

健気に辛抱強く精一杯に。ひともみなそうでありたい。



午前中に母の転院。県立病院まで迎えに行く。

病院はコロナの患者さんを受け入れているためか

まるで厳戒態勢のような異様な雰囲気が漂っていた。

玄関前で検温をして来院目的の記入を済ませ

やっと母の病棟まで辿り着くことが出来る。

病室へ行くことは禁じられており看護師さんが

身支度を整えた母を車椅子に乗せて連れて来てくれる。


「会いたかったよ」笑顔で語りかけてみたけれど

母は何も言わなかった。笑顔も見せずひどく戸惑っている様子。

なんだか胸が締め付けられるような寂しさが襲って来た。


転院先の病院は母のかかりつけの病院で安心ではあったけれど

入院前の診察で医師からまだ油断の出来ない状態であると聞き

長期の療養が必要とのこと。まるで覚悟をしていたような母。

「死ぬ時はここで死にたい」などと言ってその時少し微笑む。

冗談であっても縁起でもないことをと思ったけれど

笑い飛ばしてくれた医師と一緒に私も微笑んでいられた。


そうしてまた母の入院生活が始まる。

「またしばらく会えませんね」と看護師さんの声がとても優しい。

コロナ騒動さえなければと嘆くのはよそうと思った。



夕方のニュースで高知市内で1人の感染者。

近隣の市町村でなかったことにほっと救われる思いになる。

毎日続いている県の記者会見、明日はないことを祈りたい。



市内の小学校は来週からの休校が決まった。

新一年生になったばかりのけい君が可哀想でならない。

そうしたらあやちゃんがオンラインゲームで一緒に遊ぶのだそうだ。

こどもたちはとても元気。おとなよりもずっとずっとたくましい。






2020年04月07日(火) 大切なものを守ろうとしている

朝の寒さもつかの間。日中はとても暖かくなる。

山里ではあちらこちらで田植えの準備が始まっている。

水を張られた田んぼに桜が水鏡のように映るのもよいものだ。



あやちゃんのランドセル姿を久しぶりに見た朝。

新しい先生。新しい教科書を楽しみに元気に登校して行く。


けい君の入学式も予定通りに行われて

「無事に終わったよ」と息子から連絡があった。


ほっとしたのもつかの間のこと

まだ本決まりではないけれどまたしばらく学校が休みになりそう。

こどもたちも落ち着かないことだろうと気がかりでならない。



今日も隣町から2人の感染者。介護士さんと中学の先生だと言うこと。

中学の先生は高知市内から赴任して来たばかりだったそう。

入学式は突然の中止となりどんなにか戸惑ったことだろう。

でもある意味間に合って良かったのかもしれないと思う。


夕方、市役所からの放送が流れる。

不要不急の外出を控える事。多人数の集まりを控える事等。

国の緊急事態発令を真摯に受け止めている田舎町の姿だった。

自分達には関係ない事だと思っている人がいるならそれは大間違いだ。

いまは国民が一丸となって感染拡大を食い止めなければいけない。



コロナを身近に感じながらも我が家には笑顔があった。

決して笑い飛ばしてはいない。不安と緊迫感はつのるばかり。

それでも必死になって大切なものを守ろうとしている。


いま押しつぶされてどうする。いまは闘う時なのだと。



2020年04月06日(月) こんなにもあたらしい春に

もうすっかり春だと思っていても朝はまだ肌寒い。

日中は暖かくなりほっと救われる気がする。

桜はまだ散り始めてはいなかった。

精一杯に咲き誇りこころを和ませてくれている。



母の転院が水曜日に決まった。

今の県立病院に入院していてももう治療法がないとのこと。

とにかく少しでも以前のように生活できるようにと

リハビリを兼ねての療養が目的なのだそうだ。


コロナの影響で面会が出来ないまま3週間が過ぎていた。

時おりナースセンターに電話をしては様子を聞いてはいたけれど

この目で確かめないとまだまだ安心は出来ない。

母に会いたい。「だいじょうぶよ」と微笑んで欲しい。




仕事を終えて帰宅すると今日も感染者のニュースが待っていた。

今日は3名。1人は近隣の市町村であるとのこと。

詳しい地域の公表はなくただただ困惑するばかりだった。

個人が特定出来ないように守秘することも確かに大切な事だろう。

けれどもせめて市町村名だけは公表して欲しいと願ってやまない。




あやちゃんは明日から新学期。不安や心配はあるけれど

2年生になるのをとても楽しみにしている。

そんなこどもの夢を決して壊したくはなかった。

どうか安全にどうか無事にとひたすら祈ることしか出来ない。


めいちゃんは保育園の年長組さんになって少し情緒不安定のよう。

そういえば去年の今頃もそうだったねと娘と語り合った。

担任の保育士さんが変わっただけでも不安なのだろう。

そのうち慣れるだろうとあたたかく見守ってあげたいと思う。


コロナ騒動さえなければこんなにもあたらしい春。

そんな春を少しでも伸び伸びと過ごさせてあげたい。


嘆きはこどもにも伝わる。不安な気持ちも同じように。

だからこそおとなは笑顔で日々を精一杯に生きていかなければ。


負けない勇気。立ち向かう姿をこどもたちに伝えたい。







2020年04月05日(日) 負けないでいましょう

花冷え。晴天に恵まれたけれど風が冷たかった。

風の強さに桜も少しずつ散り始めたことだろう。

散る時は散る。そんな潔さもうつくしいものだ。



今日も早朝より川仕事。やれるだけのことをと精を出す。

「隣の芝生は青い」ではないけれど我が家の海苔が最も悪い状態。

どんな年もある。たまたま今年がそんな年だったのだろう。

嘆きはしない。少しでも収穫出来てありがたいことだと思う。


じいちゃんの腰痛が再発しとても辛そうだった。

毎日の川仕事はとても無理。週末だけがちょうど良いのだろう。


今日も孫たちが作業場に遊びに来てくれてにぎやか。

あやちゃんはちょこちょこ手伝ってくれてありがたいこと。

「2年生になるからえらいね」とほめたら得意そうな笑顔。

もっとえらいなと思うのはごほうびを欲しがらないところ。

せめて今夜は好きなものを作ってあげようと思う。


そしてトンカツ。喜んで食べてくれて嬉しかった。

ソースをたっぷりとかけてソースカツ丼みたいにして食べるのだ。



テレビからはまた新たな感染者のニュースが流れる。

今日は7人。1人はまた隣町の介護士さんだと言うこと。

日ごとにつのる不安と緊迫感に押しつぶされそうになりながらも

笑顔だけは忘れない家族の姿が宝物のように思えた。


負けないでいましょう。きっときっと乗り越えましょう。



2020年04月04日(土) 精一杯に生きてみせよう

二十四節気の「清明」万物が光り輝くころ。

いのちあるものが生き生きとその命を輝かせるころ。

ひともそうであってほしい。精一杯に生きてみせよう。



早朝より川仕事。また一週間ぶりになってしまった。

海苔の生育は相変わらずで決して良好とは言えないけれど

しっかりとした根がありそれがいのちそのものに思える。

ほんのわずかな収穫だったけれど自然の恵みをありがたく頂く。


娘夫婦が仕事だったので孫たちは作業場の庭で遊んでいた。

お菓子屋やジュースを買って来てまるで遠足のようにはしゃぐ姿。

それが微笑ましくてならず笑顔のままで作業を終える。


山里の職場に急ぎの仕事があり休む間もなく駆けつける。

孫たちは娘婿のお母さんが預かってくれてとても助かった。

おかげで仕事が出来る。二足の草鞋も苦にはならなかった。


仕事が忙しくすっかり帰宅が遅くなってしまったけれど

スーパーのお惣菜のありがたいこと。今夜は手抜きで行こう。

あやちゃんは「なにもつくってないじゃん」と文句を言いつつ

レトルトのカレーを美味しそうに食べてくれてほっと嬉しい。



家族団欒をよそにテレビからは新たな感染者のニュースが流れる。

そんな現実から逃れられずにみんなでため息をつきながら

笑い飛ばすような勢いですぐに笑顔が戻ってくるのだった。


どうしようも出来ない危機感や不安に押しつぶされやしない。

家族みんなで立ち向かって行こう。そうして乗り越えようと

つよくつよく思った夕暮れ時のこと。



2020年04月03日(金) ひとりひとりの覚悟のようなもの

花曇り。時おり陽射しもあったけれど少し肌寒く感じた。

満開を迎えたばかりの桜がもう散り始めてしまって

なんと儚いことだろうとふとせつなさを感じたけれど

桜吹雪の舞い落ちる道を帰りながらその風情をたのしんでいた。



帰宅するとめいちゃんのお友達とあやちゃんのお友達が

そろって遊びに来てくれていてそれはにぎやかな我が家。

こども達の笑い声が嬉しくて私も笑顔でいっぱいになる。



夕方になりまた隣町で新たな感染者が出たニュースが流れる。

老人施設の介護職員らしく息子の姿と重なりこころが痛むばかり。

先日の発熱の事もありとても他人事には思えなかった。

感染経路は今回も不明とのこと。それがよけいに不安を煽る。


とにかく不要不急の外出を避けることそれがいちばんだと思う。

娘と夕食の支度をしながら「困ったことになったね」と。

娘は今日の入園式も園庭に居て待機していたそうだ。

自分も隠れコロナかもしれないと思うくらいでいないといけない。

娘の言葉にうなずいていた。ひとりひとりの覚悟のようなもの

それがあれば少しでも拡大を防げるような気がするのだった。



夕飯は牛丼。じいちゃんの好物でわしわしと掻き込む姿。

みんなみんな笑顔だった。そんな平和が奇跡のように思える。

家族みんなをなんとしても守りたい。



2020年04月02日(木) 不安だからこそ希望が持てる

久しぶりの青空。空から天使が舞い降りてきそうだった。

桜も満開となりきらきらとまぶしい。なんて綺麗なのだろう。

不安な気持ちもそうして救われていくのだった。


考えてもかんがえても仕方のない事にしばしとらわれていた。

すくっと前を向かなくてはとやっとそう思えるようになる。

不安だからこそ希望が持てる。嘆いてばかりでは何も変わらない。



仕事を終えて帰宅していたら孫たちが自転車で遊んでいた。

「おばあちゃんおかえりなさい」その声の嬉しいこと。

今日は娘がお休みだったので学童も保育園もお休みしていた。

明日は保育園の入園式が予定通り行われるようだ。

めいちゃんも年長組さんになる。早いものだなと感慨深い。


こどもたちの笑顔をずっとずっと見ていたい。

なんとしても守りたいとつくづくと思う。


「いい日」でしたと言える今日に感謝しかない。

平穏無事が身に染みるほどありがたさが込み上げてくる。



2020年04月01日(水) 風のせいにしてしまおうか

午後になり降り続いていた雨がやっとやむ。

雨雲を追いやるように強い風が吹き始めている。

明日は晴れるだろうにざわざわとこころが落ち着かない。

風には罪がないけれど風のせいにしてしまおうか。



残念ながら今日もまた隣町から感染者が出た。

昨日の人の同僚だということ。仕方ないことなのだろう。

それ以外の感染経路はまったく公表されない。

昨日の人がいったいどこに行っていたのか

どんな行動をとっていたのかそれが知りたくてならない。

どこにいても感染しうるのならそれこそが恐怖そのものなのだ。



コロナの話ばかりでは気が滅入るばかり。

だからと言って笑って無関心を装うことなどどうしてできようか。

某SNSを見ながらいつも思うことがある。

まったく不安を見せようとしない人に不信感さえおぼえるけれど

その人はその人なりの生き方があるのだろうと認めてあげなくては。

そう自分をなだめつつ「不安なら不安と言ってごらんさい」と

「どうしてもっと自分に正直になれないのか」と声にならない声。


私にはこうして自分の心を整理する場所がありありがたいこと。

かつて「書くことは生きること」と。それは今でも変わらない。



お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声を聴きながらこれを記す。

我が家はこんなにも平和なのでした。


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