ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年01月31日(金) そしていま帰って来ました

よく晴れて陽射しはたっぷりとあったけれど冷たい北風。

そんな冬らしさがなんとなく好きだなとおもう。

一月も最後の日。冬はまだまだ出番を待っている。



午前中に月末の支払いを終えほっと一息。

ぎりぎりの資金でもなんとかなるものだ。

同僚にお給料を支払ったらすっからかんになる。

それでも少しも苦にはならずむしろ愉快でもあった。

なんだか自分が試されているような気持。

とことん立ち向かってやろうじゃないかとおもう。



午後になりまたなんとなく母に会いたくなったけれど

急ぎの仕事が舞い込み母よりも仕事を優先する。

来週末には母の通院日なのでそれまで保留しておこうか。

何の音沙汰もないのは元気な証拠と信じていようと思う。



夕飯は珍しくじいちゃんとふたりきりでいささか寂しい。

娘が何を思ったのか孫たちの記念写真を撮るのだと写真館へ。

思えば七五三も何もしてなかった。晴着を着ることもなくて。

成長のあかしを記念写真におさめるのも良いではないかと思う。

どんな写真が仕上がるのだろう。わくわくと楽しみでならない。



午後7時を過ぎさっき娘から電話があった。

今から帰るけど晩ごはんは何?きっとあやちゃんに言われたのだろう。

牛丼だと応えると気に入らないのかスーパーへ寄って帰ると。

そんなやりとりも愉快でならなかった。



そしていま帰って来ました。





2020年01月30日(木) それぞれの思い遣り

よく晴れて3月並みの暖かさとなる。

立春を過ぎてから寒の戻りがあるのかもしれないけれど

すっかり春の陽気でもう蝶々が飛んでいるのを見た。


めいちゃんを保育園に送って行ったら門に貼り紙があり

インフルエンザが流行り始めているようだった。

暖かいからと油断は出来ない。まだまだ気をつけなければ。

それと新型のコロナウィルスも日本中に拡がりそうで怖い。

どうやって身を守れば良いのか。ただただ恐怖心がつのる。



月末の目処が立ち仕事は小休止の気分。

急ぎの仕事もなくゆったりの一日だった。

電話も鳴らない。来客もない。たまにはそんな日も良いだろう。


定時で帰路につきゆっくりと買物をして帰宅する。

じいちゃんが洗濯物を取り入れてくれていたけれど

洗濯カゴの中にぎゅうぎゅう押し込んであった。

おかげでしわくちゃ。でもどうして文句を言えようか。

陽が陰るまでにと早めに入れてくれたのだろう。

「ありがとうね」と言ったら「おう」と得意顔。



娘が遅くなる日で先にあやちゃんが帰って来る。

パスタを茹でてレトルトのミートソース。

この上ないほどの手抜きだけれどあやちゃんの大好物。

今夜も喜んで食べてくれてとても嬉しかった。


すっかり日が暮れた頃に娘とめいちゃんが帰って来る。

もう一品と鶏南蛮を作っていたところだったので

娘が「私がやるよ」とすぐに手伝ってくれた。

娘も疲れているだろうにと申し訳ないけれど嬉しい本音。


家族がそれぞれのおもいやり。それがとても大切に思えた日。



2020年01月29日(水) 今夜の焼酎も美味しいのです

やっと青空。気温も高くなりぽかぽかと暖かい。

一日中日向ぼっこをしていたいような一日だった。


今朝もめいちゃんと保育園へ。

朝ドラを見ていたら「はやくいこうよ」と急かされる。

節分が近くなってきたので鬼のお面を作っているのだそう。

鬼はこわいけれどお面を作るのはとても楽しそう。



仕事はそれなりに。月末が近くなったけれど

今月もなんとか乗り越えられそうな感じ。

経営を担っている責任感もさほど苦にはならない。

欲を言えばもう少し資金の余裕が欲しいけれど

ぎりぎりでもなんとかなる緊迫感もまた良いものだ。



帰宅したら娘が洗濯物を取り入れているところだった。

なんと今日も休みだったのだそう。ちっとも知らなかった。

「いちいち言わないから」と笑うので私も笑った。


あやちゃんが帰って来て「ばんごはんはなあに?」と

ハンバーグだと言うと明日の給食もハンバーグなのだそう。

「まあゆるしてあげる」と言うのでほっと嬉しかった。


孫たちとふれあうことでどんなに癒されていることか。

娘達が同居してくれてなかったら私はどうなっていたのだろう。

きっと毎日ため息ばかりでつまらない日々を送っていたと思う。


ありがたやありがたや。今夜の焼酎も美味しいのです。



2020年01月28日(火) 私は決して完ぺきではない

冬の嵐が過ぎ去り晴天の予報だったけれど

曇り日のままで名残の風も冷たかった。


暴風の影響で近くの農家ではビニールハウスが壊れたり

港では漁船が転覆したりして大変だったようだ。

我が家の作業小屋もトタンが剥がれていたけれど

最小限の被害で済んで何よりに思う。

ひとは自然の猛威に逆らうことは出来ないのだもの。



天気予報を信じて洗濯物をたくさん干して出掛けていたけれど

乾いてはいないだろうと気になり早めに帰宅する。

そうしたら娘が乾燥機をかけてくれてすでにたたんでくれていた。

あやちゃんの参観日で仕事を休んでいたのだそうだ。

休みだと知らずにいて思いがけずにほっと嬉しかった。



晩ごはん。お肉大好きのあやちゃんが喜んで食べてくれる。

豚肉のすき焼き風煮。安い豚肉で節約料理だったけれど

溶き卵があればご馳走になるらしく美味しそうに食べてくれて嬉しい。

食べ終わるなり「あしたは何?」と聞かれてドキッとしたけれど。



お風呂。今日こそは洗髪をと頑張る。シャンプーが苦手なのだ。

今夜も軽くめまいがしてしまってなんとか洗い終える。

髪さえ洗い終われば後はもう大丈夫。「こわくない、こわくない」

呪文のように唱えながらゆったりと湯船に浸かっていた。


それなりに元気なのだけれどどこかが壊れているのか。

何事も気の持ちようだと自分に言い聞かせている。

私は決して完ぺきではないけれどそんな自分が好きだった。






2020年01月27日(月) 老婆心もほどほどに

真冬の嵐と言っていいのか季節外れの暴風雨となる。

車の運転も怖くやっとの思いで家に帰り着く。


娘も早めに帰宅しておりめいちゃんのお迎えに

あやちゃんの下校時間を待って一緒に帰って来た。

家も揺れるほどの暴風をよそに我が家はとても平和で何より。




晩ご飯のおかずが気に入らないあやちゃん。

好き嫌いをせずに何でも食べんといかんよと言うと

「きらいとは言ってないろ、勝手に決めんといてや」と怒る。

みんなで顔を見合わせてとにかくそっとしておくことに。

そうしたら塩サバをほじくりながらご飯をかき込んでいた。

ふふっと愉快。そうね決して嫌いではなかったのね。


娘が言わないことを私が口を出してはいけない。

以前にも反省したことがあったのに同じ事を繰り返す。

しつけは親に任せるべきか。老婆心も程々にとおもう。



雨は小降りになったけれどまだ強い風が吹き荒れている。

明日は晴れの予報なので今夜のうちに静まることだろう。


ぐっすりと眠って穏やかな朝を待とう。







2020年01月26日(日) なんとかなるだろうと

夜明け前まで降っていた雨がやみ曇り日となる。

菜種梅雨にはまだ早いけれど不安定な天気が続きそう。


じいちゃんと海苔の様子を見に行く。

大雨は降っていないはずなのに川がひどく濁っていた。

暖冬の影響で水温が高く海苔には過酷な試練のようだ。

それでも一生懸命に生きているのが伝わって来る。

まだあきらめてはいけないとつよく思う。

生命力を信じてきっと収穫してあげなくては。


なんとかなるだろうとじいちゃん。

先の見えない不安もそんな言葉で救われるおもい。



川から自宅には戻らずじいちゃんと買い物へ。

もう10年以上も着ているジャンバーを買い替えることに。

子供みたいに喜んでいた。あれこれ試着しては

軽くて暖かいダウンジャケットを買い求める。

とてもよく似合っていた。ちょっと若々しく見える。



午後、お大師堂に行くつもりがまた寝入ってしまう。

なんと3時間もお昼寝。怠惰にも程があると我ながら呆れる。

やっと目覚めて大相撲の千秋楽を観ているうちにもう夕飯のしたく。


出来ないことがどんどん増えていくこの頃。

まあいいかと自分をなだめつつそれなりに日々を過ごしている。


そのうちにと言えるうちはまだ良い。

わたしに残されている時間はどれほどなのだろう。











2020年01月25日(土) 主婦お休みの日に

ぽつぽつと雨の一日。やわらかで優しい雨だった。

雨だれの音が耳に心地よい。そっと身をまかせたくなる。



娘がお休みだったのであやちゃんのお友達が遊びに来てくれる。

「おばあちゃんたちはどこかへ行って」と言われてしまって

まるで追い出されるようにしてじいちゃんと出掛ける。


四国最南端の足摺岬まで。38番札所の金剛福寺にもお参り。

ご夫婦のお遍路さんに出会い鯛焼きのお接待をしたら

思いがけずに金色のお札を頂きとても嬉しかった。

105回の先達と記してありこれはすごいなとおどろく。

今日だからこそ出会えたのだろう。これも一期一会。


足摺岬をあとにして次は「ジョン万次郎資料館」へ。

以前から気になっていてやっと来れたと嬉しかった。

昔読んだ吉村昭の「漂流」を思い出す。

なんと生き運の強い人だったのだろう。

最後まであきらめない精神に深い感動をおぼえた。


土佐清水市では市をあげて大河ドラマにと運動しているよう。

夢で終わらせてはいけない。なんとしても叶えてあげたいと思う。



帰宅したら玄関にあやちゃんのお友達の靴が二足。

お友達は双子の姉妹だった。ちょっとご挨拶をと二階に上がると

「おばあちゃんは来たらだめ」とあやちゃんに叱られる。

どうしても邪魔らしい。苦笑いをしつつも愉快でたまらない。



夕飯はスシローへ。今日は「主婦休みの日」なのだそう。

娘も私も楽をさせてもらってありがたいこと。

お腹一杯に食べてなんとも幸せな夜になる。





2020年01月24日(金) ちょっとした心遣いが嬉しい

曇り日。昨日ほどではなかったけれど今日も暖かくなる。

暖房が要らない。もうすっかり春の気温のようだ。


職場の庭に母が育てていた紅梅の小さな盆栽があって

まだ少しだけれど可愛らしく咲き始めていた。

それは枯草に覆われていてなんとも可哀想なありさま。

母が知ったらどんなにか嘆くだろうと思って

仕事の手を休めて枯草を取り除く作業をする。

ありがとうねとふと母の声が聞こえたような気がした。



今週の仕事を終えて帰宅。お向かいの奥さんが魚を届けてくれた。

ご主人と釣りに行っていたのだそう。たくさん釣れたからと

こちらでは「エバ」と呼んでいる煮つけたら美味しい魚だった。


ありがたく頂いたけれど調理するのが大変とふとため息をつく。

そうしたらそのため息が聞こえたかのように

お向かいの奥さんがついでに捌いてあげるからとまた来てくれた。

これ幸いと甘えてしまいなんともありがたいこと。

おまけに生姜も持って来てくれる。おかげで美味しい煮魚が出来た。

ちょっとした心遣いでひとはこんなにも嬉しいものなのだ。



今日は保育園で「コマまわし大会」があったのだそう。

めいちゃんは準優勝だったそうで嬉しそうに報告してくれた。

負けず嫌いのようでそうでもなくて優勝したお友達をほめていた。

そうね。一番じゃなくてもいいね。頑張ってえらかったね。



2020年01月23日(木) いまに感謝しながら

朝のうちぽつぽつと降っていた雨がやみ午後には晴れ間が。

最高気温が20℃を越え真冬とは思えないほどの暖かさとなる。

もはや暖冬を通り越して異常気象ではないかと思うほど。

なんとも不気味で何か異変が起こるのではと不安になった。



仕事が忙しく少し残業になり家路を急ぐ。

今日は娘にめいちゃんのお迎えを頼まれていたけれど

なんとか間に合い「おばあちゃ〜ん」と嬉しそうな声。

しばらく園庭で遊んでから帰る。滑り台や鉄棒や。

もう少しで逆上がりが出来そうなめいちゃんの頼もしいこと。


先に帰宅していたあやちゃんにまたお友達から電話。

夕方まで一緒に遊ぼうと誘われたのだけれど

隣の地区まで連れて行くことも出来ずなんとか断らせる。

遊びたかったと拗ねるあやちゃんをなだめつつ

近所に同級生が一人もいないのが不憫に思えていた。


昔はそこらじゅうに子供が居て路地を走り回っていたけれど

今はお年寄りばかり。少子化をつくづくと感じるこの頃である。



一人で夕食の支度をしていたらやっと娘が帰って来る。

半年ほど前から蓄膿症で耳鼻科に通っているのだけれど

まだ完治しておらずたくさんの薬をもらって来ていた。

じいちゃんの薬。私の薬。我が家は薬であふれている。

孫たちの薬がないのが幸い。元気で何よりと思うばかり。


昨夜の気の沈みは何処へやら。今に感謝せねばと思うのだった。

お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声が愛しくてならない。





2020年01月22日(水) いつかくる未来に思うこと

曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降り始める。

しばらくはおひさまに会えそうにない。

冬だというのに梅雨のような日が続くのだそう。

乾太くんを買ってほんとうに良かった。

洗濯物の心配をせずに済みどんなにか助かることか。



今朝もめいちゃんと保育園へ。

ポニーテールの髪が可愛くてならない。

駆け出すとほんとうに仔馬のように見える。

朝から癒されてほっこりとしながら職場に向かった。



定時で仕事を終えて帰宅。

炬燵に潜り込んでじいちゃんと大相撲を観る。

今場所は横綱ふたりが休場しているのでかえって面白い。

優勝は誰になるかとじいちゃんと話すのも楽しい。


娘と夕飯の支度をしているとあやちゃんの友達から電話。

週末に我が家に遊びに来てくれるのだそうだ。

娘も私も了解したけれど娘がふっと「子供部屋がね」と苦言。

今のままでは狭すぎてもうそろそろ限界だと言い出す。

思い切って二階を増築すればと私が言うと

それなら別に家を建てたほうが良いと言うので衝撃が走った。


いつまでも我が家に居てくれると信じていたかった。

じいちゃんも同じ気持ち。娘達が出て行くことなど考えてもいない。

まだそうと決まったわけではないけれどすっかり気分が沈む。


孫たちはどんどん成長していく。

私たちはどんどん老いていくばかりなのだ。





2020年01月21日(火) 寒さなければ花は咲かず

予報では冬らしい寒さと聞いていたけれど

最高気温が15℃となり思いがけずに暖かくなる。

明日からしばらくは雨の日が続くとのこと

降りそそぐ陽射しをありがたくほっこりと過ごす。


今朝は久しぶりにめいちゃんと保育園へ。

いつもは車から降りると駆け出して行くのだけれど

今朝は珍しく横に並んで歩いてくれた。

そっと手をつなごうとしたらその手を振り払う

「もうめいはあかちゃんじゃないけん」と言って。

春にはもう年長組になるのだなと微笑ましい朝のこと。




外回りの仕事があったのでふと思い立ち梅の名所へ。

昨年の今頃には見事に咲いていたので楽しみだったけれど

どうしたわけか一輪も咲いていなくて残念だった。

どうやら暖冬だから早く咲くとは限らないようだ。

「寒さなければ花は咲かず」それは桜の花のことだけれど

梅の花にもやはり寒さが必要なのではないだろうか。


ふと人間も同じ花だと思う。厳しく辛い冬もなくてはならない。

毎日が春だったらきっと喜びも知らないまま咲くのだろう。


幸いなことにわたしはいま冬ではないかとおもう。

家族に恵まれとても幸せに暮らしているけれど

欲張りなものだから冬になりたがっているのかもしれない。

どん底から這い上がってみたいような不可解な欲に。



2020年01月20日(月) 嬉しくって泣けてくる

二十四節気の「大寒」厳しい寒さはどこへやら

暖かな陽射しと風は黄砂を運んでくる。

まるで春霞のような空に優しいおひさまが微笑んでいた。



仕事が少し早めに終われたのでなんとなく母のところへ。

そうほんとうになんとなく。それがとても気楽に思える。

先日からずっと葛藤していたのが嘘のようだった。


「こんにちは」と声をかけながら部屋のドアを開けると

「あらまあ」とびっくりしながら母が微笑んでいた。


やっと本を読む気になったらしく樹木希林の本。

「これはなかなか面白いね」と言ってくれて嬉しかった。

ずっと無気力状態だった母に少しずつ意欲がわいているのを感じる。


おみやげにチョコパイを持っていたのをすぐに食べてくれた。

ポロポロと落としながらまるで子供のようで微笑ましい。

食べ終わってからお茶が飲みたくなったと言って

自分からすすんでホールに歩いて行ったのにはおどろく。

そうしてホールに居たお仲間さんとおしゃべりを始めたのだ。


私が遠ざかっていた二週間の間に母は確かに変化していた。

その変化がどれほど嬉しかったことだろう。

友達なんていらないと言いつつ引きこもっていた母に

話し相手が出来たことが何よりも嬉しいことだった。


おまけに私に「早く帰りなさい」と言う。

それは少しも寂しそうな声ではなくとても優しく胸に響く。


駐車場に出てからホールをのぞくと母が笑顔で手を振っていた。

その笑顔を一生忘れられなくなりそう。お母さんありがとうね。


帰りながら胸に熱いものが込み上げてくる。

嬉しくって泣けるなんてほんとうにありがたいこと。





2020年01月19日(日) 子供は伸び伸びと元気に

冬らしい晴天。陽射しはたっぷりとあったけれど風は少し冷たい。

明日はもう「大寒」暖冬のまま「立春」を迎えるのだろうか。



午前中地区の年始総会がありじいちゃんが出席する。

「大変なことになったぞ」と帰って来たので何事かと思うと

来月の「厄抜け祝い」の当番がまわって来そうとのこと。

地区の行事では秋祭りとともに重要な行事で身が引き締まる。

息子が地元に住んでいれば42歳の厄年でもあった。



午後、お昼寝から目覚めると土手の方から孫たちのはしゃぎ声。

あまりに楽しそうなので様子を見に行ったら

近所のお友達も一緒に草そりをして遊んでいた。

勢いよく滑りながらの大歓声に微笑まずにいられない光景。

子供ってほんとうに無邪気。ふと私も滑ってみたくなった。


遊び疲れてしまったのか晩ご飯前にあやちゃんが寝てしまう。

めいちゃんはとてもパワフルで台所でお手伝いをしてくれる。

小学生になってからのあやちゃんは時々そんな時があって

週末はぐったりしていることが多く少し心配でもあった。

まだ宿題も済ませていないらしく長い夜になりそうだ。


聞けば週末に塾や習い事に行っているお友達もいるらしい。

ゆっくりと休む暇もない。憐れに思うのはただの老婆心だろうか。

子供は伸び伸びと元気に。もうそんな時代ではなくなったのだろう。

でも孫たちには出来る限り子供らしい日々を送らせてあげたい。







2020年01月18日(土) ジャングルの野生児

昨日の夕焼けが約束してくれたかのような晴天。

冬の陽射しはほんとうにありがたいものだ。



娘夫婦が仕事のため孫たちと過ごす。

とは言えふたりとも二階の部屋で仲良く遊んでくれたので

孫守と言うほどのこともなく殆ど手もかからなかった。


いつもすっぽんぽんで寝ているめいちゃんが服を着ず

一日中裸のままで過ごしていた。まるでお猿さん

いや原始時代の子供かジャングルの野生児のよう。

真夏ならともかくこの冬に寒かろうと気遣うも

本人はよほど気持ちが良いのかパンツさえはかない。

まだ青いお尻をぷりぷりさせて遊びまわる微笑ましい姿。


すっかり日が暮れてから娘が帰って来る。

「おかあさんおかえりなさい」二階から下りて来ためいちゃん

パジャマを着ていた。きっと叱られると思ったのだろう。

娘はおじいちゃんとお風呂に入ったのかと思ったそうだ。


豚汁と鶏のから揚げ。一人でも作れないことはない。

娘が「やれば出来るじゃん」とほめてくれて嬉しかった。

みんなでわいわいと夕食。豚汁でぽかぽかとあたたまる。


娘むこは毎晩「しらすうなぎ漁」に行っていて深夜の帰宅。

娘たちはまるで母子家庭のようでもあった。

「豚汁あるから」と娘が電話していたらめいちゃんが

「おとうさんおやすみなさい」となんだか寂しそうな声。

明日は日曜日なので久しぶりにお父さんに会えるかな。



2020年01月17日(金) 平穏無事の日々が続きますように

みぞれのように冷たい雨が降る。

もう少し気温が低ければ雪になっていただろう。

夕方には雨があがり窓の外が真っ赤に染まっていた。

久しぶりにきれいな夕陽を見た気がする。



同僚が通院日のためお休み。義父とふたりで仕事をする。

急な来客にも義父が対応してくれてずいぶんと助かる。


私も通院日だったので後を頼んで早めに終わらせてもらう。

病院は思ったよりも空いていてすぐに名前を呼ばれた。

12月に処方してもらった「元気が出るお薬」をまたもらう。

金曜日だと言うのにダル重さが少しもなかった。

入浴が怖くなくなったのもその薬のおかげかもしれない。

すっかり薬漬けになってしまったけれどおかげでとても元気。



阪神淡路の大震災から25年目の今日。

亡くなられた方を想い残された家族の方達を想った一日。

明日は我が身だといつも思っている。覚悟と恐怖心と

失くしたくないと言う強いおもいに苛まれる。


晩ごはんの時めいちゃんがおどけてとても可愛らしくて

目に入れても痛くないとおもった。

家族に恵まれているからこそ失うのが怖くてたまらない。

どうかどうか平穏無事の日々が続きますように。



2020年01月16日(木) 会いたくなったら行けばいいさ

曇り日。しんしんと底冷えするような寒さ。

朝の道で梅の花の写真を撮りたくて車を停めたけれど

山肌を駆け上がる自信がなくて諦めてしまった。

行動力が付いて行かないそんな年頃なのだろう。



仕事をしながら母のことを考えていた。

もう10日も会いに行っていない。

どんなにか待っているだろうと気がかりでならない。

けれどもなんとなく躊躇っている自分にも気づく。

心から会いたいと思っているのかと自問自答すれば

正直な気持ちがまるで罪のように思えるのだった。

私はやはり薄情な娘なのだろう。


仕事を終えて帰宅してじいちゃんに胸の内を打ち明けると

「会いたくなったら行けばいいさ」と言ってくれる。

話して良かったなと思う。救われたような気持になった。

そのうちきっと会いたくなるだろう。

お母さんそれまで待っていて下さいね。




お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声が聞こえている。

我が家はとても平和だった。

ほっと微笑みながらこれを記す。






2020年01月15日(水) 今夜も焼酎が美味しい

いかにも冬らしい晴天。風は冷たかったけれど

たっぷりの陽射しにほっこりと助けられていた。


ここ数日朝寝坊のめいちゃん。

私が出掛ける時間にはまだお布団でぐずぐずしている。

「おばあちゃんは行くよ」と声をかけると

「うるさい、はやくいけば」と言ったりして困ったちゃん。

言葉遣いは悪いけれどふざけているのがわかるので叱れない。



山里は平野部よりも気温が低く今朝は2℃と冷え込んでいた。

昨日から事務所のエアコンの調子が悪くて温風が出ない。

同僚が石油ストーブを引っ張り出してくれてありがたいこと。

仕事を始める前にコーヒーを飲みながらふたりで暖をとる。


そうしてぼちぼちと仕事。郵便局へ行ったり役場に行ったり。

同僚は一日車検が入っていて一生懸命に作業をしていた。



少し残業になり帰宅すると娘が先に帰って来ていてほっとする。

洗濯物をたたんでくれているのがとてもありがたかった。

これ幸いとまた炬燵に潜り込みじいちゃんと大相撲を見ていた。


夕飯を終えてひと休みしているうちに娘が食器を洗ってくれる。

おかげですぐにお風呂に入ることが出来た。

湯船に浸かって声を出しながら100数える。

つい最近までお風呂イコール死だったのが嘘のように思える。

あの言葉に出来ない緊張感はどこに行ったのだろうか。

とにかく入浴をたのしめるようになってほんとうに良かった。


今夜も焼酎が美味しくほろ酔いつつこれを記す。

孫たちがふたりきりでお風呂に入っている声がこだましている我が家。






2020年01月14日(火) 梅の花を見つけた日に

曇りのち雨。最高気温が10℃に満たず冷たい一日。

そんな冬らしさのなか梅の花が咲いているのを見つけた朝の道。

ずっと暖かい日が続いていたので春を知らせてくれたのだろう。

寒い朝だったけれどほっこりと微笑まずにいられなかった。



火曜日からの仕事。来客も多く忙しい一日だった。

車検の予約も沢山入っており同僚の負担も大きい。

かと言ってもう一人整備士を雇う余裕もない現実。

すっかり経営側になってしまった自分に何が出来るのか

最近よくそんなことを考えることが多くなった。



仕事を終えて帰宅するなり炬燵に潜り込む。

暖かさに包まれているとまるで天国のよう。

ひと眠りしてから夕飯の支度に取りかかる。


今夜は牛丼。孫たちも喜んで食べてくれて嬉しかった。

あやちゃんはお代わりをして炊飯器を空っぽにしてくれる。


どんなに疲れていても家族の笑顔に救われている。

まさに家族に乾杯だった。今夜の焼酎もとても美味しい。



2020年01月13日(月) きっときっと叶えてみせよう

穏やかな晴天。雲ひとつない青空のなんと清々しいこと。

成人の日で祝日。成人式は昨日行われたようだった。

月曜日がお休みというのは良いもので開放感に満ちる。


娘もお休みだったので孫たちの心配もなく

じいちゃんが「どこかへ行くか」と言ってくれた朝。

けれどもお寺はもう勘弁してくれと言う。

でもお寺以外に行きたいところが思いつかなかった。


結局じいちゃんは車で待っていてくれることになって

ナビを頼りに東に向かう。36番札所の「青龍寺」と

私が間違えて入力してしまったおかげであたふた。

青龍寺は昨年の元旦にお参りに行っていたお寺だった。

35番札所の「清滝寺」に行きたかったのになんてことを。

青龍寺の近くまで来てやっと間違いに気づく。

ふたりで笑い合って今度はちゃんと清滝寺へ向かった。


小高い山の上。車一台がやっと通れるような細い坂道。

対向車が来なくて幸いだった。「ゆっくりお参りして来いよ」

じいちゃんがそう言ってくれてとても嬉しかった。


こじんまりとした古いお寺だったけれど心がとても落ち着く。

本堂の右側には小さな滝があって清らかな水が流れていた。


お遍路さんの真似事。般若心経を小さな声で唱える。

いつかきっと本物のお遍路さんになって再び訪れよう。

そう心に誓った。きっときっと叶えてみせよう。





2020年01月12日(日) 自己満足で終わらせてはいけない

眠っているあいだに雨が訪れていたようだ。

ぽつんぽっとんと雨が歌う夜明け前のこと。

身をまかせるように胸の扉をそっとひらく。

落ちていく場所がまだ私にも残されていた。




曇り日。時おり陽射しもあったけれど肌寒い一日。

友人と待ち合わせをして久しぶりにランチに行く。

ほぼ一年ぶり。月日の経つのがほんとうに早く感じる。


彼女はいつもまぶしい。きらきらと輝いて見える。

行動力があっていろんな体験が新鮮に心にひびく。

私たちは似ているようで似てはいなかった。

けれども不思議と気が合う。たぶん魅かれあっている。

互いに心地よい刺激を感じながら認め合うことが出来る。


今年はエッセイ本を出版してみたいと言うこと。

是非にと勧めた。「かたち」にして残して欲しいのだ。

自己満足で終わらせてはいけない。自分を信じて貫いて欲しい。


そう彼女に伝えながら我が身にも言い聞かせていた。

失われつつある感性にしがみつこうとしている私にだった。


私もこのまま老いぼれるわけにはいかない。

年相応の感性と言うものがもしあるのならば

とことん自分を信じてあげようとこころに誓う。


彼女に会ってとても有意義な一日を過ごさせてもらった。

今度はいつ会えるだろう。その時には彼女の本を手にしたい。


六十を越えて終わりではない

六十を越えてからが始まりだ。

そんな言葉を思い出す。わたしもすくっと前を向こう。



2020年01月11日(土) がんばらんといかんよ

曇り日。午後から少し薄日が差して暖かくなる。

もう菜の花が咲き始めているらしい。

それから遅咲きのコスモスもまだ咲いているのだそう。



あやちゃんがお休みなのでめいちゃんも保育園をお休み。

私も三連休をいただいたので孫たちとのんびり過ごす。

朝のうちにめいちゃんと一緒に買い物に行っていた。

「プッチンプリン」がお気に入り。さっそくカゴへ。


帰宅してからじいちゃんとサイクルハウスを組み立てる。

めいちゃんも手伝ってくれて良い自転車置き場が出来た。



午後、孫たちを義妹に託していとこのご主人のお見舞いに。

12月に会った時にはとても元気そうだったのに

食道がんでもうあちこちに転移しているとのこと。

とても言葉にならずなんとも辛いお見舞いになってしまった。

わずかひと月足らずでひどく痩せ細っており

病魔が容赦なく襲ってきていることを感じる。


いまは決して不治の病ではなくなっているけれど

高齢でもあり辛い治療に耐えられるだろうかと心配だった。

「がんばらんといかんよ」そう声をかけるのが精一杯。


明日は我が身だな。じいちゃんと語り合う帰り道。

ふたり健康にはじゅうぶん気をつけているつもりだけれど

明日のことさえわからないのが現実なのだった。


みんなみんな生きたくてたまらないのだ。





2020年01月10日(金) 失うのが怖くてたまらない

今日も穏やかな晴天。このまま春になるのかと思うほど。

冬枯れた景色の中に名残の山茶花を見つけた朝の道。



ずっと思い出すこともなかった結婚記念日。

もう41年目になるのか。ずいぶんと歳月が流れたものだ。

じいちゃんもすっかり忘れていて「おお、そうか」と。

「あと9年で金婚式やな」と言ってくれて嬉しかった。

9年後のお互いの歳を数える。ふたりともきっと元気で迎えたい。


思い起こせば山あり谷ありの歳月だった。

もう一緒に暮らせないと思うほど追い詰められた時もある。

でもどうして子供たちを残して家を出られようか。

母のような人生だけは送りたくはないと強く思っていた。



歳を重ねるごとにまあるく穏やかになっていく。

若き日の葛藤も今思えば懐かしい。

やっと本物の夫婦になれたように思うこの頃だった。


家族に恵まれ今はこうして幸せに暮らしている。

あまりにも幸せ過ぎて失うのが怖くてたまらないほど。

「おまえは俺より一日でも長生きしろよ」

なんとしても私が先に逝くわけにはいかないのだ。

けれどもそれはなんとせつないことだろう。


失いたくはないのにふたりは老いていくばかり。

どこまでだろう。ずっとずっと手を取り合っていたいのに。



2020年01月09日(木) 足るを知れば救われるだろうに

穏やかな晴天。陽射しを浴びているとふんにゃりとする。

張り切ることは何もないのだと肩の力を抜いてゆるりと過ごす。



劣等感のかたまり。そんな言葉を某SNSでつぶやいた朝。

そのくせプライドが高いのだ。自分の身の丈を知らなずぎる。

足るを知れば救われるだろうに欲ばかりに走るわたしだった。




仕事を終えて帰宅したら娘が洗濯物をたたんでくれていた。

台所もきれいに片づけてくれている。なんと助かることか。

娘がラフな格好をしていたので仕事が休みだったことを知った。

いつもなら朝ちゃんと言ってくれるのにまたまた「夢に餅」

思いがけないほうがずっと嬉しいものだった。


ふたりで肩を並べて夕食の支度。娘がエビフライを揚げてくれる。

私は大根を煮たりほうれん草のお白和えを作ったり。

そんな光景を見ながら一番風呂に入ったじいちゃんが待っている。



ささやかな日常のこと。平凡で何でもないようなこと。

それなのに目を留めてくれるひとがいてくれてありがたいこと。

書かずにはいられないこんな私をどうか見守っていて下さいね。








2020年01月08日(水) さあ頑張ってハンバーグを作ろう

明け方まで雨。日中は晴れたけれど強風が吹き荒れる。

天気予報では全国的に「春の嵐」だと言うこと。



あやちゃんの冬休みも終わって今日から新学期。

ちゃんと起きられるかなと心配していたけれど

6時過ぎにはもう起きて登校する準備をしていた。

同じく早起きを頑張っためいちゃんと保育園へ向かう朝。



仕事はぼちぼちの忙しさ。無理をせず今日もそろりそろり。

来週の車検予約もすでに入っていて同僚はとても忙しい。

労う気持ちを常に大切にしなければとつくづくとおもう。



帰宅するとすぐにあやちゃんも帰って来た。

久しぶりの学校で疲れたのだろう私と一緒にコタツムリ。

おしゃべりの声が聞こえなくなったと思ったら寝入っていた。

口では生意気なことも言うけれど寝顔はとてもあどけない。


さあ頑張ってハンバーグを作ろう。

今日は娘が遅くなる日だったので一人で奮闘してみることに。

涙を流しながら玉ねぎを刻んでいたら玄関でめいちゃんの声。

予定よりもずっと早く娘が帰って来てくれたのだった。

思わず「夢に餅」と声が出る。肩の力がすうっと抜ける。


娘のおかげで美味しいハンバーグが出来た。

寝入っていたあやちゃんも起こしてみんなでごちそうさま。


今日も「いい日」でした。ありがとうございます。



2020年01月07日(火) 菜の花を入れた七草

まるで春先のような優しい雨。

音もなく降る雨は霧のようでもあった。



仕事を少し早めに終わらせてもらって母を訪ねる。

今日も退屈そうにベッドに横たわっていた。

先日はじいちゃんが一緒だったのでたくさん話したけれど

今日の母は話すのも億劫な様子を見せていた。


冷蔵庫が空っぽなので買い物に行きたいと言うのを

食料品を買っても無駄になるからと言って聞かす。

そうしたらとても不機嫌になって「もういい」と言い放つ。

三度の食事はちゃんと用意してもらっているのだから

特に足りないものはないはずなのだけれど

どうやら空っぽの冷蔵庫を見ると不安になるようだった。

たとえ無駄になっても買い物に連れて行ってあげるべきだったのか。


なんだか後ろめたいような複雑な思いで帰路についた。

母の願いをすべて受け入れるつもりはない。

時にはこころを鬼にする時もあるのだと自分に言い聞かす。




今夜は七草。我が家はお粥ではなく毎年雑炊にしている。

スーパーの七草セットは買わず七種類の野菜で作る。

大根や人参などを刻んでいたら娘が「ひとつふたつ」と数える。

七つにひとつ足りなくて最後に葱を入れて卵でとじれば出来上がり。


めいちゃんは美味しいと言ってくれて二杯も食べてくれたけれど

あやちゃんは変な野菜が入っていると言って食べてくれない。

菜花を入れたのがいけなかったのかな。ちょっと残念だった。


疲れた胃を労わりこの一年の無病息災を祈る。

私の胃もすっかり元気になってくれたようだ。



2020年01月06日(月) 胃痛はどこへ行ったやら

朝は寒の入りらしい寒さ。日中は今日も暖かくなる。

一年で最も寒い時期とは思えない気候である。



仕事始め。しくしくと痛む胃をなだめつつ職場に向かう。

これくらいのことでへこたれるわけにはいかない。


仕事は順調にすべり出し朝から活気に満ちていた。

それがとても嬉しくなって胃の痛みも忘れる。

お客様は神様だと思う。ほんとうにありがたいこと。



仕事を終えて帰宅したら娘が先に帰って来ていた。

それなのに洗濯物はそのままだったのでちょっとがっくり。

まあたまにはこんな時もあるさと自分で取り入れる。

娘も疲れていたのだろう。帰宅するなり寝入っていたそうだ。


今夜は棚卸があるそうで夕方からまた職場に向かう娘。

孫たちと4人で夕食。ポテトサラダを喜んでくれて嬉しい。


食後の後片付けを終えてふたりをお風呂に誘ったら

ふたりだけで入りたいとのこと。だいじょうぶかな。

あまりに長風呂なので何度か様子を見に行ったら

ふたりで遊びながら楽しそうな入浴シーンだった。


両親が居ないことをちゃんと心得ている。

ふたりとも成長したなあとおばあちゃんは感心していた。

こうしてだんだんと手が掛からなくなるのかな。

それもなんだか寂しいようなでも嬉しいことだよね。


隣室で仲良く遊んでいる孫たちの声を聴きながらこれを記す。

胃痛はどこへ行ったやら。いつもの焼酎がとても美味しい。



2020年01月05日(日) 明日のことをかんがえながら

ほっこりと穏やかな晴天。窓辺で日向ぼっこをする。

きらきらと眩しい空を見あげながら明日のことをかんがえていた。



年末年始のお休みも最終日。あっという間の6日間だった。

早く日常に戻りたい気持ちも確かにあるけれど

このままずっと家にいてのんびり過ごしたい気持ちもある。

今年も退職は無理だろう。する仕事があるのはありがたいこと。

そう言い聞かせながらすくっと前を向こうとしている。




買い物に行っていた娘たちが卓球セットを買って来て

食卓を卓球台代わりにして遊びとても楽しかった。

卓球なんて何十年ぶりだろう。スマッシュもしてみたり。

まだ上手く球を打てないあやちゃんもいっしょうけんめい。

しばらくは我が家のブームになりそうで楽しみなこと。



夕飯はお好み焼き。ついつい食べ過ぎてしまって胃が重い。

それでもいつもの焼酎はやめられなくて我ながらあきれる。


まだ7時過ぎだけれど早めに床につこうと思う。

笑顔で穏やかな一日でした。ありがとうございます。



2020年01月04日(土) とにかく賭けてみました

早いもので明けてもう四日。日々はとんとんと過ぎるばかり。

今日もよく晴れて日中はとても暖かくなる。



めいちゃん一週間ぶりの保育園。

まだ冬休みのあやちゃんが居ても「めいはほいくえん」と

元気に笑顔で登園して行く。「あけましておめでとう」も言えた。


娘夫婦が仕事だったのであやちゃんとサニーマートへ。

店内にある美容院でふたりそろって髪を切ってもらう。

あやちゃんは髪を伸ばしているので梳くだけだったけれど

もっさりと重そうだった髪がとても軽やかになっていた。

「おかあさん気がつくかな」あやちゃんは気がつかないほうに

私は気づくほうにふたりで賭けて愉快に笑い合う。


娘が帰って来ても気づかないのでしめしめとあやちゃん。

そうしたら晩ご飯の時にじいちゃんが娘にヒントを与えてしまう。

やっと娘が気づいてしまい「まけた〜」と残念がるあやちゃん。

子供に賭け事はいけないのだけれど勝つ自信があったようだ。

おばあちゃんが勝ったけれどお小遣いをあげることにする。

お年玉を貯金しておいて何か買いたい物があるのだそうだ。


春にはもう二年生になるのか。これも成長のひとコマに思える。

もう幼児ではないのだとつくづく思った出来事だった。


あやちゃんと一緒にお風呂に入るのはほんとうに久しぶり。

あまりに恥ずかしそうにするので私も照れくさかった。

なんだかドキドキする。それはあやちゃんも同じだったよう。


愉快で楽しい一日がそうして暮れていく。

今日も「いい日」でした。ありがとうございます。





2020年01月03日(金) 母はいつも誰かを待っている

今朝も冷え込んでいたけれど日中はとても暖かくなる。


昨夜は母の夢ばかり。一度目覚めてからもまた夢を見る。

昨日帰り道に寄る予定だったのを疎かにしてしまったせいだろう。

きっと待っているだろう。寂しいのだろうと母を想う朝のこと。


今日こそはと思いじいちゃんに相談すると

一緒に行ってくれるとのことほっと嬉しかった。


昨日娘にお守りを買わずに帰って来ていて

欲しかったのにと残念がっていたので

母を訪ねる前に延光寺にお参りに行っていた。

四国霊場39番札所で身近なお寺だった。

以前は独りでよくお参りに来ていて思い出深いお寺でもある。

お参りを済ませ娘にお守りを買い名残惜しくお寺を去る。



母は退屈そうにベッドに横たわっていた。

じいちゃんが一緒に行ってくれてほんとうに良かった。

思いがけなかったのか母はとても喜んでくれて

堰を切ったようにおしゃべりの花が咲く。

ふたりの話を聞いているだけで私も嬉しくてならない。

おしゃべりが一段落したところで「痛みはどう?」と訊くと

「何のこと?」と母。とぼけているのではなくて

もうすっかり腰の痛みが完治している様子だった。

あれほど痛がっていたのが嘘のよう。

トイレも介助なしで行けるようになっていておどろく。

新たな転倒などがなければもう大丈夫だろう。

安心な場所に落ち着いてくれてほんとうに良かったとおもう。


そうそう長居も出来ず「また来るね」と言って別れた。

話し相手が欲しいだろう。友達も欲しいだろうと思う。

ホールでは数名のお年寄りが談笑していたけれど

母は断固として部屋から出ようとはしない。

まるで孤独を楽しんでいるかのようなそれもせつなかった。


友達なんていらないって絶対にうそ。

母はいつも誰かを待っている。声をかけて欲しいのだ。



2020年01月02日(木) まるで人生のような道

あけてふつか。冷え込みの厳しい朝となる。

きりりっとした寒さが心地よい。

夜明け前の星空にふと我が身をゆだねていた。

なんとちっぽけなことだろう。

それでもしっかりと生きているのだった。



じいちゃんが初参りに連れて行ってくれるとのこと。

今まで行ったことのないお寺に行きたくて

愛媛の四国霊場40番札所の観自在寺まで。


とても落ち着いた雰囲気の静かなお寺だった。

お遍路さんの姿も見られ朝の挨拶を交わす。

福岡からのご夫婦、お経を唱える声が爽やかにこだましていた。


とても親切なお寺の方に息子の厄年の事を相談すると

2月に「星まつり」があるとのこと。

申し込んでおけばお札を郵送してくれるのだそうで

ほっと救われるような思いで手続きを済ませる。

親として出来ることがあってほんとうに良かったと思う。



お寺を後にして宇和島市に向かった。

宇和島城に行ってみようかと意気投合するふたり。

じいちゃんは初めてだったけれど

私は子供の頃に何度か来た記憶があった。

50年以上も昔のことだけれど懐かしさが込み上げてくる。

父と母と弟と家族4人の「かたち」がまだ確かにあった頃。


長い坂道きつい石段。なんだか人生のような道を登る。

やっとお城が見えて「やったね」とふたりで微笑み合った。


とても「いい日」でした。ありがとうございます。









2020年01月01日(水) あたらしき年の始めに

あたらしき年の始めに開きたる扉の向こうに光る星たち


午前4時過ぎにそんな歌を詠む。

無事に新年を迎えられてどんなに安堵したことだろう。

どんなに老いぼれても新鮮でありたい。

生きていることを誇りに思いたいものだ。




お昼には息子夫婦とけい君が久しぶりに来てくれて

家族みなそろってささやかに新年会をする。

しばらく音沙汰のないのは元気な証拠と思っていた通り

お嫁さんの顔色も良く息子もとても朗らかだった。

夜勤明けだと言うのに今夜も夜勤だと言うこと。

それでも愚痴ひとつこぼさずとても頼もしく思える。

早いもので今年は42歳の大厄それも笑い飛ばしていた。

親心をよそにあまりにもあっけらかんとしている。

心配し過ぎてもいけないのだろう。きっとだいじょうぶ。



家族がみな元気に新年を迎えられほんとうに良かった。

穏やかな日々が続くことをひたすら願っている。


歩いてみないとわからない。とにかく前を向こう。


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