ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2014年05月31日(土) 愛しき天使

すっかり真夏のような暑さのなか5月もとうとう最後の日。
午前中に美容院へ行って髪を切ってもらいすっきりとリフレッシュする。
なんともいい気持ち。これで蒸し暑い夏も元気に乗り越えられそうだった。


土曜日のお楽しみは孫の綾菜に会えること。
お昼に保育園にお迎えに行って夕方まで一緒に過ごす。
今日は晩御飯も食べてお風呂にも入ってから帰って行った。

トイレ騒動もあったりでばたばたと忙しいけれど
何度もトイレに通っては自分で「えらいね」って言ったりする。
言葉がずいぶんと達者になってすっかりおしゃまな女の子になった。
ウンチが間に合わなくてパンツにしてしまったら「くさいね」だった。
でもちゃんと「うんち」って言えるようになったからすごくえらいと思う。

お風呂は今日から行水スタイルにしてみた。
あまりの暑さにとても湯船には浸かっていられないばあちゃん。
大きめのタライにお湯を出しっぱなしにして遊ばせたらとても喜ぶ。
シャンプーとリンスもした。洗髪も嫌がらずとてもおりこうさんで助かる。

また来週のお楽しみね。迎えに来た娘と綾菜が帰って行く。
車の中から「じいちゃーん!」と大きな声で叫んだりして夫の顔もほころぶ。
ばあちゃんにはチュウをしてくれた。やわらかなくちびるがとても愛しい。


こんなに幸せでいいのかしらといつもいつもおもう。

小さな天使が羽根をひろげて飛んでいってしまいそうでこわい。

でも天使だから飛んできてくれるのかしら。そのたびにぎゅっと抱きしめたいな。



2014年05月29日(木) ほととぎす

各地で真夏日を記録した今日。四万十も暑い一日となった。
山里ではホトトギスがしきりに鳴いていてあたりにこだまする。
「てっぺんかけたか」高い木のてっぺんにいるのだろうか。
声は聞こえど姿は見えずただただ愉快な鳴き声がこだまするばかり。


あらあらと言う間に木曜日、毎日が駆け足のように過ぎて行く。
なんとも充実した毎日を送られてほんとうにありがたいことだった。
つい先日までざわざわとしていた気持ちもすっかり落ち着いて来て
なんだかひとやま越えたような清々しさがとても心地よい。

些細な心配事もふっきれてもうどんなことでも受け止められるような気がする。
ちっぽけなこころをふぅっとふくらましてみればそれはたやすいことに思える。

どんな日もあってよし。そう思って前を向いて歩いていきたいものだ。




日課のお大師堂参り、またまた顔なじみのお遍路さんと再会する。
前回は確か三月の中旬だったと記憶している。
これまで何度も出会っていると言うのにずっと名前を知らなくて
「笑顔のお遍路さん」と名付けて勝手にそう呼んでいたのだった。

今日はやっと名前を教えてもらった。でもそれは本名ではない。
いわばお遍路さんのニックネームのようなものでそれもまた良いものだなと思う。

出身地や本名を明かさないお遍路さんも多い。
そうして終わりなき旅をし続けているお遍路さんがいることを忘れてはいけない。

今日もとびっきりの笑顔。やっぱり「笑顔のお遍路さん」だって思った。



2014年05月27日(火) ただただ笑顔

雨あがりの爽やかな朝。小雀たちがちゅんちゅんとそれはにぎやか。

「行って来ま〜す」夫に声をかけて山里の職場に向かう。
いつもの長いトンネル、いつもの峠道がなんだかとても新鮮に感じる。


母が「とても楽になったよ」と言ってくれる。
それが嬉しくてならなくてついついハッスルしてしまうのだった。
自分を必要としてくれるひとがいてくれるのはほんとうにありがたいこと。
毎日がささやかな親孝行だと思って仕事に精を出したいと思う。


「ただいま〜」自分の帰りを待ってくれているひとがいてくれるのもありがたい。
「おう!」の一言。たまには「お帰りぃ!」って言ってみれば良いのに。
なんてこころのなかでくすくす笑いながらその日の疲れが癒されていく。



お大師堂には顔なじみのお遍路さんが到着していた。
ただただ笑顔、それが自分に出来る精一杯のお接待だと思う。
以前には少し複雑な気持ちになったこともあったけれど
自分はいったい何にこだわっていたのだろうと今日は思った。
もしも少なからず偏見を持っていたのなら謝りたい気持ちでいっぱいになった。

帰る家がない。待っていてくれる家族もいない。
それがどんなに孤独で辛いことだろうとあらためて思ったことだった。

お大師堂の紫陽花もほんのりと色づいてきた。

ゆったりと流れる大河はきょうもさらさらと歌いつづけている。



2014年05月25日(日) まだまだこれから

五月晴れと呼べるのもあとわずかになった。
今日は新緑と美味しいものを求めて少し遠出をする。

先日買い物中に友人にばったり会って今日の約束をしていた。
運転はまかせておいてと言う友人の言葉に甘えて楽ちんのドライブ。
お隣の愛媛県愛南町まで足を延ばす。ほぼ一時間ほどで目的地に着いた。

少し人里離れた山奥ではあったがお城のような温泉郷があった。
そこの食堂で地元のご婦人たちがバイキング料理をふるまってくれていた。
お腹がぺこぺこ。食い意地の張っている私が大喜びしたのは言うまでもない。
あれもこれもとお皿に入れてこれでもかと言うほどがつがつとよく食べる。
デザートのシャーベットもしっかりいただき最後にコーヒーを飲んで終了。
ダイエットのことなどすっかり忘れて好きなだけ食べるのはとても幸せだった。

食後はすぐ近くの公園のベンチでおしゃべりの花を咲かす。
アマチュア写真家の彼女の写真を見せてもらうのも楽しみであった。
去年は奈良に行っていたのよと可愛い鹿の写真にこころが和む。

それにしても彼女の行動力にはほんとうに頭が下がる。
最近ではお四国参りも始めたのだそうで思わず感嘆の声をあげてしまった。
私にとっては夢のような話だった。いつかきっと叶えたいとずっと願っている。

何事も諦めてはいけないのだなと今日はすごく思った。
とにかく動き出さなければ夢は決して叶わないのだと思う。

会うたびに私に大きな刺激をあたえてくれる彼女にとても感謝している。
「まだまだこれからでしょ」と言ってくれてすごくすごく励みになった。


さらさらと小川が流れる。新緑をくぐり抜けるように爽やかな風が吹く。

しんこきゅうをいっぱいしながら私はわたしの「これから」に思いを馳せていた。



2014年05月23日(金) なるようになるさ

土手に姫女苑の白い花が咲き始めてとても可愛い。
寄りそうようにチガヤの穂がゆらりゆらりと風に揺れている。

もうすぐ土手の除草作業が始まるのだそうだ。
いつ見納めになっても良いように毎日こころのシャッターを押し続けている。



今週は山里の職場に復帰してあらあらと言う間に週末が迫って来た。
忙しくて嬉しい悲鳴をあげている。ばたばたと走り回ってみたり
パソコンにかじりついて作業をしたりでとても充実している日々だった。

ふっと頭をよぎるのは姑さんのリハビリ通院のこと。
去年は仕事を休んで通院の付き添いをしていたのだけれど
今年はどうしたものだろうと少し悩んでいるのが本音であった。
義務だと思うと気が重くなる。でも少しでも助けてあげたい気持ちもある。
「仕事を休めない」と言ってしまったらどんなにか角が立つことだろう。

なるようになるさ。夫はいつもあっけらかんとしている。
私も夫のようにもっともっとあっけらかんと生きていきたいといつも思う。



日課のお大師堂参り。今日はペットボトルの水の補給をする。
すぐ近くに水道があってもまだ知らないお遍路さんが多いのだった。
汗ばむ季節になってせめて顔を洗いたいだろう足を洗いたいだろうと思う。

水を運び終えてからお供えしてあるおせんべいをご馳走になった。
ほのかに海老の匂いがする。一枚のつもりが三枚も食べてしまった。

しばし腰をおろして川のせせらぎに耳を傾けていた。

さらさらさら。なんと心地よく流れているのだろうか。





2014年05月21日(水) どくだみの花

どくだみの花ってなんて清楚で可憐なのだろう。
それは十字架のかたちに似ている。
少女の頃に初めて手にした聖書のことを思い出した。

布教のおばさんが時々訪ねて来てくれていろんな話をしたっけ。
父に叱られた。「おまえは何でもすぐにのめりこむから」と。

父への反抗心もあったのだろうか。こっそりと十字架の首飾りを買った。
あの時の何とも言えない「やすらぎ」はいったい何だったのだろう。

ある日のことおばさんと些細なことでぶつかってしまった。
今思えばそれは少しも些細なことではなかったのかもしれない。

おばさんはとても大切なことを私に教えてくれようとしていたのだろう。
たしか17歳だったと思う。まだまだ未熟だった心のせいで聖書を閉じた。
肌身離さず身に着けていた首飾りはどうしてしまったのか。
捨ててしまった記憶もないと言うのにどうしても思い出せないのだった。






川仕事の撤収作業もやっと終わって、今日から山里の職場に復帰する。
自分なりにスイッチを切り替える。それはとても清々しい行為であった。
自分に与えられていることをありがたく受け止めてまた頑張っていこうと思う。

決して穏やかな日ばかりとは限らないけれど、すくっと前を向いていれば
どんなことも乗り越えられそうな気がするのだった。

てくてくと歩いて行こう。前を向いて歩いて行こう!



2014年05月19日(月) 夢見心地

昨夜、圭人の初節句のお祝いを無事に終える。
じじもばばもひとつの務めを果たし終えたとただただほっとするばかり。

15名ほどの小宴だったけれど、それはにぎやかで楽しい宴だった。
お嫁さんのご両親もとても喜んでくれてほんとうに良かったと思う。

泣き顔しか知らなかった圭人も昨夜はご機嫌でよく笑う。
「あう、あう」と声も出したりしてすっかり主人公になっていた。

圭人を抱っこしながら綾菜も気になる。ああ、二人の孫がいるのだな。
なんだか夢のように感じた。それが当たり前の事とはどうしても思えない。

うまく言葉に出来ないけれど、夢見心地とはきっとこんなことを言うのだろう。

なにもかもがありがたくてならなくて感謝の気持ちが込み上げてくる。
この幸せがずっと続きますように。ふっと不安になってしまいそうな幸せ。

そんな不安を打ち消すかのように私はこころのそこから微笑んでいた。
この笑顔が救ってくれる。ずっとずっと夢の続きを見せてくれるように思った。

「あした」は未来だとも言う。そんな未来でも私はきっと微笑んでいるだろう。



2014年05月17日(土) 充実している日々

お大師堂の庭先に真紅のアマリリスが咲き始めた。
なんとも鮮やかな色でとても可愛い。
「こんにちは」って声をかけたくなる。
まるで小さな女の子のように微笑んでいる。


午前中は川仕事、撤収作業もあと少しになった。
薄っすらと汗を流しながら頑張る。
「ああ、もうしんどくて嫌になったよ」って私が嘆くと
夫が「くたばってどうする、頑張れ!」と励ましてくれる。


午後は明日の初節句の準備、いよいよ迫ってきたという感じ。
どうか何事もなく順調に、無事に出来ますようにとそればかり願う。
15名ほどの小宴なのだけれど、準備は結構大変だった。

でもなんだかひと山ひと山という感じでクリアしていく感じが好きだ。
目の前にあることをひとつひとつやっつけていく。すごく充実している日々。

明日はきっと「いい日」になることだろう。
みんなの笑顔につつまれて圭人の初節句をお祝いしたいなと思っている。



2014年05月13日(火) 未練

今日はこの夏?いちばんの暑さだったとか。
四万十も28度を超えおひさまは元気いっぱいに輝いていた。

午後からの川仕事の暑かったこと、すっかりくたばってしまった。
予定では今週末までに撤収作業を終えたかったのだけれど
思うようにはかどらず来週に食い込んでしまいそうだった。
毎日少しずつの作業だけれど二人で力を合わせて頑張りたいと思う。


空いている時間にはずっと家中の片づけに精を出している。
特に二階の二部屋は娘たちのためにも綺麗にしておきたかった。
それがまさにゴミ屋敷、今朝はゴミ袋に10個ものゴミを出す。
日曜日に娘が手伝いに来てくれて要らない物を整理してくれたのだった。
娘の古着だけでも山のようにあった。市のリサイクルに持って行ったり
ワンピースやスーツなどは古着屋さんに買い取ってもらったけれど
買った時は高価な物でもびっくりするほど安くて思わず笑ってしまった。

今日は私の部屋の押し入れに突っ込んであったたくさんの文庫本を処分する。
本だけは捨てられないとずっとため込んでいたものだから重いのなんの。
それもツタヤさんが買い取ってくれるというのでいそいそと持って行く。
ゴミに出すのはあまりにも可哀想で、誰かに読んでもらえたらなって思っていた。

でもそんな願いも一瞬にして崩れ落ちた。あまりにも古すぎたのだろうか、
すべての本にカビが生えているとのこと、プロの目ってすごいなと感心する。
査定してくれた店員さんが処分してくれると言うのでそのままそこでお別れ。

もう誰にも読んでもらえないのだと思うとほろりと涙が出そうだった。
まあそんなもんか、人生にはいろんな別れがあるものだなって思ったり。


熱しやすく冷めやすい私だけれど、片づけ魔の炎が消えないうちに頑張りたいと思う。

娘いわく「未練がましいのはやめなさい!」はいはい、わかりましたよ〜



2014年05月11日(日) 母の日

母の日、山里の母には何もしてあげられなかったけれど
姑さんに好物のお赤飯や薄皮まんじゅうなどを届ける。
ほんとにささやかな物なのにとても喜んでくれて嬉しかった。

実はここしばらく姑さんの介護を免れていることもあって
なんだかすごく後ろめたい気持ちでいっぱいになっていた。
せめて顔を見に行くだけでも少しでも話し相手になってあげれば
そう思いつつも気が付けば心のどこかで姑を避けていたように思う。
このままではいけない。私はどんどん薄情な嫁になっていく。

そんな矢先の「母の日」に今日はずいぶんと救われたのだった。
笑顔にはきっと笑顔が返って来る。やっと清々しい気持ちになれた気がする。



お昼には娘たち一家が遊びに来てくれて「お母さん、いつもありがとう」
花屋さんで綾菜が選んでくれたというひまわり色のガーベラの鉢植え。
とても可愛い花でなんとも思いがけずに嬉しくてたまらなかった。

自分にも「母の日」ってちゃんとあるのだなと思ったり
ひとって思いがけないことほど嬉しくて幸せな気持ちになるものだった。

ありがとうには「ありがとう」がこだまする。

こころはスキップをしながら笑顔の花をたくさん咲かせたような一日。



2014年05月09日(金) 季節と言う「船」

今日も夏日となり汗ばむほどの陽気だった。
吹き抜ける風がなんとも心地よい。それはもう初夏の風。


早朝からの川仕事を終え、ふっと思い立ち押入れの片づけなどする。
古い布団や毛布を思い切って処分することにした。
息子が赤ちゃんの時に使っていたタオルケットを発見したりして懐かしい。
他にもいろんな物を詰め込んであって我ながら物持ちの良さに感心する有様。
「捨てる」ということをしないためどんどん要らない物が増えてきたようだ。

明日は古着の処分をしようかなと考えている。
「もったいない」「いつかまた着れるかも」それがそもそもの間違いであった。


もしかしたらのことだけれど、秋には娘たち一家と同居するようになるかもしれない。
昨夜はその相談に来ていて、もちろん私たちは大歓迎のことだった。
サザエさん一家のようになるのかな。なんだかとても楽しみになってきた。

そのためにも家の中の片づけは必須で、娘たちを迎える準備をしたいと思う。
なんてもうすっかりその気になっているのがなんだか愉快でたまらなかった。



今月は圭人の初節句のお祝いも控えていて我が家で小宴を開く予定でもある。
端午の節句よりも少し遅れてしまうけれど、18日の大安にすることにした。
お料理は仕出し屋さんに手配し、引き出物の準備も整った。
床の間には五月飾りをしてあとはその日を待つばかりである。


じじもばばもあれこれと頭の中がいっぱいだけど、それが何よりも幸せだった。
どうか何事も順調に事が運びますように、そればかり考えている毎日である。


そうして夏が、そうして秋が、なんだか季節と言う「船」に乗っているような。

そんな船旅を楽しんでいる。どこまでも青い海をまるで人生の友のように感じて。



2014年05月07日(水) 使命と義務と

少しずつ少しずつ「前へ」決して立ち止まってはいないのだなと思うこの頃。
織りなすような日々と言うほどではないけれど、縦の糸と横の糸が
ぱったんぱったんと混ざり合ってやがて一枚の布が出来上がるような気がする。

もともと不器用だからそれなりに。すごくちぐはぐとしてしまうかもしれない。
失敗しても良いのだ。後悔しても良いのだとちょっと胸を張っている。




川仕事の撤収作業が始まり、午前六時過ぎから頑張っていた。
三時間ほどで切り上げ、帰宅するなりすぐに山里の職場に向かう。
そんな慌ただしさも楽しい。すごく溌剌としている自分が好きだった。

嫌だなって思った瞬間、人ってしょぼんとしおれてしまうものだから
何事も使命のように思って立ち向かっていけばきっと清々しくなれる。

使命と「義務」は違うのだなって最近よく思うときがある。
義務ってどうして苦しくなるのだろう。義務ってすごく肩の荷が重くなる。

じゃあその義務を使命だと思えば良いのだけれど
気の重さがどうしてもぬぐえなくて、やはり義務になってしまうのだった。

いま私はそんな義務からちょっと逃げいている。
すると今度は罪悪感がおそってきてどうしようもなく苦しくなってしまうのだ。

でもそれが自分と向き合うと言うこと。とことん向き合ってみようかなと思う。


どんな日もあるけれど、今の自分が「好きだ!」と胸をはっていよう。

がんばれわたし、他の誰でもない「わたし」がついているよ。



2014年05月05日(月) 今日は「まごの日」

「こどもの日」は朝からあいにくの雨。
娘が仕事だったので綾菜のお守りを頼まれていたけれど
公園にも遊びに行けずなんとも残念であった。

せめてもと近くのショッピングタウンに買物に行く。
そこには幼児用の自動車カートがあって綾菜が大喜びしてくれた。
買物を済ませて店内のゲームセンターへ連れて行く。
アンパンマンの乗り物がお気に入り、コインを入れて動かすと泣き出すけれど。
最後におまけのカプセルが出て来て、それはとても喜んでくれたのだった。

ほんとは少し遠出をして水族館に連れて行ってあげたかった。
でも私の車にはチャイルドシートがなくてそれは断念する。

その後はパワー全開の綾菜が家中を走り回ってやっとお昼になった。
とにかく片時もじっとしていない。部屋中のドアを開けてはしゃぎまわる。

午後一時、お昼寝タイムにはじじばばもすっかり疲れて一緒にうたた寝。
こんなにまったりとするのはすごく久しぶりのことであった。


夕方には雨もやんでいて、迎えに来た娘と綾菜と一緒にお大師堂へ。
ちいさな手のひらを合わせてちゃんとお参りをする綾菜に心が和む。

ずっとずっと元気でおりこうさんでいられますように。
娘はお腹の赤ちゃんがどうか無事に生まれますようにと祈っていた。

そうして三人でお供えしてあったおせいべいをご馳走になる。
「おいちいねー」綾菜の声がお大師さんにも届いているといいな。

帰り道、綾菜に見せてあげたいなとずっと思っていた土手の黄色い花。
今日は見せてあげることが出来てほんとに良かったなって思った。

「お花いっぱいきれいね」って言うと「おはなきれーね」って綾菜の声。

私はこころのシャッターを押して綾菜の写真をいっぱい撮った。



2014年05月04日(日) 風が薫る

風薫る五月というけれど風ってほんとに薫るのだなって思った。
若葉の匂いだろうか花々の匂いだろうか、なんともいえない良い薫りがする。

初夏のような陽射しの中をそんな風が吹き抜けていく。
しんこきゅうをすれば自分も風になれるような気がした。

きらきらとまぶしい空。爽やかな風は天からの贈り物。




やっとこさ、川仕事が一段落する。
海苔の収穫が終わり、後は漁場の撤収作業を残すのみとなった。
なんだか気が抜けたようになりながらも大きな達成感を感じている。
こつこつと頑張ったかいがあった。なんとも清々しい気持ちでいっぱい。
私たち夫婦にとっては天職なのだろう。天から授かった大切な仕事。
どんな時もあるけれど精一杯の二人でこれからもいたいなと思った。

「おつかれさま」「ありがとうね」夫の背中はいつもたくましい。
以前は一人で出来たことも今では夫がいないと何も出来なくなってしまった。
それだけ夫を頼りにしている。労わる気持ち、感謝の気持ちでいっぱいだ。


お大師堂で手を合わせながらこの三ヶ月をしみじみと振り返っていた。
お大師さんもずっと見守ってくれていたのだな。ほんとにありがたいこと。

最初はすごく不安で弱気になってしまった時もあったけれど
いつのまにかそんな不安を乗り越えていた。
「なるようになるよ」ってお大師さんが励ましてくれたような気がする。

そういつだって明日はあしたの風が吹いてくれるのだもの。



2014年05月02日(金) じじばば幸せの巻

気がつけば立夏も近くなりにけり。
今日もぐんぐんと気温が高くなり25℃を超す夏日となった。

夫が内科の通院日だったため川仕事はお休み
山里の職場へ顔を出すつもりだったけれど
孫の綾菜が昨夜から熱を出していて今朝も下がらず
急きょお守りをすることになってしまった。

今日は保育園で五月生まれのお誕生日会があったとのこと
行けなくて残念だったけれど明日我が家でお祝いをすることにした。

明日が二歳の誕生日、ほんとうに早いものである。
よく熱を出すのは今も変わらないけれど、すくすくと元気に成長してくれた。
そんな綾菜の姿にじじばばはどんなにか心を癒されたことだろう。
孫ってほんとにありがたいものだなとつくづく思う。

お昼には熱も平熱に下がりチキンラーメンを美味しそうに食べてくれる。
自分で靴をはいて外にも出たがるのでもう大丈夫かなと少しお散歩もした。
お昼寝もいっぱいして寝起きに熱を測ったら出ていなくてほっとする。
どうか今夜は熱が出ませんように。明日はみんなでお誕生日会をしようね。

今日は思いがけず息子たちも孫の圭人を連れて来てくれて嬉しかった。
私が圭人を抱っこしていると綾菜がきょとんした顔で不思議そうに見ていた。
綾菜も秋にはお姉ちゃんになるの。ちょっとした予行練習になったかしら。

おじちゃんから誕生日プレゼントをもらってそれがとても気に入った様子。
「アンパンマンのことばずかんデラックス」というおもちゃで
ペンで絵をタッチするとその絵がおしゃべりをするすごい楽しいおもちゃ。
今どきのおもちゃってほんとにすごい。どんどん言葉を覚えられそうだ。


綾菜と圭人とじじとばばと、今日はなんとも幸せな一日であった。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加