ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2014年03月31日(月) 青空レストラン

三月もとうとう最後の日。なんだか駆け抜けたようなひと月だった。
どんなに忙しくてもこころの余裕だけは持ち続けたいものである。

大雨が降ったり強風が吹き荒れたりしたけれど桜の花は散らずにいてくれた。
それがとてもありがたくて今日も満開の桜を見上げながらほっと心を和ませる。
儚さを知りつつその儚さに癒されている自分を感じたりした。


川仕事の後の作業、今日も仕事が休みだった娘が手伝いに来てくれた。
実は目的が他にあって手伝いは予定外だなどと笑っていたけれど
「ライン」の情報でお笑いタレントがすぐ近くまで来ているとのこと。
最初はお隣のコンビニに居るという情報が入って娘と二人で駆けつける。
でも遅かりしで今度は川で青さ海苔を収穫しているという情報が入った。

「行って来いよ!」夫の一言に大喜びしてもう作業どころではなくなる。
大急ぎで漁場へクルマをとばしたけれどそれももう遅かったようだった。
娘はなかなか諦めない。絶対に近くにいるはずだと言ってきかない。

もしや?漁業組合の宣伝部長さんの作業場にいるかもとひらめいた。
おそるおそる行ってみるといました!たくさんのスタッフさんであふれている。
すぐ近くまで行く事が出来て娘と二人でわくわくしながらすっかり野次馬になる。

日本テレビ系の「青空レストラン」という番組のロケだそうで
宮川大輔とチャンカワイが来ていた。「うまい〜!」「うまい〜!」を連呼。

そうして撮影が終わって二人が外に出て来た。なぜか娘と目が合う。
「こんにちわ〜!」宮川大輔が笑顔で駆け寄って来てくれて大興奮の娘である。

握手をしてもらっていたら「写真も撮りましょうか?」と言ってくれた。
ほんとに思いがけなくて嬉しかった。四人で肩を寄せ合って写真を撮る。
タレントさんってもっと不愛想なのかなって思っていた。
それがこんなに気軽に声をかけてもらえるなんてまるで夢のようだった。

「いい思い出になったね」と娘と二人で感激をかみしめる。
作業場に戻ってからも娘はとても妊婦さんには思えないほど踊るように作業をする。

少し遅くなってしまったけれど今日もコンビニのお弁当を食べて作業終了。
なんとも楽しいひと時だったなあといつもの疲れも嘘のように感じなかった。

娘が帰ってしまってから、今度は近くの土手でロケがあった。
そこはお大師堂のすぐ近く、私の毎日の散歩道でもあった。

春の陽射しをいっぱいにあびてキラキラと輝いている川面。

春風の中を笑い声がこだまする。みんなみんな笑顔でいっぱい。


今日のロケの放送は4月19日の午後6時半からだそうです。
みなさんもぜひぜひ見て下さいね!




2014年03月28日(金) 春風に吹かれながら

もう春なのかしら。やっとそう思えるようになったこの頃。
今日も汗ばむほどの陽気になり南風が心地よく吹き抜けていく。

ああ春風だなって思った。ほんのりと潮の香りがする風。


相変わらず川仕事が忙しくて今朝も早朝から精を出す。
今年は不漁だと決めつけて不安な気持ちになっていたけれど
そんな不安を打ち消すように海苔がぐんぐんと成長し始めた。
なんとありがたいことだろう。天に手を合わせながら感謝するばかり。

昨日は仕事がお休みだった娘が手伝いに来てくれた。
子供の頃からよく手伝ってくれていた娘、手際もよくてすごく助かる。
妊婦さんをこんなにこき使ってもいいのかしらと思いつつすっかり甘えてしまう。

おかげで今日は午後からの作業がなくて久しぶりにゆっくりと休む事が出来た。
買物に行ったり掃除をしたり、たまっていた家事もずいぶんとはかどる。

夫は茶の間でうたた寝。私は録画してあった「ケンミンショー」を見る。
あれも食べたいこれも食べたいと思う番組、いつかきっと食べようと思う。


日課のお大師堂参り、ここ数日行けない日もあってずっと気になっていた。
けれどもお大師さんはちゃんとわかってくれてゆるしてくれていたのだなと思う。

どんな日もあるよって微笑んでくれる。ほら、おせんべいを食べなさいって
満開になった桜の花を仰ぎながらかりぽりとおせんべいをいただく至福のひと時。

お花見なんてとても無理だと思っていたけれど、今日がその日になった。
春風に吹かれながら桜を愛でることが出来てほんとうに良かったと思う。

桜の花の向こう側にはさらさらと四万十の流れがまるで絵のように映っていた。



2014年03月25日(火) ほっとする瞬間

高知城下の桜が満開になったそうだ。
四万十はまだ5分咲きだろうか、ゆっくりと桜の季節を楽しみたいものだ。

とは言っても儚い桜。明日は桜雨になりそうだった。
どうか優しい雨であって欲しい。桜の花が泣いてしまわないように。


相変わらずの忙しさで今日もめまぐるしく一日が過ぎる。
忙しいのはありがたいことだよ。夫の言葉にうなずいている自分がいた。
独楽鼠のように動き回りながらも手を合わす気持ちを大切にしたい。

嬉しかったのはお昼に息子夫婦と孫の圭人が訪ねて来てくれたこと。
ほぼひと月ぶりに抱く圭人はずいぶんと重くなっていたように感じる。
一か月検診も順調だったようでほっと胸を撫で下ろす。
母乳もごくごくとたくさん飲んでいるようでおかげですくすくと成長している。

ほんのつかの間の事だったけれどよく来てくれたものだととても嬉しかった。
帰り際になって息子たちがまだお昼を食べていないことを知ったけれど後のまつり。

なんのおもてなしも出来なかったことを詫びながら見送ることのせつなさ。
「おかあ、今度焼肉でもしようや」息子が言ってくれた。うん、そうしよう!
父さんも母さんも川仕事を頑張るよ。美味しいお肉をいっぱい食べさせてあげるから。

息子たちを見送ってからまた午後の作業に精を出す。
慌ただしさのなかにもほっとする瞬間があってとても癒されたように思った。

日課のお大師堂参りにも行けなかったけれど、お大師さんも微笑んでいてくれるだろう。

明日はあしたの風がふく。どこにいてもどんな時でも手を合わすことを忘れない。



2014年03月24日(月) ハードな一日

早朝からの川仕事を終えて大急ぎで山里の職場に駆けつける。
休む間もなくすっかりへとへとになって帰ってきた。

やらなければいけないことがたくさんあるのだけれど
からだはひとつ。あれもこれもと頑張っていると身体が持たない。

限られた時間のなかでやれることだけを精一杯頑張ってみる。

とんとん拍子にはいかないこと。思うようにすんなりとはいかないこと。

それもみんな自分に与えられている試練なのかもしれないなって思った。


とうとう時間切れ。なんだかちょっぴり悔しいような情けないような。
もっと落ち着いて取り組めばミスもせずに済んだものをと思う。

母が「ありがとうね」と言ってくれる。なんだか胸が熱くなってしまった。


大急ぎで帰宅してたくさん干してあった海苔を取り入れる。
いつも笑顔の夫がなんだかピリピリしているようで気になった。
「用事が済んだらすぐ帰るから」そう言って出掛けていたせいかもしれない。

夕飯の買い物も出来なかったのだけれど、夫がありあわせで良いぞって言ってくれた。

よかった。顔色を窺っていたけれどいつもの優しい夫になっていてほっとする。
残りご飯でチャーハンを作った。夫には大盛り、私は小盛でじゅうぶんだった。

とてもハードな一日だったけれど、平穏無事に今日も暮れていく。

それがいちばんありがたいこと。幸せをかみしめながら焼酎を飲んでいる。



2014年03月22日(土) ソウルメイト

桜の花が咲き始めるとかならず寒の戻りがあるように思う。
「花冷え」いにしえの頃からある言葉だろうか
そんな日本語がとても好きだなと思うのだった。

朝は真冬の寒さだったけれど、日中はぽかぽかと春らしくなった。
気がつけば土手のつくしもスギナに変わりつつある。
雀色だった土手が一気に緑が鮮やかになっていく。
たんぽぽの綿毛も旅に出る頃だろうか。なんだかふわふわの気分。



川仕事を終え日課のお大師堂参り。
川辺の桜もぽつぽつと咲き始めてこころが和む。
さらさらと水の流れに耳を傾けながら空と一緒にあおぐ桜木。

お参りを済ませて帰ろうとしていたら最近知り合ったばかりのお仲間さんが。
お隣の地区の方だそうで会うたびにおしゃべりをするのも楽しみになった。
以前からお参りに来ていたらしいのだけれど、午前中が多く今まで会えなかった。
先日初めて会った時に「いつも何時頃来ているんですか?」って訊かれて
おしえたら「私もそうしようかしら」と言ってくれたのだった。

たまたま偶然に出会えたのもお大師さんの下さったご縁だと思う。
なんだかずっと昔からお友達だったような懐かしささえ感じるのだった。

お大師堂もずっとお参りに来ていたお年寄りが一人減り二人減りと寂しかった。
そんなおばあちゃん達の二代目に私たちもなりたいねって今日は誓い合う。

ひととひとが出会うのってほんとに不思議なこと。

きっとどこかでつながっていてある日その糸が手繰り寄せられるかなって思う。

縁のある人にはかならず巡り会える。ずっとずっと永遠にその縁はつづく。



2014年03月20日(木) 桜のつぼみもふくらんで

雨のちくもり。雲の上にはいつもおひさまがいるのよって
いつか母が言ってくれた言葉をふっと思い出していた。

こころもおなじ。時には曇ってしまう時があるけれど
みんなみんなおひさまを抱いて生きているのだと思う。

そんなおひさまを見失わないでいたいものだった。



川仕事はまたまた猫の手も借りたいほどの忙しさ。
「猫って嫌いなんでしょ?」とわたし。
「いや、三匹くらい飼いたい気分だ!」とおっと。

ふたりくたくたに疲れていてもふっと笑みがこぼれる会話だった。

作業場でお昼ご飯、すぐお隣がコンビニだからすごく助かっている。
今日はカツ丼と焼きそば。ダイエットのことも忘れてがっつりと食べる。
そんなお昼ご飯が毎日の楽しみになって、川仕事も頑張れる気がする。
明日は何を食べようかな、もう明日のことを考えているのも愉快だった。



午後四時やっと今日の仕事が終わる。
万歩計を気にしながらも歩こうとしないすっかり怠け者の私がいた。

お大師堂の桜は明日にでも咲きそう。薄紅色のつぼみがふっくらと可愛い。
また顔なじみのお遍路さんが来てくれていてしばらくおしゃべりをした。
そういえば去年は満開の桜を一緒に眺めたっけ。もう一年か、早いものである。

一昨日のお遍路さんもそうだけれど、顔なじみのお遍路さんが何人かいてくれる。
名前も知らないお遍路さんもいて、今日のお遍路さんは勝手に「お地蔵さん」と呼んでいる。

お遍路をしながら見つけたお地蔵さんには必ず手を合わせているのだそうだ。

その光景がいつも目に浮かんでほっこりほっこりとこころが和む。

「ありがとうございました」心からそう言える再会であった。





2014年03月18日(火) 春の雨と後悔

やわらかで優しい春の雨。濡れても少しも気にならなかった。
高知城下で桜の開花宣言。待ちわびていた桜の季節がついにやってきた。

川仕事を終え、午後は少しだけのんびりと過ごすことが出来る。
ずっと忙しかったからなんだか気が抜けたようになってしまう。
休める時にやすむ充電日。そうしてまた明日から頑張ろうと思う。

いつのまにか雨もやんでいて、散歩がてら歩いてお大師堂に向かった。
顔なじみのお遍路さんのことを考えていたらそれが虫の知らせだったようだ。

ほぼ40日ぶりの再会、いつもの笑顔が嬉しくもあり少し複雑な気持ち。
これまで会うたびにお接待をさせてもらっていたのだけれど
いつからかそれを強要されるようになってしまっていたのだった。

惜しみなくと思う気持ちはあるのだけれど、やはりいい気持ちにはなれない。
決して偏見を持ってはいけないと自分に言い聞かしているのだけれど
今日は何を頼まれるのだろうとはらはらしている自分がそこにいた。

そのせいか、以前のように打ち解けてゆっくりと話すことが出来なかった。
なんだか逃げているような自分に気づいて心の奥のほうが苦しくてしょうがない。

お遍路さんもそんな私の変貌に少し気づいているような感じがした。
だから何も言わない。あれこれと欲しがらないのがよけいに辛く感じる。

あとに残るのは反省と後悔、「何か困っていることはない?」の一言が
どうして言えなかったのだろうとなんとも後味の悪い再会になってしまった。

もしかしたら私が甘えられる唯一の人だったのかもしれないなと思った。

家族も家も何もかも遠くへ押しやってひたすら四国を歩き続けているお遍路さんがいる。

「おかあさん」っていつも私のことをそう呼んでくれていたお遍路さんだった。



2014年03月17日(月) 愛しき日々

ぽかぽかとすっかり春を思わす陽気。
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、明日はもう彼岸の入りだった。


夫、62歳の誕生日。同じく山里の母も76歳の誕生日だった。
出会った頃の夫は27歳。自分の母と同じ誕生日なのを知って驚いたことだった。

もう35年が経ってしまったけれど、なんだかあっという間だったようにも感じる。
父になり母になり、気がつけばおじいちゃんとおばあちゃんになっていた。

30歳で父親を亡くした夫は、俺も長生きは出来ないといつも言っていたっけ。
57歳で亡くなった父親と同じ年で死ぬんだと口癖のように言っていたものだった。

そんな弱気な夫が一気に元気になったのが還暦を迎えた時だった。
そうして初孫の綾菜の誕生、それがどんなにか嬉しかったことだろう。

俺はいつ死んでも良いけど、孫の顔だけは見たいな・・・なんて言っていたのが
今ではすっかり笑い話のようになってしまった。もう二人の孫のおじいちゃん。


昨夜は娘の提案で一日早い誕生日のお祝い。みんなで焼肉バーティーをした。
お婿さんとビールをつぎ合ってそれはそれは嬉しそうな顔をしていた。

綾菜がすっかりおじいちゃんっ子になっているのも嬉しくてたまらない様子。
「じーたん、じーたん」と追い掛け回されて嬉しい悲鳴をあげているのだった。

きっときっと長生きが出来るよ。夫の笑顔には希望がたくさんあふれている。

その希望を自分にも重ねて私も一緒に長生きができそうな気がするのだった。


「おとうさん」と呼んだり「おじいちゃん」と呼んだり、それこそが私の愛しき日々。




2014年03月15日(土) 今日もお疲れさま

寒の戻りも峠を超えたのか、明日から一気に暖かくなるとのこと。
桜もそろそろ咲き始めることだろう。待ちわびていた春がやっとやって来る。


例のごとく早朝から川仕事、午前七時にはもう川の中にいた。
うぐいすの鳴き声に耳を傾けながら夫とふたり精を出す。
昨日の地震で津波がなかったのはほんとうに幸いだったと思う。
わずか50センチの津波でも海苔は全滅してしまうのだった。

川から戻ると海苔を洗って天日干しにする作業が待っている。
おひさまのありがたさをつくづく感じる作業だった。

午後からは干しあがった海苔を箱詰にする作業。
これがけっこう手間がかかり猫の手も借りたいほどだった。
夫は腰が痛いと言う。私は肩と背中がぱんぱんに張っていた。

そんな作業を4時間、もう陽が傾き始めて干していた海苔を取り入れる。
海苔は一日では干しあがらず、最低でも三日は干さなくてはいけない。
おひさまの恵みをいっぱいに受けて今日も良く干せて嬉しかった。

「お疲れさま」どんなにハードな一日でも労わりあう気持ちを大切にしたい。
疲れを分かち合うと言うか、ささやかな一言で疲れも癒されるものだった。

「お父さん、今日はお炊事が出来そうにないよ」

「おう、コンビニの弁当でもいいぞ!」そう言ってくれるありがたさ。

やっほう!の気持ちでいっぱいになって近くのコンビニに走る奥さまであった。









2014年03月13日(木) 春の嵐

朝から強い風と雨。まさに春の嵐のようだった。
さすがに川仕事を諦めてしまって急きょ山里の職場に向かう。

仕事のことでずっと気になっていたこともあって
今日はやっとそれを片づけることが出来てとてもほっとしている。

責任感と言えば聞こえが良いが、そんなだいそれたことではなくて
几帳面でもないくせにそれが荷になって仕方がなかったのだった。

まあなんとかなるさ。それが苦手な性分は幾つになっても変わらない。
そんなふうに気楽になれたらもっともっと人生が楽しいのだろうけれど。

出来ることを出来る日に。きっとそれがいちばんなのだろうと思う。
順調であろうがなかろうが、それが自分に与えられている一日だった。

「ありがとうね」母の声に見送られて家路を急ぐ。

感謝するのは私の方なのにいつも母に先を越されてしまうのも微笑ましいこと。

まるで台風一過のような青空。心にも身体にも光の天使が舞い降りてくる。




夕方、娘に電話をすると心配していた綾菜はなんとか保育園に行っていたとのこと。
今のところ熱も出ていなくて元気に遊んでいる様子でほっと胸を撫で下ろす。
今夜熱が出なければもう大丈夫だろう。どうか、どうかと祈る気持ち。

けれども今度は娘の体調が少し悪いようで、またまた心配になってくる。
どうやら綾菜の風邪が移ってしまったようで微熱があるとのこと。
悪阻と風邪、家事と育児と、どんなにか辛い事だろうと思う。

「今から行ってあげようか」と言うと「だいじょうぶ」と応える。

それがなんだかとても健気に思えてならない。

おなかの赤ちゃんも頑張っているのかな。それが娘の励みになっているのかも。

母は強しね。きっとどんなことだって乗り越えていけそうな気がする。



2014年03月12日(水) にっこりにっこり

雪柳の花が咲き始めた。ちいさな白い花がまるで雪のように降り積もる。
それがとてもあたたかい。やわらかな陽射しをあびてきらきらと輝いている。

「ゆき」と名付けれたひとが佇んでいるようなささやかな春の風景だった。



孫の綾菜、また真夜中に高熱が出てしまって今日は保育園をお休みする。
今朝は熱が下がっていたけれど用心をしてもう一日様子を見ることにした。
娘がどうしても仕事を休めなくて朝からずっとお守りをしていた。

ひとりで川仕事に向かった夫を作業場で待つ。
ひだまりのなかで遊ぶ綾菜を見ていると息子や娘の幼い頃を思い出した。
幼心に忙しいのだなというのがわかるのだ。綾菜もまったく同じだった。

作業をしているあいだもひとりでおりこうさんで遊んでくれる。
「これはね、青さだよ」っておしえると「あおた?あおた」と応えてくれる。

作業が終わると作業場の掃き掃除を手伝ってくれた。
ちいさな手にほうきと塵取りを持ってなかなかの手つきである。
「すごいね〜上手だね」とほめると悦に入ってどんどん手伝ってくれるのだ。

お疲れさま、ありがとうね。やっとお昼ご飯の時間になる。
綾菜はコンビニのナポリタン。すごい勢いでちゅるちゅるとよく食べる。
デザートに大好物のミカンの缶詰、それも一缶ぺろりと平らげてしまった。

けれどもその後、咳き込んでしまって食べたものを殆ど吐いてしまった。
食欲はあったのにどうしたことか、やはり風邪のせいだろうかと一気に心配になる。

ただの食べ過ぎだろうと夫が言うので、私もそう思うことにした。
あまり気にしないことにして茶の間でアンパンマンを一緒に見ながら過ごす。

そうして眠った。じいちゃんに抱っこされてそれは気持ちよさそうに眠ってくれる。
なんと三時間もお昼寝、昨夜の寝不足もあったのだろうと思う。

寝起きに熱を測った時は平熱だったのだけれど、夕方にはまた熱が出てしまった。
夕食もそこそこに迎えに来た娘と早々と帰って行った。

どうかどうか今夜は熱が高くなりませんように。そればかり祈っている。

今日はねいっぱいお手伝いをしてくれてありがとうね。

じいちゃんもばあちゃんも綾菜のおかげでにっこりにっこりでいられたよ。




2014年03月11日(火) 明日へ

ざわざわとしたりほっとしたり、それも生きているからこそのこと。

命あることのありがたさをつくづくと感じた一日だった。


あの日からもう三年、こうして日々を綴ることも不謹慎に思えるけれど
「普通にしていようよ」と言ってくれた友の一言を忘れずにいたかった。

住む家があって三度の食事に恵まれ、家族がみな元気でいてくれる。
それがどれほど恵まれているのかをいつもいつも思い知らされている。

それはきっとこれからも変わらない。10年経っても20年経っても。

そうしていつか私も逝ってしまう日が来るだろうけれど
すごくすごく幸せな人生だったよって微笑みながら逝けそうな気がするのだった。




今日は綾菜が保育園で熱を出してしまって、急きょお迎えに行ったり
インフルエンザかもと小児科へ連れて行ったりばたばたと大忙しの一日だった。
幸いなことにただの風邪だったけれど、ぐったりしていてとても可哀想だった。

小児科で解熱の坐薬をさしてもらったのが良かったのか、すぐに熱が下がる。
晩御飯も元気にいっぱい食べてくれてほっと胸を撫で下ろしたことだった。

どんなに毎日手を合わせていても、こんな日もあるものだなと思う。
だからといって天を恨むことなどどうしてできようか。

ひとつひとつを受け止めながら乗り越えていくことしか出来ない。

明日のことは誰にもわからないのだもの。明日が来るだけでも幸せだと思う。



2014年03月10日(月) ぐるぐるぐる

なんだか思うようにいかなくて
ぐるぐるぐるぐるしてしまう時があるのだけれど

そんな時の自分ってきっとすごく欲張りなのだなろうなって思う。

たっぷりと時間はあるように思えても足らなくなってしまったり
いつもは出来ていたことが出来ない日だって誰にだってあるのだろうか?

何かに疲れているのだけれど、それが何なのかよくわからない。


まあいいさ。あしたは明日の風にふかれよう!



2014年03月09日(日) 愛しさとは

寒の戻りもなんのその。うぐいすがしきりに鳴いて励ましてくれる。

「おう、だいぶ上手になったな」夫の一言ににっこりと微笑む朝。


早朝からの川仕事もぼちぼち。例年なら最盛期の頃なのだけれど
今年は不作のせいもあってがむしゃらに頑張ることもほとんどなかった。
程よい疲れ、それはきっとありがたいことなのだろうと思っている。


悪阻がひどくなった娘が昨夜も綾菜と遊びに来てくれた。
お婿さんが飲み会で留守なので夕食を作る気にもならないとのこと。
オムライスなら食べられそうと言うので腕を振るって四人分作る。
綾菜のオムライスにはアンパンマンの顔を書いてあげた。

食後はお楽しみのお風呂、ばあちゃんと入るのだと言って自分で服を脱ぐ。
私よりも先にはだかん坊になってさっさとお風呂場に向かう綾菜であった。

この冬の間、お風呂がとても苦手だった私もおかげでお風呂が好きになる。
自分が倒れる心配よりも綾菜に風邪をひかせてはいけないと気遣うばかり。
肩までちゃんと浸かろうね、玩具で遊んだり歌を歌ったり楽しいひと時。

お風呂上がり、茶の間でしばらくおりこうさんで遊んでいたのだけれど
ドアノブを回すことをすっかり覚えてしまって他の部屋に行きたがる。
階段も上りたがり誰もいない二階にまで行きたがるようになった。
追いかけまわしているうちにじじばばはすっかりへとへとになるのだった。

そうして今度はまたトイレ騒動が始まる。パジャマのズボンもパンツも脱いで
自分でトイレに行こうとする。ついにトイレのドアも開けるようになった。

出るかな?出るかな?「う〜ん」と言ったり「シーシー」と言ったり。
そんなことを五回ほど繰り返したけれど残念ながら出るものが出なかった。

お尻はすっかり冷え切っていて今度こそ風邪を引いてしまいそう。
それなのにどうしてもパンツをはきたがらない。これにはさすがに参った。

娘と二人係で押さえつけて無理やりパンツをはかせたら大泣きになってしまった。
いったいどうしたいの?まだうまくしゃべれなくて伝えられないもどかしさ。
母さんもばあちゃんもどうしてわかってくれないのだろうって思っていることだろう。

そう思うと憐れになって怒るにも怒れなくなってしまう。

じゃあもうお家に帰ろうか?「うん!」今度はちゃんとパジャマのズボンをはいた。
そうしてさっさと玄関に向かうと自分でちゃんと靴をはいたりするのだった。

「今夜の豆台風は大荒れだったな」夫と苦笑いしながらふたりを見送る。

し〜んと静かになればそれもまた寂しいもの。

愛しさとは不思議なもので一緒にいる時よりもいない時のほうが大きい気がする。






2014年03月06日(木) おひさまのように

寒の戻りだろうか、北風が強くて少し肌寒い一日だった。
けれども降り注ぐ陽射しは真冬とは確実に違っている。
どんなに寒くてもおひさまは微笑んでいてくれるのが嬉しい。

おひさまのようなひとになりたいなとふと思う。
それはとても身の程知らずのことだけれど
この先どれほどの時間が自分に与えられているのかもわからないけれど
おひさまのような人だったねと言われて逝けたらどんなに良いだろうか。



川仕事を終えて日課のお大師堂参り。
土手のつくしを愛でながらふっとあんずのことを思い出したりする。
お散歩仲間だったワンちゃんたちに会うたびに、それはいっそう増す。
独りぼっちで歩くのはやっぱり寂しいものだなとつくづく思うのだった。

お大師堂で手を合わせながら、今日の平穏無事に感謝する。
なんだか毎日が奇跡のように思えてならない日々がずっと続いている。

当たり前のことなど何一つなくて、すべてが恵まれていることだと思う。
「ある日突然に」そう思うと怖くて不安でいっぱいになったりもする。

あっけらかんとそうしてのほほんと暮らしていくのは実はむつかしい。

けれども自分に与えられた日々をなんとしても全うしたい。

明日のことは誰にもわからない。だからこそ明日に向かって今日を生きる。



2014年03月05日(水) 幸せは「仕合せ」

雨のち晴れ。雨あがりの北風が強く吹き荒れて少し肌寒かった。
川仕事に向かう途中に農道を通るのだけれど
農作業をしている人の姿が日に日に目立つようになった。

かたわらにはいちめんの菜の花。その畑もやがて耕されることだろう。
菜の花畑に寄り添うように桃の花が咲いているのにも心が和まされる。
明日はもう「啓蟄」どんなに寒くても春の兆しに満ち溢れているこの頃だった。

寒さなくては花は咲かず。私の好きな言葉である。
もし一年中暖かな日ばかりだったら桜の花は咲くことを忘れてしまうのだ。
ひとのこころも同じだと思う。辛い冬があるからこそ春の喜びを感じられる。

あのひとは元気にしているかしら?ふと思い出す時もあるけれど
出会ったことがとてもとても遠い昔のように感じて自らその扉を閉めてしまう。

ノックの音が聴こえない。そんな現実にほっとしている自分がいた。

そうして縁遠くなる。もっともっと遠くなれば良いのにと思ったりする。

そんな薄情なことを思いつつも誰のこころにもきっと春が訪れますように。
毎日、まいにち手をあわせているときっと何かが伝わるような気がするのだった。

幸せは「仕合せ」青い鳥の童話のようにさがさなくてもすぐ近くにあるもの。

ほらあなたのすぐそばにもそれはあるでしょう?



2014年03月02日(日) ちいさなあんよ。可愛いお靴

雨のち晴れ。風が強く吹いて寒桜がはらはらと散り始めてしまった。
それはとてもせつないけれど、どれほどこころを和ませてくれたことか。
儚い花ほどこころに残る。ひとの命と同じようにこころに残る。

やがてソメイヨシノの季節がやってくることだろう。
それがほんとうの桜の季節なのだとしたら寒桜がとても健気に思えてならない。



昨夜も娘と綾菜が遊びに来てくれたのだけれど、
今日も会いたくなってしまって久しぶりに娘のアパートを訪ねた。
綾菜はちょうどトイレにいてアンパンマンの便座にちょこんと座っていた。
朝から何度もトイレに行きたがってはそのたびに出るものが出ないとか。
娘はもう呆れかえっていたけれど、トイレを覚えただけでもすごい成長だと思う。

トイレから出ると今度はパンツをはきたがらない。
お尻を出したまま部屋中を逃げ回っているのを娘と二人で追いかけまわる。
「いや!」っていう言葉を最近覚えて「いや、いや!」と連呼する。

「じゃあくまさんにパンツあげるよ」ぬいぐるみにパンツをはかせると
それもいやでやっとおりこうさんになってパンツをはいてくれるのだった。

私が一緒に居たのは二時間ほどだったけど、その間に三回もトイレに行く。
そのたびに追いかけまわしてなんとも楽しいひと時であった。

お昼寝の時間になったので私が帰ろうとすると、
先に玄関へ行って自分で靴を履こうとする。ちいさなあんよ。可愛いお靴。

「ばあちゃんは帰るんだよ、バイバイしようね」って娘が言うと
すっかりご機嫌ななめになってしまって今にも泣きそうになってしまった。

後ろ髪を引かれるように、なんだか逃げるようにしてドアを閉める。
その時見た綾菜の顔が忘れられない。すごくすごく悲しそうな顔をしていた。

10分でもいいからお外で遊んであげたらよかったなって後から思う。
それもあとのまつり。おりこうさんでねんねしてくれたかなってずっと気になる。

会うたびに成長している綾菜の姿にどれほど癒されている事だろう。
明日はひな祭り、綾菜も一歳と10ヶ月になろうとしている。


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