ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2012年02月29日(水) ほうほけきょ

東京は大雪だというのに、こちらではウグイスが鳴く。
気温も高くなりぽかぽかと暖かいいちにちだった。

ウグイスの声に耳を澄ましているととてものどかな気分になる。
川仕事は気忙しくあったが、ほんの少しのんびりと手を動かしてみる。


二月も今日で終わり。月末だなと山里の職場が気になっていた。
あんのじょう母から電話がありあれこれと仕事の話しをする。

なんだか荒れている。荒海に母が独りぼっちで船に乗っているよう。
いつも気丈な母ではあったが、今日はぽろりと弱音を吐いていた。
助けてあげたいなってすごく思った。でも駆けつけてはあげられない。

ごめんね。ごめんねと謝ってばかり。こんなに心苦しいことはなかった。


ゆっくりと気を取り直して、自分は自分のことをと改めて思う。
どうしようも出来ないことより出来ることを優先しなければいけない。


夕暮れて母はどうしているかしら。気になりながらも電話ひとつしない。
それで良いのだと自分を宥めつつ、穏やかな夜に足を踏み入れていく。


ほうほけきょ。ほうほけきょ。ほうほけきょとわたしもなきたい。



2012年02月28日(火) ごめんね。あんず。

小雨が降ったりやんだりの寒いいちにち。
春だ春だとはしゃいでいたけれどやはり寒の戻りがあった。

けれども嘆かずにいよう。
タンポポもつくしの坊やたちもじっと耐えている。


散歩の頃にはちょうど雨がやんでいて良かった。
それにしても冷たい風。毛糸の帽子を被って出掛ける。

お大師堂の近くにゴミが散乱していて困ってしまう。
見て見ぬふりは出来ず例のごとくでそれを拾い始めた。
するとあんずが急に暴れ始めてどうにも手に負えなくなる。

「もう勝手にしなさい!」
私も苛立ってしまってリードから手を放してしまった。

一目散で逃げ出して行くあんず。好きなようにすれば良いのだ。
追いかける気にもならずそのままゴミを拾い続けていた。

そうしてそのまま歩き始める。振り向いてもあんずの姿が見えない。
もしかしたら先に家に帰っているかもと思ったけれど帰っていなかった。

「ほんとにしょうがない子ね」ぼやきながらもなんだか愉快になって。
また土手にあがりあんずの姿を探してみる。いたいた、ほらあそこに。

そこは仲良し犬のランちゃんちの近くだった。
土手の石段や草むらにランちゃんの匂いが残っているのだろうか。
何かにとりつかれたようにくんくんとひたすら匂いを嗅いでいるあんず。

その姿があまりにも微笑ましくてもう怒る気にもならなかった。
ランちゃんに会いたかったのだね。ランちゃん大好きだものね。

私の姿に気づいたのかとぼとぼと近寄って来るあんず。
「おかあさん、ランちゃんいなかったよ」とその目が少しせつない。

そうね。今日はお母さんが悪かったよ。ごめんねあんず。

明日はランちゃんに会えたらいいね。会えたらまたキスしようね。



2012年02月27日(月) つくしの坊やたち

気持ちよく晴れて雲ひとつない青空。
おひさまも嬉しそうにきらきらと輝いていた。

そんな陽気にさそわれたのか土手につくしの坊やたちが。
みんなが一斉に顔を出して「こんにちは」って言っているよう。

よしよしとその頭を撫でてあげたくなった。
幼子のように可愛いちっちゃな坊やたちだった。

嬉しくってウサギになったような散歩道。
ぴょんぴょんと跳ねるようにして歩いて行く。

タンポポさんにもおしえてあげなくちゃ。
彼女もきっとにっこりと微笑んでくれるだろう。


じっと耐えるように待っていた春。

その足音がこんなに近くに聴こえるようになった。

日々いろんなことがあるけれどもし辛いことがあっても。

嘆かずにいてじっと耐えていればきっと良いことがある。


そう信じてすくっと前を向こう。明日は春かもしれないよ。



2012年02月26日(日) もう峠は越えた

午前中はまるで春霞のような空。午後から一気に曇ってくる。
暖かさもつかの間。散歩の時間には風がとても冷たく感じた。

お大師堂のすぐ近くに咲くタンポポと語らう。
たくさんあった蕾がすっかり咲いて微笑んでいる。

ここはもう春。そう思うと寒の戻りも気にならなかった。

だいじょうぶ。もう峠は越えた。春の野原に向っているよ。

耳を澄ましてみる。タンポポさんは何て言っているのだろう。

こんなにもほっこりと。優しい花はないよって私は言った。


てくてくてく今日も歩く。歩いていると心も動いている。
わくわくとしたりちょっとどきどきもしたりしながら。
誰かと手を繋いで踊っているような気分にもなったりする。

それが誰なのか確かめるのはちょっと照れくさい。
少女のように髪をなびかせるにはずいぶんと老いてしまった。

けれどもその老いをちょっと誇りに思う日が来るかもしれない。

生かされているのだもの。生きてみなくちゃ。

胸をはって私は歩く。だって春の野原が待っていてくれるのだもの。






2012年02月25日(土) てくてくてく

雨のち晴れを期待していたけれど、おひさまはかくれんぼ。
灰色の空のしたせめて心は明るくと朗らかに過ごすいちにち。

嬉しいことをさがしてみると実はたくさんあったりするもの。
たとえば私が笑うと彼も笑う。そんな些細なことがとても嬉しい。

ふたりちからを合わせて川仕事に精を出す。
しんどいなあって思う時もいっぱいあるけれど。
ちょっと冗談を言い合ってみたりするのが楽しい。

「おまえはアホか」なんて言われるのも嬉しくなる。
そうしたら私は調子に乗ってまたふざけてみたりするのだ。

不安なことを口にすれば一気に暗くなってしまうもの。
思っていても口に出さない。そうして光を目指して歩む。

行ってみないとわからないところ。だから進むしかない。



てくてくてく。いつもの散歩道も楽しい。
お遍路万歩計ってほんとにありがたいなあってつくづく思った。
今日は13番札所に着いた。12番からすごく遠く感じていたけれど。
毎日少しずつの積み重ねの結果であった。やったぁって嬉しくてならない。
明日は14番札所に着けそう。よおし!と気合が入ってくる。

出来ることを少しずつ。これで良いのだなって思っている。

出来ないことを嘆く前に出来ることを楽しみたいものだ。



2012年02月24日(金) ゆびきりげんまん

昨日ほどではなかったが今日も暖かくなりほっと空を仰ぐ。
どうかこのまま冬が振り向かずにいてくれますように。

川仕事に向かう途中にいちめんの菜の花畑を見つけた。
クルマを停めて駆け寄ってみたい衝動にかられる。
せめてもと思い窓を開けるとほんのりと春の匂いがした。

昨日は気づかなかった春に今日はこんにちは。
どんなに忙しくても心にゆとりを持ちたいものだとつくづく思う。

気づいてほしくて待っているちいさな春がきっとそこにある。

川仕事をしていてもはっとするのは海苔が確かに育っていること。
それも春の兆しであった。ありがたいことだなと今日も収穫をする。
欲を言えばきりがない。わずかの収穫でもこんなに嬉しい事はなかった。


ほどよく疲れた身体を少しだけ休ませてあげて今日も散歩に出掛ける。
土手にはそろそろ土筆の坊やたちが可愛い頭をのぞかせる頃でもある。
まだかな。まだかな。声をかけるようにさがしてみるのも楽しかった。
今年は雪の日がたくさんあったから坊やたちもまだ眠っているようだ。

お大師堂で手を合わす。願うこと。祈ること。感謝すること。

そうして外に出て思わず声をあげてしまったのはタンポポの花だった。
それも昨日は気づかなかったこと。待っていてくれたんだなと思う。

川辺の水のせせらぎを聴きながらやわらかな陽射しをいっぱいに浴びて。
タンポポはまるで天使のような顔をして優しく微笑んでいるのだった。

ようく見るとあちらこちらに蕾がいっぱい。

明日も待っているよってそんな声が聞こえているようだった。

ゆびきりげんまん。明日も一緒に微笑もうね。タンポポさんありがとう!



2012年02月23日(木) 春の風が吹いた日に

雷の音で目覚めた朝。昨夜は静かだった雨もどしゃ降りになる。
春雷か春の嵐かと思えばまるでそれが儀式のように思えてきて。
春が来たやっと来たと小躍りしそうなほど嬉しくなってしまった。


川仕事に出掛ける頃には雨もやみ薄っすらと空が明るくなる。
いつもの朝よりもずっと暖かい。今日は毛糸の帽子がいらなかった。

お昼頃には青空が見え始める。そうして気温がぐんぐんと上がった。
すっかり春の陽気。身体がふにゃふにゃととろけてしまいそうになる。

それもつかのまのことだろう。まだまだ寒の戻りがあるのに違いない。
けれども一瞬でもそうして春の気分を味わえたことがとても嬉しかった。



午後。溌剌とした気分で散歩から帰って来ると娘夫婦が顔を見せてくれた。
今日はサチコの検診日だったので、四人で食い入るようにビデオを見た。
やはり女の子に間違いないとのこと。逆子だったのも正常になっていた。
「あくびちゃん」は今日はなし。お腹の中でぐっすりと眠っているよう。

元気に動いている心臓。その鼓動がとくとくと胸に響いてくる。
ちっちゃいのに一生懸命頑張っている。命って素晴らしいなあって感動した。

ずいぶんと大きくなったお腹をよっこらしょという感じでサチコ達が帰って行く。
路地に出て手を振りながら二人を見送った。ありがとうねってつぶやきながら。



2012年02月22日(水) 雨のままに

しとしととやわらかな雨が一日中降り続いていた。
優しい雨がほんのすこし春を招き入れてくれたようだ。

静かな雨音に耳を澄ましながら穏やかな心でそれを受けとめる。

雨がよい。雨でよい。こころの中でちいさな芽がふくらんでいる。



傘をさしてほんの少しだけ歩いた。
万歩計はいつもの半分にも満たないけれど。
どんな日もあってよしと自分を宥めつつ歩く。

しっとりと濡れているあたりの景色もまた良いもので。
若草の緑も木々の芽も喜んでいるのが嬉しくもあった。

おひさまも雲の上で微笑んでいることだろう。
あとは私にまかせておいて。そんな声が聞こえてきそうだった。


雨のまま暮れていくいちにち。なんと平穏な一日だったことだろう。

そうして眠れば朝が来る。それは決して当たり前のことではない。

毎日が奇蹟のように過ぎていく。生きているってこんなにありがたいこと。



2012年02月21日(火) お母さんごめんなさい

曇り日。気温は高めだというのにやはり肌寒い。
おひさまの力ってすごいなあとつくづく思った。

天気予報は明日も明後日も雨だということ。
それも春の兆しだと思えば雨もまた良しだろう。

ひと雨ごとに春が近づいてくるのにちがいない。
晴れたらきっと暖かくなると信じて待っていよう。



川仕事を終え帰宅するなり山里の母から電話がある。
ちょっとしたトラブルがあったようでその報告だった。
おまけに土曜日から体調が悪いとの事で心配でならない。

少しでも助けてあげたい気持ちとどうしようも出来ない気持ち。
身体がふたつあればどんなにか良いだろうかと無理な事を考える。

だいじょぶ。なんとかなるから。母はいつも気丈だった。
その気丈さに私はどんなにか救われていることだろうか。

自分には優先しなければいけないことがある。
いま目の前に与えられている事を精一杯やるしかないのだと思った。

出来る事をする。出来ない事はどんなにもがいても出来ないのではないか。


そんな母の苦労をよそに自分は平穏な一日を過ごす。
それが決して当たり前のことではないのだと実感した一日でもあった。

ゆるやかに流れる大河。そのほとりでひっそりと静かな日々を送っている。

穏やかなひとがいつもそばにいてくれて私も穏やかでいられるのだった。


お母さんごめんなさい。それが今の私です。




2012年02月20日(月) ゆったりほっこり

先日の雪が嘘のようにすっかり暖かくなる。
ほっとして仰ぐ空からはまるで春のような陽射しが降り注ぐ。

このまま春になってくれたらどんなに良いだろうかと思った。
梅の花も咲くだろう。菜の花も咲くだろうと心に花を咲かせる。


午前中に川仕事を終え、午後からドコモショップに行って来た。
彼のケイタイが古くなり新しいのをなんとなく欲しがっていたから。
少し早目の誕生日プレゼントだと思い奮発して買ってあげる。

そうしたらまるで子供のように喜んで笑顔でいっぱいになった。
彼が嬉しいと私も嬉しい。思い切って買って良かったなあって思う。

欲しいものがあってもいつも遠まわしではっきりとは言わないひと。
そういうところがいじらしくてちょっと好きだなって思ったりする。

お父さん、電話かかってくると良いねなんて言いながら茶の間で過ごす午後。


少しお昼寝もしてのんびりとしてからいつもの散歩に出掛けた。
暖かいと散歩も楽しい。あたりの風景も穏やかで好きだなと思う。

ゆったりとした気持ち。ほっこりとした気持ちはとても幸せだった。

ずっとこんな日々が続いてくれたらどんなに良いだろうか。

ありがとうございました。今日もこころから手を合わす。



2012年02月19日(日) すくっと前を向いて

今日は二十四節気の「雨水」
空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃という。
まだまだ寒さは厳しいけれどその寒さも峠を越えたのかもしれない。

きっとかならず春は来る。すくっと前を向いて歩んでいきたいものだ。


昨日から家業の海苔漁が始まった。
例年よりも遅いスタート。海苔の生育もいまひとつだけれど。
毎日こつこつと頑張っていればそれなりの成果はあるのだと思う。
何事も順調だとは限らない。不安もあるけれど希望を持って臨みたいものだ。

初日の昨日は久しぶりの力仕事が堪えたのか、夕方から体調悪し。
ひどい吐き気におそわれ夕食も食べられずに早々と床についてしまった。
年々体力の衰えを感じる。そうしてついつい弱気になってしまったけれど。

今朝は嘘のように気分が良く、さあ頑張ろうと勇んで川へ向かった。
弱気は禁物だなとつくづくと思う。なんのこれしきと立ち向かって行きたい。


いつもの散歩も怠けているわけにはいかずぼちぼちと頑張ってみた。
さすがに隣の地区までは行けなかったけれど、目標の5千歩を超える。
やってやれないことはないのだなと少し自信もつき嬉しくなった。

お大師堂では若いお遍路さんが寝袋に包まってぐっすりと眠っていた。
よほど疲れていたのだろう声をかけてみたがぴくりともしなかった。
これは起こしてはいけないと察し、そっと手を合わせて帰路につく。

うちの息子よりも若いように見えた。寝顔はまるで少年のようなお遍路さん。

寒い中歩き通し、お大師堂に着いてほっとしたのかもしれない。
どうかゆっくりと疲れを癒してほしい。そうして明日に向かってほしいと願う。

がんばっているひとがいる。それがどんなにか励みになることだろう。

私も与えられたことを精一杯に。明日もがんばりたいなと思った。



2012年02月17日(金) ありがたいこと

ほんの少し暖かくなったのもつかのま。
また寒波がやって来て小雪がちらつく寒いいちにち。

ひとやまふたやまと山を越えているような日々。
前を向いて歩いていればきっと春の野原に辿り着くだろう。

もう少しあと少し。寒さになんか負けてなどいられない。


散歩も頑張った。歩いていると身体がとても温もってくる。
おいちにっおいちにっと自分を励ますようにたくさん歩く。
目標の5千歩を超えるとすごく嬉しい。明日も頑張ろうと思う。



帰宅するなり息子からメールがあり、晩飯たのむとのこと。
そろそろ来る頃ではないかなと思っていた勘が当たったようだ。
けれども今夜は父親が飲み会のため買物もしていなかった。
さあてどうしようかな。そうだ出来てるカレーにしよう。

なんとも手抜きの夕食だというのにそれでも息子は喜んでくれた。
ふたりで向かい合ってあれこれとおしゃべりしながら食べる。

仕事の話し。相変わらず大変だけれどそれも慣れてきたとのこと。
喉元過ぎればなんとやらで以前ほどの辛さがないのが何よりだった。

頑張って!とは決して言わない母。それが息子にはとても良いようだ。
そうか、そうかと相槌を打つ。話しを聞いてあげるだけで良いのだった。

明日も明後日も仕事休みなんだ。息子は嬉しそうに帰って行った。
ゆっくり休みなさいよ。後姿に声をかける。母はとてもほっとしている。

子供たちの名を呼びながら毎日手を合わすのが日課だった。

守ってくださってありがとうございます。今夜は感謝の気持ちでいっぱいだった。



2012年02月16日(木) 夢は叶えるためにあるんだよ

雨のち曇りそして晴れ。久しぶりのおひさまがとても嬉しい。
うきうきしながら仕事から帰って来た。さあ散歩の時間だよ。

今日はいつもとは違う道を歩いてみようと決めていた。
通称「あかめ道」と呼ばれている川沿いの細い道だった。
お大師堂から上流へ向かってひっそりとした竹林の中を歩く。

落ち葉がたくさん。椿の花も落ちていてはっと上を見ると。
そこに椿の木があり可愛らしい紅い花がたくさん咲いていた。

毎年咲いていただろうにこうして見るのは初めてだった。
もっと早く気づいてあげれば良かった。これもちいさな春。

嬉しくなってどんどん歩く。そうして県道に出ると西隣の地区に着く。
ずいぶん歩いたなあと満足感でいっぱいになったのだけれど。
万歩計を見ると5千歩足らず。いつもと変わらない結果であった。

けれども今日の目標の札所に着いた。それだけで嬉しくてならない。
ほんとうはもっと険しく厳しい道なのだろう。実際に経験したいものだ。
そのためにも日々少しでも足腰を鍛えておきたいと思っている。

9年前に亡くなった父が生前お遍路さんをしていたこと。
私が生まれる前に亡くなった曾祖父は石鎚山の山伏だったこと。

その血を受け継いでいることをほこりに思う。
私もやればきっと出来る。いつかきっと私もお遍路さんになりたい。

夢は叶えるためにあるんだよって言ったあるひとの言葉が身に沁みる。



2012年02月15日(水) あしたがあるさ

今日も雨になってしまった。昨日よりもずっと冷たい雨。

どうか夕方にはやみますようにと祈っていたけれど降りやまず。
仕方なく散歩を諦めてしまった。しょんぼりと残念でならない。

まあどんな日もあるものだからと自分を宥めてみる。
出来る日に出来ることを。それがいちばんかもしれない。

夕暮れ間近。あんずのおしっこだけは行かなくちゃと。
小雨の降る中を駆け足で土手にあがりすぐに引き返してきた。
雨に濡れるのを嫌がるあんずも一目散で大急ぎなのがちょっと愉快。

予報では明日は晴れマーク。きっとゆっくりと散歩が出来るだろう。
また寒くなりそうだけれど、おひさまが寒さを和らげてくれるかもしれない。

楽しみにしていよう。明日はお遍路万歩計も12番札所に着く予定。
聞くところによるとそこは「遍路ころがし」という難所なのだそうだ。
お遍路さんも転ぶほどの急斜面だという。どんなにか辛い道だろうか。

その辛さを体験することは出来ないけれど、「よっし!」と気合が入る。
頭の中でイメージしながらいつもよりたくさん歩いてみたいものだ。

明日のことを考えている時間はとても幸せに思う。

ある日突然という不安を抱えながらも明日に向かえることのありがたさ。

あしたがある。あしたがある。あしたがあ〜る〜さ♪




2012年02月14日(火) 雨上がりの散歩道

春を思わすようなやわらかな雨が降ったりやんだり。
気温も昨日よりも高くなり暖かさにほっと息をする。

今日も散歩に行けないかなとあきらめていたけれど。
ちょうどその頃には雨がやみ気分がぱっと明るくなった。

水たまりをよけながら雨上がりの道をてくてく歩く。
土手の緑がずいぶんと多くなった。しっとりと濡れて。
若草の匂いがあたりじゅうに漂っているのが心地よい。

どこまでも歩いて行きたくなってまたお隣の地区まで行ってみる。
もう少しもう少しと進んでいたらあんずが先に疲れてしまったようだ。

ごめんね。しんどいねってあやまりながら仕方なく帰路についた。
帰り道はとぼとぼ。ずいぶんと歩いたものだと我ながらおどろく。
万歩計が初めて6千歩を越えた。やったぁっと嬉しくてならない。

何かを始めたいと思っていたけれど、もう始めているのかもしれない。
そう思うとすごく励みになって明日も頑張ろうと気合が入ってくる。

毎日少しずつの積み重ね。ちっぽけなことだけれどいつか大きくなる。

諦めないこと。投げ出さないこと。続けるってことが大切なのだなと思う。


ようし、明日も元気に歩きましょう!



2012年02月13日(月) 胸をはって生きよう

冷たい雨のいちにち。春の兆しだと思っていても。
なんとなく気分が沈んでしまってしょんぼりと過ごす。

いつものように散歩に行けなかったせいもあるだろう。
溌剌とした気分にはなれずすっかり無気力になってしまった。

どうしたことかひどく昔々の出来事をふと思い出したりした。
後悔なのか懺悔なのか。どうしてあんな事をしたのだろうと思って。
けれどもあの時はああするしかなかったんだと自分を宥めてもみる。

とりかえしのつかないこと。誰にだってひとつくらいあるのかもしれない。
忘れようと思っても一生忘れる事の出来ない「あやまち」のようなこと。

しばらくのあいだくよくよと思い出してはほろほろと涙がこぼれてきた。
なんだか遠い過去の世界から手が伸びてきて頬を打たれたような気分だ。

痛いな。ああこんなに痛いことだったんだとあらためて思う。


そうしてやっと暗い穴のそこから這い上がってきていまここにいる。
ここは穏やかでなんとあたたかく優しい場所なのだろう。

ずっとずっと長い旅をしてきて辿り着いた私の居場所なのかもしれない。

ここでいい。ここがある。もうどこにも行かなくてもいい。

冷静に考えてみるとそんな過去のおかげで今の自分がいるのだと思う。
その「あやまち」をしないでいたら私の人生が大きく変わっていたことだろう。

だからゆるす。他の誰よりも自分自身でわたしのことをゆるしてあげたい。

だいじょうぶ、生きているのだもの。だいじょうぶ。胸をはって生きよう。



2012年02月12日(日) ぽかぽか日和

朝の寒さがうそのように日中はぽかぽかと暖かくなる。
つかのまの春のよう。嬉しくなって心がおどっていた。

こんな日は散歩も楽しみで、いつもよりたくさん歩く。
大橋のたもとの県道を横切りお隣の地区まで行っていた。

河口まで続くながい土手の道。ずっと歩いていけたらどんなに良いだろう。
海が見たいなあって思った。潮風に吹かれてみたいなあってすごく思った。

10年くらい前のことだろうか。その道をジョギングしていた頃があった。
まだ体力もあり私も若かったんだなあって懐かしく思い出したりした。

今は歩くのが精一杯。昔はむかしのこと。今出来る事を頑張ろうと思う。


残念だったのは投げ捨てられた空き缶があまりにも多かったこと。
いつもポケットに入れてあるビニール袋にそれを拾っては入れた。
帰る頃にはそれが袋からあふれんばかり。なんとも嘆かわしい事。

良い事をしているんだとかそんな気持ちはまったくなくて。
見て見ぬふりが出来ないというか、私の性分であるのだと思う。
少しでも綺麗になったなあって嬉しい。嬉しいからまた拾うのだ。

これはこれからも続けたいこと。歩きながら出来ることがちゃんとある。



そうしていちにちが暮れていく。夕焼けがとても綺麗だった。

気がつけばずいぶんと日が長くなっている。それも嬉しいこと。

茜色の空に飛行機雲がふたつ交差するように描かれていた。

明日は雨になるのかな。それも春の兆し。のんびりと春を待っている。



2012年02月11日(土) 奇蹟のように思うこと

雲ひとつない青空。こころまで澄みわたるようだった。

ぽかぽか日和を期待していたけれど、思いのほか風が冷たし。
けれども降り注ぐ陽射しを浴びているとほんの少し春を感じる。


せめて休日ぐらいはたくさん歩こうと元気に散歩に出掛けた。
風の冷たさも忘れて川辺の道をてくてくと歩いて行く。
きらきらと眩しい川面。遊覧船がゆっくりと行き交う。
水鳥がぱしゃぱしゃと音をたてて空に舞い上がっていく。

ああわたしもここにいるんだなっておもった。

ちゃんと生きているんだなって深呼吸をした。

命あることがふと奇蹟のように思うことがある。
ある日突然にそれを失ってしまうことがこわい。
誰も知らせてはくれない。神様だけが知っていること。
永遠に続く明日などないのだとあらためて思ったりした。
無欲でありたいけれど生きたいという欲だけは捨てられないでいる。

その欲を受けとめることが「生きる」ということなのかもしれない。

平穏無事。それもまた奇蹟であるように思う。
けっしてあたりまえではないことを忘れてはならない。

だからこそ手をあわす。感謝する気持ちが大切なのだとつくづく思う。

茜色に染まる空が明日につながっていること。

希望を失くしてはいけない。その希望こそが奇蹟につながっているのだから。



2012年02月10日(金) 春とかくれんぼ

うす曇の空模様だったけれど日中は少しだけ暖かくなる。

今朝の新聞で福寿草の記事を読んだ。
雪の中から微笑むように咲くその花のなんと可愛らしいこと。
福寿草。その名を聞いただけでほっこりとあたたかくなる。
遠いその町へ行ってみたくてたまらなくなった。
この目でその花を見ることが出来たらどんなに良いだろうか。

ちいさな春。気づかないでいる春がすぐ近くにもありそうな気がする。
見つけてほしくて待っているかもしれないなって思う。

耳を澄ますこと。目を澄ますこと。こころを澄ますことが大切なのだ。

散歩道を歩きながらそんな春をさがしてみる。
「もういいかい」「まあだだよ」かくれんぼをしているみたいに。

タンポポさんはもう少し待っていてねって言った。
緑の手のひらをひろげてみても顔を出すのが照れくさいようだ。

こちょこちょっとこそばしたら笑いながら出てきてくれるかも。

かくれんぼって楽しいな。目をつむって十数えたらみんな見つけちゃうよ。







2012年02月09日(木) 怠惰ないちにち

夜明けとともに雪が積もり始める。
いったい今季何度目の積雪だろうか。
つかの間の雪だとわかっていても。
どうにも気分が怠惰になってしまっていけない。
山里へ向かう気にもならず今日もさぼってしまった。

そうして炬燵にむぐりこんだままぬくぬくと過ごす。
買物に行くわけでもなく何をする気にもならなかった。


あと10日ほどすれば海苔漁を始められそうだと彼が言う。
それは良かったと安堵しつつも少し複雑な気持ちになった。
ひとつしかないこの身体。あちらをたてればこちらがたたず。
結局山里の仕事を後回しにしなければいけないのが目に見えている。

年々老いていく母。去年は何とかなったものの今年が心配である。
せめて週に一回と月末ぐらいは助けてあげられたら良いのになと思う。

始まってみなければわからない事をあれこれと思い悩むのが私の悪い癖。
もっと気楽に、もっとど〜んと構えていられるような性格になりたいものだ。


炬燵でぬくもり過ぎたのか、いつもの散歩も億劫でならない。
それではいけないと気合を入れて外に飛び出したものの。
雪解けの風のなんと冷たいことか。ぶるぶると震えてしまった。
お大師堂まで行くのがやっとですぐに引き返し帰って来るしまつ。

どんな日もあるさと自分を宥めるように言い聞かしていた。
今日は3700歩しか歩いていない。まっいいか・・・。

あしたはあしたの風が吹くだろう!少しでも暖かくなりますように。






2012年02月08日(水) あくびちゃん

雪が降ったりやんだりのなんとも寒いいちにち。
もうじゅうぶんに耐えたつもりでいたけれど。
まだまだ冬はどっしりと腰を据えているようだ。


そんな寒さの中、検診日だったサチコが顔を見せてくれる。
楽しみなのはお腹の赤ちゃんの映像だった。
わくわくどきどきしながら三人で見入る。

ちょっと心配なのはでんぐり返りをし過ぎて逆子になっているよう。
けれども元気に動き回っているので、大丈夫だろうと言うことだった。
あと三ヶ月。生まれる時には正常であってほしいと願うばかりである。

思わず微笑んでしまったのは「あくび」をしているところ。
ふぁっとゆっくりと口をあけてそれを三回もして見せてくれた。
そのしぐさがなんとも可愛いくて感動でいっぱいになってしまった。

「あくびちゃん」だね。生まれるまではそう呼ぶことにする。

男の子なのか女の子なのか。今のところおちんちんは見えておらず。
おそらく女の子ではないだろうかと言うことだった。

女の子が良いなってサチコも楽しみにしている。
でも生まれてみたら男の子かもしれないよねって笑っていた。

どちらでもいい。丈夫で元気な子であってさえくれば。

あくびちゃん。みんなの声が聞こえていますか?

お父さんもお母さんも。おじいちゃんもおばあちゃんも。

あくびちゃんに会えるのをこんなに楽しみにしているんですよ。



2012年02月07日(火) 風邪ひかんようにね

朝のうちは暖かく感じていたけれど
お昼頃から寒くなり一気に冬が戻ってくる。

夕方の散歩の頃には冷たい風が肌を射していた。
急激な温度差のせいかお腹がしぶしぶと痛くなる。

それでも歩かなくちゃと万歩計を横目に頑張ってみた。
このところずっと目標の5千歩を超えていてちょっと嬉しい。



「晩飯食べさせてよ」息子が久しぶりに顔を見せてくれた。
一昨日の父親の還暦祝いには仕事で帰って来ることが出来なかった。
近いうちに焼肉おごってやるからなって父親と約束をしていた。

夕食は我が家特製の「すきやき鍋」を作った。
例のごとくおうどんをたっぷり入れた煮込みうどん風のすきやきである。

私はお腹の調子が悪く少ししか食べられなかったけれど。
目の前でふたりの男が「うまい、うまい」と言って食べてくれた。

それがすごく嬉しくてお腹の痛いのも忘れてしまったほどだ。
ささやかな物でも喜んで食べてもらえるのはほんとうにありがたいこと。


食後の後片付けをしている時に息子が慌しく帰って行く。

「風邪ひかんようにね」その後姿に母の思いがいっぱい詰まっている。





2012年02月06日(月) つかのまの春に

今日もやわらかな雨が降ったりやんだり。
気温も高く暖かくなりすっかり春のようだった。

つかのまの春とわかっていてもなんともほっとする。
こんな日があるおかげで寒の戻りにも耐えられるのだろう。


散歩の頃には雨もやんでいていつものようにゆっくりと歩く。
雨上がりの道には水の匂いが漂いそれがとても心地よく思えた。

最初はぐんぐん先を歩いていたあんずが帰り道では後ろになった。
何度か振り向いてはその顔を覗くと「ちょっと疲れた」と言っているよう。

彼女も日に日に老いているのかもしれない。
いつもはとても元気なのにと今日は少し心配になってしまった。

犬は一年で七つ年をとるという。寿命を思うとふと切なさが込み上げてくる。

けれども晩ご飯は待ってましたとばかり食欲旺盛であった。
ドックフードの上に肉じゃがをのっけてあげたから大喜び。

がつがつと食べている姿はとても微笑ましくてほっとした。



2012年02月05日(日) 彼の背中

やわらかな雨となる。それが雪ではないというだけで。
なんだか春が始まったように思えてほっと空を仰いだ。

これからはひと雨ごとに春めいてくることだろう。
寒の戻りはあるとしても確実に春はやってくるのだ。


今日は彼の還暦のお祝いがあった。
地区の集会所に神主さんが来てくれて御祈祷をしてくれる。
その後は地区の人達が集まってくれて盛大な宴会となった。

宴会はそこだけでは終らず今度は自宅でその続きをする。
従兄弟達が集まってくれてそれはにぎやかな宴となった。

もう還暦なのか。しみじみと歩んできた人生を思う。
彼の人生に自分の人生を重ねるように過ぎ去った日々を思う。

いったいどれほどの苦労を乗り越えて来たことだろう。
辛いこともたくさんあったけれど今はこんなに幸せである。

彼がいてくれたこそ。彼なくしては越えられない山もあった。
手を繋ぐことはしなかったけれど、いつも彼の背中を見ていた。

「俺について来い!」口には出さなくてもいつもそう感じていた。

おとうさんありがとう。おかげで私も生きていることができます。

喜寿。米寿と、ともに長生きができたらどんなに良いだろうか。



2012年02月04日(土) 春は名のみの

待ちわびていた立春ではあったけれど。
早春賦の歌詞にあるように「春は名のみの 風の寒さや」

その風の冷たさに少しくじけそうになってしまう。
けれどもおひさまがいっしょうけんめい頑張っていたいちにち。

やがて梅の花の便りも聞えることだろう。
土手にはタンポポの花が可愛らしく咲き。
畑には菜の花の黄色が微笑むことだろう。

冬がやっと後姿を見せてくれたのだ。
見送るこころの準備を始めたいなと思った。

さらば冬よ。何度だって振り向いてみるがいい。

さらば冬よ。忘れ物は空がきっと届けてくれる。


もう少しの辛抱とこころのなかで種がじっと耐えている。

むくむと背伸びしたいな。その芽が早くおひさまにあえますように。



2012年02月03日(金) 鬼はそと福はうち

節分の朝。気温はマイナス5度。
この冬いちばんの冷え込みとなった。

台所にいて吐く息が白いのにおどろく。
作っていたお味噌汁の湯気があたたかい。



道路が凍結しており少し遅れて出勤する。
途中でスリップ事故を目撃し身震いをした。
はらはらどきどきしながら無事に職場に着く。



晩ご飯は恵方巻き。わかめスープも作った。
北北西はこっちかなと無言で食べようとしたけれど。
あまりに美味しかったので「うまい!」と呟いてしまった。
食べる時にしゃべってはいけないなんて迷信だと良いな。

夕食後、豆まきをしようと彼を誘ってみたけれど。
俺は嫌だと言ってとりあってくれなかった。
今年還暦で年男なのにと残念でならない。

仕方なくひとりで豆まきをする。
「鬼はそと福はうち」大きな声を出すのはちょっと照れくさい。

今のささやかな幸せがずっと続きますようにと願う。

このままでじゅうぶんなのだ。これ以上の福などいらない。

ありがとうございました。

鬼が潜んでいるかもしれない夜にそっと手を合わす。





2012年02月02日(木) 雪やすみ

明け方から雪。どんどんと積もり始めてあっという間に銀世界になる。
冷たさも忘れて窓を開けしんしんという音に耳を澄ませていた。

雪は好きだけれど。雪は怖い。雪国では亡くなった人も多い。
南国のつかの間の雪などほんの些細な事のようにも思えるけれど。

仕事は自宅待機となった。無理をしたくないのが本音である。
わずか5時間のパート。今日のことは明日でも良いかなと思う。

「雪やすみ」と称しおかげでのんびりと過ごさせてもらった。
雪道を散歩したいなって思ったりちょっとわくわくもしていた。

そんな雪も午前中に降り止む。青空が見え始めたと思っていたら。
あっという間に雪がとけてしまってなんともあっけない雪になる。

なんだか夢をみていたような気分。朝の雪が嘘のようであった。


午後はまた風が強くなる。少しでも歩こうといつもの散歩道を行く。
一歩でも多くと思う。昨日よりも遠回りをしてゆっくりと家に帰った。



夕方のニュースで「ヒートショック」の話題が流れていた。
冬は浴室などの温度差で命を落す人がとても多いのだそうだ。

それを聞くと大好きなお風呂がとても怖くなってしまった。
はだかんぼうで死んでしまったらどうしよう。
そんな死に方だけはしたくないけれど死ぬかもしれない。

どうか無事でいられますようにドキドキしながらお風呂に入った。

死がこんなにも身近なものなのかと思うと不安でならない。

生きたい生きたい。そればかりを願っている欲深い私であった。




2012年02月01日(水) とにかく一歩

今日から二月。立春を目前にしてまたもや強い寒波。
灰色の空。時折り時雨れては今にも雪に変わりそうだった。

夕方から北風が強くなり今も窓ガラスを揺らしている。
ひゅるひゅるとうなり声。空は何を怒っているのかしら。

万歩計も5千歩足らず。寒いと散歩も億劫になっていけない。
でもこれだけは三日坊主にしたくない気持ちでいっぱいだった。
歩けない日もあれば歩ける日もある。とにかく一歩を大切にしたい。


毎日がたんたんと過ぎていくばかり。
いつも背中を押されているような感じで前へ進んでいる。
二月になってはっと思ったこともなきにしもあらず。

私は何を織っているのだろうか。ちゃんと織れているのだろうか。
縦の糸と横の糸。それを手さぐりでさがすような毎日であった。

それは生きてみないとわからないことなのかもしれない。
どんなに時に流されてもたどり着くところがきっとあるのだろう。

道しるべもなにもない。曲がりくねった道に立っているような気持ち。

この道でよいのかな。このままでよいのかなと思いながら踏み出す一歩。

そうして生かされているのならとことん生き抜いてみたいものだ。


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