ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2011年12月31日(土) 織りつづけて

今年もいちまいの布が出来上がりました。

ほんの少しちぐはぐとしていてかっこ悪いけれど。

ほほをよせてみるとふんわりとやわらかな布です。

ありのままでいられることはとてもしあわせなこと。

まがっていてもほころびていてもそれが愛しいもの。

ていねいにたたんでこころの引き出しにそっとしまいます。


たくさんの縁にめぐまれたこのいちねんでした。

そうしていただいた糸で織り続けることができました。

ありがとうございます。手を合わすたびに感じるぬくもり。

そのぬくもりを宝物のようにおもって抱きしめています。


これからもわたしの日々が続きます。生きているかぎり。

そうしていのちの布を織りつづけていきたいです。




追記:今年最後の日記となりました。
   いつも読んでくださってほんとうにありがとうございます。
   それがどんなにか励みになったことでしょう。
   
   みなさまどうかよいお年をおむかえください。



2011年12月29日(木) だいじょうぶだよ

朝の寒さがゆっくりと和らいでいく。
やわらかな冬の陽射しがとてもありがたい。

今年もあとふつか。あらあらと言う間に日々が流れてきた。
特に12月の早いこと。師走とはよく言ったものだとおもう。

そんな日々を少しでも丁寧に生きようとずっと思ってきた。
自分ではよくわからない。とにかく精一杯だったようにも思う。

なにか大切なことを忘れてはいなかったか。

このままで良いのだろうかと自問することも多い。

だいじょうぶだよともうひとりの自分がこたえる。

きっとやれるだけのことを成し遂げたのだろうとほっとする。

ああすれば良かった。こうすれば良かったと思うこともあるけれど。
過ぎたことは取り返しがつかないのが世の習いである。

だから前を向く。これまでのことよりこれからを大切に生きたいと思う。


だいじょうぶだよ。だいじょうぶだよ。だいじょうぶだよ。



2011年12月28日(水) ふつうに暮らしてきて

山里はいちめんの霜の朝だった。
先日の雪がまだ残っている場所もある。

一番のりした職場で暖房を入れ皆が揃うのを待つ。
「おはよう」と笑顔で迎えるのが自分の役目のように思った。

仕事は今日も多忙。なんとか30日には仕事納めが出来そう。
今年もいろんなことがあったけれど無事にここまで辿り着く。
難破船のような職場だというのに誰ひとり諦める事がなかった。


職場の庭に今年も千両が紅い実をたくさんつけていた。
好きなだけ切って持って帰りなさいと母が言ってくれる。
仕事帰りにピンクの菊の花を買いさっそく床の間に活ける。
後は榊と鏡餅をそなえれば我が家にもお正月がやって来る。

リセットするにはあまりにも大きな震災のあったこの一年。
そのことを決して忘れず希望を持って一歩踏み出したいものだ。

これまで当たり前のように思っていたことがとても尊い。
日々の暮らしの中で自分がどんなに恵まれているかを思い知った。

それが私の今年のすべてであると言っても良い。

心苦しく思うこともたくさんあったけれど。

ふつうに暮らすことがいちばんなのだよとおしえてくれた友もいた。

その言葉にどんなにか救われたことだろう。


そのふつうをこれからも守りたい。それはとてもありがたいことだもの。



2011年12月27日(火) 一番星を見つけた

寒波も峠を越えたのか日中は少し暖かくなる。
やわらかな冬の陽射し。陽だまりのような心になりたい。


仕事は昨日の今日で朝から緊張していたけれど。
荒波がたつこともなく無事にいちにちを終えた。
このまま平穏に仕事納めが出来たら良いなと思う。

ひとのこころはそれぞれだけれど。
ちょっとした一言で機嫌を損ねてしまったり。
誤解を招くようなこともあるのかもしれなかった。

むつかしいね。ひとって。つくづくとそう思う。


家に帰ればいつも穏やかなひとが迎えてくれる。
それがどんなにかありがたいことだろうか。
土曜日に作ったおでんがまだ残っていて。
お昼に食べてしまえば良かったのにと言うと。
残しておけばおまえが楽だろうと笑いながら応える。


どんぐりころころのお散歩。お大師堂のお参り。
いつもと変わらない平穏な時間が過ぎ今日も暮れる。

あたりが薄暗くなった頃。一番星を見つけた。

そのすぐそばには細くて折れてしまいそうな月が見えた。



2011年12月26日(月) どんな日もあるよね

今朝はこの冬いちばんの冷え込みだったようだ。

道路凍結を心配しながらおそるおそる山里へと向かう。
やはり山道には雪がかなり残っていてはらはらとする。

無事に山里へ着いたもののいちめんの雪景色におどろく。
10センチ程の積雪。平野部よりもずっと雪が多かったようだ。



年末に向けて少し慌しい職場。なんだか落ち着かない。
ちょっとしたトラブルもあり声を荒げ怒鳴る人もいる。
それがとても悲しかった。どうして赦してあげないのだろう。
穏やかな心を掻き回されたような気分になってしまう。

気にしないでいようねと母が精一杯微笑んでくれた。
私も気を取り直し母のように微笑んでみる。

どんな日もあるものだ。明日はみんなが笑顔だと良いな。



帰宅するなり散歩に出掛ける。
今日もどんぐりころころだった。

昨夜ネットで調べてみたら、やはりどんぐりころころどんぶりこだった。
おまけに作者不詳の三番の歌詞もあることがわかった。

どんぐりころころ泣いてたら

仲良しこりすがとんできて

落ち葉にくるんでおんぶして

急いでお山につれてった


今日はちゃんと三番まで歌いながら歩く。

どんぐりころころにこりすのお友達がいて良かったなあって思った。





2011年12月25日(日) 初雪

目覚めると雪が降っていた。なんとも冷たい朝。
みるみるまにあたりがうっすらと雪化粧をする。

寒さには弱いけれど雪を見ているのが好きだった。
はらはらと舞いおりる純白の天使達のように思える。

たくさん積もれば良いな。そう思ったのもつかの間。
すぐに子供たちのことが心配になり首を横に振っていた。

雪道の怖さ。サチコは無事に仕事に行けるだろうか。
夜勤明けの息子はもう帰り着いているかしらなどと。

大丈夫さ。すぐにやむよ。父親はいつも平然としている。

そんな彼の言葉通り雪はすぐに降り止み青空が見え始めた。
そうして陽射しがあっという間に雪をとかしてくれていた。

やはり冬の陽射しはありがたいもの。そのやわらかさにほっとする。



いつもの散歩。今日もどんぐりころころを歌いながら歩く。
どんぐりころころどんぐりこではなくって。
どんぐりころころどんぶりこではなかったかしら。
お池にはまる時はやっぱりどんぶりこかもしれない。


お大師堂では約束通り昨日のお遍路さんと会うことが出来た。
良き休養日となったそうで体調も少し楽になってきたという事。
明日からまた歩き始めるそうだ。どうか元気で旅を続けて欲しい。

一期一会。今年もたくさんのお遍路さんとご縁をいただいた。

ささやかな縁であっても私にとってはすべてが宝物のように思える。



2011年12月24日(土) どんぐりころころ

きりりっと身が引き締まるような寒さ。
おひさまがゆっくりとあたりを和らげてくれる。


クリスマスイブ。と言っても特別な日には思えず。
子供たちが小さかった頃を少しだけ思い出したりする。
なんだかすごく昔のことのように思えて懐かしかった。



冷たい風のなか散歩をしながらふと歌い始めていた。
どんぐりころころどんぐりこお池にはまってさあ大変。

すると不思議と足が軽くなっていつもよりたくさん歩けた。
なんとも楽しい気分。歌にはパワーのようなものがあるみたい。

どじょうが出てきてこんにちは。あんちゃん一緒に遊びましょ。

あんずは聴いているのかしら。楽しいなあって思ってくれたらいいな。



お大師堂では先月始めに出会ったお遍路さんと再会する。
ちょうど50日くらいだろうか。また巡って来てくれたのだ。
やはり寒さが身に堪えるのだろう風邪気味だと言うことである。
とにかく休養をとすすめると喜んで頷いてくれてほっとした。
明日も会う約束をして別れる。少しでも元気になってくれたらと願っている。

夏の猛暑。冬の寒波。これまでどれほど乗り越えてきたことだろう。

終りのない旅なのかもしれなかった。それがとても尊いことに思えてならない。




2011年12月23日(金) 幸せなこと

やはり寒波がやって来た。
雪こそ降らないけれどなんとも寒い一日。

三連休のうちに大掃除の真似事をと思っていたけれど。
水仕事も嫌になりほとんど手をつけられず怠けてしまう。
毎年のことだけれど手抜きが多い。それでも新年はやって来る。



夕方になり息子がまた帰って来てくれた。
今日は先日よりもずっと元気でとてもほっとする。
食欲旺盛なのが何より。大盛りご飯を二杯も食べてくれる。
笑顔でいてくれるのがとても嬉しい母であった。

明日は夜勤。大晦日も夜勤になっているようだ。
イブも正月も関係ないからなと言っていたけれど。
元旦には夜勤明けでまた顔を見せてくれそうだった。

以前のようにはいかないけれどなんとか家族が揃いそう。
どうかみんなが笑顔で新年を迎えられますようにと祈るばかり。

この一年。多少の苦労はあったけれど家族皆が無事でいてくれて良かった。

それが何よりも幸せなことなのだとつくづく思っている。



2011年12月22日(木) 銀杏の葉

この冬いちばんの寒波が南下して来ているらしい。
寒い週末になりそうだ。もしかしたら雪が降るかもしれない。


今日は冬至。山里の職場で柚子をもらった。
冬至ならではの柚子湯。なんとも身体が温まる。
これで風邪も引かず元気に冬を乗り越えられそうだ。

そうでなくても最近はとても体調が良い。
健康でいられることはほんとうにありがたいことだ。


帰宅するとすぐに散歩に出掛ける毎日である。
以前に比べるとずいぶんとその距離も長くなった。
もう歩けないと諦めるのではなくもっと歩けると。
信じるような気持ちで散歩を楽しめるようになった。

今日は久しぶりにあんずを連れてお大師堂まで歩く。
嫌がって泣き叫ぶだろうと覚悟はしていたけれど。
思いがけずにご機嫌でおとなしく待っていてくれた。

銀杏の葉がたくさん落ちていてそこに繋がれているあんず。
それがなんだか絵のように見えてとても微笑ましかった。

待たせたお詫びに銀杏の葉をかき集めて頭にかけてあげた。
「なにするの!お母さん」最初は少し途惑っていたけれど。
すぐにそれが遊びだとわかったのか、喜んではしゃぎ始めた。

ほうれ、ほうれと私も愉快になってきて一緒にはしゃぐひと時。
なんとも楽しい。こんなに喜んでいるあんずを見たことがない。

もしかしたらずっと寂しい思いをさせてきたのかもしれない。

今からでも遅くはないだろうか。これからはもっと一緒に遊ぼうね。



2011年12月21日(水) ありがとうございました

今日も穏やかないちにち。

年末の気忙しさも少しはあるけれど。
ゆったりとした気持ちでいられる時がありがたいものだ。

あれもこれもしなくてはと焦る気持ちが今年はあまりない。
まあなるようになるだろうとど〜んと構えているような感じである。

あと10日もすれば今年が終わるのかと感慨深く思うことも多い。
今年は特に大変なことがあってこんなに心を痛めた年はなかった。
そんな年が終わるのだとしてもどうして忘れることが出来ようか。

日々平穏をかみしめるような毎日だった。
普通に暮らし平凡に生きることがとても尊いことのように思えてならない。




いつもの散歩道。毎日見ている変わり映えのしない風景も愛しい。

水仙の花。大きな銀杏の木。鳥がたわむれる栴檀の木。

ゆったりと進む遊覧船。静かに釣り糸をたれる川舟の老人。

「ありがとうございました」今日もお大師堂で手を合わす。



2011年12月20日(火) 豚汁ばんざい!

今夜は豚汁にしてみた。

我が家のは最初からおうどんを入れたりお餅を入れたりする。

だから豚汁と言うより煮込みうどんのお餅のせみたいになる。

そうして私だけ桃屋のキムチの素をぶっかけて食べるが好き。

それがとても美味しいのである。なんとも身体が温まるのである。

紅く染まったおうどんやお餅。お豆腐や白菜もめっちゃ美味しい。

ご飯は一口も食べずにそればかりをお椀に四杯ほど食べてしまった。

いやはや満足この上ない。こんなに幸せで良いのかしらと思うほど。


明日の朝には残り汁にまたおうどんとお餅を投入するつもりである。

うまくいけば明日の夜も食べられそうである。なんかわくわくしてきた。



2011年12月19日(月) 夢を買ってみる

日中は少し暖かくなる。やわらかな陽射しがとてもありがたい。

職場の庭の山茶花がすっかり枯れてしまったと思っていたけれど。
近づいて見てみるとまだまだたくさん蕾があっておどろいてしまった。

枯れた花に手を添えて散らしてあげたら良いのだと母が教えてくれた。
桜のように潔くは散れない花。椿のようにぽとんと落ちられない花だ。



仕事帰りに今日こそはと思い宝くじを買いに行く。
今のままでじゅうぶんだと思っていてもそれを買うと欲が出てくる。
まさに夢を買った気分であれこれと想像するのがとても楽しいものだ。

もともと貧乏性なものだからリッチな夢をたくさん抱く。
あれもこれも買って死ぬまでお金の苦労をしなくて済むなんて。
そう思っては首を横に振り、人生がつまらなくなるのかなと思い直す。

当たるはずはないだろう。でも当たったらどうしようなんて。
そのうちすっかり当たった気分になってしまうのが愉快でもあった。


そうして今日も平穏無事に暮れていく。

これいじょうのありがたいことなどほかにはないだろうとふと思う。





2011年12月18日(日) 本日も平穏なり

相変わらずの風の冷たさ。
冬の陽射しがとてもありがたい。

陽だまりであんずがうたた寝をしている。
壁に寄りかかってとろんとろんとしていた。
まるで猫のよう。なんとも微笑ましい光景。


朝のうちに買物に行く。
店内はすっかりクリスマスの彩り。
あと一週間か。駆け足のように過ぎていく毎日。

花屋さんの店先でいろんな花を眺めるのが好きだ。
今はシクラメンがとても綺麗。一鉢欲しくてならない。
けれども結局買わずに帰る。せめて心に花を咲かせて。


午後は義妹が新車を買ってくれそうでダイハツへ一緒に行く。
これも私の仕事のうちで、年内になんとしても売らねばならなかった。
良かった。商談成立。義妹は迷うことなくタントを買ってくれることに。
年が明けてからより良いでしょと言ってくれる。とてもありがたい事だった。


そうして今日も夕暮れ時となりいつもの散歩。
冷たい風のなかおいちにっおいちにっと元気に歩く。

お大師堂には例のお遍路さんがまだ静養中だったけれど。
風邪もずいぶんと楽になったそうで明日は旅立つということ。
そのまま四国で年を越すらしく家に帰る予定は無いのだそうだ。

何か事情がありそうで詳しく訊くのも憚られた。
せめて暖かな場所で無事に新しい年を迎えて欲しいと願うばかりである。



2011年12月17日(土) 負けるなしんちゃん

朝はとても寒かったけれど、日中のひだまりにほっとする。
ふと思い立ち玄関先の庭木にクリスマスの飾りを付けてみた。
殺風景だった玄関のあたりがぱっと明るくなり心も和んでくる。

誰か訪ねてこないかしらと思っていると突然息子が帰って来た。
飾りつけなどにはまったく興味を示さずひどく疲れている様子。

夜勤明けだからと言ってそのまま炬燵にもぐり込んでしまった。
お昼までそっと寝かしてあげようと思いながらも気になってしまい
ついつい寝顔を覗き込んでしまう。青白い顔ぼさぼさの髪そして髭。

なんとも複雑な気持ちになり可哀想でならなくなった。
過酷な職場でありどんなにか疲れていることだろうと思う。

けれども食欲は旺盛でお昼には起きてたくさんご飯を食べてくれた。
それはとてもほっとする光景。食べている時だけは息子も笑顔だった。

来年早々にまた異動がありより過酷な現場に行かされるのだそうだ。
「俺はもうどうなってもいい」などど投げやりな言葉も呟いたりする。
なんという試練だろうと父も母も思う。今度こそ限界なのかもしれない。

頑張らなくてもいいよ。一生懸命でなくてもいいよ。
テキトウなのもいいし。いいかげんだってもいいんだ。

夕方まで寝るから。そう言ってまた炬燵にもぐりこむ息子であった。

父も母もはらはらとするばかり。これが見守るということだろうか。
ただそんな息子をしっかりと受けとめることしか出来なかった。

夕方になりお風呂に入った息子は友達との忘年会だからと帰って行く。
よほど楽しみにしていたのだろう。その頃にはすっかり上機嫌だった。

辛いことばかりではない。楽しいことや嬉しいこともきっとある。
そんな日があるから人って日々を乗り越えていけるのかもしれないよ。

負けるなしんちゃん。乗り越えられない試練を神様は決して与えないのだから。



2011年12月16日(金) 毛糸の帽子

寒波が南下してきたらしく午後からぐんと寒くなる。
山里ではみぞれのような雨が降り今にも雪に変わりそうだった。
西日本の各地から初雪の便り。四万十の初雪も近いことだろう。


帰宅するなり毛糸の帽子を被って散歩に出掛ける。
冷たい風が吹いていても頭だけはほっこりと暖かい。

子供の頃を思い出す。母の編んでくれた帽子が大好きだったこと。



お大師堂には昨日から逗留しているお遍路さんがいた。
風邪をひいてしまって体調があまり良くないという事。
くれぐれも無理をしないようにと伝えることしか出来なかった。

ながい道中いろんなアクシデントがあって当然なのではないか。
野宿ばかりではゆっくりと休める場所など限られているのではと思う。

休める場所でゆっくりと静養してまた元気に歩き出してほしいものだ。

あまり長話も出来ず家路を急いだけれど、明日も会えそうな気がする。


自転車をぐんぐん飛ばして帰る道。やはり毛糸の帽子はありがたいな。



2011年12月15日(木) がんばれ命

少し風が冷たかったけれど穏やかによく晴れる。

山茶花の花が散り始めはらはらとそれは儚い。
けれども南天や千両の赤い実がとても鮮やか。

赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い。赤い実を食べた。

そんな歌をふと口ずさんではその実を愛でる。



今日はサチコの検診日だった。
病院の帰りに家に寄ってくれるというので。
仕事を終えるなり浮き立つような気持ちで家路を急ぐ。

楽しみにしていた写真とビデオを三人で見る。
ひと月前よりもずいぶんと大きくなっている赤ちゃん。
あっちを向いたりこっちを向いたりでんぐり返ったりしていた。

すごいおてんばの女の子か。それともやんちゃな男の子かと。
それはそれは微笑ましくビデオに釘付けになってしまった。

感動したのは五本の手の指がちゃんと見えたこと。
その手も盛んに動いていてなんだかお腹の中で踊っているよう。

きっときっと元気な赤ちゃんが生まれるのにちがいない。

なんだか夢を見ているような気持ち。小さな命が確かにそこで生きている。



2011年12月14日(水) しあわせ

今朝の山里は深い霧につつまれていた。
日が昇るにつれてその霧が晴れていく。
しっとりした空気に光が降り注ぐ様は。
なんとも清々しく心地よい光景であった。

ときどきじぶんもそんなときがある。
わけもなくもやもやとしているときに。
きっかけのように光がさしてくるときが。

ああ生きているんだなってすごく感じる瞬間。



今日も平穏無事。なんとありがたいことだろう。
まわりがすべて穏やかに見えて自分も穏やかでいられる。

波風をたてないようにつとめる。静かな湖のように。
もしも荒れたとしたらそれはきっとじぶんのせいだろう。



散歩道を歩けば河川敷の栴檀の実にこころがひかれる。
決して宝石ではないけれどその粒たちが空の宝物のよう。

お大師堂の銀杏の葉がはらはらと舞い降りてくる。
やがて地面を埋め尽くすことだろう。黄金色の絨毯。

見るものすべてが愛しくてならない。これが私のしあわせだった。




2011年12月13日(火) ちょっと昔のあんず

久しぶりの山里。峠道を越えると粉雪のような霜が降りていた。
寒いだろうな。ほんの少しクルマの窓を開けるとぶるっとする。
けれどもそんな寒さが心地よい。懐かしくなるような山里の風景だった。

母も同僚も変わりなく元気。仕事もてんこもりでやる気満々になる。
あらあらという間に時間が過ぎてしまって気がつけば帰宅時間になっていた。

家に帰り着けばもう散歩の時間。あんずも待ちかねていた。
今日もランちゃんに会えたら良いね。そう語りかけて出掛ける。
残念ながら会えなかったけれど、満足そうな様子にほっとした。


そうしてお大師堂。通い始めてもう三年が過ぎたことになる。
その間なんといろんな出会いがあったことだろうと思い出すことも多い。
一度きりの出会いもあれば10回も再会が叶った出会いもあった。

「竹島大師堂」ネットで検索すると画像が出てくると友が教えてくれる。
私もさっそく試してみた。そうしたら思いがけずにたくさん見つかった。

そうしてひとりのお遍路さんのブログに辿り着いた。
2009年5月28日のブログを見てびっくり。なんとそこにあんずの姿があった。

「四万十川 竹島のわんこ」 とありお大師堂の前に繋がれているあんずである。

その日私は確かにお遍路さんと出会っているはずであった。
そうして自分のその日の日記を読み返しはっきりとそのことを思い出す。

私がお参りをしているあいだ、そのひとがあんずと遊んでくれたのだ。
しっかりカメラ目線のあんず。一瞬のうちに懐いていたのだと思う。

私だけではない。あんずにもこんな出会いがあったのだとすごく嬉しくなった。



2011年12月12日(月) やわらかな気分

日中は寒さが和らぎ久しぶりの小春日和となった。
暖かいとほっとする。とてもやわらかな気分になる。


昨日終わる予定だった川仕事が少し長引き。
今日やっと海苔網を張る作業が終了した。
後は順調に育ってくれるのを祈るばかり。
収穫は立春の頃になるかもしれない。
春を待つ気持ち。希望を持って待っていよう。



夕陽が土手をつつみ込むようにふりそそぐ道を歩く。
雀色の陽だまりに名も知らぬ小鳥たちがたわむれている。
近づくと一斉に飛び立つ。空に向かうものはとても美しい。


散歩仲間のランちゃんと会った。あんずとはとても仲良し。
くんくんと匂いを嗅ぎあっていたかと思えばいきなりキス。
ランちゃんが跳び逃げるのをあんずが追いかけようとした。
愉快な光景。犬も友達がいるとすごく嬉しいのだなと思う。


お大師堂は人影もなくひっそりと静まり返っている。
備え付けのノートを見ると昨日のお遍路さんの言葉があった。
大河のほとりで夕陽を眺めているとこころが癒されるのだと。

そんなふうにこの場所を愛してくれる人がいてくれることが嬉しい。

落ちていく夕陽が川面を染めていく。ああ、ここが好きだなと私も思った。



2011年12月11日(日) お遍路さん(その9)

今日も冷たい風のいちにち。
そんな寒さにも日に日に慣れていくのを感じる。

被災地もどんなにか冷え込んでいることだろう。
9ヶ月が経った。ただただ祈り手を合わすことしか出来ない。

どうかひとりでも多くの人に光が届きますように。

そうして自分がどんなに恵まれているかを思い知る日でもあった。




夕暮れ間近のお大師堂でまた嬉しい再会がある。
先月の始めに出会ったお遍路さんがまた巡って来てくれたのだ。
その時には少し挨拶をしただけで終わっていたけれど。
今日はお遍路さんのほうからたくさん話しをしてくれた。

びっくりしたのは94回目の巡礼だということ。
最初は30年前。まだ24歳の若さだったらしい。
とにかく旅をするのが好きで暇さえあれば旅に出ていたそうだ。
目標は100回でそれを達成したら今度は日本一周が夢だという。

その夢を語るときのなんと嬉しそうなこと。きらきらと輝く瞳。
旅こそがその人の人生であると言っても多言ではないだろう。

お遍路は厳しく辛いこともたくさんあるけれどそれも楽しい。
いちばん嬉しいのはいろんな人との出会いがあることだと言う。

私もそのひとりなのだとしたらなんとありがたいことだろう。

別れ際その人は手を合わせて深々と頭を下げてくれた。
感謝しなければいけないのは私のほうである。咄嗟に私も手を合わす。

素敵なご縁をありがとうございました。またきっと会いましょうね。



2011年12月10日(土) 寒くてもほっこりと

冬の朝らしくしんしんとした寒さ。
日中のひだまりもつかの間のことで。
夕方からまた寒くなり風がとても冷たかった。

いくら寒くても日課の散歩は欠かさない。
フードを被って背中を丸くしながら歩く。
あんずはとても元気。ぐんぐんと私を引っ張る。


お大師堂へ行くとちょうどお遍路さんが着いたところだった。
何度か会ったことのある顔見知りのお遍路さんで嬉しい再会。
なんだか自分の家へ招き入れたような気分にもなるのだった。

名も知らぬ。どこの出身なのかも聞いてはいなかったけれど。
関西弁がとても耳に心地よくてついつい話し込んでしまった。

悩みはないか。辛いことはないかと親切にきいてくれたけれど。
今の私にはすべて無縁に思える。生きているだけで幸せだった。

「足るを知るは最上の富」である。いつもこの言葉を思い出す。

もっと、もっとといったい何を願うというのだろう。

じゅうぶんではないか。これほど恵まれて満たされることはない。


「また会いましょうなあ」いつも私が先に言ってしまうのに。

今日はお遍路さんのほうが早くそう言ってくれてなんだか嬉しかった。

寒くてもほっこりとあたたかい気持ちで微笑みながら家に帰った。



2011年12月09日(金) 娘とデート

明け方まで強い風。夜が明けるとしんと静かになる。
いかにも冬の朝らしくひんやりと冷たい空気が漂う。


今日は「いぬの日」午後からサチコと腹帯を買いに行く。
それは日本だけの風習で医学的根拠はないと聞いていたが。
やはり古くからの風習は大切にしたほうが良いように思う。
犬がそうであるように安産の願いをこめて身につけるのだった。

三週間ほど会っていなかったサチコは変わらず元気でほっとする。
ほんの少しふっくらとしてお腹のふくらみも目立ち始めていた。
この娘が母親になるのか。なんだか不思議な感慨が込み上げてきた。

腹帯を買ってからしばらく店内を見てまわる。可愛いベビー服。
お布団セット。おまるや玩具まで見てふたりではしゃいでしまった。
「まだ早いよね」と言いながらその日がすぐに来てしまいそうだった。

それから別の店へ行きなんと誕生日のプレゼントを買ってもらう。
それはとても思いがけなくてついつい甘えてしまう母であった。
買ってあげたり買ってもらったり今日はおあいこだねと笑い合った。

そうして今度は甘い物を食べようとふたりで喫茶店に行った。
チョコレートパフェなんて何年ぶりだろう。とても美味しい。

何よりも娘とこんなふうに過ごすことがあまりに久しぶりで。
一緒に暮らしていた頃をとても懐かしく思い出してしまった。


「はは、また行こうね!」手を振りながらアパートへ帰る娘。

「ありがとね、さっちゃん」母はなんだか涙が出そうだったよ。




2011年12月08日(木) 雨上がりに

目覚めると雨が降っていた。
かすかな雨音としっとりした空気。
なんだか春先の雨のようにやわらかい。


こんな日は炬燵がいいねと言いながらも。
彼とふたり突撃するように川仕事に出掛ける。
あと少しもう少しだからと励ましあいながら。
苦も楽になり今日も達成感でいっぱいになった。



散歩は諦めていたけれど思いがけず雨がやむ。
あんずも諦めていたのか犬小屋で眠っていた。
「雨やんだよ。行くよ」と声をかけると。
寝ぼけ眼でのそのそと這い出してきて愉快なり。

雨上がりの散歩道が好きだ。
あたりいちめんが潤っていてなんとも心地よい。
土手から河川敷。例の東屋まで行きまた土手を帰る。


晩ご飯。息子がまた帰って来てくれて三人でにぎやか。
仕事が休みでずっと寝ていて朝から何も食べていないという。
大盛りご飯をおかわりしてうまいうまいと食べてくれる息子。

元気でいてくれるのが何よりも嬉しい。

どんな日もあるけれど日々を乗り越えてほしいと願う母であった。



2011年12月07日(水) 平穏なり

二十四節気の「大雪」いよいよ真冬の頃らしい。
曇り日ではあったけれど大雪には似合わず暖かい一日。


川仕事もはかどりあと半分を残すほどになる。
午前中だけの肉体労働だけれどけっこう疲れる。
でも毎日の達成感がとても励みになる仕事だった。
身体を動かしているとこころも動いているのだろう。
溌剌とした気持ちも心地よく明日も頑張ろうと思う。


先日通販で衝動買いしたウォーキングマシンが届いた。
ふたりして運動不足を解消しようと買ってしまったけれど。
ほんの5分歩いただけでふくらはぎがパンパンになってしまう。
それでも少しずつ続けていればやがては慣れてくることだろう。
雨で散歩に行けない時などはとても便利ではないかと思っている。


今日も平穏無事。あんずと散歩を済ませてからお大師堂へ行く。
先日Mさんに再会してからこっちお遍路さんとの出会いはなかった。
なんだか鈴の音が恋しい。また出会えますようにと手を合わせる。


日が暮れておぼろ月夜。もう少しで満月になりそうだ。

あんずに晩ご飯を持っていくと甘えて足にかきついてきて可愛い。



2011年12月06日(火) 自分に出来ること

雨になるかもしれない天気予報がはずれて。
青空も垣間見れるぽかぽかと暖かいいちにち。

川仕事をしていると優雅な姿をした白鷺が一羽。
人の気配にも怖じる様子もなく悠然と立っている。
そうして間もなくパシャっと水音をたてて魚を捕まえた。
それはとても勇ましく惚れ惚れとするような姿であった。



午後はまたのんびりと昼寝などして過ごす。
目覚めるともう散歩の時間になっていたりする。

土手から河川敷へと下り石段を上がれば四万十大橋のたもと。
休憩所にベンチがあり腰をかけてしばし川を眺めていた。
夕陽が目の前に見える。その眩しさがとても心地よかった。

帰り際にふと東屋の方を見るとビニール袋が散乱している。
近づいてみると他にも空き缶やらのゴミが捨てられてあった。
つい先日のこと綺麗に掃除をしてもらったばかりだというのに。
なんということだろう。嘆かわしくて悲しくてならない光景である。

「いつも綺麗にしてくれてありがとう」東屋には張り紙もしてある。
それを見てもなんとも思わない心ない人がいるということだった。

いくら怒ってみても仕方ないことだろう。とにかく片付けなくては。
落ちていたビニール袋にゴミを詰め込み家まで提げて帰って来た。

イタチごっこになってしまうかもしれない。けれどもそれを続けたい。
明日からも日課にしようと心に決める。捨てたらきっと拾いますから。

一日一善のようなそんなだいそれたことではないけれど。
自分に出来ることはどんなことでもやってみるべきではないだろうか。

四万十のほとりに棲んでもう33年。私はこの川を愛してやまない。




2011年12月05日(月) ささやかなふれあい

朝の寒さが和らぎ日中はやわらかな陽射しが降り注ぐ。
雲ひとつない青空。そんな空に白い月がぽっかり浮かぶ。


今週は山里の職場を休ませてもらって。
家業の川仕事に精を出すことになった。
海苔網を漁場に張り詰めていく作業で。
それさえ終われば後は収穫を待つばかり。

けれども今年は海苔の生育がいまひとつで。
無事に育ってくれるのかとても心配である。

「なんとかなるさ」と彼の言葉が励みになる。
不安がるのは私の悪い癖。希望を捨ててはならない。

早朝からの川仕事を終え午後はゆっくりと休む。
むしょうに甘い物が食べたくなり豆大福を食す。
それはとても美味しかった。明日も食べたいな。


夕陽が見え始めた頃あんずと散歩に出掛けた。
土手でよちよち歩きの可愛い男の子と出会う。

「わんわん、わんわん」と声をかけてくれて。
しばらく一緒に土手を歩いた。一歳四ヶ月だということ。
私にも孫が出来たらこんな感じなのかしらと思う。
それも夢ではなくなんだか少し先の未来のようだった。

男の子はよほど犬が好きらしく我が家の近くまで一緒に来た。
「ばいばいまたね」そう言うとお母さんにしがみついて泣きそうになる。

なんとも名残惜しかったけれどまた会えると良いなってすごく思った。

そうしてほっこりとあたたかいきもちになる。

ささやかなふれあい。これも私の幸せであった。




2011年12月04日(日) またひとつ

またひとつ歳をかさねる。

そのひとつがとても貴重に思える。

若い頃には思いもしなかったこと。

神様があたえてくれた蝋燭の灯を。

そっと手のひらで囲んでいるようだ。

この命があるのはとてもありがたいこと。

心細いことや不安なこともたくさんある。

けれどもすくっと前を向いて進んでいきたい。

そうしてじぶんの人生を全うするのが私の夢。


生きることはとてもたのしい。

生きることはとてもうれしい。


胸をはってまたひとつをしっかりと受けとめた。

おもいね。このおもさを忘れてはいけない。



2011年12月03日(土) 暮らすということ

曇り日。午後から風がとても強くなる。
ひゅるひゅるとうなり声をあげいるような音。
窓ガラスが揺れると地震ではないかと身構える。

そんな荒れ模様とはうらはらに今日も平穏に過ごす。
当たり前のような日常のことがとても貴重に思えた。

洗濯をしたり買物に行ったり三度の食事をしたり。
暮らすということをしみじみと感じたりしていた。

何かひとつでも出来なくなってしまったとしたら。
どんなにか不便でどんなにか落ち着かない事だろうか。

恵まれているのだなとつくづくと思うことが多い。
そんな日常にもっともっと感謝をしなければいけない。


いつもの散歩。いつものお大師堂。

灰色の川も風にあおられながら海を目指して流れる。

どんな日もあるけれど決してその流れがとまることはない。



2011年12月02日(金) お遍路さん(その8)

今日も冷たい雨が降ったりやんだり。

夕方にはちょうどやんでいて少し散歩に行けた。
灰色の川を見ているとなんだかさびしくなる。
水はただ空を映しているだけなのだけれど。


雨が降らないうちにと自転車を飛ばしお大師堂へ行く。
向かいながらふっとあるひとの顔が目に浮かんだ。
そろそろまた会える頃ではないかしらと思っていた。

そうしたら。なんとお大師堂で私のことを待っていてくれた。
山梨からのお遍路さんMさんである。
奥様を亡くされて供養のために始められたお遍路も19巡目。
もう二年余りもひたすら歩き続けていることになる。

私も縁あって巡り会う事が出来、会うのはこれで6回めだろうか。
最初は名前も知らず詳しい事情を聞くのもはばかられたけれど。
会うたびに心が通うようになりMさんから話し出してくれたのだった。

Mさんは私のことを「おかあさん」って呼ぶ。
そうだった。私はいまだに自分の名前を教えていなかったっけ。
けれどもその「おかあさん」って呼ばれることがとても心地よい。

もしかしたらMさんの亡くなった奥様と同じ年頃かもしれない。
生前の奥様のことを「おかあさん」って呼んでいたようにも思う。

私は今日も自分の名前を教えることがなかった。
ずっと「おかあさん」って呼んでほしいなあって心から思った。

またきっと会えますよね。次に会う頃にはもう年明けかしら。
約束こそしないけれど必ず会えるという確信があり嬉しく思う。

大晦日。元旦は懇意にしている方のお宅で過ごせるということ。
毎日の野宿から開放されあたたかなお布団で眠ることが出来るのだ。

それを聞いてどんなにかほっとしたことだろう。

そうしてMさんはまた新しい年を歩き出す。

春夏秋冬。Mさんの日々がとても尊く思えてならなかった。



2011年12月01日(木) 師走に立つ

曇りのち雨。昨日より10℃も気温が下がる。
小粒の雨でも少し濡れるとぶるっと寒さを感じた。

とうとう師走に入りスタートラインに立ったような気持ち。
誰と競うわけでもないけれど自分なりのゴールを目指したい。
そうしてちょっとした達成感のようなものがあれば良いなと思う。

たとえば実を。これが自分なのだなと思えるような実をつけたい。
小鳥に啄ばまれてしまっても良いのだ。一粒の実がそこにあれば。

それが生きてきたあかし。とても大げさだけれどそう願っている。



今日の散歩はお休み。小雨の中あんずのおしっこだけ連れて行く。
雨に濡れるのを嫌がる彼女は用を足すとさっさと家路を急いだ。

傘をさしてお大師堂へ行こうかと思ったけれどそれもお休みにする。
そんな怠け心がたまにある。毎日ではなくてもと言い訳をしてみたり。

どんな日もあって良し。ようはこだわらないことがいちばんに思う。


ポテトサラダなど作り夕食。なんと平穏なひと時なのだろう。

いまは静かな雨音に耳を澄ましながらいつもの焼酎を飲んでいるところ。


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