ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2011年06月29日(水) よしよし。よしよし。

あんずの手術無事に終わりほっとする。

本来なら病院に一泊するべきところ。
性格的にとても無理だろうと言うことで。
まだ麻酔の抜け切らないあんずを抱いて帰る。

心臓がとっくんとっくんしているの伝わってきて。
なんとか弱いことだろうと愛しさが込み上げてきた。
いつもはおてんばではしゃぎまわっているあんずが。
はあはあと息をしてとてもしんどそうに丸まっている。

高齢なのによく頑張りましねとほめてもらったけれど。
いきなりのことだったのでどんなにか途惑った事だろう。

首にはえりまきトカゲのようなカラーを付けられて。
それが気になるのかしきりに首を動かし嫌がっている。

ドックフードを私の手のひらにのせて食べさせてみた。
一粒でも良いから食べてほしかった。
そうしたら空腹だったのだろう舌先でそれをすくう。
一粒二粒と少しずつだけれど食べてくれてほっとした。

そのたびに伝わる舌先の温もり。ああ生きているんだなと思う。
今までこんなにも温もりを感じたことがなかったように思った。

ちいさな命。かけがえのない家族だった。とても愛しい末娘。

カラーが邪魔になりお気に入りの犬小屋には入ることが出来ず。
今夜からしばらくは軒下で過ごさなければいけなくなった。

落ち着かない様子。きゅいんきゅいんとせつない声で泣いている。
その声が聞こえるたびに父も母もそばに行って宥めるしか出来ない。

よしよし。よしよし。何度もその頭を撫でるばかりだった。




2011年06月28日(火) 頑張れあんず

すっかり梅雨明けを思わすような晴天。
ああ夏なのだなとまぶしい空を仰いだ。

洗濯をたくさんする。もっともっと洗いたくなる。
主婦冥利に尽きると言うか洗濯物を干すのが楽しい。


午前中は例のバドクラブに行き心地よく汗を流した。
私も専業主婦になりたかった。毎日バドをしたくなる。
実は昨日さんざん母に嫌味を言われてやっととれた休み。
後ろめたさは消えないけれどとても貴重な時間に思えた。
どこまでが親孝行でどこからが親不孝なのかよくわからないけれど。
なんとしても週イチの楽しみを続けていきたいと思っている。


午後からは嫌がるあんずをやっとの思いで動物病院に連れて行く。
狂犬病の注射もフィラリアの予防もずいぶんと遅くなってしまった。
それと後ろ足の腫瘍。この一年で見るも無残なありさまになっていた。

獣医さんももう限界だと言う事で急遽明日手術をすることになった。
いくら元気だといえ老犬が手術に耐えられるだろうかと心配になる。
けれども腫瘍をそのままにしていると破裂してしまい危険だと言うから。
いちかばちかの気持ち。獣医さんを信じてすべてお任せする事にする。

あんずは病院に行った事にひどく参ってしまったのか食欲もなし。
明日はもっともっと参ってしまうことになるだろうと気掛かりでならない。

我が家の末娘。それなのに人間の年にするといちばんの長老だった。
そのことがたまらなくせつない。寿命というものがどうしてあるのか。


あんず。明日はあんずの一生でいちばん怖くてたまらない一日に。
なるかもしれないけれど。父さんも母さんもついているから大丈夫。
我慢して耐えようね。そうしてまた元気に走りまわろうよね。



2011年06月27日(月) 化石の花

紫陽花の花もそろそろ終わりなのだろうか。
花びらがひとつひとつと化石のように枯れ始めた。
すこしさびしく。すこしせつない気持ちになる。

潔く散りたいだろうにそれをゆるされないのか。
それをさだめと受けとめて残りの花びらが微笑む。

憐れんではいけないのだろう。哀れんではいけないのだろう。

そういうわたしも潔くは散ってしまえないのかもしれなかった。
もう少しあと少し生きてみなければそれはわからないことだけれど。
もしかしたら生きながら化石のように枯れていく運命かもしれない。

けれども微笑もう。頭を垂れることもせずに精一杯微笑もうではないか。


今日も平穏に暮れていく。なんとありがたいことだろう。

生きていることをかみしめるような日々でありたいとつくづく思う。



2011年06月25日(土) 空っぽがいい

日中の蒸し暑さを冷ますかのように夕方から雨になる。
雨音が耳に心地よく響いている。水の匂いもまた好きだなと思う。


週末のせいもあり今日は穏やかに時が流れた。
丸くなっているこころを撫でるように一日を過ごす。

午前中は少し動く。午後はすっかり怠け者だったけれど。
だらだらと過ごす時間も必要ではないかと思ったりした。

そんな時の私は何も考えることがなかった。
頭のなかが空っぽというのもなかなか良いものである。

あれもしなければこれもしなければと焦ることもない。
しようと思えば出来ることもあえてしないでいることだ。



残りの人生があとどれくらいなのかわからないけれど。
ほんの少しでいい実になることが残れば良いと思ったりする。

そんな日々の中にぽつんと無駄な時を埋め込んでいく。
耕そうともしない。種をまくこともしない一日があっても良い。

ただ生きている。息をしているだけでじゅうぶんではないか。



2011年06月24日(金) 夕涼み

日中の気温は30℃を越え今日も真夏日となる。
蒸し暑さは感じたけれど吹く風はとても心地よかった。

夕涼みを兼ね食後に散歩に出掛ける。
水辺のひたひたと満ちるような水の匂いが好きだった。

あれこれと物思いにふけりたくなったけれど。
あんずに振り回されてそれも思うようにはいかず。
私は少しご機嫌斜めになる。あんずを叱ってみたり。

それでも彼女はまったく聞く耳をもたない。
犬と喧嘩をしても仕方ないけれどこんな日もあるものだ。

穏やかではない自分を嫌だなとつくづく思う。
そういえば昼間の仕事中も苛立っていたなと気づく。

どうしてだったのだろう。その理由さえもわからずにいた。


こころにゆとりがなかったのかもしれない。
些細な事ばかりにこだわっていたのかもしれなかった。


ゆとりってなんだろう?

たとえばゆったりと流れるままの川の水のようなことかな?

どうすればそんな川の水のようになれますか?



2011年06月23日(木) 過去という名の現実

昨日旧友の声を聞いてからというもの。
高校時代のことが押し寄せてくるように思い出されてならない。

それはまるで昨日のことのように鮮やかな記憶だというのに。
いったいどれほど遠いところまで来てしまったのだろうか。

放送部で始まり放送部で終わったような私の青春だった。
そこに属していなければ私の人生までも変わっていたことだろう。

ひとりはS先輩。もうひとりはN先生。
恋というものは今思えばあまりにも儚くて。
どうしてあれほどまでに胸を痛めたのかわからなかった。

もう終りにしようとS先輩が告げたのは放送室の片隅。
嘘でしょ?って思った。だってずっとずっと信じていたから。
それが本当のことなら私は死ななくてはと本気で思った。
死に場所まで決めたというのに私は死ねずに生きる事になった。

S先輩が卒業し、私は放送部の部長になった。
リクエストボックスなるものを設置しお昼休みに音楽を流す。
教育実習で来ていたN先生はそれをとても喜んでくれた。
毎日のように放送室に押しかけてくるN先生と意気投合する。

それからのことはここに記すことが出来ないけれど。
N先生との出会いが私の人生を大きく変えてしまったのだった。

それはとても辛く悲しい現実をともなう。その現実を一生背負うことになる。


36年の歳月が流れた。けれども私はいまだに背負い続けている。

生きている限り。いや死んでしまっても背負い続けていることだろう。

それが女に生まれた。母という名のさだめだと思っている。





2011年06月22日(水) 懐かしき声

梅雨の晴れ間は嬉しいけれどなんとも蒸し暑い一日だった。


山里の職場を休ませてもらって先週からお世話になっているバドクラブへ行く。
後ろめたさはあるけれど、バドを続けたい一心で決めたことだった。
そうして身体を動かし気持ちよく汗を流すことに満たされている自分を感じる。

クラブには専業主婦のメンバーが多いのだけれど、
そのひとりが私と同じ高校の出身で後輩だとわかった。
先週から意気投合しあれこれと気軽におしゃべりなどしていた。
今日は何年生まれですか?と訊かれちょっとあたふたとしていたところ。
彼女のお姉さんの話しになり私と同い年だと言うことがわかった。
それも同じ高校だということでびっくりしたのは言うまでもない。

そうしてお姉さんの名前を聞きもっともっと驚くことになる。
クラスは違ったけれど同じ放送部ですごく仲良しだったあっ子ちゃん。

すぐに電話をかけてくれてなんと32年ぶりにその声を聞くことが出来た。
懐かしいと一言ではとても言い表すことが出来ないほどの感激だった。

私が先に結婚をし、長男がまだお腹のなかにいた頃だった。
遠路はるばるあっ子ちゃんが我が家を訪ねて来てくれたことがある。
臨月間近だった私は自分の身体のことで精一杯でろくにおかまいも出来ず。
いま思えばなんとそっけなく接してしまった事だろうと後悔している。

そうしてそれから間もなくあっ子ちゃんから結婚の報せを受けた。
私はその時もそっけなく。心からお祝いの言葉さえかけられなかったのだ。
その時の電話が最後だった。それ以来ぷっつりと途絶えてしまった友情。

私がもっと親身になってさえいればずっと育んでいられたものを。
若き日を思い出すたびにそれを悔やみ苦い思い出となって心に残っていた。


あっ子ちゃんの声は少しも変わらない。なんとも懐かしい声だった。

32年。あまりにも歳月が流れてしまったけれど。また繋がった縁。

近いうちにきっと会おうね。そう約束して電話を切った。

変わらないことがひとつでもあることはとても嬉しいことだと思う。



2011年06月21日(火) 再会

降り続いていた雨がやっとやむ。
午後から薄日が射し始め気温がぐんと上がった。
蒸し暑さは苦手だけれど梅雨の中休みは嬉しいものだ。


散歩道。久しぶりにお大師堂まで足をのばす。
お経を唱え手を合わせていると心が澄みわたるようだ。
そうしてついついとお願い事などしてしまうのだった。

お賽銭がずいぶんと増えている。
雨の日も欠かさずお参りに来ている人がいる証拠でもある。
それを思うと私などはほんとうに気まぐれなのだなと思った。

信仰心はさほどない。ただ心が落ち着くというだけで参っている。
これからもそれはあまり変わらないのではないだろうかと思うけれど。
年を重ねるごとに信仰心も芽生えてくるものなのかもしれなかった。


帰り道の土手で例のお遍路さんと再会する。
電話連絡も何もない。ほんとうに偶然に出会うことが出来た。
土佐を打ち終え伊予路に向かったと思っていただけにとても驚く。

打ち戻るにはなにか理由があるのだろうけれどあえて聞かなかった。
ほんのつかの間の立ち話をしただけで今回は別れる。
肝心なことを話しそびれてしまったけれどまあ良いかなと思った。

縁深いひとだからまたきっと出会うことが出来るだろう。
あくまでも偶然に。そう願うばかりである。

土手の階段を下り家路に向かう道。なんだか後ろ髪を引かれる思い。

もしかしたら大切な縁を粗末にしているのではないかとふと思った。





2011年06月20日(月) どしゃぶりの雨

山里へ向かう朝の道でどしゃぶりの雨にあう。

クルマのワイパーも役に立たないほどの凄い雨。
ハンドルを持つ手がぶるぶると震えた。

嫌いではないはずの雨がとても怖いと思った。
ちょうど良いくらいの雨ばかりとはいかないものだ。

ありのままの空のこと。今日はご機嫌斜めなのだなと思う。
雷まで鳴り始めてとてつもなく怒っているような空だった。

どんな日もある。こんな日もあってよし。


そんな雨も夕方にはぴたりとやみ。
ほんの少しだけ土手の道を散歩する。
川の水は濁流になりずいぶんと増水していた。

そんな川を見ていると気分がざわざわとしてくる。
なにか怖ろしい事が起こりそうで不安になってしまうのだ。


けれども平穏なまま日が暮れていくありがたさ。
今夜は息子もひょっこり帰って来て三人で夕食を囲んだ。

鰹のタタキを美味しいと言って食べてくれる息子。
いつもは離れていてもいつだって家族に変わりはない。

母さんはいつも四人分作るんだぞと夫が言う。

そうなんです。それが母さんの日課なのです。

だからしんちゃんいつでも帰ってきてね!



2011年06月18日(土) 雨の日に

雨の週末。家事もそこそこにほとんど寝てばかり。
からだがどんどんと重くなっていくのを感じる。

けれどもこころはさっぱりと軽いような気がした。
思い悩むことが何ひとつないということは幸せなことだった。


午後サチコ達が顔を見せてくれて父の日のプレゼントを持って来てくれた。
うれしそうなお父さん。欲しがっていた柄物の涼しそうなステテコだった。

ありがとねサチコ。お父さんが嬉しいとお母さんも嬉しいよ。



いつもなら散歩の時間。今日も雨であきらめるしかなかった。
携帯に着信あり。それは出る暇もなくすぐに途切れてしまう。
先月何度目かの再会をした修行僧のお遍路さんからだった。
電話番号を交換した事を今更ながら少し後悔している。

今までずっと偶然に出会うことが出来たひとだったから。
これからもそのほうがずっと気楽なような気がしたからだ。

折り返し電話をすることをとてもためらってしまった。
けれども無視することも出来ずに一時間ほど間をおき電話をする。

やはりお大師堂で待っているとのこと。なんとも気が重くなる。
こんなはずではなかったのにと。縁さえも心もとなく感じるばかり。

雨のせいにして今回は丁重にお断りをした。
会わなければいけない理由が漠然と不可解なものに変わったように思う。

縁とはいったいなんだろう。どうしても考えずにはいられない。

縁とはやはり手繰り寄せるようなものであってほしい。

今度再会したら素直に正直に自分の気持ちを告げたいと思った。


それがいつになるのか。それくらいの距離がわたしはほしい。



2011年06月17日(金) 切るということ

雨上がりの青空が見えたのもつかのま。
午後にはまたうす雲につつまれていく空。

山里ではしきりにウグイスが鳴く。
それがあまりにも透き通った綺麗な声で鳴くものだから。
母が真似をして歌うように鳴いてみせたりしていた。

そんなひとコマが微笑ましくてならない。
平和だなと思う。なんとのどかな午後なのだろうか。

その母が急に思い立ったように庭の桜の枝を切り始めた。
どうして?とはらはらするような気持ちでそれを見守る。
サクランボの実がなるはずの桜の木だったのだけれど。
今年はそれがならなかったから切ってしまうのだと言う。

だからと言って切ってしまうなんて酷いではないか。
そこまで出掛かった言葉をぐっと飲み込むように我慢する。

母というひとは時々そんなふうに衝動的な行動をするひとだった。

切り落とされた緑の艶やかさ。哀しいと思うのは私だけかもしれない。


そうかと思うと今度は蕾をいっぱいにつけたクチナシの木の手入れ。
それが芳香を放ち咲く日をとても楽しみにしているようだった。

日頃から植物を愛してやまない母のこと。
『切る』ということも愛なのかもしれないとふと思う。


私は『切る』ということがとても苦手だった。
どんなに生い茂っていても切ることをためらってしまう。

そうすることで植物が息を吹き返すことがあるのだとしても。


切るということはとても勇気がいるように思えてならない。

それは決して植物だけに限られたことではなかった。








2011年06月16日(木) ありのままの空

絶え間なく降り続く雨。

やまない雨はないのだからと雨音に耳をかたむけていた。
それはあきらめに少し似ている。けれどもそれは受けとめること。

ありのままの空でいてほしいとおもう。
だってそれはどうしようもできないことだもの。


日課の散歩に行けない日が続いている。
あんずは犬小屋にこもって寝てばかりいる。
一日中雨音を聴きながら何を思っていることだろう。

じっと我慢しているのかもしれないと思ったけれど。
そんな様子にはとても見えない。まるでおさぼりのような。
雨だから行かなくてもいいよと言わんばかりの仕草だった。

犬は飼い主に似ると言うけれど。そういうところが私と似ている。


かと言って雨があがるのを待っているわけではなかった。

雨は降りたいだけ降ればいいのだと思っている。

雨あめふれふれ母さんは。お空の下で生きている。



2011年06月15日(水) 語らい

霧のように雨。音もなく静かに降りそそぐ雨だった。

山里ではホトトギスがしきりに鳴き。
「テッペンカケタカ」と何度も何度も問うのだった。

そんな声を聴いているとなにか応えたくてたまらなくなる。
「カケタヨカケタヨ」とつぶやきながら雨の空をあおいだ。

どこにいるのだろう。その姿は見つけられない。
けれども応えることで通じ合えたような気がした。

人だから鳥だからと隔てることは何もないのかもしれない。

みんな生きている。それがとてもありがたいことなのだと思った。


植物もおなじ。それは姿は見えても声は聴くことが出来ない。
けれども草木はたしかに語らっているのだとわたしはおもう。

ひとはもっともっと耳を澄ましてその命を感じなければいけない。

たとえば雨にしっとりと濡れるばかりの紫陽花の花だったり







2011年06月14日(火) 復活

午前中久しぶりにバドミントンをしに行く。

仕事を休んでまではと躊躇していたけれど。
無性に身体を動かしたくなって行くことに決めた。

誘ってくれるバド仲間がいてくれることはとてもありがたく。
そうでなかったらどんどんと遠ざかりついに諦めてしまったかもしれない。

好きなこと。大好きだったバドを諦めてしまうこと。
もう年だし仕方ないのかもしれないと思っていた。
25年も続けることが出来てもうじゅうぶんだったから。

でも今日は行ってみてほんとによかったと思う。
最初は以前のように動けないかもしれないと不安だったけれど。
やり始めると自然に身体がついていってくれた。
そうしてどれだけ自分がバドを好きだったかを思い出す。

諦めてはいけないと強く思った。
やってやれないことはないのだと少し自信もわいてくる。

今日を復活の日としよう。

いつかは限界が来るだろうけれど今はまだその時ではない。

がんばれわたし。好きなことずっとずっと忘れないでいよう。



2011年06月13日(月) 微笑み

朝。窓をあけると久しぶりの青空が見えた。
雨上がりのなんともいえない爽やかな空気。

しんこきゅうをいっぱいする。私は心呼吸と書く。


山里の職場へと向かう山道で今朝もお遍路さんに出会った。
それがどうしたことか道の真ん中で何かをしているところ。
クルマのスピードを落としゆっくりと近づいてみたところ。
道路には赤い蟹がたくさんいて道を横断しているではないか。

お遍路さんはその蟹を助けようと杖で蟹を誘導しているのだった。
ほらほら急いで。早く渡らないとクルマに轢かれてしまうよ。

私はもちろんクルマを停めた。そうして窓越しに微笑みかける。
そうするとそのお遍路さんもにっこりと微笑みを返してくれた。

声をかけることはできなかったけれど。
互いの思いは伝わったようでなんとも嬉しいきもちになる。

こころ優しいひとなのだろう。ちいさな命を愛しむこころ。

それはとても大切なことだと私は思う。

みんなみんな精一杯生きているのだもの。


おかげでほんわかと優しい気持ちをいただく。

今日はとてもいい日だったなってすごくすごく思った。



2011年06月11日(土) 希望の光

ずっとずっと雨。かたつむりのようにして一日を過ごす。
思うようにはすすめない。いくら前を向いていたとしても。

こころのどこかをはげしく打つように雨が降る。
けれども平穏だった。なんと恵まれていることだろうか。


悪夢のような大震災から三ヶ月が経った。
被災地はいったいどうなっているのか。
被災された人達の暮らしはどうなのか。
気掛かりでならないことばかりだというのに。

テレビをつけるたびに政治のことばかりが耳に入る。
そんなことどころではないだろうと怒りさえ覚えた。

どうか一日も早い復旧を。みながそう願っているのではないだろうか。
無力な私はただただ祈ることしか出来ない。これからも祈り続けるだろう。

どうか光を。希望の光がすこしでも届きますように。


震災前には当たり前のように思っていた日々の暮らし。
それが今ではとても尊くかけがえのないことのように思える。

日々をかみしめるように大切に生きていかなければいけない。

生きているということはとても幸せなことなのだから。



2011年06月10日(金) 雨音を聴きながら

ずっとずっと昔のことを昨日のように思い出している夜。

ずいぶんと遠いところに来てしまったのだけれど。
一瞬にして帰っていけるように思えるのが不思議だった。

あの頃には10年後20年後をかんがえる心のゆとりもなかった。
まして30年後のことなどあまりにもはるかに遠いことだったから。

なにも変わらないこと。ひとつくらいはあるのかもしれない。
けれどもいろんなことがめまぐるしく変わってしまったように思う。

それが生きるということだろうか。それが人生というものだろうか。


お誕生日おめでとう。またいつでも帰って来てね。
息子にメールする。もちろん返事など来ないのだけれど。
帰る場所があるというだけで安心してくれるような気がする。

母が母であること。父が父であること。それだけはずっと変わらない。


こどもの成長が親の成長でもある。

そうしてどんな些細なことでも心配するのが親の務めでもある。

心配をしたいのだ。いつだって気遣っていたいのだ。

だってそれが愛だもの。愛しているよって胸をはって言える。


父さんも母さんもちょっとだけ老いました。

でもこれからも長生きするね。いっぱい長生きするからね。



2011年06月09日(木) 願いとは

とうとう土手の除草作業が始まった。

チガヤの白い穂も姫女苑の花も。
なんとも無残になぎ倒されていく。

仕方ない事なのだなとわかっていても。
とてもこころが痛んでならなかった。

これが雑草の運命というものだろうか。

そうだとしたらなんと儚い命なのだろう。

けれども根は残る。それだけが救いだった。

雑草はとても強い。ひとが思うよりもずっと強いのだ。




今日もお大師堂で手を合わす。
散歩の道すがら通い始めてかれこれ三年になる。
願いごとはしない。ただただ感謝をする場所であった。

それが最近では願いごとをするようになってしまったのだ。
今日はふっとそれがいけないことのように思えてならなかった。

なんと欲なことをとお大師様もあきれているかもしれない。
けれども願わずにいられない自分もはがゆく思う。

願いとは。いったいなんだろう。

漠然と思った。それが叶うなどとは思ってもいないけれど。

こころのなかでその願いが日々ふくらんでいく感触。

たとえば伝わるかもしれないという期待。

もしかしたら救われるかもしれないという希望。

なによりもこころが澄みわたるようなきもち。



2011年06月08日(水) 巣立ち

今にも巣立ちそうだと記した子ツバメたち。
今日がその日になった。

今朝は確かに巣にいたのが帰宅したら姿が見えず。
もしかしたらと思っていたら夕方になり帰って来た。

まだ上手く飛べない。ばたばたとにぎやかな羽音。
そんなあどけない様子の子ツバメたちを親鳥たちが見守っている。
ほらほらあぶないよ。気をつけてね。そんな声が聞こえてきそう。

子ツバメたちはしばらく庭のあたりを飛び交っていた。
初めて空を飛んだ日。どんなにか嬉しいことだろうか。

私も嬉しい。なんだか孫みたいに子ツバメのことを思っていたから。


あたりがすっかり暗くなった頃。窓からそっと巣をのぞいてみた。
いるいる。ちゃんといる。三羽が寄り添うようにして眠りじたく。

明日も夜があけたらまた飛ぶんだ。いっぱい練習をするんだ。

そうして今よりもきっと強くなる。たくましくなっていくだろう。



2011年06月07日(火) しとしとぴっちゃん

昨日は30℃だった気温が今日は18℃。
肌寒さを感じる雨が一日中降り続いていた。

けれども雨は嫌いではなかった。
リズミカルに歌うような雨音に耳をかたむける。

しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん。

大地を潤す雨。植物や作物がどんなにか喜んでいることだろう。



今日も平穏。職場にいても家にいてもなんとも平和だった。

そんな日々をあたえられていることにただただ感謝するばかり。


帰宅するなりツバメの巣を見上げるのが日課となったこの頃。
子ツバメ達がずいぶんと大きくなって今にも巣立ちそうになる。
何羽いるのか確認出来ずにいたけれどそれが三羽であることがわかった。

巣から頭を出してつぶらな瞳がせいぞろいしている姿が可愛くてならない。
あれこれと話しかけてみたりする。みなキョトンとした顔で見つめている。

きっときっと空を飛べる日が来るだろう。

あと少しもう少しがんばれ。精一杯に生きておくれ。



2011年06月06日(月) 今日も生きていました

穏やかないちにち。

あまりにも平和すぎてこわくなってしまうような。

ある日突然と考えてしまうのは私だけだろうか。

いいえ。失いたくないと誰だってそうおもうことだろう。

日常のなにげないひとこまがとても大切におもえる。

たとえばふれあうひとたちの笑顔だったり。

道端に咲く花のなんとも健気なすがただったり。

なにもかもがかけがえのないものにおもえてならない。


今日も生きていました。それがこんなにもありがたいこと。





2011年06月04日(土) 雑草のごとく

梅雨の晴れ間。陽射しはすっかり夏の色だった。

雨の日は雨の日の。晴れの日は晴れの日の。
こころはひとつきりなのだけれどちがって見える。
どちらのこころも穏やかであるのが幸せなことだった。


お昼に友人と待ち合わせてイタリアンのお店に行く。
駐車場にクルマを停めて思わず声をあげてしまったのは。
色とりどりの紫陽花がそれは綺麗にたくさん咲いていたことだ。
国道沿いの賑やかさが嘘のようにそこだけ静けさが漂っていた。

季節の野菜サラダ。カルボナーラ。キノコのピザなど。
友人と語り合いながらとても美味しくいただいたあと。
食後のコーヒーを飲みながら友人の撮った写真を見せてもらった。

前回会ったのは去年の暮。冬から春の写真の数々。
彼女の行動力にはほんとにあたまが下がる思いである。

でもそんな彼女も最近は出掛けるのが億劫になったとのこと。
私ほどではないとしてもそんな年頃になったのかもしれない。

老いることはせつないことだね。そんな話しもした。
出来ていた事が出来なくなる。花がしぼむような感じだった。

それでも雑草のごとく私たちは咲き続けなければいけないのだろう。

もう駄目だとあきらめずに野の花のように力強くあらなければいけない。


今度はいつ会えるのか。約束もせずに別れたけれど。

彼女の夏が彼女の秋が目に見えるように思った。

彼女がうごく。それが何よりの励みになり私も動き出せるかもしれない。



2011年06月03日(金) 絵のようなもの

紫陽花の花がずいぶんと色づく。
朝の道で田んぼの畦などにそれが咲いていると。
クルマを停めて降り立ってみたい衝動にかられる。

若い稲の緑とそれはなんともよく似合う。
絵のような風景。こころいっぱいにそれを描きたくなる。

そんな畦道のかたわらに腰をおろし足を休めているお遍路さん。
声をかけたくてたまらなかった。けれどもそれが出来ないもどかしさ。

わたしにはどうしても描き終えることが出来ない絵がある。
けれども自分の目で見たそのままを記憶することは出来た。

そんなつたない絵のようなものをわたしはたいせつに思う。




そうして平穏に一日が暮れる。

これはけっしてあたりまえのことではないのだと。

あの日からずっとそう思い続けている。



2011年06月02日(木) 明日は晴れ

日中の梅雨空を打ち消すかのように夕陽。
その茜色の太陽がなんだか懐かしく思えた。

明日は晴れの予報。梅雨の晴れ間はとても嬉しい。


日暮れ時はツバメの巣がとてもにぎやかだった。
しきりに餌を運び続ける親鳥たち。
とにかくお腹一杯にさせてあげたい。
子供達をぐっすりと眠らせてあげたい。

それはひとも同じではないだろうか。
明日のためにと親はいつだって子を想うものだ。

その子ツバメの一羽が先日死んだ。
巣から落ちているのを私が見つけてすぐに巣に戻したのだけれど。
その後また落ちてしまって冷たくなっているのを彼が見つけたそうだ。

そのことを彼は今日まで黙っていた。
あの子は大丈夫かしら?と私が問うまで彼は何も話さなかったのだ。

弱い子は駄目なんだと彼は言う。
いくら人間が巣に戻してあげても親鳥がそれを認めない。
生きられない子だとまた巣から投げ出してしまうのだそうだ。

以前にもそういうことがあり今回が初めてではないのだけれど。
自然界の掟というものはなんとも言葉に出来ない辛いものがある。

生きてほしい。無事に巣立ってほしいとただただ願うばかりだった。



2011年06月01日(水) あくび

あとからあとからそれが出てきてどうしようもない。

さっきからずっと時計ばかり見ている。

まだ寝る時間には早く起きているのもつらいのだった。

とにかく何か記そうとここに向かっているのだけれど。

ことばも眠いのか思うようにならなくてはがゆいばかり。

どんな時もあるものだ。たまにはこんな夜もあってよい。


おやすみなさいとここに記せば。

おやすみなさいとこたえてくれますか?

ぐっすりぐっすり眠りましょうね。

あなたのいちにちがどうか穏やかに終わりますように。



         おやすみなさい。



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