ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2010年07月31日(土) ツバメが飛んだ

7月最後の日。今日もとても暑かった。
蝉時雨に耳をかたむけながら一日を過ごす。


ずっと見守っていた子ツバメ達が初めて空を飛んだようだ。
昨日まではまだ巣の中から可愛い顔を見せていたのだけれど。
今日は姿が見えずもしかしたらと思っていたところだった。

夕方みんなが一斉に帰って来た。ちちちちちっと賑やかな声。
ちいさな巣の中でおしくらまんじゅうをするみたいに寄り添っている。
昨日よりもひとまわり大きくなったように見える。
今日の夏空がどんなにか気持ち良かったことだろう。

空を飛ぶ練習。自分で餌を見つけて食べる練習。
日に日に上手になっていくことだろう。がんばれ子ツバメたち。

短いあいだだったけれど家族のように思って見守ってきた。

もうだいじょうぶ。無事に巣立つということは嬉しいことだった。


思いおこせば最初のツバメが古巣に帰って来てくれてから。
すぐにどこかに逃げてしまってとてもさびしかった。
我が家の事を嫌ってしまったのかと不幸の前触れのように思い。
なにがいけないのだろうと不安がったりしていたものだ。

けれどもまた帰って来てくれた。そうして新居を作った。
それは忙しくそれは一生懸命にあっという間に出来た新しい巣。

今度は気に入ってくれたのだ。我が家が嫌いなんかじゃなかったのだ。

そう思うとささやかな幸せが舞い込んできたようでとてもほっとした。

また毎年帰って来てくれるだろう。つかの間でも家族でいてくれるだろう。



2010年07月29日(木) 思いがけない来客

昨日からの雨も午前中にはやみ午後には薄く陽が射し始める。
恵みの雨だと喜んでいたけれど、県の中央部では水害があったそうだ。
降り過ぎてもいけない雨。ちょうど良いくらいの雨は難しいものである。


仕事。今日は朝から来客が多く慌しく時間が過ぎる。
やっと一息ついたお昼さがりにも思いがけない来客があった。

「こんにちは〜こんにちは〜」と大きな声がする。
お客さんならすぐにドアを開けて入ってきてくれるのに。
いったい誰だろうと母が外に出て応対をしたのだけれど。

なんとそれがテレビ局の人達だったようで。
母がそのひとりと盛んに話をしているのだった。
窓からちらっと覗くとテレビカメラが見えたので。
私は事務所で小さくなって外の様子を伺っていた。

そろそろ帰るらしい。もう大丈夫かなと外に出てみた。
そうしたらびっくり。母の横にタレントの石塚英彦が立っている。
ホンジャマカの石ちゃんである。ずっと母と話していたらしい。

そのひとはテレビで見るよりちょっと小さく見えたのが不思議だった。
サンダル履きで半ズボンとTシャツ姿。まるで近所の人のようにも見える。

帰り際にちょっとだけ私も声をかけた。くしゃくしゃっとした笑顔。
ああやっぱり石ちゃんだと夢をみているような気持ちになった。

ながいこと生きているとこんなこともあるのねと。
母もちょっと興奮したように喜んでいた。

なんていう番組なのだろう。それを訊き忘れたのが残念である。

母は「きっとボツになるよ」とあっけらかんと笑っていたけれど。

私は。母がテレビに出たら良いなあって思う。

なんだか今日はうきうきと嬉しい一日になった。






2010年07月28日(水) 雨音を聴きながら

何日ぶりだろう。久しぶりにまとまった雨。
それは一日中降り続き今も雨音を響かせている。

猛暑が続いていただけに熱が一気に冷めたよう。
田畑も潤ったことだろう。夏草さえも喜んでいるようだ。



仕事。雨のせいか来客も無く暇だった。
母と向き合った事務所でおしゃべりばかり。
いつの間にこんなに仲良しになったのかしらと。
不思議に思うくらいよく語り合った。
以前はすぐに喧嘩口調になっていたのが嘘のようだ。

こどもたちのこと。ちょっと懐かしい昔ばなし。
料理の話や野菜の冷凍の仕方などあれこれ尽きない。

サチコと私がそうであるように
母と私も意気投合しているようで嬉しくなった。

出来る事ならばもう喧嘩なんかしたくない。
ずっとずっと仲良しでいられたら良いなあと思った。

母もきっとそう思っていることだろう。



早目に帰宅したけれど散歩はおやすみ。
あんずも犬小屋に閉じこもって雨音を聴いているようだ。

晩ご飯の支度まで少し横になりそのままうたた寝。

歌うようにふる雨音が心地よい。

身にもこころにも沁みるように雨がふる。



2010年07月27日(火) 百日紅

その家の老夫婦が相次いで亡くなってから
もう幾度目の夏なのだろうか。

今は空家同然になっているその家に
百日紅の花がそれは鮮やかに咲いているのを見た。

毎年咲いていただろうに今まで気づかなかった。
その紅はまるで生まれたばかりのように空を染めている。

散歩の帰り道はっとこころを魅かれ立ち尽くす。
こんなところに咲いてくれたのかと声をかけたくなった。

あるじ無き家はひっそりと静まりかえり
ただ蝉だけがその家の木々に声を響かせているばかりだった。

百日紅あるじの声を忘れたか

そうつぶやきながらそれを否定するように首をふる。

真っ先に愛でてくれたであろうひとがいなくなっても。

花は咲く。花はずっとずっとそこで生き続けているのだ。


胸がいっぱいになった。

わたしが見つけてあげようとさえ思った。

夏がくるたびに愛でてあげようとおもった。



2010年07月26日(月) 茄子と胡瓜

うす曇。ほんの少しだけ暑さがやわらいだようにおもう。
そろそろ雨が恋しくなった。どんなにか涼しいことだろうに。


朝の道。先日から道路工事が始まってしまって。
いつもの峠道は時間制限があり通れなくなっている。
しかたなく西回りの国道を利用しているのだけれど。
この道がちょっと苦手だった。朝から気忙しくてならない。

みんなとても急いでいる。自分も急がなくてはならなかった。

くねくねの山道をのんびりと景色を眺めながらクルマを走らす。
窓を開けて緑の空気をいっぱいに吸うこともしばしおあずけだ。

そんな朝であっても山里に着くととてもほっとするのだった。
のどかな風景が待っていてくれる。まるで故郷のように思う。


今日はお客さんに長茄子と大きな胡瓜をもらった。
畑から採ってきたばかりの新鮮な野菜のありがたいこと。
母とはんぶんこにして抱くようにして持って帰った。

土用の丑の日でうなぎを食べる日だったけれど。
我が家は昨夜それを食べてしまっていた。
またまた息子君のおごりでほんにありがたいことである。

今夜は茄子と胡瓜。茄子は塩もみをして柚子醤油で。
胡瓜は酢の物にしてどちらもさっぱりとして美味しかった。

明日も茄子と胡瓜だよ言うと彼が苦笑いしていたけれど。
いただいたものは粗末にせずしっかりとご馳走になりたいものだ。


茄子と胡瓜は仲良しだ〜夏の恵みだそりゃうまい〜

即興で歌を作って歌いながら食器を洗う。たのしい夜だった。



2010年07月24日(土) 真夏のいちにち

連日の猛暑にもめげず。
ツバメの子供たちがとても元気だ。

親鳥が餌を運んでくると一斉に鳴きだす。
ちちちちちちっとみなが口をあけて順番を待っている。
一羽二羽と数えてみたらどうやら四羽生まれているようだ。

順調に育っているようでなによりにおもう。
真夏のある日その子達が巣立つ日も近いことだろう。



昼下がりサチコがひょっこり帰ってきた。
めったにもらえない連休をもらえたのだそうで。
明日は川遊びに行くのだと水着を取りに来ていた。
カナヅチの母にはとうてい無理なことだけれど。
浮き輪につかまって川に飛び込んでみたくなった。
川遊び楽しいだろうな。水の中って気持ち良いだろうな。

つかの間だったけれどサチコのはしゃぎ声。
暑さも忘れてあれこれと語り合った午後だった。


夕方はいつもの散歩。浜木綿のお大師堂に行く。
風がなく少し歩いただけで汗だくになったけれど。
茜色の空を仰いでいるととてもほっとするのだった。

暮れていくいちにち。今日も平穏だったことがとてもありがたい。



2010年07月22日(木) 茜色の風

日中の暑さがうそのように夕風が心地よい。
茜色の風だ。西の空がいま染まり暮れようとしている。

土手を幼子が駆けていく。そのはしゃぎ声を聴きながら。
窓辺にいて冷たいのをきゅきゅっと飲み始めたところだ。

ああなんて美味しいのだろう。一気に酔ってしまいそうだ。


いまは何もかんがえることがない。

ただ茜色の風にぽつねんと吹かれているだけ。

心配事がないわけでもないのだけれど。

いまはそっと静かに眠らせておけばいい。


ひとくち飲んではしんこきゅうをする。

暮れなずむ空になにかが羽ばたいていく。

どこにむかっていくのだろうか。

そこにはなにがあるのだろうか。


茜色の風が夜風にかわっていくのを。

そこにじぶんがそんざいしているということを。

たしかめるようにただただ風に吹かれるのがよい。



2010年07月21日(水) 浜木綿

この夏いちばんの暑さとか。
風もなくじりじりと焦げるような暑さだった。

夕涼みをかねて出掛けた散歩も汗だくになり。
水を求める鳥のように川面をながめるばかり。

なんと静かな川の流れ。まるで湖のように思える。


お大師堂には浜木綿の花が咲き始めた。
遠くから見ると人影のようにも見えるその花は。
百合の花にも似た芳香を放っている。

立ち止まり顔をよせその香りをいっぱいにかいだ。
優しいにおいだ。なぜかなつかしくほっとするにおいだ。

しばらくは毎日この花に会えるのかと思うと。
まるで恋をしているようなきもちにさえなる。



夕焼け小焼けで日が暮れて。口ずさみながらあんずと帰る。

するとカラスが鳴くので。かわいい七つの子があるからよになった。



2010年07月20日(火) 母の背中

今日も真夏日。

エアコンの効いた事務所で仕事をしていると。
なんだか息がつまりそうになってしまって。
時々は手を休めて外の空気を吸いたくなってくる。

工場の裏手は風が吹きぬけていて思いがけず涼しかった。
いちめんの田んぼのおかげだろう。色づき始めた稲穂が。
そよそよと歌うように揺れて見ているだけで心地よくなる。

しばしのおさぼり。風に吹かれながら夏空を仰いだ。



午後。そろそろ帰宅しようと思っていたところ。
母が肩が凝って気分が悪いと言い出す。

少しでもほぐしてあげようと肩をもんであげた。
なんだか照れくさい。母の身体にふれているということ。
幼子が「おかあさん」と言って肩に抱きついた時のような。

どんなに記憶を辿ってみても母の肩をもんだ覚えがなかった。
もしかしたら生まれて初めてのことなのかもしれない。
母の背中。少し猫背でまんまるくなったちいさな背中。

わずか数分のことだったけれど母はとても喜んでいた。

いいことをしたのかな。なんだか子供のように嬉しくなる。

またもんであげるねおかあさん。照れくさくてそれは言えない。

でも私の手はほんのりと紅くなって母の背中より喜んでいるようだった。



2010年07月19日(月) 汗びっしょり

すっかり真夏日。各地で猛暑のニュースが流れる。

海の日だという。波打ち際を裸足で駆けてみたい衝動にかられた。
けれども行けず。真っ青な夏の海のことを愛しい人のように想った。



今日はとにかく汗をかく。髪の毛もびしょ濡れになるほど汗をかく。
毎年の事だけれど梅雨明けには海苔網の洗浄作業が待っていた。
彼とふたりかわりばんこにそれをする。炎天下での作業だった。

これがけっこうおもしろい。流れる汗もとても心地よいものだった。

夏はやはり汗をかかなくては。どんなに暑くてもそれは爽快なのだ。


作業を終えてシャワーを浴びさっぱりとしたところで。
晩ご飯にちょっと辛めの麻婆豆腐を作ったのもよかった。
熱々のをはふはふしながら食べる。そうしてまた流れる汗。

夏には冷たいものもよいけれど麻婆豆腐もおすすめです。
豆板醤を多目に入れておもいっきり汗を流すのです。

でね。今日はきっと痩せていると信じて体重を量ってみたら。

あらま・・・昨日よりも増えている。なんで??



2010年07月17日(土) 夏が好きだ

梅雨明け。空はすっかり夏空となり入道雲。
そんな空を仰ぎながらああ夏なのだなと思う。

いつからだろう。わたしは夏が好きになった。
どうしても忘れる事の出来ない夏の日がある。

あの日手を振って別れたひとは元気でいるだろうか。

もう二度とあうことはないだろう今生の別れだった。



そんな想いを胸にひめながらも日常があたりまえのように訪れる。
主婦らしく洗濯物を干す庭先には花すべりの花が咲き始めた。
ツバメは忙しく餌を運び続け犬小屋ではあんずがあくびをしている。

息子君が突然やってきて「朝御飯を食べさせて」と言ったり。
何もなくても卵かけご飯とお味噌汁でじゅうぶんだと喜んでいた。

買物に行けば店員さんが浴衣を着てレジをしていた。
店頭ではトウモロコシを焼いている香ばしいにおい。

これが夏なのだ。今年の夏なのだとおもう。



夕食後。夕涼みをかねての散歩。
どこからかどんどこどんどこ太鼓の音が聴こえてくる。
そうして盆踊りの歌が聴こえはじめてきた。

懐かしくなるような音だ。子供の頃を思い出す。

どんどこどんどこ今も太鼓の音を聴きながらこれを記す。



歳月は流れる。いくどもいくども夏がやってくる。



2010年07月15日(木) 平穏

曇り日。梅雨らしく蒸し暑い一日だった。

ゆうがた。何気なくツバメの巣をながめていたら。
ちょうど親鳥が帰って来たところで巣を覗き込むような仕草。
その時ほんの一瞬だけれど小さなくちばしが見えたのだった。

よかった。無事に赤ちゃんが生まれたようだ。
「おとーさん!」と彼を呼びそのことを報せる。

「そうか、よかったなあ」彼の顔がほころんだ瞬間。

私達はまるでおじいちゃんとおばあちゃんみたいに。
これから育っていく子ツバメのことを見守っていくだろう。


そうして平穏に今日が暮れていく。

なんだか平和すぎてこわくなるくらいだった。

さらさらと川が流れるように一日が流れていく。

わたしはうまく身をまかせているのだろうかと。

ふと不安がってみたりもするのだった。

いいときもあればわるいときもある。

だとすればいまがいいときなのだろうか。

ありがとうございました。

きょうも手をあわせて眠りにつきたいとおもう。



2010年07月13日(火) まぶちん

今日は弟の誕生日。

毎年お中元をかねてビールを贈っていたけれど。
今年は「何も出来なくてごめんね」とメールをする。

「いいよ、いいよそんなの」って返事が来ると思っていた。
なのにあいつったら何も言ってこないのだもんなあ。


「まぶちん」幼い頃から弟のことをそう呼んでいた。

池に落ちて死にかけたまぶちん。

川に落ちて死にかけたまぶちん。

交通事故で死にかけたまぶちん。

どんな時も彼は不死身のまぶちんだった。


だからきっと長生きをするのだと信じている。


いまはちょっとメタボのまぶちん。

タクシー運転手をしているまぶちん。

いっぱい苦労を重ねてきたまぶちん。


めったに会えないけれどいつも応援しているよ。

たったふたりきりのきょうだいだもん。

姉ちゃんまぶちんが弟でいてくれてほんとによかったって。

いつもいつも思っているからね。


大好きなまぶちん。生まれてきてくれてありがとう!





2010年07月12日(月) ふるきよき友

中学時代からの親友のお誕生日。
毎年必ず電話をするからと約束していたけれど。
今年はそれが出来ないまま夜になってしまった。

元気にしているだろうか。
新しい仕事は見つかっただろうか。
あれこれと気掛かりに思うばかりで何も出来ない。

これが女友達ならもっと気軽に電話が出来るだろうに。
男友達というものは少しばかり複雑な気持ちを抱くものだ。

男だから女だからと今まで一度も考えた事がなかった。
彼もきっと私のことを親友だと呼んでくれることだろう。

けれども彼の家族はそう思ってくれないかもしれない。
そう思うととても臆病になってしまうのだった。

この歳になると年に一度の年賀状と電話だけが頼りで。
お互いの生存確認をするのが決まり事のようになってくる。

いつだったかほんの冗談のつもりで言ったことがある。
「もしも電話がなかったら私が死んだと思って」と。


電話が出来ないわけではない。電話をしなかったのだ。
一日中考えてそうすることを選んだ。


きっと元気にしているね。

私も元気にしているよ。

なおちゃんお誕生日おめでとう!

これからもいっぱいいっぱい長生きをしようね。





2010年07月10日(土) だらだらごろごろ

薄っすらとした陽射し。蒸し暑さもなく過ごしやすい一日だった。

山里の職場はお休み。どっと疲れが出てきてだらだらと過ごす。
例のスーパーに勤めるようになっていたらと思うと少しぞっとする。
体力には自信がありますと言ったわりには疲れやすくなってしまった。

いつまでも若くはないということだろうか。
しんどいなと思うことが多くなるたびに老いを感じてしまう。

午前中は洗濯や掃除。食料品を買出しに行って。
午後はまた3時間もうたた寝をしてしまった。

ほんにだらしないありさま。自分で自分を許すしかないのだと思う。


夕方はいつものお散歩。土手はそよそよと風が心地よい。
あいかわらず元気なあんずに引っ張ってもらって歩いた。

川には魚釣りの老人。のんびりと川船に揺られながら釣り糸をたれる。
いっこうに釣れているようには見えなかったけれど。
なんだか微笑んでいるように見えるにこやかな老人だった。

もしかしたら朝からずっとそうしていたのかもしれない。
釣れようが釣れまいがそうしている時間が好きなんだと言わんばかりに。

いちにちを楽しむ。そんなふうに生きられたらどんなにいいだろう。


わたしのいちにちはちょっとしたがらんどうか。

それを無意味な事と言ってしまうのはたやすいけれど。

だらだらごろごろしながらリフレッシュしているようにも思う。



2010年07月08日(木) それぞれのいちにち

梅雨明けを思わすような晴天。

緑の田んぼを見渡せばそこに稲穂が見えるようになる。
あとひと月もすればその緑も黄金色に変わることだろう。

はやいものだ。季節はどんどんと進みたがっているように思う。


朝の峠道で外国人のお遍路さんを見かけた。
民家の近くの木陰でひと休みをしているところで。
ちょうど目が合ってにっこりと微笑みあう。
ほんの一瞬の事だったけれど会釈をかわす。

ほのぼのと嬉しかった。いい朝だなあって思った。

午後。そのお遍路さんをまた見かける。
山里の県道をしっかりとした足取りで進んでいた。
朝から5時間ほど経っていただろうか。
クルマだと数分で越えられる峠を歩いて越える。
真夏のような陽射しにどんなにか堪えたことだろう。

その後姿と横顔にまた深々と頭をさげた。
次の札所までもう少し。頑張れがんばれと心でさけぶ。

声さえもかけられないささやかな出会いだけれど。
これも縁だと私は思う。歩く姿に勇気をいただいたのだと思う。


そんなことがあったいちにちがまた暮れていく。

それぞれのいちにち。それぞれのあしたがまたやってくる。



2010年07月07日(水) ねむの木の花が

雨上がりの朝。峠道を行けばねむの木の花がたくさん。
いつのまにこんなに咲いたのだろうと驚くほどだった。

それはまわりの緑に映えてとてもうつくしい。
小人の国の孔雀が羽根を広げたように咲いている。

好きな花を見つけるとこころが浮き立つようだ。
平凡な毎日だけれど特別な日のように思えてくる。


仕事は順調。笑顔があふれている職場がとてもありがたい。
お客さんと世間話をする事も多いけれどついつい声が弾む。

沈みかけた船のような会社だったけれど。
必死になって水をくみ出しているのかもしれない。
燃料がなくても皆で力を合わせて櫓をこいでいる。

ひとりが笑うとみんなが笑う。笑う角にはきっと福が来る。


以前は逃げるように職場をあとにしていたけれど。
今は違う。いまは微笑みながら「ありがとう」と言って帰る。

そうして穏やかな気持ちのまま一日が暮れていく。

思い煩うことがない。それはとても幸せなことだと思うのだった。



2010年07月05日(月) 真夏日に

久しぶりに晴れたけれどすごい蒸し暑さ。
まだまだこれから夏本番だというのに。
もう夏バテ気味になってしまいそうだった。

朝の峠道。何人かのお遍路さんを追い越す。
重い荷物を背負っての旅はどんなにか辛い事だろう。
すっかり日焼けした顔。汗が流れているのがわかる。

それでも彼らは歩き続ける。ほんとうに頭が下がる思いだ。

出来る事ならばひとりひとりに声をかけたい気持ちでいっぱいになった。


エアコンの効いた職場で一日を過ごす申し訳なさ。
午後のいちばん暑い時間に電話工事の人が来てくれる。
昨日の雷のせいだろうか職場の電話が不通になっていた。
高所作業車で電柱にあがり故障を直してくれたのだけれど。
すぐには直らず高いところでずいぶんと手間取ってしまった。
ヘルメットを被っての作業はどんなにか暑いことだろうかと。
はらはらとしながらその作業を見守ることしか出来なかった。

それが仕事のひともいる。そのおかげで助かるひともいる。
暑い、暑いと言ってなどいられないのだとつくづく思った。



帰宅して食後の散歩。昼間の暑さが嘘のように涼しかった。
夕風に吹かれながらとりとめもなくいろんなことを考える。

あれこれといろんなことがあったけれどなるようになったみたい。
欲を言えばきりがないのだもの今に感謝しなければと思うのだった。

土手に一輪の野アザミ。除草作業で根こそぎ刈られたというのに。

彼女は生きていた。それは春の日と変わらない薄紫の笑顔だった。





2010年07月03日(土) そうして暮れるいちにち

相変わらずの梅雨空。遠雷と霧のような雨がふったりやんだり。

午前中は自室にこもり手紙を書いた。
うまく言葉に出来ないけれど伝えたいことがある。

もし会うことが叶うならばどんなにか語り合えることだろう。
もどかしさをおしころすようにしながらゆっくりとペンを走らす。

川向の郵便局のポストに投函。どうか届きますようにと手を合わす。

旅をする手紙。旅をするこころ。真っ直ぐな道がそこに見える。



夕飯は家族揃って焼肉屋さんに行った。
ボーナスをもらったばかりの息子くんの大奮発だった。
いちばん嬉しそうなのは父親である彼。
生ビールで全快祝いの乾杯をした。
皆でお腹が張り裂けそうなくらいたくさん食べる。

ほのぼのとしたひと時。家族とはほんとうにありがたいものだ。

今は皆離ればなれでいるけれど時々はこんな時間が欲しい。
今度は居酒屋さんに行こうぜ!と息子君が言ってくれる。

そうしてそれぞれが暮らす場所へと帰って行く。

帰宅すればまるで祭りの後のような静けさ。

しんみりと。それでいて満たされながら焼酎のロックを飲んでいるところ。



2010年07月01日(木) 手紙

ゆうじんが旅先から手紙を送ってくれた。
稚内の消印。まだ見ぬ北の大地が夢のように目に浮かぶ。

うんうんとうなずきながら読んだ。
すごくすごく心をこめて書いてくれたのだと思う。

読み終えると目頭が熱くなった。
胸の中に陽だまりができたようにあたたかくなった。

素直に正直に自分の気持ちを伝えるということは。
ほんとうはとてもむつかしいことなのかもしれない。

でもひとは素直になれる。正直に自分と向き合うことができる。

その手紙はゆうじんの「こころ」そのものだと思った。


夢は叶えるためにあるのだと言うひともいるけれど。
私は決してそうだとは思っていない。

誰にだって挫折はある。それがなければ前へ進めないときが。

そのとき何を優先するか。それで生き方が決まってくるのだと思う。


わたしはこれからもずっとゆうじんのゆうじんでありたい。

なんのちからにもなれないけれど存在していたいと強く思う。


私もこころをこめて手紙を書きます。

どうか待っていてくださいね。


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