ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2010年03月31日(水) 忘れな草

うす曇の空。相変わらず肌寒さを感じる。

午前中に少しだけ庭の鉢植えなどの手入れ。
冬のあいだほったらかしにしてあったけれど。
紫陽花などはその枯れた枝から新芽を吹き出していた。

そしてプランターの片隅に忘れな草の芽を見つける。
好きな花だ。嬉しくって思わず歓声をあげたほどだ。

わたしをわすれないで。そんな花言葉をおもいだす。

ひとにはとつぜんの別れもあるけれど。

わたしはけっしてそのひとをわすれない。

わたしのこともわすれないでいてくれるかしら。



明日は雨の予報。もう桜も散ってしまうかもしれない。
夕方の散歩の帰り道。高台の神社へと足を向けてみた。
その石段を前にちょっとした桜の公園があるのだった。
昔はそこに小学校があったのだという場所なのだけれど。
その跡地に桜の木を植えてあってそれは見事に咲いている。
見納め。毎年かならず一度はこの場所を訪れることにしている。

しんこきゅうをしながらいろんなことをおもってしまう。

せつないこと。ちょっとだけかなしいこと。くるしいことも。

でもちゃんといきているなっておもう。これでいいのだなって。



2010年03月29日(月) 陽だまりの猫

とても風の強い日。それは春風とは呼べないけれど。
陽射しは眩しいほどに降り注ぎほっと空をあおいだ。

土手には野あざみの花が咲き始める。
その棘も若き緑にすっぽりと覆われ。
薄紫の花はきらきらと光輝いている。

寒の戻りもなんのその。いまはたしかに春だった。



川仕事はお休み。海苔の生育が思うようにならず。
しかたなくしばらく様子を見ることになった。
欲を言えばきりがなく自然任せにするほかなくて。
もはや焦る気持ちもなくなりただその時を待つ思い。

体調のこともありいただいたお休みをのんびりと過ごす。
とにかく気分転換をと久しぶりに文庫本をひらいてみた。
やはり読書は良いなと思う。ぐんぐんと惹き込まれていく。

重松清の短編『陽だまりの猫』主人公の気持ちがすごく伝わる。
このひとの作品はどれも読後感が素晴らしくて心地よいのだった。
読み終えた後のなんともいえない満足感。ああ好きだなと思った。

こころを打つ。さりげなく打つ。そんな文章を私も書けたらいいな。




さあて今夜も歌ってみようと。お風呂の鼻歌は『いい日旅だち』

ゆきどけまぢかのきたのそらにむかい。うんこれは大好きな歌だ。

よしえちゃん。たけさん。りゅうちん。しんさん。

北の大地にもきっと春はくるよ。もう少しのしんぼうだよ。



2010年03月28日(日) へっちゃらよ

やっと青空になったけれども花冷えが続いている。

そんな寒さにもめげることなく桜は精一杯に咲いてくれて。
見上げるたびに何かを語りかけてくれているような気がする。

だいじょうぶよ。へっちゃらよ。これくらいなんともないわ。


わたしもそうでありたい。胸をはってそうさけびたくなる。


季節の変わり目のせいか。木の芽起こしの頃だからなのか。
昨夕から少し体調がおもわしくない。例の発作に悩まされる。
自律神経とはいったいどんなしくみになっているのだろうか。

思うようにならなくてちょっと悔しい。負けたくないのに。
どんどんと深いところに引っ張られていくような感じになる。


今夜はお風呂で鼻歌をうたってみた。春が来た春が来た。
どこに来たで始まって。次は山だっけ里だっけ野だっけ。
わからなくなってしまってそれが可笑しくてならない。

ああ楽しいなあ。お風呂から出てもまだ歌い続けていた。

それが気分転換になったのだろう。いまはこうしてここにいる。
むしょうに書きたくて。かといってつまらないことだけれど。

書いてみました。はぁ・・なんかとてもすっきりとしました。





2010年03月25日(木) 花冷え

今日で三日目の雨は少し冷たかった。

暖かさに慣れ始めていた身体には辛くもあり。
川仕事をお休みしていちにちのんびりと過ごす。

そんな雨も夕方にはやみやっと散歩に出掛けられた。
雨のあいだも桜はそのつぼみを開いていたのだろう。
お大師堂の桜はほぼ満開になりひとひらふたひらと。
花びらが散り落ちていた。なんと儚い事だろうと思う。

きょねんのいまごろだった。そんな桜花のように。
去っていったひとがいる。とても淋しい事だったけれど。
ひとはこんなにも潔く去れるものかと感動さえおぼえた。

Jさん。元気にしていますか?また桜の季節になりましたね。


去るものは追わず。とはいってもいつも気掛かりでならなかった。
縁のあったひとと縁が切れるということはやはり辛いことだと思う。

けれども。Jさんが私にさずけてくれたものそれはずっとずっと。
私の胸の中から消えることはないだろう。ありがたい縁だったのだ。


はらはらとやがて散る花いま生きて儚き夢を胸にひとひら 





2010年03月24日(水) おかえりなさい

今日も雨。青空が恋しいけれど春の雨もまたよし。

早朝。あんずの散歩から帰った彼が。
玄関にお客さんが来ているよと言う。

こんなに朝早くからいったい誰だろう。
きょとんとしている私の顔を見ながら。
彼は可笑しそうに微笑みながら言った。


今年もツバメが帰って来てくれたのだ。
我が家の事を忘れずにいてくれたのか。
ながいながい旅をしながら辿り着いて。

感激で胸が熱くなる。こんなに嬉しいことはない。

また忙しく古巣の修復を始めることだろう。
そうして一羽が二羽になりやがて卵を産み。
可愛らしい子ツバメたちの声が聴こえるだろう。

ツバメは春の使者のようだ。おかえりなさい。

そしてありがとう。我が家にも春がきました。



2010年03月23日(火) 縁あるひと

あいにくの雨。しっとりとやわらかに降り続く。

この雨があがれば桜も一気に満開になるだろう。
儚い花だけれどその蕾をふっくらと膨らませながら。
精一杯に生きている姿に咲こうという意志を感じる。

お大師堂の桜も少しずつ咲き始めたきのう。
また例の修行僧のお遍路さんに再会した。
去年の9月からかぞえてもう5度目になる。

よほど縁深いひとなのだろう。前世の私たちは。
とても身近なところにいたのだとそのひとは言う。

きのうが今日の雨ならば再会は叶わなかったと思う。
桜の木の下で立ち止まらなければ会えなかったひとだ。

縁とはなんとも不思議なもので巡りめぐっていながら。
ほんの一瞬の時をあたえられてその糸がつながるものか。

お別れはいつも名残惜しいものだが。またきっと会える。
そんな確信のおかげでとてもあっさりとその場で別れた。


今日の雨にもひたすら前を向き歩き続けていたことだろう。

そのひとにとっては歩くことが生きることなのかもしれない。


ありがたき縁をさずかり。私も日々を歩んでいくことができる。

どんな日もあるけれど。空と大地に支えられながら生きていきたい。



2010年03月20日(土) ゆうじん

黄砂なのだろうか。霞がかった空。
気温も上昇しすっかり春らしくなる。


ぽかぽか日和に誘われて「しんむけいげ」に行った。
今日を逃せばこの春はもう無理かもしれないと思い。
いてもたってもいられないような気持ちで出掛ける。

お店はほぼ満席状態。窓際のカウンターは無理で。
いっそ春風に吹かれようと裏庭のテラスを選んだ。

吹き抜ける風にウグイスの鳴き声。なんとも心地よく。
美味しい珈琲と甘さを控えたロールケーキを食べた。

友人は変わらず天真爛漫。いつ会っても朗らかな笑顔。
私はといえばついつい不安な事などを口にしてしまい。
そんなことはないよと笑い飛ばしてくれるのを期待する。

私たちは決して似たもの同士ではないのだけれど。
不思議と気が合って長い歳月をともに過ごして来た。

ゆうじんとよんでいるのはかたおもいかもしれない。
彼女はうちの息子が小学生の時の担任の先生だった。
たまたま同い年であり文芸のようなものでつながる。
それ以外にはなにもないのかもしれないなとも思う。

けれども私にとってはかけがえのないゆうじんだった。


今度は夏ね。この店の窓から見える風景はどんなだろう。
きらきらとまぶしい川面。対岸の柳の木が夏風に揺れる。

わたしのふあんがたとえふえていたとしても。

かのじょがわらいとばしてくれるのがうれしい。






2010年03月18日(木) こだわり

彼岸の入り。朝の風は少し冷たかったけれど。
日中はほっとするような暖かさになった。

お昼にぼたもちを食べる。おやつにも食べて。
つい今しがた食後の別腹で最後の一個を食べる。

死んだお祖母ちゃんのぼたもちを思い出す。
きな粉のじゃなくて小豆餡のぼたもちだった。
もう二度と食べられないその味がとても懐かしい。

しんだひとはみんなひがんにいるのかしら。
ごくらくじょうどとはどんなところなのだろう。



我が町にはいくつか沈下橋という橋があって。
そのひとつの近くに「しんむけいげ」というお店がある。

店の名は般若心経の一節より名付けられているらしい。
「こころにこだわりをもたない」というような意味だ。

お正月の3日だったろうか。友人と食事に出掛けた。
窓際のカウンター席。そこから見る景色の素晴らしさ。
春になると川向に菜の花がたくさん咲くのだと言う。

その時友人と約束をした。きっと春にまた来ようねと。

先日友人から電話があった。ねえもうそろそろ行かなくちゃ。
今度の連休はどう?私はなんとしても行きたいのだけれど。
不作とはいえ川仕事を休むわけにはいかないなと複雑な気分。

お昼ごはんは無理でもお茶するくらいの時間はとれるかも。
一時間でもいい。あの場所にもう一度行ってみたいと思う。

こころ魅かれる場所って誰にだってあるだろう。

「しんむけいげ」にこだわっているのかもしれないけれど。



2010年03月17日(水) いきる

今日も冬の名残。北からの風はやはり肌寒く。
けれども夜明けがなんと早くなったことだろう。
それだけで春を感じる。青空と陽射しが眩しい。


彼の58歳の誕生日だった。
父親が亡くなった年をやっと乗り越えたことになる。
この一年どんなにか不安に思っていたことだろう。
俺は親父の年まで生きられればそれでじゅんぶん。
などと口癖のように言い続けていた一年だった。

なんだか還暦のお祝いみたいね。ふたりで笑い合う。
そうもちろん還暦だって喜寿だって米寿だって来る。
俺生きたなあ。なんかめちゃめちゃ生きてるなあと。
また笑い合える日がきっと来るだろう。ねえお父さん。

よほど感慨深かったのだろう。今夜の彼の嬉しそうな顔。
いろんなことがあったけれどこの人と暮らせてよかった。
つくづくとそう思う。そうして感謝の気持ちが溢れてきた。


ひとはいつかかならずしぬ。そのいつかのためにいきる。

たすけあいゆるしあいささえあっていっしょうをおわる。

おとうさんおたんじょうびおめでとう。ながいきしようね。



2010年03月16日(火) 老犬とわたし

風の強いいちにち。
冬の名残の北風がひゅるひゅるとないて。
咲き始めたばかりの桜の花にすがりつく。

そうたしかに。寒さなければ花は咲かなかった。



午前中に川仕事を終え午後から少し損保の仕事。
自宅でそれが出来るようになってとても助かる。
山里の職場も気掛かりだけれど正直なところ。
なるべくなら行かずに済ませたいと思っている。

母を助けてあげなければと任務のように思って。
そのくせそれを実行しないのは矛盾しているかも。
しれないけれど。気が進まないことが多くなった。

無理をしないこと。それが何よりいちばんだと思う。
母は無理をしているかもしれないというのに・・・。



夕方。洗濯物を取り入れていたらあんずがしきりに。
きゅいんきゅいんと甘えた声で散歩をせがんでいた。
いつもとはちょっとちがう様子で急いで連れて行く。

おしっこを我慢していたらしい。土手に駆け上がり。
けつまずいて転んだ。あらまあと思わず笑ってしまう。

それからうんちも我慢していたらしい。歩きながら。
それをちびった。ぽろんぽろんと道に落としていく。

慌ててスコップですくっているとぐいぐいと引っ張る。
もしや彼女は無意識のうちに。そう思うとやはり老いか。

けれどもそんな心配をよそに先を急ごうとする彼女は。
とても老犬とは思えない歩きぶりだった。すごい元気。
ぜえぜえと喘いでいるのは私のほうで負けたなと思う。

そんな彼女の元気にずいぶんと助けられているこの頃。

私もあんずみたいに元気なおばあちゃんになれるかな。

老いることはせつないけれど。たのしく愉快に老いたい。




2010年03月13日(土) ほろりと涙が

朝は少し肌寒かったけれど日中は春そのもの。
うす曇の空からやわらかな陽射しが降り注ぐ。

あたりの山にはピンク色のツツジの花が咲く。
冬枯れていた山にその色がとても可愛らしく。
こころがなごむ。アイニイキタイなと思った。



川仕事。ぼちぼちとまた収穫を始めることになった。
川辺の木々のあいだからウグイスがしきりにないて。
焦りや不安をその声で打ち消してくれるありがたさ。

すっかり弱っていた海苔も少しずつ元気になっている。
なんと愛しいことだろう。胸が熱くなりほろりと涙が。
頑張ってくれているんだね。こんなに嬉しいことはない。

決してあきらめないこと。そして信じる事を今日は学んだ。



2010年03月11日(木) 青空

昨日の寒さがうそのように暖かくなる。
久しぶりの青空だった。洗濯物も嬉しそう。


割ぽう着姿のまま畑に出掛ける。
長靴を履いてゴム手袋をはめて。
よいしょよいしょと大根を引き抜く。
大きいのもあれば小さいのもある。
全部で20本ほどの大根を収穫した。

とても食べ切れそうにはなくて。
姑さんにお漬物にしてもらうことに。
自分でもやってみようと浅漬けを作る。
お昼に漬けてさっそく晩御飯に食べた。
うむ。ちょっといまいち。でも美味しい。

それからキャベツは初めての収穫だった。
なまでむしゃむしゃと食べてみたくて。
トンカツを作りてんこもりのキャベツ。
やわらかくて甘味があって我ながら上出来。

苗を植えたばかりの時には蟹に食べられた。
もう駄目かなってあきらめていたのに。
寒い冬のあいだいっしょうけんめいに。
育ってくれたキャベツ。よくがんばったね。

なんか今夜は嬉しくってテンションがあがった。



2010年03月10日(水) 明日は晴れ

寒の戻りもそろそろピークだろうか。
雪混じりの雨と強い北風が吹き荒れる。

そんな寒い日に高知城では桜の開花宣言がある。
ほっと嬉しくなるようなニュースだった。

あと少しもう少しでこの寒さともお別れ。
桜の季節がやって来る。やっとほんとうの春だ。



軽トラックにビニールシートをかけて。
無事に海苔のお嫁入りを済ませた。
例年ならば三回はある出荷だったが。
今年はこれっきりになるやもしれず。
いやそんなことはないだろうと首を。
横に振りながら不安を打ち消している。

ど〜んとかまえてひとやすみのつもりでも。
どうにも気分が落ち着かず苛々としてしまう。


明日は晴れてあたたかくなりそうなので。
ほったらかしにしてある畑のことをしよう。
とにかく大根を引いてしまわないともう花が。
咲きそうになっている。大根の花畑になりそうだ。

初めての畑作りで大根だけはたくさん育った。
自分で作った大根は柔らかくてとても美味しかった。

やってやれないことはない。これからもがんばろう!



2010年03月08日(月) 私の彼は楽天家

今日もぐずついた空模様。そして肌寒い。

寒は戻ってまた別れていくのだろうか。
お彼岸を過ぎればぐっと春らしくなるだろう。



明後日にお嫁入りをする海苔の出荷準備をした。
例年通りとはいかなかったけれどやれるだけのこと。
精一杯の気持ちで送り出してあげたいと思っている。

入札価格によってはどん底の暮らしに陥るかもしれない。
けれども欲を言えばきりがなく。お嫁にもらってくれる。
それが何よりもありがたいことなのではないだろうか。

自然からの恵みをさずかった。もうじゅうぶんだと思いたい。


ついつい悲観的になってしまいそうになる私とはちがって。
彼はとても楽天家だと思う。おかげで随分と救われている。

なんとかなる。なんとかなると呪文のように唱えている日々。



明日は久しぶりに山里の職場に行ってみよう。
そうしてまたやれるだけのことをして尽くしたい。

峠道をお遍路さんが歩いているといいな。

ただひたすらに前を向いて一歩一歩進む姿にあいたい。



2010年03月07日(日) ひとやすみ

寒の戻りだろうか少し冷たい雨。

ゆっくりとお休み出来る日曜日なんて。
ほんとに久しぶりでほっとくつろいだ。

海苔の収穫はしばらくお休みになるかもしれない。
弱りきっていた海苔の殆どが腐って流されてしまった。
でも種はしっかりと残っているのでまた育つだろうと。
彼の言葉を信じてあまり不安がるのはよそうとおもう。

種よ。がんばって。種よ。どうか生きてください。


ここはど〜んとかまえているのがいちばんかな。

げんじつをうけとめてなるようになるさって。

しぜんのことをうらまずにむしろかんしゃして。



2010年03月06日(土) すみれ

野に咲くスミレが庭に咲く。
それはコンクリートのすきまから。
とてもちからづよく息をするように。

ある日は土手に咲いていたのだろう。
紫色の蝶々のようにひらひらと風に。
吹かれているうちにやがて種になった。

その種が育つ。ほんの2ミリほどのすきま。
ひび割れたコンクリートに土の香りを見つけて。

つよいねきみは。こんなにもつよかったんだね。



2010年03月04日(木) 希望を持とう

朝から雨。優しい雨でよかったけれど。

雨合羽を着て川仕事に行くのが少し憂鬱。
ついぐじぐじと文句ばっかり言ってしまう。

降るものは仕方ないだろうと彼に宥められ。
ようし!っとカタチばかりの気合を入れた。


先日の津波の影響だろうか海苔が弱っている。
まるで植物が枯れ始めたように茶色が目立つ。
このまま弱り続けると川の中で腐ってしまう。

不安がつのる。どうしようもなく心配でならない。

がんばって。生きようねと念じるように収穫をした。
ほんとうに自然まかせ。人のチカラなど敵いもせず。
おろおろとしながら見守る事しか出来ないのだった。

悪い事ばかり考えていてはいけないな。希望を持とう。



2010年03月03日(水) ちいさな旅

親戚のお葬式があり母とふたりで高知市へ出掛ける。
列車で2時間足らず。始発列車の窓から朝陽を見た。

母とふたり肩を寄せ合って列車の座席に座るなど。
もう何十年も昔の子供の頃からなかったように思う。

母はこんなにちいさかったのかしら。

背中をまるめてちょこんと座る姿は。

すっかり老婆のようでせつなくてならない。

列車をおりて改札口に向かっている時も。
すぐ横を歩いていると思っていたけれど。
気がつけばずっと後ろを歩いているのだった。

「荷物を持ってあげようか」と声をかけると。
「かまん、かまんよ」と荷物をぎゅっと握りしめる。

ずっと気丈な母だった。いつだって溌剌としていて。
それがいつのまにかこんなに老いてしまったなんて。

なんだか見てはいけないような気がしてならない。
胸の奥が疼く。痛々しくてかなしくてならなかった。

そんな私の気持ちをよそに母はとてもはしゃいでいる。
駅の喫茶店でモーニングサービスを美味しそうに食べる。
タクシーに乗り込んだ時もまるで観光客のようだった。



お葬式がおわる。母よりふたつ年下のひとが亡くなった。

やがて母もとわたしはおもう。こんなふうにとかんがえる。


とんぼがえりでまた駅に戻る。お腹空いたねと母が言う。
ふたりでオムライスを食べた。ケチャップたっぷりなのに。
母はその上にウスターソースをかけた。「あんたもかけなさい」
美味しいよと大きな声でしきりにすすめたりするのだった。

帰りの列車のなか。母はぽかんと口を開けたまま眠り込む。

その顔を見たら笑い転げそうになって私は海ばかり見ていた。



2010年03月01日(月) 弥生

あわせた手のひらをそっとひらいたように
白木蓮の花がそれはみごとに咲いていた。

弥生三月。春はもうすぐちかくまできていて。
ここにいるよとささやいているのかもしれない。



昨日からの津波騒動。今朝もまだ潮に変動があり。
川仕事は中止になった。たいしたことはないだろうと。
甘く見ていたのかもしれない。従兄弟の川船は転覆し。
うちの船もロープが切れて危うく流されるところだった。
川の水が逆流しているのを目の当たりにして怖いと思う。
水はまるで大雨の後のように濁り渦を巻きながら流れた。

今回の津波を教訓におもい身を引き締めなければと思う。



のんびりとお休みのつもりでいたけれど母から電話がある。
一時間でも良いから手助けが欲しいという事で駆けつけた。
母ひとりではどうにもならないことがある。親孝行だとか。
それは別問題で。職場がある限り私にも責任があるのだった。

めまぐるしさをよそに。母はほっとしたように机に向かう。
私は例のごとくでコマネズミのようにすべき事をこなした。


山里ではもう田植えの準備が始まっていておどろく。
水を張られた田んぼ。それはとてものどかな風景だった。

知らず知らずのうちに季節が移ろい始めている。

うぐいすが。ほうほけきょ。けきょけきょと春の歌をうたった。


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