ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2009年09月30日(水) つい昨日のように思うこと

秋雨前線が停滞しているらしい。今日もぐつついた天気となる。
けれども今が盛りと咲いているコスモスのなんと明るい事だろう。
それは灰色の空にもよく映えてほっと心を和ませてくれるのだった。

柿の葉が色づき始める。桜の葉もまたはっと季節を知らせてくれる。
つい昨日のように思う事。ずいぶんと駆け足で巡り来た秋を思った。


畑には日曜日に種を蒔いたばかりの大根がもう芽を出してくれた。
カイワレ大根の先っちょのような双葉がなんとも可愛らしく見える。
蟹さんは相変わらずざわざわと忙しない。近づくと一斉に逃げては。
その様子が愉快でならない。けれども全部食べられたら悲しいかな。

水曜日。明日は木曜日と週末が待ち遠しい。畑仕事が楽しみになった。


少女だった頃を思い出す。父が猫の額ほどの家庭菜園を作っていた。
草引きを手伝った時のこと。間違えてほうれん草を引いてしまった。
おまえは雑草と野菜の区別もつかないのかとひどく叱られたのだけれど。
そのことが今とても懐かしくてならない。そんな私が畑作りを始めた。
父が生きていたらあの時のことを思い出して笑い転げたかもしれない。

無事にほうれん草が収穫出来るようになったらお父ちゃんにお供えしよう。
お白和えが良いかな。そんなことを考えながら今宵もゆっくりと更けていく。





2009年09月28日(月) 恵みの雨がふる

恵みの雨。午後にはもう薄陽が射し始めてしまったけれど。
あたりじゅうがしっとりと潤って草の匂い土の匂いが漂う。

一雨ごとに秋が深くなることだろう。奥へ奥へと向かう道。
そんな一本道にぽつねんと佇んでいるような気持ちになる。



昨日。畑に大根の種を蒔いた。白菜の苗とレタスの苗も植えた。
だから雨が嬉しくて。帰宅するなりわくわくしながら畑に行く。

するとざぁ〜と音を立てて逃げる群れに遭遇。なんと沢山の沢蟹。
何てことでしょう。白菜は丸裸。レタスは跡形もなくなっていた。

蟹が野菜を食べる話を聞いたことがある。先日の春菊もそうなのか。
落胆しつつも不思議と腹が立たなかった。むしろ愉快にさえ思える。

また植えれば良いよと姑さんも笑っている。やはりネットを張ろう。
彼は手伝ってくれるらしくてそう言う。週末はまた畑仕事に励もう。

私は蟹が野菜を食べている姿を想像する。ハサミでちょきんとするのかな。
そうしてもぐもぐするのかな。柔らかな野菜はどんなにか美味しい事だろう。

何もかも初めてのこと。何がおきても新鮮に思える。何だって来いって思う。




さきほどTさんからメール。もうすぐ大分に帰りつけそうでほっとする。
今回の旅はとても貴重な旅だったと思う。それは私にとってもそうであり。

ひととひととの縁を強く感じた出来事になった。

夏の名残のような別れ。それはとてもさびしくてせつない。

けれどもなんともあたたかなおもいで満たされた数日間だった。







2009年09月26日(土) 私はずっとここにいる

ほんの少しの夏の名残り。ツクツクボウシの鳴く声を。
聞き納めのように耳にする。それはもう精一杯のいのち。


先日種をまいたほうれん草の芽が出る。ちっちゃくて可愛くて。
とても嬉しくてならない。初めてのことで少し不安だったけれど。
これも恵みだろうと天を仰ぐ。種はちゃんと生きていたのだと思う。



昨日。Tさんはやっとの思いで彼女と再会を果たした。
午前中は見つからずはらはらとするばかりだったけれど。
午後になり朗報。会えました!の一言にとてもほっとする。

そうして今日はふたり一緒に歩くことが出来たのだった。
ふたりの笑顔が目に浮かぶ。なんだか私の心も一緒に歩く。

ひとの縁ってなんてありがたいことだろうとつくづく思った。
か細い糸かもしれない。けれどもしっかりと結んでおきたい。
きっとまた会える。そう信じてこの先の人生を歩んでいきたい。


私はずっとここにいる。大河のほとりで穏やかに生きていよう。

そうして糸を紡ぐように縁を織り続けていこう。



2009年09月24日(木) ひとがなにかを思い立つとき

連休も終わり山里の職場へと向かう。例の憂鬱さはいずこへ。
今朝はいつになく心が浮き立ち。期待に胸を膨らませていた。

大橋を渡って国道に出る。ひとりふたりとお遍路さんを追い越して行く。
五人目だったろうか。昨日の彼女らしき後姿を見つけることが出来た。

すぐにクルマを停めて駆け寄って行った。彼女はとても驚いた様子で。
けれどもすぐに満面の笑顔を見せてくれて「おかあさん」と私を呼ぶ。

ほんとうに娘のようだった。朝陽を浴びながら彼女の汗がきらきら光る。
昨夜の嬉しかったことを話して聞かせてくれた。もう最高でしたと言って。
Tさんと出会えてほんとうに良かったと思う。ささやかな縁かもしれない。
けれども確かに繋がっていたからこそ出会えたのだと思う。感動的な出会い。


彼女の手に私の手を重ねて名残惜しく別れた。今しか出来ない事だから。
彼女はそう言ってまた歩き始める。とてもたくましいまぶしい姿だった。
不思議なパワーを頂いたような気持ちで私もすくっとなり職場へ向かった。



午後。Tさんからメール。四万十川の上流域まで行っていたけれど急に。
歩きたくなったのだそうだ。彼女と出会ったことで心を動かされたのだろう。
そんな気がする。彼女の不思議なパワーがTさんにも伝わったのだと思う。

結局Tさんはコースを変更して彼女を追う事になった。きっと会えるだろう。
なんとしても彼女の姿を見つけて少しでも一緒に歩かせてあげたかった。

夕方。足摺岬からメール。もう薄暗くなった頃。彼女の姿が見つけられない。
とても落胆している様子で心が痛くなった。でも明日があるさと返信をする。

「あはは」と笑い声の返事。だいじょうぶ。彼女はきっとすぐ近くにいる。


私は祈っていよう。ふたりの再会を。そうして少しでも一緒に歩けることを。

縁があるのだから必ず会える。だってそのために思い立った旅ではないか。


ひとがなにかを思い立つとき。そこにはかならず待っていてくれるなにかがある。




2009年09月23日(水) またきっと会いましょう

秋分。うす曇のやわらかな陽射し。心地よく風に吹かれる。
月は三日月。少し赤みを帯びてとても神秘的に夜空に映える。


日曜日の出会いから立て続けに嬉しい事があった。
昨夜は埼玉のSさんがすぐ近くまで来てくれて再会が叶う。
ネットを通じて知り合い初めて会ったのが一昨年の春だった。
我が町を第二の故郷のように思い通い続けて20年が近いと言う。
昨年は会えなくてとても残念だったけれどいつかきっとと思っていた。
連絡してくれてありがとう。帰り道にわざわざ立ち寄ってくれて嬉しかった。

土手で夜風に吹かれながら手を振った。来年もまたきっと会いましょう。


今日は大分のTさんと再会。今年のお正月にお寺で出会ったお遍路さん。
今回は遍路旅ではなかったけれど急遽思い立って高知へ来てくれたのだ。
笑顔がとても懐かしかった。あの日も境内で目があって微笑んでくれた。

隣町の道の駅で待ち合わせて会いに行く。遍路地図を見ながら語り合った。
来る途中に若い女性の歩き遍路さんと出会えたと言うこと。その女性がなんと。
私が毎日のように通っているお大師堂に。今夜は泊まる予定だと言うのだった。

偶然とはいえなにか不思議な縁を感じ。私もその人に会いたくてならない。
Tさんはお接待がしたくて今夜の晩御飯をご馳走する約束をしたと言う事。
自分も歩いていて嬉しい事がたくさんあったのだと思う。だから今度は自分が。
Tさんの気持がすごく伝わってきて私も嬉しくなる。私もひと目会いたい。



夕暮れ時。いつもの散歩道がきらきらと眩しかった。心が浮き立つようだった。
お大師堂で手を合わせていると足音が聴こえてくる。笑顔のTさんとまた会える。

そうして少し遅れて彼女の姿が。まだあどけない顔が真赤に日焼けしている。
一気に母の気持ちになった。偉いねほんとうに偉いねと抱きしめたいほどに。


夕風に揺れるススキをかたわらに二人と別れた。またきっと会いましょう。

その日がどんな季節でも変わらぬ笑顔で会いましょう。ゆびきりげんまん。



2009年09月21日(月) 出会ってくれてありがとう

午後はにわか雨の予報がはずれ秋晴れのまま日が暮れる。
日中の夏の名残もこの彼岸があければもう遠くなりそう。


朝のうち少し畑仕事。ほうれん草の種をまいてみた。
初めての事で芽が出てくれるのか不安はあるけれど。
とにかくやってみなければと見様見真似で試みてみた。

昨日植えたばかりのキャベツは早くも虫に食べられている。
春菊も一本は跡形もなくなっており先が思い遣られるけれど。
好奇心旺盛な私にはそれもまた良い経験になるのかもしれない。

俺はもう手伝わないぞと言っていた彼が様子を伺いに来る。
無関心を装いながらも気になるのだろう。それも愉しかった。

ようし冬になったら毎日ほうれん草を食べさせてあげようと思う。




連休のせいか県外ナンバーのクルマが目立つ。川で写真撮影や。
またお遍路さんの姿もいつもより多い。ちりんちりんと鈴の音や。

昨日のこと。ネットを通じてお知り合いになった方と会うことが叶う。
その方もお遍路さんだ。香川から列車に乗って我が町に来てくれたのだ。
駅でこっそり待ち伏せをしていた。すごいドキドキしながら待っていた。

声をかけた瞬間のびっくりしたような顔と満面の笑顔を嬉しく思う。
初対面だというのにやはり懐かしさを感じる。これが縁というものか。
同い年という事もありなんだか旧友に再会したような気持ちにもなる。

足摺岬行きのバスが来るまでほんのつかの間だったけれど語り合った。
ずいぶん手前から歩きとの事。今日は無事に足摺岬に着いている事だろう。

出会えるということはほんとうに不思議なことだと思う。
ささやかな糸を手繰り寄せながらひとはひとに出会えるものだ。

出会ってくれてありがとう。いつも感謝の気持ちを忘れずにいたい。






2009年09月19日(土) 穏やかに更けていく夜に

空は秋晴れ。夏の名残のような陽射しが降り注ぐ。
ツクツクボウシの鳴く声が遠くからかすかに届く。


姑さんが作っていた畑を授かってから半年近く経った。
好きなようにしても良いよと言われていたのだけれど。
なにしろこれまで一度も畑作りなどしたことがなくて。
手がつけられないまま夏が来てとうとう秋になってしまった。

今日はやっと意を決してすっかり固くなっていた畑を耕す。
とはいえ自分一人ではどうにも出来ず彼に手伝ってもらう。
ミニ耕運機はとても便利だ。あっという間に土を起こせた。

じゃが芋畑にしようと思う。さっそく種芋を買いに行った。
けれども今年は種芋が不足していてもう完売だということ。
なんだか出足を挫かれたような思い。お店でしばし迷った。
結局。キャベツの苗を買う。それから春菊の苗も買う事に。

明日は朝から植え付けをしてみよう。ちゃんと出来るかな。

失敗は成功のもと。何事も始めてみなければと思っている。



夕方。久しぶりに息子君が帰って来てくれて餃子を作った。
サチコと三人でちょっと不恰好な形のやつもあったけれど。
味は最高でとても美味しかった。四人で50個を平らげる。

こうして家族が揃うとほんとに嬉しい。楽しい夕飯になった。

後片付けをしているうちにすっかり日が暮れる。散歩はお休み。
あんずに謝りながらもたまには良いかなと思う。お大師堂にも。
いける日に行けば良い。毎日と自分に課すのも荷になるものだ。


そうして夜も更け始め。サチコの部屋から兄妹の笑い声が聞こえる。
なんだかふたりが少年と少女だった頃が懐かしく思い出される夜だ。



2009年09月17日(木) 茜の空におやすみなさい

真夜中。肌寒さに目が覚める。もう夏蒲団は限界かもしれない。
蓑虫みたいになったまま朝を迎える。身震いするほどの朝だった。

けれども朝の窓辺から仰ぐ空のなんと爽やかな澄んだ青だろう。
そのまま身も心も吸い込まれていってしまいそうな青空だった。


しじみのお味噌汁を作る。厚焼き卵を作る。台所はとても暖かい。
お弁当を詰めて。さあ今日は行かなくちゃと思う。憂鬱さもなく。
山ほど仕事が溜まっていると良いなと思う。忙しいほうが好きだ。


ほんのふつか行かなかっただけで職場のコスモスが随分と咲いた。
母が大事にしている小紫の実もまるで宝石のように朝の陽に輝く。

好きなものがたくさんある。また船に乗ろう。どんなに揺れても。


期待していた通り仕事がたくさんあった。コマネズミのように働く。
無報酬がなんだろうと思う。欲しがっている自分を恥ずかしく思う。

午後。常連のお客さんがイチジクの実をたくさん持ってきてくれた。
私はこれがけっこう好きなのだ。さっそく事務所でご馳走になった。
懐かしい味。子供の頃を思い出す。甘くてぷちぷち感が嬉しかった。

帰り際に今度は義父でもある社長から自家製の新米を一袋も貰った。
玄米で30キロ。精米しても我が家では三ヶ月は持つだろうと思う。

なんてありがたいことだろう。嬉しくて満面の笑顔になってしまった。

「おとっちゃん今日はお米を貰っただよ」ひょうきんな声で帰宅する。
「おお、それはでかしたのう」彼もまたそれに応えて微笑んでくれた。

幸せなんだわたしは。このありがたさをずっと忘れずにいたいなと思う。


夕暮れ間近の散歩。今日もあんずは嫌がらずお大師堂まで行ってくれた。
「ありがとうございました」を三回。白い萩と彼岸花を見て夕陽を仰いだ。

暮れていく空。今日もずっと見守ってくれいた空。茜の空におやすみなさい。




2009年09月16日(水) 心呼吸をいっぱいする

真っ青な空に刷毛で描いたような雲。秋晴れの一日となった。
空気がとても美味しく感じる。すくっと背筋を伸ばしたくなる。

むかし詩を書いていたころ。しんこきゅうを心呼吸と書いていた。
字が間違っていますよと指摘を受けたことがある。いや違うのだ。
私にはそうではなくてはいけないことがある。深く息をすることは。
こころが呼吸をすることなのだと決して譲らなかった。今でもそう。

心呼吸をする。澄んだ空をそのままこころに映し出すように息をする。

そうするともやもや虫もくよくよ虫も忽然と何処かへ消え去っていく。



今日も早朝から川仕事。大潮が近いせいかすっかり水の引いた川で。
ムツゴロウみたいになって精を出す。頑張ったかいがありほぼ終了。
明日の分まで済んでしまいふたり気が抜けたような達成感を味わう。
お昼に少しだけビール。よく頑張りました賞だねとか言いつつ飲む。
平日の昼間に飲むビールは格別に美味しい。とてもとても爽快だった。

午後例のごとくうたた寝。ケイタイが鳴り始めて急いで飛び起きた。
職場の母からだった。仕事のこと私にしかわからないことがあった。
夢心地だったのが一気に現実に戻る。明日は行く約束をして切った。

母なりに気を遣ってくれているのがわかる。やはり助けてあげなくては。



今日も早目に散歩。夕陽にはまだ早くなんとなく気が進まなかったけれど。
あんずはいつになくご機嫌で先へ先へと私を引っ張るように土手の道を行く。
いつもはお大師堂が近づくと駄々をこねて暴れるのだけれど。今日は違う。
いったいどうしたことだろうと首を傾げつつもそんなあんずが嬉しかった。

『あかめ道』というのがある。赤い目をした大きな魚が生息している場所。
その道から深い川面を眺めた。とても神秘的な場所だ。少しどきどきする。

お大師堂のそばにも彼岸花が咲いていた。純白の萩の花にうもれるように。
血の色をした花に真っ白な雪が。なんだかとてもはっとするような光景だった。


川風にふかれながら心地よく帰る。心呼吸をいっぱいしながらすくっとなって帰る。



2009年09月15日(火) 野菊の道をいく

朝のうちほんの少しだけ雨が降る。澄みわたる青い空のことが。
もう恋しくなってしまったらしい。夏をあきらめたせいだろう。

未練がましく思うことなど今はない。去るものは追わずにいたい。
来るものは拒まない。すべてが巡りめぐってくるものなのだから。



山里の職場をお休みして今日はまた川仕事に精を出した。
祖父が亡くなった事もあり漁場の準備が少し遅れている。
明日明後日とあればなんとか終えられそうでもう一息だ。

やはり肉体労働が心地よい。へとへとになっても好きだなと思う。
体調もとても良い。よほど身体が動きたがっているのだろうと思う。

三日も続ければまた職場に戻るのが嫌になりそうだ。困ったものだ。
まあ考えてもしょうがない。あれやこれや考えるだけで気が重くなる。

根がわがままなのだろう。好きなことだけでは世の中渡っていけない。


午後。いつもより早目に散歩に出掛ける。土手はススキと野菊の道。
薄紫の花がとても好きだった。つい手折りたくなる手を叱りながら。
ススキと共に風に揺れるその姿を愛でた。清楚で可憐で少しせつない。


お大師堂で手を合わす。今日は遠きよき友のお父様の命日だった。




2009年09月14日(月) 向かい風に立ち向かいながら

曇り日。いちだんと涼しく風はほのかに雨の気配をつれてくる。
時折り射すやわらかな陽にほっとしながら空を仰いだ。温かい。

日中の薄暗さが心細い季節になってしまった。ぽつねんと佇み。
どこかとてつもない空間に引きずりこまれるような気持ちになる。


自転車で郵便局に行く途中。彼岸花が咲き始めているのを見つけた。
そこには毎年白い彼岸花が咲くのだった。また季節がめぐってきた。
紅いそれが血の色だとすると。それはまるで花嫁さんの姿のようだ。

向かい風に立ち向かいながら行く道でほっと心を和ませた一瞬のこと。

夏はいってしまう。どうしようもなくいってしまったのだと思った。

季節の変わり目を受け止めながらまた背中を押されるようにすすむ。

どこまでだろうそこは冬だろうか。春だろうか。もしや夏だろうか。



午後。母が何を思ったのか周辺の草むしりを始めた。見る見る間に。
それはちいさな小山になる。事務所で座っているのも落ち着かずに。
一輪車で運んであげることにした。けっこう重くてふらつきながら。
もう終わりかけた鶏頭の花のそばにそれを下ろす。近くにコスモス。
先日見つけた白い一輪のそばには薄桃色の花がもう咲いてくれていた。

日に日にそれは増えていく事だろう。なんだか少女のように嬉しくなる。
職場がコスモス畑になったら。私は蜜蜂になりそうな気がする。楽しい。
歌だって歌うかもしれない。スキップをしながらダンスだって踊れそう。


せつないことをかぞえればきりがない。ふあんなことだってたくさんある。

けれどもそれにおしつぶされることのないようにわたしは生きてみたかった。




2009年09月12日(土) こころに秋風がふく

うす曇。穏やかだった空がにわかに騒がしくなり小粒の雨が。
ぱらぱらと飛び散るように降った。そうして一気に涼しくなる。


うたた寝をしていた。彼が見ているテレビの音が聴こえるのに。
なかなか目が覚めてくれない。せえのっと掛け声をかけてみて。
起き上がったつもりが起きていなくてとても苦しい思いをした。

決して疲れてなどいないはずなのに。ときたまこんなときがある。
浅い眠りというのだろう。お昼寝もほどほどにしなければと思う。

買物にも行かず読書もせずにひたすらだらだらと過ごしてしまった。
いつもの散歩の時間にはすっかり薄暗くなってしまいそれも諦める。
あんずに詫びながら晩御飯を食べさせていると肌寒い風が吹き抜ける。

秋の気配はすこしせつない。こころに秋風が吹くというそれなのだろう。


お風呂で温まった。ずっとカラスの行水だったのが長いこと湯船に浸かる。
そうしてぼけっとしながらとりとめもないことをあれこれ考えてしまった。

どうでも良いようなこと。たとえば指はどうして5本あるのだろうとか。
手のひらを見ながら生命線や運命線やその続く先や曲がり具合などとか。

深刻に思い煩う事がない。そんな日暮れで良かったと思う。ありがたいこと。


焼酎ロックをお湯割りに替える。ほんのりとした温かさがもう恋しい頃になった。



2009年09月09日(水) 約束

空は秋。風は爽やかにほんのすこしやわらかな陽射し。


やっと祖父のもとに駆けつけることが出来て。
穏やかに優しく微笑むように眠る祖父に会えた。

遅くなってごめんなさいそんな言葉をのみ込みながら。
その優しさにつつまれるようにこころが鎮まっていく。

すべてを受け止めたひとはなんとうつくしいことだろう。
ながい人生に幕をおろし魂が光のように輝いているようだった。

たくさんの花に埋もれてかたわらには愛用の帽子を携えながら。
一張羅の背広を羽織り。祖父は待っているだろう祖母のもとへ。
それはそれは元気な足取りで手をあげて向かって行った事だろう。


身内だけのささやかなお葬式だったけれど。みながにぎやかに。
天寿を全うしたお祝いだよと言って。祖父を見送ってあげられた。

寂しさはどうしても拭えないけれど。きっとまた会える日が来る。
それは残された私たちに天からあたえられた約束のようなものだ。


ひ孫である姪っ子がケイタイでみんなの写真をたくさん撮ってくれた。
祖父も写真がとても好きだった事を思い出し。みんなが笑顔になった。
そんなにぎやかさをいちばん喜んでくれているのが祖父なのだと思う。

もう悲しんでなどいられない。みんなが元気でこれからの日々を送ろう。



2009年09月07日(月) おじいちゃんごめんなさい

白いコスモスが一輪咲いた。それが合図であるかのように。
やがて薄桃色やたくさんのコスモスが咲き始めることだろう。

小高い山の上にあった祖父の家を思い出す。今は棲む人もなく。
どんなにか荒れ果てていることだろう。けれども塀の側にあった
あのコスモスは今年も変わらずに花開く時を待っているのだと思う。

春には桜。夏には向日葵。秋にはコスモスや彼岸花がとても綺麗だった。
そうしてみかん畑。冬には美味しいみかんをいつも食べさせてくれたのだ。

おじいちゃん。お山のお家に帰りたかったね。すごくすごく恋しかったね。

去年の秋のお彼岸に背負ってでも連れて帰ってあげれば良かったのだと思う。
お墓参りに行く私達を老人ホームのエレベーターの所まで不自由な足のまま。
とても名残惜しそうに寂しそうにそれでも手を振って精一杯の笑顔のまま。
見送ってくれた。会うたびに覚悟はしていたけれどそれが今生の別れになった。

今日午前二時頃だったらしい。祖父は95歳の天寿を全うしこの世から旅立っていった。
苦しみもせずほんとうに眠るような最期だったそうだ。駆けつけもせずに。
手を握ってあげることも出来ず。孫としてこんなに不孝な事はないと思う。

距離のせいにしてはいけない。歳月のせいにしてはいけない。もっともっと。
会いに行ってあげれば良かったのだ。きっと後悔するだろうと思っていた。
それがわかっていながらそうしなかったことをどうやって懺悔すれば良いのか。

おじいちゃんごめんなさい。そればかりをこころで叫び続けた一日になった。

思い出すのは幼い頃の事ばかり。お山のお家が大好きだった子供の頃のことばかり。



2009年09月05日(土) 迷わず歩いていく

もう今年は見ることもないだろうと思っていた入道雲の空。
そうして日暮れてから声を限りにして鳴く蝉の声を聴いた。

いきながらもどりつつやがて遠ざかるだろう夏のことを思う。


晩春に終えていた川仕事の再開。また漁場の準備を始める頃になった。
月日の経つのがほんとうに早く感じる。そうしてすぐに冬が来るのか。
今日は川に竹の杭を打つ作業に励んだ。冷んやりの水もすぐに温かく。
右往左往しながら心地よく汗を流した。数日はかかるだろうが頑張ろう。

どんなに疲れても身体を酷使するのが楽しい。とても活き活きとする。



夕方。例のごとく散歩。今日はあんずのことを「あんこ」と呼んでみた。
「あんこ、さんぽ、いっぽ、さんぽ」と歌うように声をかけながら行く。
やはり思ったとおりだった。なんとご機嫌が良い。私も楽しくて笑った。

お大師堂には今日も明かりが灯っている。直感を頼りにすぐに踵を返す。
昨日とは確かに違う。雰囲気というか空気というか近寄りがたい気がした。

昨日はどうしても行きたくなってしまいひとりのお遍路さんに出会えたのだ。
自分でも不思議でならない。なにかとても引きよされるように会いに行った。

それが縁というものですよとその人は言う。とても澄んだ目をした人だった。
「あなたは頑張っていますね。すごくわかりますよ」とまで言ってくれた。

その途端に張り詰めていたものがどっと崩れるようになり涙が出そうになる。

修行僧だというその人はとても尊かった。そして何よりも清々しい人だった。

この人が私を呼んでくれたのだと思う。だからなのだ私は迷わず歩いて行けた。

こんなふうにして出会える。なんとありがたい縁だろうこころから感謝をする。


手繰り寄せられる糸。か細くてとても頼りなくも思える糸。

けれども繋がっている糸。きっと巡り会える糸が必ずある。

たての糸とよこの糸を重ねあいながら縁という布ができる。



2009年09月03日(木) まあるくなりたい

明け方まで雷雨。すこし寝不足気味の朝になった。
日中も雨が降ったりやんだりで肌寒さを感じるほど。

夏が押しやられているように思う。どこにいくのだろう。
秋の気配はせつなくもあり胸のなかを雫のように濡らす。



仕事。今日も苛立ってしまった。見ざる聞かざる言わざるが。
いちばんだとわかっているけれど。つい囚われてしまうのだ。
逃げ出したい早く家に帰りたい。心中が駄々で満たされてしまう。

大人げない事だとつくづく思う。さらりと水に流してしまいたい。



鶏の照り焼きを作る。柔らかくこってりとけっこう美味しく出来た。
サチコの好物なのできっと喜ぶ事だろう。早く笑顔に会いたいものだ。



食後の散歩。今日はいつも以上にあんずが暴れてしまい困ってしまう。
私の心中が穏やかでないせいかもしれないと我が身を振り返ってみる。
犬はそういうことにすごく敏感らしい。いや犬に限らないひとだって。
穏やかな人と一緒にいると穏やかになる。反省はいくらでもしてみる。

まあるくなりたい。にこにこになりたい。もっと心がけたいとおもう。


ありがとうございました。今日もお大師さんに手を合わせてほっとする。


思うようにいかないことがたくさんある。我が身さえも。もてあまして。
どんなに心がけていても反発するのは何故だろう。不思議でならない事。

あるがままにと。その在りようにうなずけない事があまりにも多いのだ。

認めれば楽になる。受け止めればずっと楽になるのだと思う。こんな自分。

角を撫でて棘を抜きよしよしと抱いてあげればいいのかもしれなかった。



2009年09月02日(水) 心地よい夕暮れ

明日は雨になるのだろうか。夕陽も仰げないまま日が暮れる。

一雨ごとに秋らしくなってくるのだろう。季節の分かれ目に。
ぽつねんと佇んでいると。ふっと誰かに背中を押されたよう。
振り向けば風ばかり。心地よく吹き抜けていく風ばかりだった。



なんと5日ぶりのお大師堂。やっと来れましたよと語りかける。
日捲りの暦はまだ8月のまま。ひとつふたつと数えながら捲る。
昼間訪れた人が扉を閉め忘れたらしい。野良猫が来ていたのか。
お供えしあるお菓子があたりに散乱していた。何てことかしら。
なんだか嫌な胸騒ぎがして急いで片付ける。こんな事は初めて。

そうしてちょこんと正座すると。やっと穏やかな気持ちになれた。

無心になる。それはどんなふうだろう。いまだわからずにいるけれど。
ざわざわと思い煩う事がないだけでこころが澄みわたるようなきもち。

帰り際に浜木綿の無残な姿を見る。この前にも増してひどく朽ち果て。
まるで人間のそれのように目を覆いたくなった。なんと憐れな姿だろう。

けれどもその姿を支えるかのように白萩の花がこぼれ咲いているのだった。
確か夏の始めにも見たような気がする。そうしてすぐに散ってしまったのだ。
その純白の萩がまた咲いてくれた。そのことがとても嬉しくてならなかった。

もう薄暗くなった土手を少し急ぎ足で帰る。大橋を渡る車のヘッドライト。
明かりが灯り始めたそれぞれの家。我が家の明かりも温かくそこに見える。


いちにちいろんなことを思った。苛立ちもあれば不安もあったようにおもう。

でもおわった。もう終わったんだなとつくづくおもう。心地よい夕暮れだった。




2009年09月01日(火) ちびちびとのんでいる

そして9月。背高のっぽになったコスモスが風に揺れる。
その花が咲くのを楽しみにしながら秋の暦へと歩み出す。

きのうと変わらない風景を見ながら風さえも変わらずにいて。
それでもなにかがひっそりとそこに佇んでいるような気がした。

踏ん切りをつけるようななにか。もう後戻りしないという決心。
心残りな事があってはいけない。前へ前へとひたすら流れよう。




日暮れ時。お大師堂に向かったけれど今日も灯りがともっていた。
もう3日目になる。小心者のせいか近くまで行く事が出来ないのだ。

行けば出会えることだろう。それを望んでいるようでいてなぜか。
踵を返してしまう。直感というものかもしれないイカナイホウガ。

一期一会はふしぎなものだ。それは思いがけないほど出会える気がする。

その灯りにそっと手を合わして帰る。明日があるさといつも思っている。




すっかり夜になる。裏の家で子供がはしゃいでいる声が賑やかに聞こえ。
その声に負けないようにとコオロギだろうか鈴虫だろうか耳に心地よい。

私は例のごとくちびちびとのんでいる。けれども少しも酔ってくれない。

サチコもう少ししたら帰るかな。ほっとするなそうしたらすごく落ち着く。


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