ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2009年07月30日(木) けれども笑顔を絶やさずに

山里へと向かう道。昨日はいちめん黄金色だった田んぼが。
今朝は雀色に変る。早いものでもう稲刈りが始まったようだ。

いまだ梅雨は明けないけれどもうすぐに8月。農家の人達は。
これからどんどん忙しくなることだろう。暑さに耐えながら。
あちらの田んぼこちらの田んぼと収穫に精を出す頃になった。


今日もとても蒸し暑かった。朝の峠道では三人のお遍路さんに会う。
どの人もすっかり日焼けしていて夏遍路の辛さをしみじみと感じる。
例のごとく声もかけられずクルマで追い越していかねばならなくて。
後ろ髪を引かれるようでもあり心苦しくもある。頭が下がる思いだ。

ひたすらに歩くということ。その姿にはいつも勇気と希望がみえて。
出会っただけでそれを授かったような気持ちになる。清々しい朝だ。

気持ちよく流れたいなとすごく思う。どんな日になるのかわからない。
けれども笑顔を絶やさずにすくっと素直に一日を送りたいものだと思う。


母が少し不機嫌だった。今思えば気づかないふりをしているべきだった。
駄目だなわたし。ついつい刺激するような言動や行動をしてしまうのだ。
案の定。大爆発が起こる。火山の噴火のようなものだ溶岩が流れてくる。

避難したい。とにかく離れたい。庭にとび出し純白のムクゲの花を仰ぐ。
いっぱい咲いたね。青空って気持ち良いね。あなたは何を思っているの?

私はね。ちょっと悲しいよ。ひとって人の感情って計り知れなくて辛いよ。


しばし時がひつよう。溶岩がすっかり冷えてそのまま道になるくらいの。
その道を歩き出すには怖気づいていてはいけない。勇気を出して行くの。

笑顔で行くの。そうしたら火山は。自分が火山だったことを忘れた山になる。

ふぅ・・どんな日もあるものだ。まぁいいか。さらりっとさらさらしよう。




家に帰るとやはりほっとする。「おかえり」と言ってくれる彼は草原のようだ。

だとすると私はウサギね。そこらじゅうをピョンピョンと跳ねたくなったわ。








2009年07月28日(火) ぶってしまってごめんなさい

どんよりと梅雨空。せめて心は晴れやかにと思うのだった。

些細な事にこだわらないように。苛立ったりしないように。
いちにち船に揺られながら波間を漂う漂流物を目で追って。
それが何処から流れて来た物かそのいびつさも気になった。

我ながらイケナイ日だったと思う。たくさんの反省をする。


さらりっとさらさら。いつもの呪文を唱えながら家路を急いだ。
いつも寄るスーパーの店員さんはみんな顔見知りになっていて。
気軽く声を掛け合えるのが嬉しく思う。お米を買ってよっこらせ。
帰る時には「また明日ね」と手を振る。みんなが友達に見えてくる。

買物が楽しい。もうその頃には船の事などすっかり忘れているわたし。
明日は明日の風が吹くからとあっけらかんとしていられるのが嬉しい。

がんばって晩御飯を作る。春雨の酢の物や豚バラのもやし炒めなどなど。
決してご馳走ではないけれど支度が整うとほっと肩の荷がおりる気持ち。
さあ食べましょうと意気込んでいたところ。「奥さんもしや忘れてる?」
彼の一言で唖然としたのだった。「オレ今夜飲み会やけんね」おおのう!

作り過ぎてしまった。サチコと二人きりならパスタが食べたかったのに。
どうしてその事を今朝言ってくれなかったのかと。くどくど文句を言う。
まあそれも笑い話。昨夜聞いた事など私はすぐに忘れてしまうのだった。


テレビを相手に独りぼっちの夕食。釧路の動物園のトラの話題に感動する。
生まれつき後ろ足に障害があり、飼育員の手で大切に育てられたという二頭。
仮死状態だったのを必死で温めてその命を救った様子。ほろほろと涙ぐんだ。
エプロンで涙を拭いながら箸を持つ手も止まる。彼にも見せてあげたかった。


食後。例のごとくお散歩。今日はいつも以上にあんずが駄々をこねて困る。
とうとう仕方なくぶってしまった。どうしようもない時があるものだと思う。

お大師堂でそのことを報告しながら手を合わした。私は赦してもらえるのか。
愛しくないわけがない。それなのに手をあげた自分こそどうしようもなくて。

しょんぼりとしたあんずとふたり。とぼとぼと川辺の道を歩いて帰った。

いちにち苛立っていたのかもしれない。反省のうえにまた悔いを重ねる。





2009年07月27日(月) またあした

昨日から雨がたくさん降った。やまない雨はないけれど。
ふっと不安になるくらいの雨。そんな夜は心細くもなる。

今朝の静けさにほっとして窓から空を仰ぐ。青空が嬉しい。
けれども月曜日だと思うとにわかに憂鬱の風が吹き始めた。

さあネジはどこだろう。そこらへんに転がっているはずの。
ネジを捜す。めんどくさいなあってすごく思いながらいて。
それがないとぎくしゃくとしてうまく動き出せそうにない。

よかった見つかった。ここらへんかなとそれを取り付ける。
のらりくらりでも良いじゃないか。転んでも良いじゃないか。


山里へと動き出す。もうすっかり黄金色になった稲穂を見ながら。
民家の朝顔の花を見ながら。道路わきの水たまりを蹴散らしては。

「おはよう」の笑顔を交し合うと。ちょっとだけ清々しくなった。


ぜいたくだなと自分を思う。過酷な労働でもなく厳しい上司もいない。
営業もなければノルマもない。それなのにいったい何が不服なのだろう。
自然豊かな山里でいちにち机に向かって来客を待つ。電話のベルを待つ。
ただそれだけではないのか。こんなに楽な仕事がほかにあるのだろうか。

月曜日が憂鬱だなんて言ったりしたらバチが当たる。ありがたい職場だ。
特にトラブルもなく平穏ないちにち。この上ない事だとつくづく思った。

きっとものすごく怠け者になってしまったのだろう。ただそれだけの事。


そのくせ帰宅するととてもほっとする。肩の荷が下りたように楽になる。
なんだか一日中船に揺られていて。やっと岸に戻って来たような気持ち。


夕食後いつもの散歩。川面は思いのほか清らかでひたひたと静かな流れ。
はっと驚いたのはその岸辺に里芋の葉が見え随分と大きくなっていた事。
誰かが植えたとは思えず。上流から種芋が流れてきて根付いたのだろうか。
ほんとに不思議な里芋だった。台風が来なければ良いなあと見守っていたい。

お大師堂にはひとの気配はなく。そのかわり沢山の沢蟹がざわざわと動く。
近づくと一斉に逃げ出して行くのだけれど。その音がなんとも愉快だった。

お賽銭を忘れてしまい謝りながらしばし語り合う。最近独り言が癖になった。
今日はねこんな風でね。ああでねこうだったよなんて独りしゃべっている。

おお、そうかそうか。そんな声が聴こえるような気がしてならないのだった。

「ありがとうございました」深々と頭をさげて手を合わして。またあした。



2009年07月25日(土) 山鳩がしきりに鳴いた日

薄日が射しているようで小粒の雨が降ったりやんだり。
不安定な空模様のなか。山鳩がしきりに鳴く声がする。

くっくうぽうくっくうぽう。鳩時計のように規則正しく。
それがお昼だったり三時だったりするのも楽しくおもう。


日がな一日。例のごとくと言うべきだろうか怠惰に過ごす。
まるでどこかのネジが外れそこらへんに転がっているよう。
家事もそこそこ。買物にも行かない。動くのがめんどくさい。

ぼんやりとしたあたまで暇つぶしのような妄想に耽っていた。
たとえば宝くじに当たったらとか。欲深さにあきれてみたり。

たとえばもういちど20歳に戻れたらというのが自分的に好き。
バドミントンを始めるのだ。そうしてバド仲間に恋をしよう。
そのひとはすごくバドが上手で鼻高々と彼女にしてもらって。
バド婚というのをして。ふたりで色んな大会に遠征して行く。
子供にもバドを教えて家族みんなでバドな人生を送りたいな。

どうしてバドかというと一気に現実にかえってしまうのだけれど。
昨夜も練習をしながら。つくづくと体力の限界を感じてしまった。
蒸し暑さのせいもあるけれどすぐに息があがる。駄目だなと休む。
若い仲間達の頑張っている姿がとても眩しい。ああ戻りたいなと。
すごくすごく思った。なんだかどうしようもない穴のような場所。
そこに自分が引っ張り込まれているような感覚をおぼえてしまう。

好きなこと。いつかは諦めなければいけない時がくるのがこわい。
けれども行かなくてはならない。もう少しあと少しだけ燃えたい。

妄想は楽しい。現実はきびしい。受け止めつつ身を任せていよう。




夕食は昨夜たくさん作り過ぎたカレー。まだまだ明日もありそうだ。
むしょうにゴーヤを食べたくなり。ゴマ油で炒めて塩と黒胡椒で食す。
カレーの辛さよりもゴーヤのほろ苦さが口に残る。とてもいい感じだ。

食後。ちょうど雨がやんでいて散歩に行くことが出来た。湿った川風。
それも心地よく夏草に混じって羊歯が勢いよく伸びる土手の道を歩く。

お大師堂は5日ぶり。なんだか自分の部屋のような落ち着きを感じた。
手を合わせながら願うことは何もない。ただただ平穏に感謝するばかり。

行かなければいけないのなら行くしかない人生のその果てにむかって。

私の時計は鳴けない鳩のように時を刻み続けているのだろうと思った。



2009年07月23日(木) 夏色の南風のこと

二十四節気のひとつ大暑。いよいよ夏も本番になったらしい。
未だ梅雨は明けないけれど。今日の強い陽射しは夏そのもの。

もうすぐ一年が経つのか。ふっと去年の夏のことを思い出す。
今となっては奇蹟だったとしか思えないような出会いがあった。

親しさとはなんだろう。それがとても深い意味のある縁に思えた。
愛着が度を過ぎ執着になってしまったのかもしれない。今はもう。
その声を聴くことも出来ず。ひとつの悲しみを乗り越えてしまう。

けれども春の日のそのひとは。散り急ぐ桜よりも潔く美しかった。
その日のために出会ったひとだったのだろうと信じられるくらい。
悲しみがふっと癒されたまま季節が巡り。懐かしいほどの夏がくる。

わたしは夏が好きになった。夏色の南風のことが今も好きでならない。




日中はたんたんと過ぎる。仕事の段取りなど私が進んでしたせいか。
母の機嫌がすこぶる悪い。私もぷっつんとしそうになるのをぐっと。
我慢していたせいかどうにも居心地の悪い一日になってしまった。

逃げるように職場をあとにして「さらりっとさらさら」呪文を唱える。
この呪文はほんとうに良く効く。肩の力を抜いて声を出して唱えるのだ。
気の流れがスムーズになるのだろう。すっきりと心地よい気分になる。

笑顔で帰宅。元気にお炊事。大相撲を観て晩御飯をおいしくほうばる。


さあお散歩。今日こそはしっかりとお参りをと思いお大師堂へ向かった。
けれども断念。どうやらお遍路さんの夕食の時間と重なってしまったようだ。

あしたがあるから。いつもそう思って潔く踵を返すのが私流なのだと思う。
出会ってみたい気持ちもあるけれど。やはりそれは偶然であって欲しいのだ。

土手の草むらに誰が置いたのか。鉄製のイスが夕陽のなかに佇んでいる。
今日はなんとなくそこに腰をおろしてみたくなり。しばし夕風に吹かれていた。

夏色のことをおもう。南風のことをおもう。遠いひとのことをおもった。





2009年07月22日(水) もしや求めていたのかもしれないこと

雨のち晴れ。朝の雨はそれはそれは豪快などしゃ降りだった。
そんな雨もやがてやみ。日食の頃あたりが夕暮れ時のようになる。
太陽こそ見えなかったけれど。その薄暗さがとても神秘的に思えた。

宇宙のなかのひとつの星で。こんなにもちっぽけな人間というもの。
その一人であることが不思議にさえ思える。ありんこのような人生。

些細な事にくよくよしてみたり。どうにもならないことを嘆いたり。
地球人なんだからしっかりしなくちゃとふっと自分を励ましてみる。



お昼にはもう青空が見えた。なんだか暗いトンネルから抜け出たような。
眩しさに目を細める。夏の輝きが一気に空から降り注いでくるようだった。

お昼休みに遠くの友に電話をしてみる。お誕生日でもありむしょうに声が。
聴きたくてならなかった。ゆったりとした穏やかな声にほっと心が癒される。

カタチではないと私は言うけれど。ささやかな繋がりがより縁を深める。
彼女はいつだって懐かしい。とてもとても強い縁を感じる存在だった。

この清々しさはなんだろう。電話を切ってからもしばらく余韻に浸っていた。
もしや求めていたのかもしれないこと。満たされたような不思議な心のありか。

救われたのだなと私は思った。それは言葉で言い尽くせないほどのありがたさ。



帰宅して例のごとく夕暮れのお散歩。夕陽に立ち向かうように歩く道が好きだ。
あんずがまた駄々をこねる。もうそれも慣れっこになってしまい仕方のない事。

お大師堂には今日も人の気配。脱ぎ揃えられた靴とラジオの音が聴こえる。
午前中の雨と午後の暑さを思うと。疲れた身体を横たえている頃かもしれない。

そんなお遍路さんに会ってみたい気持ちと遠慮する気持ちが交差しながら。
やはり閉ざされた扉を押し開く事は出来なかった。そっと手を合わして帰る。

あしたがあるあしたがあるあしたがあるさ〜と歌いながら来た道を歩いた。



2009年07月21日(火) 今日も穏やかに幕を閉じた

やはりまだ梅雨の頃。どんよりと重い雲が立ち込める。
午後少しだけ雨が降ったけれどすぐにやんだ。山口で。
豪雨のため酷い被害があった事を夕方のニュースで知る。
それは他人事ではない。いつだって明日は我が身だと思う。

ありがたいことに穏やかな一日だった。当たり前ではないこと。
日々心して受け止めていかねばならない。恵まれていたのだと。



三連休を頂いたあとの職場は。少しだけ後ろめたい気分の朝だった。
母の体調を気遣ったつもりの言葉も。けんもほろろに返されてしまう。
もっとあっけらかんとしていても良いのか。同僚には何も言えなかった。

来客が多くあらあらという間に時が経つ。世間話というものもけっこう。
どっと疲れてしまうものだ。お客様は神様だというのになんて事だろう。

空いた時間に庭に出て。満開のムクゲの花を仰ぎ見てほっとくつろぐ。
純白のその花は青空にも映えるけれど。曇り空には一段と風情がある。
空よりも白くあり際立つようにその存在を優しく知らせてくれるようだ。

深呼吸をいっぱいする。私もその花のように空に手を伸ばしたいと思う。




定時に帰宅。大相撲を観ながら夕食の支度。チンゲン菜の中華炒めなど。
5時半には彼が晩酌を始めるので。イカの燻製など差し出しそのまま夕食。

食後の後片付けを終えてからいつもの散歩に出かけた。しっとりと湿った道。
あんずは今日も少し元気がない。やはり日中の蒸し暑さが堪えるのだろう。
それでも私より少し先を歩きたがる。夏草が好きで牛のように草を食べる。

お大師堂には人の気配がする。もう電気も灯っていて窓から遍路笠が見えた。
扉が開いているかもしれないとそっと近づく。けれどもやはり閉ざされていた。

浜木綿の花陰から手を合わして帰る。私の日課は今日も穏やかに幕を閉じた。





2009年07月20日(月) ありのままはむつかしい

うす曇の空がどんどん重くなりやがて雷雨となった。
久しぶりに大粒の雨。雷の音もなんだか心地よく響く。

そんな月曜日がお休みというのもありがたく。いちにち。
羽根をだらしなく伸ばしきるようにのんびりとくつろぐ。

サチコは仕事に出掛ける。私はなんて贅沢な事だろうと思う。
おまけに暇で退屈などと言ったら怒られてしまいそうだった。

自室にボンボンベットを出してふんぞり返り本を読んでいた。
そのうちに眠くなり。例のごとく夕方近くまで寝入っていた。

本はとある詩人さんの日記。前回はあまりにも批判的文章が多く。
読みながら気が重くとても複雑な気持ちになった。好きだけれど。
なんだか好きではなくなるような不安が襲ってきて悲しくもあった。

ありのままなのだろう。これこそが自然体なのだろうと受け止めて。
好きなひとがどんなことを感じて。それを読者に伝えてくれるのか。
そう思うとやはり私は共感せざるにはいられない。どんな事もすべて。
そのひとだからと受け止めるこころ。なんだかそれは試練にも似ている。

新作はいまのところ批判的文章が見当たらず。ほっとするべきところ。
少し心配になった。「思ったことをそのまま私は書きたい」とそこに。
書いてあったからだ。書けない状況なのだとしたら少なからず心苦しい。

だいじょうぶ。ちゃんと受け止めているよ。声をかけたくてならなくなる。

続きは明日。まだ読み始めたばかりだけれど私はもうとりこになっている。


思ったことをそのまま。嫌な事は嫌と言う。好きな事は好きと言う。
私の日常はどうなのだろうとふと思った。書くことをためらいながら。
嫌な事はそっとしておく。言い換えれば綺麗ごとばかりではないのか。
けれどもそうしながら気持ちよく流れていく。それが私流かもしれない。

ありのままはむつかしい。ありのままはそれじたいつかみきれないこと。




夕食後にはもう雨もあがり。雲の切れ間から夕陽が顔を出していた。
いつもより心持ち元気のないあんずを宥めながら散歩に出掛けてみる。
湿った夏草を除けながら土手の道を歩く。川風はそよともせず汗が出る。

お大師堂は4日ぶりだった。沢蟹がたくさんいてザワザワと音がする。
浜木綿の花もまだ枯れずにいてくれて。やはり人の姿のように見える。
お大師ノートには昨夕見かけたお遍路さんが言葉を残してくれていた。
今日の雷雨は厳しかったことだろう。足摺岬までの遠い道のりを思う。

蝋燭に火を灯し手を合わす。ありがとうございましたと家路についた。






2009年07月18日(土) こんな夏の夜が好きだ

いまだ梅雨明けとは言ってくれず。かと言って雨は降らない。
先日の通り雨の心地よさを思い出し。真夏日の青空をあおぐ。


山里の職場はお休みではないのだけれど。私だけ三連休を頂く。
母の体調はどうだろう。同僚は大丈夫だろうかと案じながらも。
どうしても行く気にはなれなかった。心苦しさこのうえない事。


朝のうちに近くの地場産市場へ行く。姑さんのスイカを出した。
小玉だけれどとても甘い。一個150円で店先に並べてもらった。
全部売れたら姑さんが大喜びするのだ。その笑顔が私も嬉しい。


午後。息子君が顔を見せてくれる。サチコもお休みだったので。
晩御飯は焼肉をすることにする。四人揃うのは久しぶりだった。
汗をかきながらお肉を焼いて飲み交わすビールは最高に美味しい。

ほのぼのと嬉しいひと時。家族とはほんにありがたいものだと思う。


夕暮れのお散歩には行けなかったけれど。あんずは晩御飯を喜ぶ。
薄暗くなった庭に出ると思いがけないほど涼しい風が吹いていた。
ひとりで川辺に行きたくなる。お大師堂も気掛かりになったけれど。
あしたがあるさと思いつつ今日を閉じるようにあきらめてしまった。


今夜は何処かから打ち上げ花火の音が聴こえている。もうそんな頃。
花火は見えないけれどその音がわくわくするようにつたわってくる。

こんな夏の夜が好きだ。窓辺にいて夜風とたわむれながら焼酎を飲む。



2009年07月16日(木) 夢を買った日

朝から夏らしい陽射し。山道の木陰にほっとして窓を開けた。
陽と陰が交差するように目前に広がる光景もまたよいものだ。

稲穂がずいぶんと実る。もう黄金色になり頭をたれ始めた。
とてもきらきらと輝く。まるで田の神様が宿っているようだ。

そんな山里の道で久しく出会えずにいた歩き遍路さんを追い越す。
顔が見えないほどタオルで日除けをしていて。道中の辛さを思う。
それでもこの夏と決め旅に出たのだろう。頭が下がるばかりだった。

例のごとくで声のひとつもかけられず。後ろ髪をひかれる思いだった。



職場は開店休業の事態に相成る。母は親戚に不幸があり出掛ける。
同僚は体調が優れず病院へ行く。とりあえずの留守番に私が残る。
閑古鳥のさえずりが聴こえるものの。とても静かな一日になった。

どんな日もあるものだけれど。ふっと心細さを感じてしまった。
会社という名のちっぽけな船がこのまま沈没するのではないか。
今までずっと覚悟はしていたけれど。今がその時ではないかと。

午後。同僚が出勤してくる。少しして母も帰ってきてくれたから。
悪い夢から醒めたような気持ちになった。いつもの笑顔になれる。

かと言って急くほどの仕事もなく。みなのんびりと午後を過ごす。
同僚はいちにち休ませてあげたかった。とてもしんどそうに見えた。
いつも一人で頑張っているのだ。責任感も強く荷が重いことだろう。

私は申し訳なく早目に帰宅。今日も逃げるように帰ってしまった。
本屋さんに寄り。宝くじ売場にも寄り。福本さんに久しぶりに会う。
「どうか当たりますように」福本さんはいつもそう言ってくれるのだ。

三億円なんて考えられない。一億円あれば会社を救えるのになと思う。
一千万なら家のローンを完済して残りでクルマを買おうと思うのだった。

ああ駄目ダメ。そう思った時点でそれが当たらないことがもうみえみえ。

けれども夢を買った。福本さんありがとう。今日は貴女に会えて良かった。



2009年07月15日(水) 太陽の栞

大気が不安定なのだという。午後から通り雨。そうしてまた青空。
夕陽がとてもまぶしかった。光がまっすぐに身も心も貫くように。

太陽は知っている。そんな戸惑いさえ感じる。なにかすべてのこと。
たとえば私が何を思って。何を求めて。何に疑問を感じているのか。

口に出しては言えないことがそこに満ちそうになるのを宥めてくれる。

日々が夏になりそうして重なる。太陽の栞はそうして色褪せていくのだ。



だいじょうぶ。いまのわたしには苦と呼べるようなものはない。
たとえあったとしてもあまりにも些細なことでそれも流れていく。
不器用な手で笹舟を作るようなものだ。そっと水に流せばいい。

壊れる。沈む。その行く手を不安がる必要もない。それは流れる。


あとに残るのは穏やかな水面。夕陽を鏡のように映してそれが満ちる。


太陽の栞を失くさないことだ。きょうのひとつを確かめてそれを閉じる。



2009年07月14日(火) 眠りの島に辿り着きたい。いま。

今日も真夏日。朝から蝉の鳴く声が聴こえる。
午後には入道雲も。やはり夏なのだなと思う。


母は検査のため病院へ行く。血圧のこと心臓のこと。
そのうえ夏風邪も引いていて下痢もしているらしかった。
本人は相変わらずあっけらかんとしているのだけれど。
心臓はやはり心配でならなかった。朝からずっと病院で。
やっと電話があった時にはもう午後も3時を過ぎていた。

命に別状はなしだと言い。電話口でへらへらと笑っている。
ふっと私が心配性だからわざとそうしているように感じる。

30分後に顔を見た。いつもと変わらない元気な母がそこにいる。
けれども無理をさせてはいけないなとつくづく思ったことだった。

労わりあいつつ気遣いあいつつこの先を切り抜けていきなさいよと。
神さまがおしえてくれたように思う。心してそう受け止めている。

やっと心から優しくなれるのかもしれない。そうでありたいものだ。



昨日よりも帰宅が遅くなり晩御飯はすっかり手抜きになってしまった。
それでも一品だけはと川海老の唐揚げをする。従兄弟が持ってきてくれた。
正真正銘の四万十川の海老だ。からりっと香ばしくとても美味しかった。

あとは温めるだけのカレーとレタスのサラダ。彼は文句ひとつ言わない。
どっと疲れを感じる夜にそれは救われるようにありがたいことだった。

おかげでのほほんと穏やかな夜になる。波が引いて寄せてこその海だもの。
暗い海に小船を漕ぎ出すように眠りの島に辿り着きたい気持ちでいるいま。



2009年07月13日(月) ワタシハキョウマデイキテミマシタ

梅雨明けを思わすような晴天。気温も34℃と真夏日になった。

母がまたダウン。やはり先日から無理をしていたのだろうと思う。
ちゃんと病院へ行ってくれて。ゆっくり休んでくれたのでほっとする。

それでも何度も電話をしてくる。変わった事はないか?大丈夫か?と。
ひとつちょっとしたトラブルがあった。黙っていれば良かったと思う。
ついつい話してしまってよけいな心配をかけてしまったと反省をする。

親孝行などと口では言いながら。ちょっとした心遣いさえも出来ない。
困ったものだ。どこかで母に甘えているようなふしがあるとしか思えない。

そんなトラブルも午後にはまるく収まる。すぐに母に報せて安心してもらえた。



いつもより少し遅く帰宅。嬉しいのはツバメの子供達が巣立ってくれたこと。
今朝出がけに見た時に今にも飛び立ちそうだったから。もしやと思っていた。

どこにいるのだろう?あたりを見回す。集ってくれていた仲間達の姿もない。
嬉しいのとちょっと寂しいのが合わさり。けれどもやはり嬉しさが勝るのだ。

初めて飛ぶのってどんな気持ちなのだろう。ツバメもきっと嬉しいに違いない。



食後の散歩は夕涼みもかねて。川風がとても心地よく身も心も生き返るよう。
何も考えずにいたいなと思うのだけれど。やはり少しだけふっと考えてしまう。

まあいいか。うんいいよと風に吹かれていく。こだわらないって難しいなあ。
頭のなかが空っぽになると心も空っぽになるのかな。それって気楽だろうな。

けれども空っぽの心なんてなんだかムナシイ。なにかひとつこれだけはって。
大切なことがあるといいな。たとえばじぶん確かに生きてるなって感じるような。



今日までそして明日から(吉田拓郎)






2009年07月11日(土) 明日のことより今日のことを

うすい陽射し。洗濯物を干しながらツバメの声をたくさん聴く。

我が家の庭はあたりじゅうのツバメ達の集う場所になっているらしく。
今朝も10羽くらいはいたように思う。物干し竿にもとまったりしては。
交差するように低空飛行を繰り返す。それはそれはにぎやかな光景だ。

そのおかげもあるだろう。玄関先のひな鳥達も無事に育ってくれて。
日に日に大きくなり。もうすぐ巣立つのではないかと思われる程だ。

守ってあげなければと思案していたけれど。結局見守るだけの日々が続いた。
勝手な思い込みかもしれないがなんだか仲間達に守られている気がするのだ。

人間がそうするよりもずっと心強く感じて。ほっとしながら巣を仰いでいた。




午前中に買物を済ませ午後は例のごとく怠惰に過ごす。本も読まない。
春樹の新刊を読み終えてからすぐに『アンダーグラウンド』を読んだ。
読まなければいけないような気がしたのだけれど。それは確かだと思う。

深いいつながり。重い連鎖。記憶として留めておかなければと強く思った。

本は月曜日のお昼休みまで読まないかもしれない。明日の事など分らない。


晩御飯に麻婆豆腐を作った。豆板醤を多目にしたかいもありとても美味しい。
ご飯にのっけて麻婆丼みたいにして食べた。なんだかとても幸せな気分になる。

あとはいつもの散歩。お大師堂が近くなるとあんずが駄々をこねるけれど。
もうそれも慣れっこになって喧嘩する気にもならない。我が道を行く感じ。

あんずの日課とわたしの日課はぶつかり合いながらもともに過ごす時だった。

ふたりずっとそうで良いのだろうと思う。浜木綿の花が少しずつ枯れていく。

それはうなだれたひとの姿にも似ているけれど。根は強いとても強い人のようだ。



2009年07月09日(木) 止まらない時のように流れる

晴れのち曇り。朝の清々しい風もつかのま午後から一気に蒸し暑くなる。

母の体調を気掛かりに思い。少し早目に山里へと向かう。
田んぼの稲穂が日に日に実りつつあるのに目を留めながら。
もう木曜日。あらあらという間に毎日が急ぎ足で過ぎてゆく。

私の心配をよそに母はけろりっとした顔で出勤してきた。
「あら今日はえらく早いのね」と開口一番にそれだった。

風邪薬がよく効いたとのこと。とてもあっけらかんとしていて。
こちらの気が抜けるほど元気だった。ほっとしながらやれやれと思う。

あとはいつもと変わらない日常。トラブルもなく平和な一日になった。

昨夜思い詰めるように考えた尽くすという事がちらりと頭をよぎる。
もしかしたらいちばんが笑顔かもしれない。自然と笑みがこぼれる。
そんな雰囲気が常にあれば。母も同僚もみな笑顔でいてくれるのだ。

気楽にいこう。深く考え込まずに日々を気持ちよく流れていけばいい。



少し早目に帰宅。食事の支度までごろりと横になってしまったのだけれど。
不覚にもそのまま眠り込んでしまったらしかった。疲れているのだろうか。
たいした仕事もしていないのになんてことだろう。彼に起こしてもらって。
大急ぎで夕食の支度。ぼんやりしていたせいか砂糖の入物を床に落す始末。
蟻さんが大喜びしそうな有様になり。今度は拭き掃除をするはめになった。
そそっかしいのは今に始まった事ではないから。それも笑いに代えておく。


散歩の時間も遅くなり。それでも行かなくちゃと思い川辺の道に向かった。
あんずは空腹なのかご機嫌ななめ。それでもしぶしぶと共に歩いてくれる。

どんな日もあるさと薄暗い空を仰ぐ。川面はひたひたと静けさに満ちていた。

流れていたのだ今日も。そして今もそれは止まらない時のようにそこにある。



2009年07月08日(水) お疲れさま ありがとう

雨は降りそうで降らなくて。どんよりとしたまま日が暮れる。

昼間。母の体調が少し悪く。早引きをして寝ているようにと。
何度かすすめてみたけれど。大丈夫の一点張りでそうしようとしない。
夏風邪だろうと本人は言うけれど。とてもしんどそうで気掛かりだった。

結局わたしが先に職場を出る。「お疲れさま ありがとう」の声を背に。

もう71歳の母。世の習いならもうとっくに引退していても良い年だと思う。
それなのにPC仕事以外ならなんでもこなし。未だ老眼鏡もかけずにいる。

ふっと後悔するように省みる時がある。私は母に甘え過ぎている。
もしかしたらこれっぽっちも尽くしてなどいないのかもしれない。

精一杯とはいったいどれほどのことを言うのだろう。足りない事。
これがそれですよと示される事などない。私はそれを知りたかった。

お疲れさま ありがとう それは私から母に言うべき言葉だと思う。



夕方。あたり一面が灰色に見えるなか夏草の緑を確かめるように歩く。
お大師堂に人影らしきものが見えて。一瞬とまどってしまったけれど。

それは浜木綿の花だった。白い百合の花束のようにそれは咲いていて。
遠くから見ると白い手ぬぐいを被った人の頭のように見えるのだった。

近づいて声をかける。昨日とはちがう声がそこから聴こえるように感じた。



2009年07月07日(火) 7月7日晴れときどき曇りにわかに雨

7月7日晴れ。ときどき曇ってにわか雨が微かに降る。

帰宅途中のラジオからドリカムのその歌が流れてきた。
あいたくてあいたくてあえなくて。少し前の私ならば。
涙が込み上げてきたのかもしれない。もう泣けなくなった。

どうやら私は歩んでしまったらしい。はるか遠い場所へと。
けれども想うことは出来る。それだけが救いであるかのように。


昨夜。友人から電話があり『カタチ』について熱く語り合った。
「カタチではないよね」と確かめるように何度も彼女は訊ねた。
たとえば電話であったりメールであったり。会うこともしかり。

縁というものはそんなカタチにこだわらないものだと私は思う。
それをなくして切れる縁は切れる。切れない縁もかならずある。

かけがえのない縁とはそうでありたいものだ。繋がるという事。
目にはみえない不思議な糸のようなものでお互いを引き寄せる。

元気にしているだろうか?ふと気掛かりに思うときなどがある。
けれどもそれを言葉にして伝えられない。その術さえもない時。
想い願って祈りながら。ただひとつきりの空を仰ぐ夜もあった。

忘れないでいること。思い出すということ。それが大切だと思う。

あいたいという欲。あわないという決心。それが今の私自身だった。






2009年07月06日(月) 夕陽がまぶしい

朝の小雨もやがて降り止み。午後には少し青空が見える。

職場のくちなしの花がずいぶんと枯れていた月曜日。
千切ってあげたそのあとの蕾も残り少なくなってしまった。

そんな憐れを知っているかのように。むくげの花が咲いている。
夜明け前に花開き夕方にはしぼむという儚い花だったけれど。
たくさんの蕾が勇気づけるように空に向かって伸びているのだった。

嘆くことはなにひとつあるまい。終わるものがあるから始まりがある。



仕事は午前中でほぼ片付く。どんな日もあるけれど午後は気だるい。
むかしガソリンスタンドで働いていた頃が懐かしい。走り回ったり。
洗車をしたり冬には重い灯油のポリ缶を両手で運んだり。そういう。
肉体労働がしたいなとつくづく思う。事務机にしばられない仕事を。

体力の衰えを感じるこの頃。出来もしないだろうことに欲を出して。
現状に不満を感じるなんてとんでもないことだとも思う。楽をさせて。
もらっていることにもっと感謝するべきなのだろう。いけないわたし。

ありがたいことに今日はお駄賃を頂く。申し訳ないけれど遠慮なく頂く。
それはとても重い一万円札だった。もっともっと尽くさなければと思う。

それなのに逃げるように家路につく。とても後味の悪い一日になった。


家に帰るとほんとうにほっとする。玄関先のツバメの様子を眺めたり。
なにもかもが平和で平穏に満ちている。肩の力がすぅっと抜けていく。


穏やかなままいつもの散歩。ゆったりと歩けばゆったりと時が流れる。
川端の草むらに誰かが種を蒔いたのだろうか。鶏頭の赤い芽が見えた。

夕陽がまぶしい。その陽がすべてを知っているかのように私を射した。



2009年07月04日(土) こだわらないということ

うっすらと陽がこぼれるようにあたりを満たす。
梅雨特有の蒸し暑さもなく過ごしやすい土曜日。

隣家のノウゼンかずらがそれは見事に咲いていて。
鮮やかなオレンジ色にこころを和ませていたけれど。
咲き終わった花が路地にたくさん落ちるからと言い。
ご主人がその半分ほどを無残に切り落としてしまった。

なんともいえない哀しい気持ちになる。仕方のない事。
けれども残った花は変わりなく美しく心をほっとさせる。

ひとそれぞれ。私は些細なことに拘り過ぎるのかもしれない。



ゆうがた。いつもの散歩道ではっと気づくことが多かった。
このところあんずと喧嘩ばかりしていて心に余裕がなかったのか。
草刈作業のあとすっかり雀色になっていた土手が今はもう若草色。
夏草の新芽はやわらかく春を思わせる。もう諦めていた野アザミも。
その緑の中にぽつんと咲いているのを見つける。ちいさな姫女苑も。

こころが浮き立つように嬉しかった。こころも穏やかになってくれて。
あんずに話しかけてみたり。そうするとあんずもそれに応えてくれる。
不思議なものだなと思う。お互いの心が通じ合えば喧嘩にもならない。

おそらく自分次第なのだろう。犬はとても敏感に人の心を感じるらしい。

お大師堂にはお遍路さんが来ているらしく静かに読経の声が流れていた。
表戸が開いていたけれどその姿に会うこともなく。私も共に手を合わす。

厳かでもあり凛とする夕暮れ時だった。

すっと何かから解き放たれた気分になり心地よく家路についた。



2009年07月01日(水) 歌だってうたってあげる。

七月文月。七夕もすぐにやってくることだろう。

湿気を含んだ南風がつよく吹き荒れたいちにち。
そうして夕方になり小粒の雨がぽろぽろと落ちる。

午後7時半。おもてはまだ薄明るさを残したまま。
灰色の空のかなた。かすかに陽が沈む気配がする。

こうして窓辺に佇んでいると刻々とした時の流れが。
手に取るように感じられ。去る人を見送るような心。
その背中が暗い影にとけて見失うのを覚悟したよう。

ああいくのだな。もう何も伝えられないのだなと思う。

無理に微笑まなくてもよいのではないか今だからこそ。


午後7時45分。ふうふうと途切れがちな息をたのしむ。
空がもう暗くなる。川向の山並みがかすかに見てとれる。
それもやがて見失うことだろう。もう捜さなくてよくなる。

なぜかほっとする。夜というものはそうでなくてはと思う。



あと30分もすればサチコが帰って来る。我が家の太陽であり。
夏の向日葵のような娘だった。そうして母のスイッチがオン。

今夜はどんな漫才をしようか。きっと疲れて帰ることだろう。
電子レンジでチンするおかずをコンビニ店員風に決めてみようか。
「温めますか?」「お願いします」「お待たせしました」どうぞ。

それから台所で酔い酔いダンスを踊ろう。歌だってうたってあげる。


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