ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2009年05月30日(土) ふかくふかく

晴れときどきくもり。夕陽をおおいかくすようにそれは曇る。
梅雨入りが近いのだろう。大気が不安定な日々が続いている。


玄関先に藁くずがたくさん落ちるようになった。
ツバメがまた忙しく働くようになる。今よりも。
もっと頑丈な巣を作ろうとして励んでいるようだ。

帰らない日もあり。どうか去らずにと願っていただけに。
こうしてまた我が家に落ち着いてくれたのが嬉しかった。

天敵はどうしようもないけれど。なんとしても護ってあげたい。
人として出来る事があるのならば。手助けをしてあげたいものだ。

そんな想いに応えてくれたのか。つがいの二羽がさかんにさえずる。
きっと大丈夫。今度こそ大丈夫と。その声に私も頷いているのだった。


そうして今日が暮れ始めていく。平穏さを身にまとったように。
心身がふかくふかく息づいているのを感じる。静寂という名の。
幕がいままさに下りようとしているようだ。そっとうずくまり。

目を閉じよう。ここから動き出すものはなにひとつない気がする。




2009年05月28日(木) 海鳴りを聴きながら

海が荒れているせいだろう海鳴りが絶え間なく耳に響いている。

ふつか続けての雨だった。ずっと夏日だったせいでそれは冷たく。
感じられたけれど。田畑には恵みの雨となり随分と潤ったようだ。

そんな雨も夕方になるとやみ。またてくてくと川辺の道を歩いた。
いつもなら夕陽の頃。川は湖のように静まり深く水を湛えている。

ひたひたと水の音。濡れた夏草。空は心細いほど薄暗くひろがる。


お大師堂に着くなり。竹薮の細道を歩いて来るお遍路さんに会う。
雨ですっかり濡れていたのが。やっと乾いたところですと言って。
重たそうな荷物を下ろす。半袖のTシャツと日焼けした腕と顔が。
どんな日もありますねと言い表すように。ほっと微笑んでくれた。

ゆっくりと話も出来ないまま後ろ髪をひかれるように家路に着く。
どんなにかお風呂に入りたいことだろう。思っても何もできない。


自分はゆったりと湯船に浸かりながら。そのひとのことを想った。
心苦しさを言えばきりがないことだけれど。ただただ申し訳ない。


そうして今日をおもう。身勝手さや我侭は母と一緒に居るせいかも。
他人ならば我慢もするだろう。不服も言わず仕事に精を出すだろう。
それが仕事だと割り切る事をするだろう。ワタシハコドモノヨウダ。

日に日にそれを実感する。今日は50点。明日は60点になりたい。



海鳴りを聴いていると。ここがここではないような遠い場所に思える。
母とともに暮らせずにいた少女時代に。もしも傷ついていたのならば。
海が癒してくれたことだろう。荒波がすべてを流してくれたことだろう。

ここはいったいどこだろう。わたしはまだこどものままなのだろうか。



2009年05月26日(火) もうだいじょうぶ。

大好きな道を行く。この道が通れなくなったら。
どんなにか寂しいことだろうと思いながら進む。

そこは迎えてくれるのだ。いらっしゃいと囁くように。
風さえも無言ではない。大切な何かを伝えるように吹く。

忘れていることがきっとあるはずだ。思い出してみよう。




職場のすぐ近くに村の診療所がある。町からお医者さんが来てくれ。
今日は歯医者さんも来てくれる日だった。ずっと気になっていた虫歯。
仕事中に少し時間をもらって治療に行く。麻酔をしてガリゴリをした。
ううっとうめいてみたりしながら身体が硬くなる。その度に優しい声。
世間話も交えながら声をかけてくれるのだけれど。まともに声は出ず。
やっと治療が終わりふにゃふにゃになる。優しい歯医者さんありがとう。

診療所の待合室にいるあいだ職場のお客さんの一人に会った。
私は歯医者さんだというのに気遣って声をかけてくれたひと。
こちらも気遣えばお母さんの付き添いで薬を貰いに来たと言う。
近況を話して聞かせてくれたり肩を寄せ合ってしばし話し込む。

「また9月に会おうね」とその人は手を振って先に帰って行った。
9月。思い出した。年に一度の自動車保険の更新があるのだった。


仕事。それが私に与えられた役目なのだとあらためて気づく。
無報酬だ葛藤だとほざく事自体が間違っているように思った。

自分を生んでくれた人を母だとも思わずにいたのではないか。
お客様を粗末にして誠心誠意尽くす事を放棄しようとしたのではないか。

このままではいけない。このままでは大切な事を見失ってしまう。


午後はとても清々しい気持ちで笑みがこぼれる。もうだいじょうぶ。

ほんの少しの迷い道だった。いまは緑いっぱいの道しか見えない。



2009年05月25日(月) 緑が目に沁みる

風が心地よくさわやかな夏日。けれどもやがて梅雨の頃。
それを知っているのか紫陽花がところどころに咲き始める。

山里の田んぼのあぜ道に。風になびく稲の緑によく映える。
日に日に色とりどりの花を咲かせてくれることがうれしい。

気がつけば栴檀の薄紫の花も。散り急いでしまっていたり。
ふっと忘れてしまった時にそれが終わっている時がよくある。
毎日のこと。もっとしっかりと見届けなくてはと思うのだった。



月曜日。相変わらずの葛藤に途惑いつつもそれなりに仕事。
母とメールを交わしながらいた数ヶ月の事が懐かしく思う。
少しでいい『距離』がほしい。私の身勝手な言い分だろうか。

うまく割り切れない難題のように。ついつい拘ってしまうのだ。
小数点以下は切り捨てれば良いのに。無い事にしてしまえない。
だからいつまでたっても正解にならない。ほんに困ったものだ。

せめて早目に帰宅をと願い。逃げるように職場をあとにした。
来た道を帰りたかった。山道を峠道を一気に下りたいと思う。

「緑が目に沁みるよ」思いがけずに母がそっと声をかけてくれる。

とてもとても心に堪えた。母はわたしの葛藤にキヅイテイルのか。


まだ日の高い山道は木陰の風がいちだんと爽やかで。ほっと息をつく。

たしかに緑が目に沁みる。この大好きな道を明日も通うことだろう・・。



2009年05月23日(土) 穏やかな夜に

晴れのちくもり。夕陽を仰ぎ見ることもなく日が暮れる。
あたりが薄暗くなってもツバメが帰らず。少しさびしい。

もうここは駄目だと去らないでいてほしいものだ。
けれども伝える術がない。とにかく待っていよう。



窓の外を気にしながらも朝のうちはゆったりと過ごす。
午後。彼が川船の手入れをすると言い手伝いに行った。
お仲間さんたちの手も借り船を陸に上げひっくり返す。
あとはヘラや束子を使いながら船底の汚れを落とした。
小さな牡蠣や水苔がすごくて汗を流しながら頑張った。

晩御飯は本場物の讃岐うどん。丸亀の友人から届いたもの。
生卵を入れてぶっかけうどんにして食べる。なんとも美味。

一度も会った事のない友人。先日は初めて声を聴く事が出来た。
ずっと昔からの友のように感じて。親近感でいっぱいになった。
ネットのありがたさを思う。出会えてほんとうに良かったと思う。


すこし蒸し暑く夜が更けていく。夜風はもう眠ったように静かだ。
聴こえるのは虫の声ばかり。夏の虫もそうして存在を知らせてくれる。


穏やかな夜のこと。これが何になるのかもわからないまま。
これを記す。ただ存在だ・・・と思えば気も楽になるだろう。

ここにいます。わたしがいます。ただそれだけの理由かもしれない。






2009年05月21日(木) あめ雨ふれふれ

いまかすかに雨が降り始めた。暮れ始めた空に雨雲。
影絵のように鷺だろうか群れをなして横切っていく。

ツバメがしきりに鳴いているのが嘆くように聴こえる。
ちいさなヒナ達が忽然と姿を消してしまったのだ・・。

今朝からずっと巣の様子を伺っていたのだけれど。
にぎやかにさえずっていたヒナ達の声が聴こえず。
親鳥は鳴くばかりで。餌ではなくて藁を運んでいる。

我が家の玄関先でそんなことがあってなるものかと。
心を痛めているが自然界の厳しさを思い知るほかない。

いつかの初夏にもそうだった。けれども親鳥はめげずに。
すぐに二番子達が生まれてくれたことを思い出してみた。
今度こそ無事にと願いつつ。また見守る日々が待っている。



もうすっかり暮れてしまった。雨音が心地よいほど響きわたる。
このままどしゃ降りになりそうな気配に胸が震えそうになった。

潤いたいと思う。この澱みを流しきるような雨に私はアイタイ。



2009年05月20日(水) いっそどしゃぶりの雨になればいい

晴れのち曇り。雨が近いのだろう蒸し暑い夜になった。
夕陽を仰げないまま暗くなるとほんの少し心細くなる。

行かないつもりだったお散歩もあんずの甘え声に負け。
とぼとぼといつもの道を歩いた。風が静止している道。
チガヤの白い穂が千切れた綿のように土手にただよう。

ふっと横たわってみたくなった。あんずから手を離して。
倒れこむようにその綿に包まってみたい衝動に駆られる。

やわらかな息。何も思い煩う事などないはずなのだけれど。
求めないふりをしながらささやかな欲望のようにそれを思う。



仕事は山里だった。今日も穏やかな波ばかり見ていた気がする。
息苦しさは気のせいだろうか。どうしてそうなのかよく解らない。
この葛藤は何だろう。明日はどうすれば良いのだろうと気に病む。
あまりに遠ざかっていたせいかもしれない。キットチカスギルノダ。

明日はあしたの風が吹くだろう。いっそどしゃ降りの雨になればいい。



夜は酒をのむ。どうしたわけかあまり酔わない。のでひたすらのむ。



2009年05月19日(火) 思えば遠くに来たものだ

曇りのち晴れ。初夏らしく南風の吹くいちにち。
海が近いせいだろうかふっと潮の香が匂ってくる。

そんな南風のことを『沖の風』と呼ぶ。
ここに嫁いできて初めて知った言葉だった。

少女時代を過ごした海辺の町では何と呼んでいたのだろう。
あまりにも近くにあった海は。海としか呼べず風としか呼べない。
多感だったあの頃。恋しい人のように思って潮風に吹かれていた。

思えば遠くに来たものだ。そんな言葉がいまはとてもふさわしい。



仕事。今日は山里の職場に行かなかった。
行くべきだったのだろうけれどそれをせずにいて。
夫である彼の手伝いをすることに決めていた。
ちょっとした力仕事。身体がとても喜ぶのを感じ。
やはり私には肉体労働がいちばんなのだと思った。
どんなに疲れてもそのほうがいい。我侭だろうか。
身勝手だろうか。明日もそんな仕事があればと願う。

姑さんが畑仕事をしてみないかと言う。考えている。
鍬ひとつ使えない私にそれが出来るのだろうか不安。
彼は反対している。お前に出来るはずがないと言う。
私は迷っている。ああどうすればいいのだろうか・・。



夕暮れ散歩。とても立派なカメラを持った人に出会う。
夕陽の写真ばかりを撮っているそうで少し語り合った。
真っ赤な夕陽の話をした。今日は無理。紅くはならない。
雨の匂いがする日でないとそんな夕陽には会えないのだ。

ああまた知ったかぶりな話をしてしまった。反省しつつも。
ちょっと鼻高になっている自分に酔った。ばかみたいな私。


わぁコスモス。とぼとぼと帰り道に早過ぎるコスモスを見つける。
もうそれは世界中に叫びたいほどびっくりとして嬉しくてならず。

川岸に続く石段の隙間からそれはまるで雑草のように咲いている。

たった独りで。この夏の初めにぽつねんと存在する一輪の花だった。






2009年05月18日(月) 思いのままに

五月晴れというのだろうか清々しい青空。
山道を行けばいちだんと緑濃く迫り来る。

ゆっくりと進みたくてならずそうしていると。
緑の糸を繰っているような辿っているような。
そんな気がした。真っ只中にいることを感じ。

それが喜びなのかよくわからないまま息をする。
風が匂う。山全体が芳香を放っているかのよう。


歩くひと。ひとりふたりそうして七人のお遍路さんに出会う。
声をかけることも出来ず追い越すばかりで心苦しくもあるが。
ともに歩くことは叶わず。ただただ頭が下がる思いで溢れる。


紫陽花の花が。毎年いち早く咲く場所があり今年も。
もしかしたらと思っていたら。やはり咲いていてくれた。
純白の紫陽花は民家からも遠く山肌から零れるように咲く。

ほっと嬉しかった。歩くひともきっと足を休めてくれるだろう。



職場は平穏。いつも身構えているのは自分。緊張するのも自分。
まるで海に飛び込むような気持ちになるのは気のせいだろうか。
泳げないからといってもがこうとする。そんなじぶんのせいか。

海はこんなに凪いでいる。波は静かに足元を濡らすばかりだった。

精一杯スイッチを切り替えるつもりだったけれど。どうしても。
『毎日』という日常がインプット出来ない。反抗ではないけれど。
先日ある方から頂いた言葉を思った。「無報酬だからこその自由」

しばらくはそんな自由を見つめなおしてみようかなと思っている。







2009年05月16日(土) きもちよく流れよう

曇り日のいちにちだったけれどほんのりと夕焼け。
暮れていく空をぼんやりと眺めながら窓辺にいる。

こんなひと時がとても好きだ。ゆったりと心が和む。


今期の川仕事も今日で終了。日々駆け抜けたような。
なんともいえない達成感で満たされた一日になった。
打ち上げと称して鰹で握り寿司を作り日本酒を少し。
とても美味しかった。好物の鶏の唐揚げもまた旨し。

明日は日曜日らしく過ごし。自分なりにスイッチを。
切り替えてみようと思う。壊れかけてはいるけれど。
山里の風景に助けられながらまた日々を送りたいものだ。

田んぼの稲を思う。道端の紫陽花を思う。皆の笑顔を思う。
動いてこそ気づくもの。出会えることがきっとあるのだもの。


今日もお散歩の帰り道。いつかの木に薄紫の花を見つけた。
あのオリーブ色の実のなる木は。栴檀の木だった事を知る。
秋の日にはまだ小さな木だったのが見上げるほどになった。

そんな発見が嬉しい。歩いてきて良かったなと思える一瞬。


ついつい負に向かいがちだったこの頃のこと。なにもかも。
行き詰ってしまったように思えたのは。気のせいだろうか。

こころが一箇所に留まっては澱み。さらさらと流れなかった。

きもちよく流れよう。そう思えばきっとこころも澄みわたるだろう。



2009年05月14日(木) なんど振り返ったことだろう。

夕空に飛行機雲がいくつも見えた。
それは沈む太陽に向かう目印のようでもあり。
その直線をなぞるように夕陽が染めあげていく。

じぶんは立っているのだなと思う。そんな空のした。
佇むことが好きになった。動くことを忘れたように。

そうして沈んでいくもの。落ちていくものを見送る。
なんど振り返ったことだろう。まるで見納めのように。




今日は少女時代の親友の誕生日だった。
年に一度のメールは生存確認のようでもあり。
返事が届くととてもほっと胸を撫で下ろす。

なにも変わらないことがたくさんあるというのに。
私たちは年を重ね日ごとに老いへと向かっている。
いつまでも若々しくいようね。元気に頑張ろうね。
それが希望であり勇気になるように生きていきたい。


確かに失くした。このところそればかりに拘っている。
仕方のないこと。どうしようもないことなのだけれど。

生みたいと思う。生めるのではないかといまは思っている。




2009年05月12日(火) 待っていてくれたのだろうか

連日の夏日のせいだろうか。
土手にはもう姫女苑の花が咲き始める。
チガヤの白い穂と寄り添うように咲き。
夕陽に染まり風に揺れる姿が可愛くてならない。

近所の畑には南瓜の実がなる。つい先日までの花が。
林檎くらいの大きさの南瓜に姿を変えているのだった。

毎日は行けない散歩も。行くたびに新鮮さを見出す。
何かが待っていてくれるようで行けないと気掛かり。

待っているのは自分で。見つけたいのが自分なのだろう。



今日はいちにち山里の職場だった。完全復帰ではないけれど。
川仕事がお休みになったので連絡もせずに出掛けてみたのだ。
12日ぶりだったせいか山道が新緑が愛しいほどに懐かしかった。

行ってみないとわからなくて少し身構えてしまったけれど。
行けば笑顔や。思いのほか穏やかな雰囲気に救われる思い。
複雑に思い悩む事もあるけれど。やはりここに帰ろうと思う。

どのような葛藤も。待っていてくれるひとがいてくれるだけで。
救われることだろう。無報酬が何だ。これが親孝行ではないのか。


職場の庭には『雪ノ下』が咲き始めていた。私の大好きな花だった。





2009年05月11日(月) 微笑む吐息

夜風を心地よく窓辺でぼんやり佇んでいると。
ふと秋ではないかと思う虫の声が聴こえてくる。

ちいさな命がそこにある。そっと耳を傾けながら。
歌にはなれない吐息をもらす。ふふっるるふふっ。

そんなふうに微笑む吐息。ああ今日も幸せなのか。



おもいっきり短くした髪の毛を風にまかせながら。
とりとめもなくここにこうして記しているけれど。
あまりにもちっぽけなせいでなにも伝えられない。

けれども今日が暮れていくから。行かなくちゃと。
どこに向かうのかもわからず。ただ身を任せている。

さがすのも確かめるのもよそうと決めていたけれど。
きっと何かを失くしてしまったのだろう。ワカラナイ。


だからといって痛まないこころがすこしもどかしいのだ。



ふふっるるふふっ。ふふっるるふふっ。ふふっるるふふっ。



2009年05月09日(土) 満月の夜に。

そのとき風がそっとなにかをささやいたような気がした。

耳を澄ますほどのウサギの耳をもたないわたしに。

風はなにを伝えたくてその息のありかをおしえるのだろう。

一瞬の刹那に佇むことをえらぶ。いまはまだ動き出せない。





そっと静かに月明かりを待っている。
サンダル履きでとび出して行こうか。
土手の石段を息をきらし駆け上がろうか。

誰にも見つからないように。
独りぼっちでそこに在りたい。

そうして泣きじゃくれたらどんなにいいだろう。
わけもなくくるったように肩を震わせてみたい。

欠けていることを確かめるのはもうやめにしよう。



2009年05月07日(木) 胸をはっていてほしい

散歩をしていると黒いさやのような植物を見つける。
今まで気にも留めずにいたけれど。あちらこちらに。

それが『からすのえんどう』の実であることに気づくと。
つい先日までの桃色の小さな花が嘘のように思えるのだった。

こんなふうに変わる花もある。その存在感にはっとしながら。
なんともいえない愛しさを感じる。若き緑萌える川辺の小道。

これがわたしです。わたしの実ですと。胸をはっていてほしい。



じぶんはどうだろうとじぶんについてふとかんがえる。
この世に生まれて実が香ると名付けられたありがたさ。

その実にほこりをもっているのだろうか。
その実をしっかりと抱いているだろうか。

ながいこと生かせてもらいながらいまだにたしかめられない。



2009年05月06日(水) どこにいこう。どこにもいけない。

はっとするほど紅い太陽が沈むのを見た。
なんだか胸騒ぎがする。これはなんだろう。

満ち足りているようで何かが足りない気がする。
そんなふうに求めたくはないのだと自分を叱る。

駆け出して行ったのだ。むかしの自分を思い出す。
情熱と呼べるようなものが欠乏してしまったのかもしれない。

それでいい。ないものは仕方ない。ふっと吐息が流れていく。



平穏を絵に描いたようないちにちだった。
相変わらずの川仕事。午後はのんびり過ごす。
音楽三昧をしていてとても懐かしい曲を聴く。
アリスの『紫陽花』これはとても好きだった。

ふとないものねだりをするように目を閉じる。
一瞬のせつなさは跡形もなく遠ざかっていく。


どこにいこう。どこにもいけない・・・。





2009年05月05日(火) ここ好きなんですよ

ツバメの巣からちいさな頭がふたつ見えるようになった。
まだ生まれたばかりでか弱く。親鳥がいない間はじっと。
うずくまっているのだろう。餌を貰う時だけその姿が見える。
声もか細い。それでも精一杯にちいさな口をあけて食べている。

先日の一羽は生まれてすぐに死んでしまったのだろうと思う。
今は二羽しか確認できないけれど。きっと他にも生まれている。
そう信じてしばらくはそっと見守っていたいものだ。やがて声が。
元気な声が。ちちちちちっと賑やかに聞こえる時がくるだろう。



朝のうちは小雨。午後は少し晴れ間が見えたけれどまた曇り空。
日暮れて遠雷が聞こえる。窓からしっとりとした夜風が忍びこむ。

ゆうがたお大師堂で出会ったお遍路さんは。川風に吹かれながら。
「ここ好きなんですよ」と言ってくれる。足摺岬まで歩いて行って。
再び来た道を戻って来たのだそうだ。次の札所までずいぶんと遠回り。
それでもここが好きだからと。その言葉がとてもとても嬉しかった。

あした雨になりませんように。どうか無事にと川辺の道で別れを告げた。

私もここ好きなんですよ。大好きなんですよって。言えなかったけれど。

おなじもの。それはとてもささやかなことだけれどふれあえた気がした。



2009年05月04日(月) いい日だったね

散歩中に時々見かける二羽の水鳥は
野生の鴨ではなくアヒルだと言う事
どうやら川向の観光所で飼われているらしかった。

今日も川面を気持ち良さそうにすいすいと
二羽が仲良く並んで泳いでいるのを見つけた。
ひとに慣れているのだろうすぐ近くまでやって来る。

可愛らしいものだ。しばし川岸に腰をおろして
おいでおいでと声をかけてみたりして呼んでみる。
とても澄ました顔をしているのがまた可愛いのだ。

どんな一日だったのだろう。このふたりにとって。
それは何事でもなくごく自然に暮れていくものか。

ゆったりと何も思い煩う事もないそんないちにちを思う。


今度は観光船が二隻やって来る。船外機の音があたりに響き
川面の静寂を破るようでいて。それも風情ある光景に思える。
観光客が一斉に同じ方向を見ながら手を振っているのが見えた。

まさか私とあんずではない。もしそうなら私も手を振るだろう。
照れくさいけれどそういうのが好きだった。あれは嬉しいものだ。

はて?とその方向を見ると。なんとお大師堂に居るお遍路さんが。
千切れんばかりに手を振っている姿が見えた。白装束の若者だった。
なんと微笑ましい光景だろう。心に花が咲いたように嬉しくなった。


いい日だったねとあんずに語りかけながら野バラの道をてくてく帰る。






2009年05月03日(日) そんなふうにきょうが暮れていく

野あざみの花が綿毛に変わり始め
チガヤの白い穂が風にゆれる土手

先週は肌寒い日が多かったけれど
季節は確実に春から初夏へ向かう
もうすぐ立夏もちかくなってきた

身体を動かすと薄っすらと汗ばむ
そうしてあいかわらずふうふうと
息を切らしては川仕事にはげんだ

海苔網の撤去作業も残り半分ほど
今週いっぱい頑張れば終わりそう
あと少しもう少しの辛抱だと思う
不調気味の身体もそれなりに動く
達成感が待ちどうしくてならない



炊き込みご飯を作りたくさん食べた
そうして食後のお散歩に行ってみる
お大師堂には若いお遍路さんが居て
ちょうど河原で自炊をしているところ
ふたりの若者のすっかり日焼けした
笑顔に会釈をすれば倍の笑顔が返る


嬉しいなと思う。そんなふうにきょうが暮れていく。





2009年05月02日(土) こころが動いた日

夕焼け空に飛行機雲が交差しているその直ぐさが
なんともいえず美しくはっとしながらこれを記す。

暮れゆく空には燕の姿。そのシルエットを目で追う。
我が家の燕もそろそろ巣に帰る時刻になったようだ。

ひなが一羽死んでいた・・・。ついさっき見つける。
こんな時はどうすればいいのか。毎年のことだけれど。
小さな命も試練をもって生まれてくるものと嘆くばかり。

昼間。近所の人が「まあ玄関に」と言って顔をしかめていた。
古巣は壊すべきだと言う。また作り始めたら壊せば良いと言う。
人それぞれだけれど。だからこそ我が家の巣は護りたいと思う。

まだ他のひなの姿は見えないが。今年もどうか無事にと願うばかり。





今日は遠方で親戚の祝い事があり。彼が出掛けて行ってからずっと。
私は独りでお留守番だった。昼食も夕食もひとりで簡単に済ました。
午後はずっとテレビを見ていた。関口知宏の列島縦断鉄道の旅とか。
見ているうちにすっかり夢中になってしまいとうとう最後まで見た。

車窓から見る景色。北海道の春から九州の初夏までその旅が続く。
そうして出会う人々の笑顔がとても印象的で心につよく残った。
関口君の絵日記も素晴らしい。ほのぼのと心に温かさが伝わる。

旅はほんとにいいな。ひとりで列車に乗って私もそんな旅をしたい。

すこしも動き出せず今日は『静』の日。けれどもこころが動いた日だった。




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