ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2007年03月30日(金) 一期一会

まだ五分咲きほどの桜並木は染井吉野。
その桜並木にあってひと際純白に咲く桜の木がある。
艶やかな緑の葉と合わさりなんともいえず可憐な花が。
こぼれ落ちそうに咲いているのを見つけた。

名はなんと呼べばいいのだろう。知りたくてたまらなくなる。
だけども桜はさくら。ほんのつかの間のひと時を惜しむように。

さくらに逢った。




ひとが慌しく去っていく。退職です。転勤ですと言って去っていく。
また会える日も来るでしょうと。なるべくの笑顔でお別れを告げつつ。

若いその人は。もう今の仕事ではやっていけないと嘆き遠い町へ行くのだと言う。
不景気の嵐のさなか。30歳の節目を機に決めた再出発であるらしかったけれど。

前途を祝福する気持ちは大いにありながら。やたら淋しさが我が身を襲ってくる。
少しばかり親しくしてもらっていたものだから。ひどく情というものが私にあった。

これが今生の別れ。すっかりそう決め付けているようにも思う。

彼の10年と私の10年は。とんでもなくかけ離れてはこの先過ぎて行くだろう。
私は決して追いつけないところにいる。そしてどんどん老いて先を行くのだろう。

一期一会をおもえば。ほんとうにありがたい縁だとつくづくそう思う。


どうか元気で。そんなありふれた言葉しか言えない。

この先。どんなに老いても。生きて再会できればどんなに嬉しいことだろう。






2007年03月29日(木) こころがいっぱい笑ったら

つばめが古巣を修繕している。二羽が交互にせっせと頑張っている。

今朝。玄関の扉をあけるなり目が合って。見ると藁みたいなのを咥えていた。
私が急に出て行ったのでびっくりさせてしまったのかな。ありゃりゃって顔。

そのうえ私が話し掛けたりするものだから。ちょっと気が散るんですよの顔。
この家主、去年よりも鬱陶しくなったな。なんて思ったかもしれない。ごめん。

そっとしておいてあげるのがきっといちばんなんだろうなあって思う。
だけどついつい。世話も出来ないくせにあれこれ世話を焼きたがる私だった。


「誰と話してるんだぁ?」って不思議そうに彼も出てくる。

「つばめちゃん」って。ちょっと甘ったれた声で応えると。

「おまえ、アホか!」と。すごい呆れかえった顔で笑いとばされてしまった。


うん。アホかもしれん。でもなんかこういうアホな自分が好きだ。

そしてずっとそのまんま。今日はいちにちアホをつらぬいて見せた。



ひょうきんにおどけるのは。ほんまに愉しい。

こころがいっぱい笑ったら。なんか幸せだなって思う。



2007年03月27日(火) 春を抱く

そぼ降る春のしずく雨が。ぽろんぽろんと音色を奏でていた。

なんだかわたしはどこか。また一本の弦を張り詰めすぎていたらしく。

今日。それがとうとう切れてしまった。それはとても心地良よく切れた。

もう求めはしないだろう。残されたひとつきりの弦で精一杯に爪弾いてみたい。

狂おしくあればそれなりに。哀しければなお更。喜びはひとしお素直にありたい。







まだ桜も愛でずにいる頃に。ツバメが少しかん高く鳴いては帰宅を報せてくれた。
「お帰りなさい」と声をかければ。嬉しそうに狭き庭を旋回している姿を見せる。

歳のせいか涙もろくなってしまって。感極まってはほろほろと目頭が熱くなった。
我が家を目指して飛んで帰ってくれたのか。忘れずに憶えていてくれたのかと思うと。

ほんにほんに我が子のように感じずにはいられない。愛しくてならない小さな命。
なんとしても守りたいと思う。無事にまたここから巣立つ子供達をと願うばかり。


ほこっとわたしも卵を抱いた。

この世にはどんなに願っても叶わないことがあるけれど。

抱くことをしないでいて。どうしてそこから生まれようか。



2007年03月26日(月) ある花のものがたり

やはり桜は咲いていた。立ち止まり仰ぎ見る事も出来ずにいたけれど。
咲いているのが嬉しい。ただただ静かに桜だけを想ってみたいと思う。


ふるきよき時代。桜尽くしの宴のことを絵巻物のように心に描いてみる。
高貴なひとびとあまた集うその庭には。いちめんの桜の花びらが敷かれ。
それはこの日のために他所から拾い集めてきたのだと言うのだけれど。

踏みしめるにはせつなすぎて。かといって立ち竦むには心浮き立つばかり。
花影に想いびとなど見つければ。この花びらを纏ってでも逢いたいものよと。
おんなは蝶のように舞ってみせる。はらはらとこのうえなく儚い恋のゆくてに。

落ちるのはひとひら。落ちるのはふたひら。涙まじりの花吹雪だった・・・。



この世に桜ほど儚い花はない。これほど潔く散ってしまえる花もない。


咲くならば桜だとずっと願っていたけれど。

ことしもどうやら野道の端に咲いてしまったように思う。

散れなくて枯れるのにも。ずいぶんと慣れてしまった。



2007年03月24日(土) たったひとつの空に

桜がぽつりぽつりと咲き始めたそうだ。まだ確かめてはいない。
今日桜並木のある道を通ったのだけど。どしゃぶりの雨が降るばかりだった。

この雨があがればきっとに違いない。なんだか心がくすぐったくしている。
いつもの期待というのとはちょっと違う。どこか異質のむず痒さがあるのだ。

思い通りになるのに逆らってみたいのかな。なんとなくそう思ったりしている。

ある意味。それは。素直ではない。




一昨日。使い古した携帯をやっと新しくした。
大切なボイスデーターをなんとか移せないかと無理な相談をしながら。
「亡くなった友人の声なんです」と涙声で嘘までついてしまった。
店員さんがPCに繋いで頑張ってくれたけれど、やはり駄目だった。
「潔く諦めてしまえ」ともうひとりの自分が苛立つように言うけれど。
「いやだ・・いやだ・・」とほんとうの自分が泣きながら駄々をこねた。

古い携帯はもう電池パックの替えがなく。それでも少しでも充電が出来れば。
データーは残るのだそうだ。諦めずに時々充電してみて下さいと励ましてもらう。

その時。ほんとうにちょうどその時、大切な声の主からメールが届く。
その着信音が夢ではないかと思った。こんな偶然があるものだろうか。

音信不通がもはや当然だとずっと諦めていた。
もう『おんな』ではいたくないとさえ思っていたのに・・・。


懐かしい声がこだまするように聴こえてくる。

行かなくちゃ。もっと遠くに行かなくちゃって思う。


だけどこの空はひとつ。この空に。もう嘘はつけない。



2007年03月21日(水) 空にぽっかり浮かぶ顔

彼岸の中日。お墓参りも行かずにいてとうとう日が暮れてしまった。
そんな後ろめたさもあってか。今日はやたらと故人を懐かしく思い出す。


川仕事のかたわら。同業の従兄弟達とほのぼのと語らう。
おじいちゃんのこと。おばあちゃんのこと。おじさんやいとこのこと。
そうして夫の父の事。従兄弟達はみな「むーおんちゃん」って呼んで。
「むーおんちゃんも、あっちで川漁師しよるろうなあ」とか言ったり。
「いやいや、もう桜が咲いて花見しよるかもしれんぞ」って笑ったり。

懐かしい顔が空にぽっかり浮かぶ。きっとみんなの声が聞えているだろうと思う。

あの『千の風になって』の歌のように。いつだってそばにいてくれるのだと思う。


私も自分の父のことを想った。愛子ばあちゃんの事もいっぱい想った。
不孝ばかりだった自分のことを悔やみつつ。愛しさばかりが込みあげてくる。

尽くしきれなかったことを。もう遅いとどんなに嘆いても時はかえらない。

空に手をあわす。風に手をあわす。鳴く鳥を愛しく思い。道端の名もない花を愛でては。

こころ安らかなる日々を。こうして自分にさずけてくれる万物を尊ぶ。

おとうちゃんありがとう。

おばあちゃんありがとう。

わたしはこんなに満たされてここに生きています。



2007年03月19日(月) おなじひとつの空の下に

川仕事の帰り道。いつもの堤防沿いの小道を通り抜けて行くと。
老夫婦と見えるふたりが土手を這うようにして。手には束ねるほどの土筆。
おたがいが見せ合うようにしながら微笑みあっているのを見た。

なんだか子供みたいな笑顔だった。あたりいちめん和やかな風に吹かれて。
「佃煮にするのかな」って私が言うと。「漬物だろうきっと」と彼が言う。

土筆の漬物とは初耳であったから。私はあくまでも佃煮を主張したのだけど。
ずっとそのことが気になってしまって。夜になりネットで検索などしてみた。

そしたら確かに土筆の漬物がありました。どんな食感なのだろう。
なんだかとても食べたくなって。ふっとウサギが前歯を可愛らしく。
ちょこんと突き出しては。つくしの坊やを食べてしまった童話のような。

そんな絵が頭に浮かんで来たのだった。「ごめんね ごめんね」って言いつつ。
とうとう野原中の土筆を食べ尽くしてしまったウサギは。満腹だったけれども。

なぜか涙があとからあとから流れてくるのでした。そこは淋しい野原でした。
なんてことをしたのだろうとウサギは悔みます。つくしの坊やは友達でした。

友達を食べてしまったからには。きっと神様に叱られてしまうにちがいない。
許して下さい。ぼくの口を目も耳もちょん切って下さい。もう足も要りません。

そうしてウサギはずっと泣き続け。とうとう真っ赤な目だけの光る玉になりました。

光る玉は。ほんのかすかな風にさえ驚くように野原を転がっていきます。
木の根にぶつかっても岩にぶつかっても。ちっとも痛さを感じませんでした。

夏が来て秋が来てとうとう雪の降る夜も。不思議と寒さを感じることもなく。
やがて懐かしいくらい暖かな風に会ったのです。おやおやいったいどうしたの?
それはお母さんの声に似ている。そっと抱き上げてくれる風の精の声でした。

いつまでも泣いているとおっきくなれませんよ。ほらほらちゃんと目をあけて。

そこは確かにいつかの野原。むらさきスミレやタンポポや。そうして誰よりも。
いちばん先に寄り添ってくれたのが。友達のつくしの坊やではありませんか。

「僕らはちっとも悲しくなんかなかったよ」「だってほらウサ君のおかげだよ」

あそこにも。ほらむこうにも。もっとあっちにも僕らがいっぱいいるんだ。


光る玉はキラキラっと震えました。そうすることで嬉しさを伝えたかったのです。

「いちぴた〜」「にぴた〜」「よっし、さんぴただ〜」つくし達が声をあげて。
まるでそれは磁石みたいないきおいで。ウサギの身体に抱きついて来ました。

ほうらね。ぴぴんと耳が出来た。口はねちょっと柔らかくしとこうね。
足はボクの頭だよ。どんなに跳ねても大丈夫だから。元気に走ろうね。


ウサギはやっぱり赤い目だったけれど。その目に青い空をいっぱいに映しながら。

おなじひとつの空の下に。こうして友達がいてくれて幸せだなあって思いました。



※※※※

はて。土筆の漬物からなにゆえこのような童話が出来るのでありましょうか。

書いた本人も不思議でなりませぬ。どうかさらりと読み流しのほどよろしく。




2007年03月18日(日) 春告鳥よ。ほうほけきょ。

早朝の川辺でまたうぐいすの声を聴く。
なんだか激しくて。その美声が必死で叫んでいるかのように。
ふと感じては。いえいえそんなはずはないと気を静めつつ聴けば。

やはりそれは澄んだ音色。ほっと息をしながらつかの間聴き入っていた。

その時わたしはとんでもなく高い空を仰いでいたらしい。
それとも木の芽の起き出した空に向かう梢のてっぺんを。
声の主をひと目見たさに恋焦がれるおんなであるかのように。

「おくさん、うぐいすはそんなに高い所にはおらんのですよ」

彼が背中に笑いかけるような声でそうおしえてくれたのだった。


声はすれど姿が見えぬ。それがこの鳥の警戒心であるらしかったが。
かさこそかさっと竹薮が風がないゆえその気配をそっと知らせていて。

いました。うぐいすを見つけました。なんてまあ可愛らしい小鳥でしょう。
まるで手乗り文鳥ではないかと思うほど人懐っこくそこできょとんとしています。

そうして三度も続けて鳴くのです。頭を振り振りこくんこくんと鳴くのです。
うんうんそうかそうかと。ついついわたしも頷いて連呼しつつ応えてしまった。

そしたら今度は遠くからまた呼ぶ声が聴こえてくる。
遥かなところ。ここではなくて朝の陽射しの続くそのさきへ。

「行かねばなりませぬ」と告げる間さえ惜しむかのように。いま飛立っていく。


ぽかんとしている。なんだか貴重な映像を垣間見たあとの余韻のように。
空虚なこころのひとすみに。なにかの種がこぼれるように蒔かれたように。


「さあ、行くぞ!」その声を追い駆けるように川辺に舫った船へ向かいつつ。

彼の背中に問うてみる。「ねえ、どうしてうぐいすはあんなに鳴くのかな」

そしたら振り向いて笑いながら言った。

「春だからさ」

    
           ああ、うん、そっか。春なんだね。



    隔てども呼べばこたえる声あれば告げてもみよう空に焦がれて



2007年03月17日(土) あふれる笑顔

彼岸に入るこの頃を『寒の別れ』と私はなづけたりもする。
冬はあがくように終いの寒さを感じさせては。その背に春を浴びつつ去っていく。
こちらの岸からあちらの岸へ。苦しみも悩みもないその道をふと垣間見るかの如く。

ひとつの節目がまたこうしておとずれるのだった。




彼。55歳の誕生日でもあった。たしか27歳だった彼だけれど。
ずいぶんと積み重ねた苦労のことなど思い出す素振りも見せずに。
まるでありがたい御仏のような安らいだ顔で。和やかな時を過ごす。

縁あってこうして旅の道づれとなったからには。背くことを選ばず。
ただひたすら寄り添って行かねばと。何度もなんども自分を戒めて。
ここまで来たように思う。はぐれてもまたその背を追い求めながら。

私は随分と赦された。突き放されもせずこの道を指し示して貰ったのだ。
それは感謝としか言い尽くせない彼の情け深さであったといえよう。





茶の間で家族揃ってゲームをする。最近のゲームはやけにリアルで楽しい。
ボーリングで対戦したりテニスで対戦したりして笑い声で満ち溢れた。

ちえさんもすっかり元気になってくれてほっと安堵と嬉しさが込みあげる。

彼はテニスで私に勝ったものだから。大喜びして得意満面の笑顔を見せる。


笑顔には笑顔を。その何倍ものあふれる笑顔を。私は彼に贈った。



2007年03月15日(木) つめたい雨に熱いなみだを

春雨とはいえないほどの冷たい雨が。ほろほろと空からこぼれるように降る。

こんな日にいただく心あたたまることのひとつふたつ。それが思いがけない
ことであるほど嬉しくてたまらないものだ。ありがたいことだとつくづく思う。


ずっと不義理を重ねてばかりの叔母からの電話に。
多感な少女時代を重ねてみれば。いつの日もそこに。
叔母の優しさがあふれているのだった。

修学旅行の前の晩には泊りがけで来てくれたっけ。
まだ暗いうちからおにぎりを作ってくれたのだった。
寝坊して遅れないようにとちゃんと起こしてくれたことなど。
どんなにか嬉しかったことだろう。ありがとうって言ったかな。
私はたぶん言わなかったと記憶している。ものすごくつっけんどんな態度で。
もしかしたら、ああ鬱陶しいなあって心の中でふっと思っていたかもしれない。


父が死に。26年ぶりの叔母の姿を見るなり抱きついておいおいと泣いた。
よしよしなんぼか辛かったろうと優しく背中を撫でてくれた叔母がまるで。
実の母ではないかと思うほど。会いたくて愛しくてならないひとであった。


ときは流れるのではなく積み重なるものだというけれど。
悔めばいくらでも悔む重さがずっしりと今に残っている。

その重さほどに精魂尽くす事が出来ればどんなにかいいだろうと思う。


つめたい雨に熱いなみだを。

それがぬくもりになって。ひとつ今日という日がまた重なっていった。



2007年03月13日(火) 弥生の風に吹かれながら

むかし『弥生つめたい風』という歌がとても好きだった。
その歌には桜が咲いて。桜の花、風に散らないでと歌いながら。
別れたひとのことなど想っては。はらはらと涙がこぼれたものだった。


花冷えという言葉があるように。いまがその頃と思えば寒さも愛しい。
桜はまだ固くとも。満開の桃の花。今日の道には雪柳を見つけたりもした。

それはひとつひとつのちいちゃな花が。まるで雪のように枝にふり積もって。
北風にあおられているのなど目にすると。ついつい手で支えてあげたくなる。



また久かたぶりの山里だった。峠道を越えトンネルを抜けて寄り添うふたつの
欅の裸木に「おはよう」って言って。職場が見えて来た四辻まで来た時のこと。
地図らしきものを手にして、なんだか迷っている風に見える若いお遍路さんに会った。

咄嗟にクルマを停めて駆け寄って行ったところ。やはり道がよく判らない様子。
「あちらに真っ直ぐですよ」と教えたところ「僕はあちらから来たんです」と笑う。
『逆打ち』のお遍路さんらしかった。慌てん坊の私も一緒に微笑んでしまった。

自転車での旅とのことで少しでも快適にと思い。私がいま来た道を教えて別れる。
後ではっと気付いた時にはもう遅く。国道に出てからの交通量の多さなど考えず。
かえって難儀をしたのではと心配になってしまった。どうか無事に着いていますように。


しかしこうしてささやかな朝のふれあいを頂いた日は。心がとてもあたたまるもの。
おかげで苛立つ事もひとつもなく。今日の平穏をありがたく受止めているのだった。



昨夜ネットで注文した桧木のお地蔵さんが。もう明日は届くのだという。
相談もせずに勝手なことをしてと昨夜少し夫君から小言を頂いたのだけれど。
息子夫婦にそれを授けたいと思った私の気持ちが。いつかは解って貰えるだろう。

ちいさな命はわずか3ヶ月足らずだったけれど。きらきらと精一杯輝いてくれたから。

ありがとうってこころから手をあわしたい。

そしてきっともういちど。おなじ親を選んでこの世に生まれてくれますように。







2007年03月10日(土) 絹の雨に濡れもせず

音さえもうすぼんやりと静か過ぎるほどの雨の夜となった。
小糠雨と言うのだろうか。春雨じゃ濡れて行こうの雨かしら。

いやいやこれは絹の雨。やわらかなそれにすっぽりとくるまれてみたい。



ひかくてきおだやか。どんな日もあってこんな日はとてもありがたい。
はりつめてはりつめてしては。ぷつんとそれが切れてしまったあとの。
もう手探りでそれを繋ぐ事をしない自分が。好きであっていけないはずは。

ないのだ。



ふっとこころが旅をしたがる。いまならどこにだって行けるように思う。
あの時は賑やか過ぎたから嫌だった。どうしてあんなに騒がしかったのだろう。

すみちゃんは愚痴ばっかり言うし。りっちゃんはそれに相槌ばっかり打って。
かよはまあまあって宥めてばかりで。私はずっと日本海の蒼ばかり見ていた。

早朝まだみんなが寝ているうちにそっと起き出して。足湯に浸かりに行った。
胃腸に良いというお湯を両手でほこほこさせながらゆっくりと味わっていたら。

「ああ!あそこにおった!」とすみちゃんがおっきな声で私を見つけてしまい。
一気にまた賑やかになった。すぐ近くの川からは湯気がたっているのに鯉がいる。
晩秋の朝冷えにも。ここは春の小川なのだろうと。その風情がなんとも和やかだ。

「わぉ!あの鯉煮えるぜ!」すみちゃんがそれを見るなり叫んだ。

いやいやすみちゃん。ここは春の小川。でもいい。もういいから宿へ帰ろう。


後日談で。かよから聞いたすみちゃんのこと。
どうやら日頃の鬱憤が人並み以上に溜まっていたらしかった。
みんなに話せてずいぶんと楽になっただろうと言うことだった。

私はそんなことにも気づいてあげられず。ずっと機嫌悪くてごめんね。

またみんなで旅がしたいな。今度はどこへ行こうかな。



2007年03月09日(金) こころはさとうきびばたけ

ふゆの朝。はるの午後。そらは冬。野原は春。

もうあふれてしまった冬に。春がそっとささやいている頃だった。




ざわわざわわと。なんだか心はさとうきびばたけ。
いつもいつも平穏だとは限らないのが世の常だけれど。
そこでいかにそれをたいらかになめらかに宥めていくかが。
この先もずっと先も。きっといちばん肝心なことなのだろう。



寝耳に水の如しのことなどあれば。しばらくはその渦の中にあり。
それをさらりと流すまではずいぶんと時がひつように思える。

時には掻き混ぜてもみたりして。そこに墨汁を垂らしてみたりもする。
うゎ・・嫌な色になっちゃった。とんでもないことをしてしまったと。
とりあえずの後悔などもしてみる。何とか元にと焦ることもしてみる。


ざわわざわわと風が吹く。ああ鳥ならば今こそ飛び立とうと思うのだった。

空はどんなにかひろいこころで私を迎えてくれることだろう。


まずは鳥ではないことにきづけ。

そうしてひとに生まれたことを思い知れ。


その風がどこから吹いてくるのかをしかと見つめよ。



2007年03月07日(水) 涙が出るほど笑った日

きょうも少し冷たい風。だけども陽射しに恵まれていると。
不思議と寒さを感じなかった。もうすぐ桜も咲くのだそうだ。

今年の開花予想日はちょっと遅め。冬の寒さが足らなかったらしい。
『休眠打破』というのだそうだ。桜の花芽は寒さで目覚めるのだという。

なんだかふっとそれを『ひと』にも当てはめてみたくもなる。
ぬくぬくしていたら咲けないのかもしれないし。寒さ冷たさ。
それは悲哀にも似て。怖れずに身を晒すことできっと花咲く時が来る。

だからどんな時も。逃げてはならない。







川仕事に愛犬あんずを連れて行く。
今日も昨日の続きとやらで、また電気工事だったから。
作業員の人達に吠えまくるし、ひどく近所迷惑でもあった。

仕事中。ずっとおりこうさんにしていてくれて助かった。
ながいロープの届く範囲でそれなりに遊び。ウンコもしていた。

お昼は作業場でお弁当を食べる。久しぶりにお隣りのお店で買った。
ご飯が固くてイマイチだったけれど。空きっ腹には何でも良いなと思う。

あんずも鶏の唐揚げを食べた。ひじきの煮たのはどうやら嫌いらしい。
じゃあレタスは?それも見向きもしなかった。ゴマ塩のご飯はよく食べる。
ほれ次は椎茸だと彼が一切れ差し出すと。一瞬なんだこりゃの顔をした。

ひたすら匂いを嗅いでいる。食べたいけどやはり迷っているのが可笑しい。
その傍で飼い主ふたりは。最後のエビフライをすばやく口にほうりこんだ。

とうとう彼女は椎茸を食べた。生まれて初めての食感はいかがなものだろう?
そうして次の期待をカラダ中で示したけれど。もうエビフライの尻尾しかない。

ほれ尻尾だ。彼が笑いながらそれを差し出すと。意外にもかなり満足な様子。
カリカリ感が気に入ったようだ。今まででこれがいちばん美味しいという顔。

家族団欒ではないけれど。なんだかそのように和やかなひと時をいただく。
こんなふうに一緒に食事をしたのは初めてだったから。ちょっと感動もした。


あんずもよほど嬉しかったのか。それからはずっとはしゃぎまわっていた。
まるで幼子が。親のたもとにしがみつくようにして。ねえねえって言いながら。
お父さん遊ぼうよ。お母さんも遊ぼうよって。ねだってばかりいるようだった。

これこれ。ほらほら。そりゃそりゃと。ふたり声ばかりあげつつ作業を続ける。

なんだか楽しくてならなかった。あんずがお父さんの足にしがみついた時など。

可笑しくてたまらなくて。涙が出るほど笑ってしまった。






2007年03月06日(火) それでもなんとかなるものだ

きょうは北風。ひゅるひゅると風の口笛がきこえる。
小粒な時雨が。雪の子供みたいに風に舞うのを見た。

きりりっとする。春風に甘えすぎていたのだろうか。
なんだか俄かに勇ましくなって。突き進みたくなる。

叱咤のように吹く風のことを私は決して嫌いではなかった。




そう。そうなんだ。強がりもたまにはいい。
強がってるなって。きづくところがまたいいものだ。


だから午後は怠け者。この怠け者っていうのもなかなかによい。
なにもかもほったらかしにするのは。少し気が咎めるけれども。
たまには手を抜くことも肝心ではないかと。自分の都合で思ってみる。

庭の陽だまりで個室といえば。それはクルマのなかと決まっているのだ。
こんな平日の昼下がりになんと贅沢なことだろうと思いつつも。これが至福。
枕まで持ち込んでシートを倒せば。あとは好きな本を読みつつ昼寝だって出来る。

しかし。ああなんて幸せなんだろうって思ったのもつかの間。
いきなり路地を突き進んで来たのはバキュームカーであった。
ぐりぐりと汲み出している音が耳に響く。おまけにつき物の香りも立ち込め。
しばし我慢を強いられる。これは仕方ない。これは当然の事と観念してみる。

そしてその芳香がやっと遠のいたかと思えば。今度は電気工事の車が二台も。
なんという事だろう。うちの庭の出口をしっかりと塞ぐほど迫って来たのだ。
しばらく通行止めにさせて欲しいと言われて。はいご苦労さまですと頭を下げる。

不機嫌になどなってはいけない。悪いのはこの怠け者に他なりませぬゆえ。

しょんぼりと肩を落としつつクルマを抜け出し。しばらく自室でぼんやり過ごす。
窓を少し開けるとお陽さまの匂いと北風の声が。交差している傍で電柱には人が。
今日のお仕事を頑張っている姿が見えた。高い所で今日の風は冷たいことだろう。


通行止めを良い事に。とうとう買物にも行かず夕方になる。
それでもなんとかなるものだ。キムチチャーハンとマカロニサラダが出来た。

お休みだったサチコは眉毛のないすっぴん顔で。

「母さん、やればできるじゃん!」ってほめてくれた。



2007年03月05日(月) 咲けば心を和ませて

春の嵐もつかの間のことで。午後は洗われた心のように心地良く晴れる。


すっきりと。わたしも自分なりにどこかが澄んできたのを感じる。
揺らぎすぎて折れてはいないかと確かめることもせず。ただただ。
風が吹き抜けたあとの爽快さは。まるで憑き物が落ちたような感。

どんな日もある。もっともっとそう思えるようになりたいものだ。




桃の花が。そう今日は桃の花を見つけた日。
桃色というくらいだもの。とても愛らしい色だ。
枝に添ってひとつふたつとまるでかんざしのように咲く。

花ならばみな今日よりも明日と胸ふくらますのが常だけれど。
桃の花はなぜか不思議とあどけない。いつまでも少女のように見える。

だからなのか。落ちるのか散るのかとはふかく詮索もせずにいて。
咲けば心を和ませて。咲けば微笑んでは。ふと夢見心地にもなれる。


ちょうどその時。カーラジオから流れてきたのが『君の好きなとこ』
大好きな平井堅の歌だけれど。しっかりと聴いたのは久しぶりのことだった。

むしょうに照れた。なんだかこれって私のことみたいって思ってしまったから。
「いやまあそんなこと言って」とか「そりゃそうでしょうあたりまえじゃん」って。

顔も心もほころぶばかり。そうしているうちに感極まって涙までこぼれて来た。


ありがたい歌だなって。ありがたい声だなって。つくづく思った。

わたしもこんなふうに自分のことを好きって思えるように。きっとなるからね。



2007年03月03日(土) いまこそ抱きしめてあげよう

つくしんぼうの土手をゆっくりと歩いてみたいなって。
思うだけたくさん思っては。どこか何かが足らなくて。

風に吹かれることもせず。ただただぼんやりと過ごす。

「弱音を吐くことがそんなにいけないことかしら」と。
言ってくださるかたがいて。なんだかとても嬉しかった。

疲れているのはたぶんカラダ。カラダが泣きたがるから。
こころが同情してしまうのかもしれない。弱虫なのかな。
すぐにくじけちゃう。おまけにひがみっぽいし嫌いな私。

許してあげたらいいのにな。そしたらすごく楽になるのにちがいない。





いちめんの菜の花畑が。とうとう掘り起こされてしまっていた。
それは少しは哀しいけれど。そうして農家の春が始まるのだった。

菜の花の精たちは土にかえり。そこでまた新しい精になり生きる。
ひたひたと溢れるほどの水を頂き。やがて植えられる稲の力となる。

ひとつが終ればひとつが始まる。そんな季節の真っ只中にこうしてぽつんと。
たとえ弱音を吐こうとも。くじけ心を持て余そうと。生きているのが嬉しかった。


ゆるしてあげようではないか。もっとだきしめてあげようではないか。

じぶんをいちばんに愛してあげよう。じぶんをもっと信じてあげよう。







2007年03月02日(金) この気持ちが花になるなら

毎年。あれは寒桜となづけていた桜がほぼ満開となったのを。
彼は。あれは『さくらんぼ』の桜だとおしえてくれたのだった。

もう何年もずっとそのことを知らずにいた。
だとすると。今日初めてその桜をふたりしてながめた日となる。

ずっと離れすぎていたのだろうか。ふたり。
どうして離れていたのだろう。そのわからなさに少しはっとしたりした。

思い出すには痛みをともない。それでも精一杯繋ぎ合わせてみる日々が。
走馬灯のようにくるくるとしながら。フラッシュしていくのを見ていた。

私の閉じこもろうとしていた器は。ちいちゃくて狭くて。そして脆くも。
そのありかでどんなにか息苦しくもがいてばかりいたことだろうか・・。

粉々に砕く勇気を持たねばならない。そうして丹念にその欠片を拾っては。
捨てていくことを選ばなければいけない。もうないと確信を持てる日まで。







むしょうに人恋しい日でもあった。

ときどき不安がるのは。誰も私を恋しくはないだろうと思い込むこと。
私が欠けても誰も探さないだろう。私ひとりくらいどうってことないだろう。

それでも。私は人が恋しい。どうしようもなく恋しくてたまらない。

10日ぶりにバド仲間に会いに行く。とっておきの笑顔を携えて行く。
笑顔には確実のように笑顔が返って来ることを。知っているのだけれど。
一度の不安は百にもなって。負へと負へと向かいそうになるのがはがゆい。

だからありのままにしている。無理なんかしてない。だって楽しいから。
自然に笑みがこぼれて来るのだ。それは心に花が咲いたような気持ちで。

ひとりふたり。さんにんも。擦り寄るようにそばへ来てちょこんと座っては。
私の名を呼んでくれる。話し掛けてくれる。なんだか夢を見ているようだった。

私はみんなのことがほんとうに大好き。いつだってみんなに会いたい。

その気持ちが花になるなら。その花をみんなに見せてあげたいと思った。


今日。ずいぶんと私は救われたのだ。こんなにありがたい日を。「ありがとう」


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