ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2006年12月30日(土) このいちねんの感謝をこめて

わたしはすごくなまいきでえらそうなことばかりいって

かんぺきじゃないのにかんぺきなそぶりばっかりしては

またここでいちねんを終えようとしています。


ほんとうのわたしはちょっぴりなさけなくてなきむしで

だけど笑うのがすきで涙がでるくらい笑うのが好きです。



わたしには信念がありますが自信はあまりありませんし

いつもふあんです。こころぼそくてたまらないくらいです。


だけどもしやこんなわたしでも咲けるのではとふとおもい

それがだれかの希望になれたり励ますことができたならと

いつもいつも祈っています。毎日まいにち祈っています。



わたしのなまえは。みのるかおると書いて実香といいます。

おとうさんがつけてくれたのだといまは確信しています。

実って香れよって声が天からまいにちきこえるからです。



わたしはまだまだ土の中にいるみたいです。

いっぱい生きてきたけれどまだ土の中です。

芽がでて伸びて花が咲いて実をつけるまで。

だからどうしても生きていようと思います。



こうしてこんな土の中で呟いてばかりの日々に。

足音がきこえること。足跡を残してくれること。

時には優しく声をかけてくれるひともいてくれて。

どんなにかうれしくありがたかったことでしょう。


日々はたからものです。日々はこんなにも愛しい。


わたしの声に耳をすませてくださって

ほんとに。ほんとにありがとうございました。



2006年12月30日。午後8時25分。

感謝のきもちを。いまあなたに届けます。



2006年12月29日(金) いつだって空のした

初雪がふる。今朝の冷たさにそっと窓をあけて見ると。川向かいの山々が。
薄っすらと雪化粧をしていて。きりりっと身が引き締まるような冬の朝が。

決して嫌いではなかった。冷たい風も心地良く思えてしばし風に吹かれる。




とうとう今日が今年の仕事納め。きちんとケジメつけたさに焦っていたようで。
いざとなると程々でなんとなく。いったい何を納めるのだろうとふと観念しては。
ついには逃げるように家路を急いでいた。解放感が漲るように心を満たしてくれる。

なるようになった。これが結果で。だからこれからもなんとかなるのに違いない。



仕事に限らず。いまこの年の瀬に思うのは。日々に流されてばかりではなくして。
もしかしたら溺れそうになりながらも泳ぎつけたのかもしれないということだった。

何処にだろう?それは陸地なのか?ものすごくあやふやで不確かなところだけれど。
ぶるぶるっと濡れた犬が身を震わす時のような。その飛び散った水滴が陽を受けて。
きらきらっと光るのを見ているような気がする。すっきりといい顔を得意げに。

微笑んでいるすがた。


もがいてもがいてここまで来た。とにかくこうして地に立つことが出来るのは。
あの波のおかげではあるまいか。あの波が荒れてくれたから心を押してくれたのだ。

そうでなかったらもうとっくに。私は溺れて絶えていたことだろう。


凪いだ日にぷっかりと浮かべば空が愛しく。夢ではないかとふと不安がりもし。
道標のひとつもないことを怨みそうになりながら。空を信じてこころを宥めた。


眠れば朝が来る。それはもう今日という日になり。幾度も幾度も今日が来る。


わたしはここから。また飛び込んでいくだろう。

だいじょうぶ。いつだってこの空のしたにいる。




2006年12月28日(木) 希望めいたもの

昨夜よりも強い北風が吹き荒れていて。窓を容赦なく叩くせいなのか。
ざわざわと心が騒いでいて。髪の毛をもしゃもしゃっと掻き混ぜている。

いまもっとも欲しいのは。おおきな欠伸であった。




これがあたりまえの冬将軍の力の見せ所である頃とはいえ。
このところの暖かさに。もう梅の花の蕾がふっくらと薄紅を見せる。
時を感じたものの時は何処こへと途惑っていることだろう。
その今にもと希望めいたものが。また目を閉じて眠り始める姿には。
なんだか寄り添って在りたいような心細さに我が身を誘い込んでいく。


逸る気持ちを押し殺すのはすこし辛い。
時に身を任すとは口では容易いことなのだ。

私などはいつだってまっしぐらに突き進みたがるものだから。
もっともっと躊躇するべきだと思うし。もっともっと悩むべきだと思う。

だけど結果を恐れるばかりだと。進歩というものが生まれないと思うし。
思い立ったが吉日と信じて。とにかく踏み出してしまうことが多いのだ。

あるいみ希望だ。

結果を知るまでの道のりが希望だ。

そう思うと知らないうちから嘆くことはなにひとつないのではないだろうか・・。


        ああよかった。いま欠伸がひとつ出た。



2006年12月27日(水) きをつけ。前へ進め!

穏やかないちにちが暮れるのを待ちかねていたかのように。北風が強くなり。
また冬らしくなった。夜空を見上げれば月は。風の刃で斬られたような檸檬。

そのひときれがなぜか今夜は愛しくてならない。


私なども時おりは。そうして斬られてみたくも思う。
とくにあれこれに拘ってしまって意に反するくらい思い詰めてしまいそうなとき。
どうしても纏わりついて離れないのなら。いっそこの身をめった斬りにしてくれと。
刃に向かって突進してみたい衝動に駆られたりするのだった。

この年の瀬にこの様はなんだと。戒める言葉を迷路のなかで探し回っているようだ。


たぶんこれが今年最後の踏ん切りだと思う。これを吹っ切ってこそ私は前へ進める。






今夜は今年最後のバドの練習日だった。
寒いなって思っていたのに。いい汗をいっぱい流すことが出来た。

好きな事に夢中になれる時間ほどありがたいことはない。

来年もいっぱい頑張ろうと思う。







2006年12月26日(火) まるで湿った小枝のよう

ぽろぽろと雫のような雨。冬の雨のはずなのに。ふっと春先の頃を感じる雨。

去年の今頃にはもう初雪も降って。しんしんと冷たい日が幾日もあったことなど
思いおこせば。やはり今年は暖冬なのだろうか。安堵もすれば少し物足りなさもある。


だけどやはり年の瀬。なにを急ぐのかついつい転びそうになっては。はっとして。
平たいはずの心さえも今日は。苛々虫にちくりと刺されてしまったように思う。

きちんきちんと。私はそれほど几帳面でも生真面目でもないつもりだけれども。
ひと様に迷惑をかけたまま年を越す事や。不義理を重ねつつそ知らぬ顔でとか。
そういうのが許せない性分らしかった。とにかく誠意を尽くさねばと思うばかりで。

だからなのか職場でもトラブルが多い。ぶつかる相手はいつもただひとりだけれど。
無意識のうちに言葉が荒くなってしまったり。怒ったような顔になっているらしい。


折れなくちゃいけないっていつも思う。だけど上手く折れない。ぽきっと潔く。
折れることが出来たらどんなにか楽だろうって思う。まるで湿った小枝のようだ。


まるく。まあるく。いつもそれを願っているくせに。自分から角を作るのはいけない。

反省はいくらでもしようではないか。残り少ないこの年をまるくおさめてみよう。



2006年12月25日(月) ここにありたい

今朝のラジオの女性が。今年最後の月曜日ですと強くつよく言っていたのに。
うんうんと頷きつつも。気分は特に張り切るわけでもなくまた当たり前のような。

日常が始まる。

とにかく最近はとても平たく思うばかりで。かつての棘もかつての槍も。
どうしてそれが痛かったのか思い出せなくなり。もはや傷さえも見えない。

それよりもむしろ。誰かを傷つけやしなかったかと心はそればかりに傾く。
不確かな生き様だから自信は揺らぎつつ。よかれと思った行いがもしやと。
ふと気遣ってしまう事がずいぶんと多い。やはりやはり己を信じるに足りない。

だからこそもっと生きたい。





今朝メールボックスに届いていたクリスマスカードのありがたかったこと。
添えられていた言葉にどれほど救われたことだろう。

わたしはこのままでいいのだとおもう。

このままだからつたえられることがある。

そうしてここからあゆみだすひびをたからに。

これからもぽつねんとこれからもひっそりと。

ここにありたい。




2006年12月24日(日) 暮らしぬきつつある日に

三日月は横たわり微動だにせず。夜風はまるで春のようにやわらかくある。
耳を澄ましているけれど。なんだかとてもとても遠い。かかわりのないことが。

ことんことんと蠢いているようでもある。



午前中。これも春かと思うほどの陽射しに恵まれて。縁側の廊下に座り込んでは。
破れ障子の穴を埋めていた。障子紙の端切れをふたつに折って花のようにしたり。
星のようにしたりして。最初はめんどくさくてもとうとう夢中になって貼り終える。

先日は和室の北側の障子をすっかり張り替えてくれた彼は。今日はその気がなく。
茶の間の炬燵から這い出て来ては。なかなかええじゃないかとほめて逃げるばかりだった。



午後。息子くんたちが。早くもお正月用のお餅を持って来てくれた。
チエさんの実家が農家なのでもち米も豊富にあり。ここ数年ずっと届けてくれている。
今年は晴れて身内となったので。すごく気楽な思いもあるが。ありがたさも一入であった。

また大晦日の晩から泊りがけで来てくれるそうで。それはそれは嬉しいことだけれども。
もう息子くんの部屋だったところはサチコの部屋で。サチコの部屋は物置化している。
そのうえお布団さえもサチコが使っていて。我が家には客布団が一組もないのだった。


この30年近い歳月を私たち夫婦は。私たち家族はとことん暮らし抜いて来たのだと思う。
屋根裏部屋から始まった新婚所帯から。子供達を育てつつやっと新居を構えたけれど。
ありあわせの家財道具のままを苦とも思わず。ただただ平穏だけを望んで歳月が流れた。


息子たちが帰ってから。彼とふたり思うところはどうやら同じだったらしく。
この余裕のなさをあらためて感じ入るばかりで。ふたり向き合って苦笑いしつつ。

客布団を買おうなと決める。初めてのお客様が息子夫婦だなんてなんだか可笑しいけれど。

そのうえふっとまた同じことを考えてしまったのは。むしろ自然のことやもしれず。

どちらかが死んだ時のこと。やはり真っ白のシーツの組布団が必要だということだった・・・。







夕暮せまる頃。クりスマスケーキを頂きにいつもの店へ行く。
先日ビールを買った時に。クリスマスキャンペーンとかでクジを引いたら。
すごいラッキーやってケーキが当たったがよ。めっちゃ嬉しかったあ!!



2006年12月21日(木) くよくよしていたら逃げるぜ!

なにかが迫って来ているようで。なにかに背中を押されたかのように。
つんつんと前のめりになっては。どこなのかどこへいくのかとふと考えては。
どこだっていいじゃないかと開き直るような気持ちで。今日も過ぎて行った。


どんよりと暗い曇り空。ついつい心まで翳りそうな日に。南天の実がたわわにあふれ。
希望の粒のように紅いのが嬉しい。そういえばいつかの冬。小鳥が幾つも飛んで来て。
その実の殆どを啄ばんでしまったことなど思い出して。それさえも微笑ましく目に浮かぶ。



そのくせ。ちいさなわだかまりを抱え込んでしまったらしく。気分が塞ぎこむのへ。
新聞の占いなどちらりと見ると「その自信をバネに飛躍を」と書いてあった。

自信とは自分を信じることらしいけれど。それを貫くのはけっこう難しいものだ。
ちょっとしたことですぐにくじけてしまう。一気に奈落の底みたいに落ち込んでしまう。
くよくよ思い始めたら手がつけられなくて。なんでなんでと自分を恨み始めたりする。

もっともっと堂々と胸をはって生きたいものだと。いつもいつもそう思う。





       
         ああ。今日もありがとう若葉のライン。



支払いに来てくれたお客さんは。とある営業の仕事を頑張っているのだけれど。
今月というか今年というか。どうしてもあと一件契約を取らなくてはいけないらしい。

なんぼか焦る気持ちでいるだろうに。なのにすごく明るくて朗らかなひとだった。
健気なひとだと思うと協力してあげられればと心も痛むけれど。いいよいいよと。
笑って手を横に振る仕草。まあなんとかなるさと言ってぴょんぴょん跳ねるようして。

笑っていれば舞い込んでくるぜ!と言う。

くよくよしていたらみんな逃げるぜ!と言う。

そうして風のように身を翻し。颯爽とした後ろ姿で帰って行った。



2006年12月19日(火) あのひとはきっと

人生がわからなくなりそうな日々がつらくてたまりませんでしたと。
あのひとは言って。まるで戦場へ向かうように背を向けて去って行ったけれど。

わたしの厳しさはとても一途で。どうしてもそれを曲げられない理由があるとすれば。

ただただ強く逞しく生き抜いて欲しいと願う。母のような心だったのかもしれない。



冬枯れの野に青く芽吹く雑草のように。その一面を枯野だと信じさせないでいたい。

折れた木の哀れさの根元にいつかの実が。ちいさく伸びて空に向かっていることを。

伝えてあげたい。おしえてあげたい。ひと目見せてやりたいと。いつもいつも願う。


          あのひとはきっと。きっと生きている。








2006年12月18日(月) 愛しいふたり

いちだんと冷たさを感じる朝のこと。昨夜降った時雨の道がきらきらと眩しい。
まるで空から光の粒が零れたのかと。それが道標のようにどこまでも続いていた。

そうしてながいながいトンネルをくぐり抜けて。道は山肌を縫うように峠道となる。

山里は濃い朝霧のなかひっそりと静かで。なんだか手探りで進むような道のり。
その薄ぼんやりとした景色のなかに。私がとても愛する冬けやきの木が見えた。

ふたつならんで。なんてしなやかな指先で霧を爪弾くように凛とそびえている。
ちょうど朝陽を背に受けて。その微かな紅い光に映し出された尊い命のように。

やはりふたりは愛しくてならなかった。




そうして仕事をしながら。今日はどうしても会いたくてならず。
郵便局へ行くからと言って。急いで育子先生のお宅へと走った。

すっかり霧の晴れた庭先で。朝陽をいっぱいに浴びて洗濯物を干していた。
ご主人の男先生はこれも朝の一仕事なのか。切干大根を干しているところ。
教職を退かれて幾年やら。育子先生は俳句をたしなみ、男先生は家庭菜園を。
のどかな山里で。それはそれはのんびりとふたり健やかな日々を送っている。

このいちねんの。私の軌跡のように自負しつつ。春からずっとの詩誌を届ける。
「詩を、詩を」とそれは待ち兼ねてくれていた様子で。感極まるのはむしろ私。

このいちねん詩をかけなかったことを詫び。私なりに精一杯志しているものとは。
未だとても心細くはあるけれど。ただただ一途に書き綴ってきたものがあった。

うるうると目頭が熱くなる。それを手渡す時に真っ直ぐに見詰め合った瞳には。
これも同じく私を映してくれるのか。なんともあたたかな優しい眼差しであった。

待ってくれるひとのあること。これほどありがたいことなどないと思う。
とてもとても励みに思い。また一途さに拍車をかけるように歩みだせるものだ。


そしてつかのま。ふたりで冬けやきの木を仰ぎ見た。
朝霧のなかでそれはそれは凛としていたことなど語れば。

育子先生が「ありがとう」って言ってくれて。
いつも見守ってくれるひとがいてくれるからだよって言ってくれた。

悲しくて辛かったあの日の。すっかり枝を切り落とされたあの日のことを思い出す。

それなのに生きた。こんなにも空に向かって生きているふたつの木は。

よりそって支えあうように。冬の空へと手を伸ばしていた。



2006年12月17日(日) ひとつ返事のありがたさ

暖冬かと思いきや。また北風がぐんと冷たくひゅると吹いてきて冬らしくなる。
青空に雪雲のような重たい雲が。それはあっという間のことで時雨となっては。
またすぐに陽射しに恵まれる。かわりばんこの変化のなかでぽつねんと時を過ごす。



金曜の夜にふと思い立ち急遽仲間を集っては。昨夜ささやかな忘年会をしてみた。
ひとつ返事とはほんとうにありがたいもので。おっけいの声をとても嬉しく思う。

日頃から気の合うひとと。それぞれがありのままでいて気兼ねなく和みあう時間。
とても不思議だった。そうして声をかける勇気がまだ私に残っていたのかと思うと。
ついつい殻に閉じこもり気味だったり。些細な事でいじけてしまったことなど。
あれは悪い夢かそれとも錯覚かと思わずにいられなくなり。新たな自信ごときが。
またむくむくと起き上がってきたように思う。それはほとんど希望のような息だ。


だけど決してその自信に頼り過ぎないことを切に思う。
控えめでいることと。殻に閉じこもることとは。まったく違うことなのだから。
むしろこの先控えめを選ぶ勇気こそが。いまの私に必要なのではないかと思う。


ひとつ返事のありがたさ。気軽く肩を並べてくれたひとへの感謝の気持ちを。

大切に育てていきたい。ありがとう。すごいすごい嬉しい夜でした。






2006年12月14日(木) ひとかけら。ふたかけら。

とめどなく。つつと音を零すように雨が降れば。冬枯れの景も艶やかに映るもの。

ひとは師走を背に受けつつも。垂れ込めるほどの雲の真下で。ぽつんぽつんとただ。
時にまかせて進むしかなく。わたしなどはとうとうあっけらかんとするほかなくして。

いちにちが今日も暮れる。とくに切羽詰る事もなければ。夜などは腑抜けに限る。


腑抜けつつも。何かを見繕うようにしながらひとかけらふたかけらと想いを巡らせ。
こうしてとりとめもなく筆ではなく指をぎこちなく動かしていると。不思議なもので。

そのひとかけらにたいしてふと真剣に向き合ってみようではないかと思い始める。
するとまたふたかけらめに飛び火するように気分が散漫とし始めるものだから。

きゅっとひとくち。ついつい酒を煽ってみたりするのだった。

どうどうどうと。わたしはお馬さんなのか暴れ馬なのか。もっか得体の知れないもので。
とにかく落ち着け。とにかく静まれと。ひたすら心を撫でさすっているところであった。






ありがたいのはひたすらこの若葉のラインである。



今夜は永谷園の『煮込みラーメン』を作った。野菜をいっぱい入れて土鍋で。
ほんと簡単すぐに出来る。熱々でふうふうしながらほっかほかにあたたまる。
時間が経っても麺が延びないのだ。だからサチコが遅くてもずっと美味しい。

四人分だから。明日の朝はちょっと残っているかな。また食べられると思うと。
なんかわくわくと嬉しくなる。納豆かき混ぜてトースト焼いてラーメンだぞ〜。


わぁ・・なんか。すごい気楽。ひとかけらもふたかけらも。もういいよ。

もうみんなみんな。ぐっすりと寝ておしまいなさい。



2006年12月11日(月) 落日に立ち向かう

夕暮間近。茜色の真っ只中にあり家路をいそぐ。

ずいぶんと枯れてしまった尾花のことをふと愛しく思う頃とて。
彼女には彼女なりの生き様があるのを目の当たりにしてみると。
すこしも儚さを感じず。むしろこれほどにも強くと心を動かされるのだった。


落日に立ち向かう。その言葉に『年頃』をつけると。ちょうど私の頃に似て。
これまでどんなにかその頃を怖れていたことだろうか。急いて焦って転んで。

きっとものすごく不安だったに違いない。時がひしひしと迫って来るその影から。
もがいては逃げようと逆らうことばかり考えていたのかもしれない。けれども。


いまは。すこし違う。なんだかもうすっかり観念してしまうとただただほっと。
いくぶんその渦の流れに身を任せられるようになったような気がするのだった。

もうじゅうぶんなのかもしれない。なんとなくこのうえなど望まぬような心が。
私を救ってくれているように思う。あとはただ精一杯でいるだけでよいと思える。


ひとと出会い。それをかけがえのないことに思い。そのひとの心のつかの間にせよ。
私と云う名の『ひと』が息づいていられたらと。ただただそれだけを願っている。

私は記したいのだ。そのひとの人生の一部でいい。私と云う存在を残しておきたい。


ついつい思い詰めてしまうこともあるけれど。それは忘れられる事の辛さかもしれない。


だけど。そんな辛さにばかり拘ってなどいられない。

私は立ち向かっていく。落日の向こうにはきっと明日があるのだから。



2006年12月10日(日) つよくつよく咲く

真っ青な空に。北風がひゅんひゅん。縁側でぽかんとしつつ日向ぼっこもよいもの。

ノースポールの花は寒さに強いのか。白い花びらにレモン色の口元を似合わせて咲き。
たくさんの蕾が希望みたいにふくらんでいるのが。いまはわくわくと嬉しくてならない。

愛でてほめて育てる喜びというものだろうか。植物と身近に暮らせるのは幸せなことだ。

慰めてくれて心和ませてくれて。だからこそ粗末には出来ず一入の想いが募るものである。







昨夜から決めていたことで。今日は髪を切りに行った。
中途半端なのじゃなんだか嫌で。とうとう夏のように思い切りよく切った。

最近ますます太り気味のまんまるな顔の上に。かろうじて髪が載っているような。
家に帰るなり手を叩いて笑われたけれど。私はとても気に入っているので微笑む。

生き返ったような気持ち。すかっと爽やかな気持ちでいる。

ちょっとやそっとではへこたれないぞ!と我ながらすごく勇ましい姿になった。



2006年12月09日(土) あてもなく流れるようにいま

曇り日の空から。やがて絹のようにやわらかな雨が降り始めた午後。
炬燵にもぐりこんではひたすら眠る。猫のようにまあるくなって眠る。


夕方にはしぶしぶと起きたものの。買物に行くのも億劫でならず。
昨夜の残り物や。冷蔵庫の中をあさるようにしてしごく質素な夕食とする。

昔はね配給だったんだよ。お芋さんが主食だったんだよとか言いながら。
そうかそうかと頷くひとと差し向かえば。蕪の浅漬けもご馳走となるもの。


そうしてすっかり夜になると。お風呂ほど楽しみなものはなく。ぽかんと。
なにもかもとろけそうな気持ちを擦るようにお湯の中で腕を膝を指までも。
あたたかくする。ふと目を閉じて想うこともなんだか幻のような儚さである。


そうして。サチコが帰り着く時まで。自室に閉じこもってはひたすら待つ。
なんだか雨に濡れそぼった庭の雑草のようで。陽の光を恋しがるように。


『いちむじん』のギターの音色を聴きながら。あてもなく流れるようにいま。
戯れに言葉を綴りつつ。きもちよく心地良く流れ着きたいものだと思っている。

ととっとんと。音色と音色のつかの間にその指でギターを叩く音がとても好きだ。
ものすごくそこにあるひとの息を感じる。はっとするほどその存在がありがたい。


なんだかこのまま。ふかいふかいところに行ってしまいそうだ・・・。

サチコの声がきこえたら。駆け足で帰って来よう。

そしてちょっとふざけあって笑おう。



2006年12月07日(木) こころの友へ

朝から絶え間なく雨が降る。不思議と鬱陶しくもなくむしろ心地良い雨の音。
気分がとろとろっとしている。なんだか腑抜けていて。なんだか柔らかくて。


仕事の合い間に手紙を書いた。走り書きだけれど心を込めて書いた。
自分はきっと。そのひとにとってなくてはならない存在ではないと。
いまは思う。差し出がましく厚かましくすごいおせっかいに違いない。

だけどこの縁だけはどうしても切れない。漠然とそう確信しているところがある。
いつだってそれは私の『感』に他ならず。理由というものがなく直向に行きたがるのだ。

不甲斐ない我が身はひとを救うことが出来ない。その出来ないを何度射されようと。
もしかしたらと一縷の望みを捨てる事が出来ないのだった。ながいことどんなに遠くても。

届けられるものを私は持ち続けたいと思う。命ある限りそれを貫いて生きたい。



2006年12月05日(火) あたたかいひと

たぶん初霜ではないと思うのだけど。私には初霜だった朝のこと。
いつもの峠道を越えて。あたりが山里に差し掛かる道沿いにあって。

そこは秋の日までは広いオクラ畑だったのが。今ではブロッコリー畑。
粉砂糖をまぶしたように見える。その緑の原の白く装ったのを見たのだった。

そして道行けば。雀色の丘さえもきらきらと眩しくてまるで別世界のようす。
ここが冬なのか。冬もなかなかによいものだなと思う。まだほんの始まりのことを。
しみじみと思った。懐かしいようでもある。そしてすこし切ないようでもあった。






仕事で。お客さんのお宅までバッテリーの配達に行った。
クルマのエンジンが掛からないので。はるばる自転車で買いに来てくれたのに。
ちょうど在庫が切れていてとても申し訳がなく。とにかく後から届けることにした。

「自転車はよいよ冷やかった。向かい風やったけん」と毛糸の帽子を被ったおじさん。
山里のこんな田舎だからこそ。すぐに間に合わせてあげなくてはいけないものを。
なくても当たり前だと咎めもしないのは。のんびり気質のおおらかさであろうか。
ついつい焦りがちになる私などには。ほんとうにこれほどありがたいことはない。

おじさんの書いてくれた地図を頼りに行く。そしたらおじさんが道路まで出てくれていて。
ずっと待っていてくれたらしい。「すまんのぅ」って言ってくれて。それはこちらこそで。

手渡すなり「ねえちゃんちょっと待ってや」って言って。すぐそばの木の枝に手を伸ばす。
そこには白とピンクの彩りの小さな可愛らしい籠がぶら下っていたのだった。
おじさんのお手製らしい。「これあげるけんね」って。すごくすごく嬉しかった。


木枯らしもなんのその。今日もとてもあたたかい「ひと」に逢えました。









2006年12月04日(月) 一期一会

いちだんの寒さには。まだそのうえ。まだもっとそのうえの寒さが来るのだけれど。
なんだか早くもからだがぎこちなくなり。空を仰ぐことさえも臆病になってしまう。

昨夕は軒下のシャコバサボテンを抱えて。とうとうこれも居間で冬ごもりとなった。
白いのと薄桃色とふっくらと蕾をつけて。クリスマスの頃には満開になることだろう。

植物はみな等しく愛しいものだけれど。冬の頃に咲いてくれる花はとてもありがたいものだ。




さて。ところでと。なんだか感慨に浸っているのはほかでもないけれど。
今日で私もとうとう観念すべきほどの歳となった。ほんとうにもう引き返せない。
とにかく進むしかないのだと思うと。今更咲けもせずかといってまだ散れもせず。

ましては枯れる訳にもいかぬと。心の奥深いところから何かが込みあげてきたりする。

不思議であり奇妙でもある。これまでの生き様など思うと映像のようにも浮かぶのだけれど。
何がよかったとかあれが悪かったとか。ここまで来るとすべてがきっかけとなって。
転がるように流れるようにずっとずっと続いてきた道のように思えてくるのだった。

出逢ったひとたち。時には私を戒めてくれたひと。優しく労わってくれたひと。
そしてそっと背中を押してくれたひと。また強く突き放してもくれたひと。
抱きしめてくれたひと。寄り添ってくれたひと。こころから愛してくれたひと。

一期一会が身に沁みる。ほんとうにありがたい出逢いを重ねる事が出来たのだった。


まだまだ生きる。まだまだ歩く。はるかかなたでまたきっと出逢うために。





2006年12月02日(土) 時雨の午後に

12月の声を聞くと。やはりさすがに冬らしく。南国とはいえきりっとした寒さ。
青空にほっとしていてもたちまちのうちに暗雲が広がり。強い風と共に時雨も来る。


早朝。彼とふたり川仕事に出掛けた。ちょうど朝陽が昇り始めた頃の紅い空は。
なんともいえず美しい空で。月ではないかと思うほどの太陽はその輪郭も鮮やかに。
くっきりと燃え始める前の光のかたちを見せて。終わりではなく歩むことを知らせてくれる。

堤防から見下ろす川海苔の漁場は。これもまた感嘆の声をあげずにはいられなくして。
カメラ持って来ればよかったなあって彼が言ってくれたのが。やたらと嬉しかったりした。

今年も海苔の生育は順調で何よりに思う。年明けからすぐに収獲出来そうで胸が膨らむ。
自然の恩恵を受けられることは。ほんとうにありがたいことだとつくづく思うのだった。




午後。急に思い立ち。和室の障子を張り替えてみようと決める。
昨夜見たテレビ。 三丁目の夕日の影響かもしれなかった。

障子を破いてみたかった。拳骨でバシッバシっとそうしてベリベリっと剥がしてみたい。
うん。そうそう。子供の頃にはこれが楽しみだったと思い出しては懐かしくてたまらない。
水の冷たさもなんのその。この爽快に勝るものはないと思える。ほんとにいい気持ちだった。

だけど。それからすぐに時雨が来て大慌てで。まだ乾き切れぬのを座敷に立てかけては。
ふうはあの溜息がどっと出て来る。破くのは楽しいけれど張るのはいささか憂鬱なものである。
それはひとりではとうてい無理であると決め付けて。とうとう彼の手を借りることになった。

彼はさすがに手際よく。それも遠い昔を思い出しているかのような微笑ましい姿で。
下から順番に張るんだぞとか言いながら。近視の眼鏡をはずして目を細めての作業であった。

そしてもう夕暮近く。おおっと声をあげるほど綺麗にすべての障子を張り替えてくれたのだ。

真新しいその和紙の白さほど暖かなものはなく。なんだか胸に込みあげてくるような空気に。
満たされていて。ほのぼのと幸せだなと思う。彼にそっと手を合わしたい気持ちだった。


思えば。今までずっと。破り続けていたのは  わたし。

彼といういうひとは。なんどもなんどもそれを繕ってくれたひとだったのだ・・。


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