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涙腺 - 2011年10月30日(日)

近所に藤子Fミュージアムが出来たのだけれどもまだ行っていない。人並み程度にはドラえもんやオバQも好きだ。だから時間が合えば行きたいのだけれどもまだ積極的にチケットを取るような情熱を持つに至らない。藤子F先生は100年に1人の大天才だと思うけれども、原画を見るとか仕事机を見るとかいうことにはあまり興味が無いのだ。

でも向ヶ丘遊園の駅から親子連れが楽しそうにミュージアム方面に行くのを見ると妙に泣ける。その子がボロボロになったドラえもんの単行本やぬいぐるみを握りしめているとなおさらに。藤子不二夫先生の偉業を称えることには異存は無いがそれ以上に子供たちが未だにドラえもんを愛し続けていることの方が凄いことであると思う。

僕がドラえもんについて考えるとき、作品の素晴らしさ以上に「みんながドラえもんのことが好きで何度も何度も漫画を読み返していた」という事実の方に胸が熱くなる。古本屋でドラえもんの単行本の裏表紙に名前が書いてあるとか記憶するくらいに何回も同じ話を読んだとか。ドラえもんの世界観が僕のように喘息やアトピーで夜中眠れなかった子供にどれだけの勇気を与えたことか。

そういえばディズニーランドに行った時にもショーの完成度以上に人々の多幸感に圧倒された。自分は一部の天才の仕事そのものよりも、それを愛する大衆のパワーから希望や勇気を貰っている。

最近は泣きたくなるポイントが妙に変わっていて蕎麦屋さんとか八百屋さんとかが朝早くから開店準備をしているだけで何故か泣けることがある。あの感覚なんなのだろうか。

今までの人生で色々な芸術作品に触れてきた。漫画や音楽などのポップカルチャーも含めて。だけど1番勇気が湧いたのは3月11日の夜に甲州街道を文句も言わずに黙々と歩き続ける人々の姿だった。誰1人としてマナー違反をせずにみんなが助け合って家路に向かっていた。宗教画みたいに美しく奇跡的な行列だった。僕は自転車でゆっくり進みながらボロボロと涙を流していた。


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