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スキルのこと。 - 2020年11月14日(土)

子供たちを通わせている保育園の話。

ここの保育園は、年に何度か発表会があって、
そこで子供たちが練習したことをお披露目する。
たとえば、歌や踊り、遊戯があるが、他にも
お手玉、鉄棒、竹馬、鍵盤ハーモニカ、毬付き、
なども日々練習して習得している。

先日も発表会があって、終了後に先生から子供たちに
「来週から鍵盤ハーモニカは持ってこなくていいよ」
と言っていた。
保育園でも、上記の通りやることはたくさんあるので
発表会を一つの区切りとして、様々な手習いをする。
ただ、息子は鍵盤ハーモニカが大の得意で、
毎日(と言うと言いすぎだが)練習していたので
ちょっぴり惜しい気もした。
しかも年長なので、来年からの小学校でやらなければ
もうずっと演奏しなくなるのかなと残念な気もする。
勿体ないので、これを機にピアノでも習わせようか、
と思ったところでふと立ち止まって考えている。
本当にそれは彼のためになるだろうか。と。

実は私も幼い頃、割と習い事をしたほうだった。
生まれてすぐに水泳、小学校からは公文、ピアノ、剣道。
でも、最終的には全て小学校卒業時に辞めてしまった。
単純に、苦痛というか楽しさを感じなかった。
役に立ったなぁと思えたのは水泳と公文くらいだ。
水泳は小学校の間は県大会まで行けるくらい上達したし、
公文では英語を勉強していて、中学英語は楽勝だった。
ただ、どちらも一生のモノになったかというと微妙だ。
今では体力や筋力が低下して、泳ぐレベルも普通。
英語も、一時期外国で活躍できるような職業を夢見たが、
高校に上がってから怠けてしまって学力は急降下。
今では英語も特段得意でもないし話せるわけでもない。

何が言いたいかというと、結局本人がやりたくなければ
習い事なんてやらせても何にもならない、ということだ。
いっときは良いかもしれない。
その時は得意になって上達して、楽しいかもしれない。
他の人と比べて優越感が気持ちいいかもしれない。
でも、それを、どんな原動力でも構わないから自分から
「続けたい」と思えないのであれば、ただの親のエゴだ。

だから、彼の演奏力はメキメキ上がってはいるし、
結果的に素晴らしい力になっていると思う。
結果だけじゃなくて過程を見ていても、一生懸命練習して
それはとても素晴らしいものだけれど、親としての
口出しや強制はできる限り抑えようと思っている。
スキルという面で見ると、自分で習得する必要がある。
人から言われて始めて、やってみて、続いたとしても、
ある程度は上手くいくかもしれない。
でも、きっといつか壁に当たった時に、挫折した時に、
「自分は、本当はやりたくなかったんだ」
と自分に対して言い訳してしまうんじゃないかと思う。
かつての私がそうだったからよく分かる。

「こんな上手なんだから続けたほうがいいんだ」
そういう気持ちは親としてものすごく分かる。
どうしてもそうさせてやりたい気持ちもすごくある。
でも、だからこそ、「やりたい」と自分の心からの
欲求が出るまで待つことにしてみる。
楽しくて、やりたくて、そういう気持ちがないと、
多分続かないだろうから。
そして、続かないと、人のせいにしたとしても、
結局は悔しい残念な気持ちが薄っすら残ってしまう。
そして辞めて初めて「勿体なかった」と思う。
あんなに期待してくれた親を裏切って、
ずっと我慢して続けてきたなんてことにしてしまって。
結局何にもならなかった、そんな虚無感がある。

でも、何にもならなくたっていい、とも思う。
「こんなスキルが身につくといい」それは分かる。
でも、それは結果論の話。
まずは、興味関心、楽しめるかということ。
楽しんで続ければきっと「やっててよかった」と思う。
でもそう思えなくてもいいんじゃないかとも思う。
習い事なんて、親じゃなくて子が主役だから。
辞めたければ辞めていい。
でも始めたいというなら何でもやらせてあげたい。

ちなみに、息子は現在、水泳は習っている。
これは体験をさせてみたら「楽しいからやってみたい」
と本人が言ったので始めてみた。
今のところは楽しんでいるようだった。
それでいいと個人的に思う。

***

2020/11/15 06:05


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