休日と年金のこと。 - 2011年03月19日(土) 休日は良い。 非日常を甘美に味わう瞬間。 いつものように、朝5時前に目が覚めてしまうけれど、 ケータイの影響画面に表示される「Sun」の文字と、 テーブルに置かれた飲み残しのビールグラスを見て、 「ああ今日は休みだ」と思ってもう一度眠りにつく。 気持ちよく寝て、もう一度目が覚めて、テレビをつける。 「ボクらの時代」にお気に入りのアーティストや有名人の人が出ている。 ボケーッとそれを観ながら共感したり、その人となりを見ていたり。 いつもなら6時前には、家にあったパンを急いで食べなきゃいけないけれど、 こういう日は、「朝ごはんは何にしよう。何処で食べよう」と ダラダラと考えながら起き出して、そうしながら出掛ける準備をするのも 面倒くさくなって、その間にもお腹は減ってしまって、 それで結局、お菓子なんかを食べてやりすごしてしまうのも、良い。 改めて「今日は休みだ」と思う。そして「休日って良いな」とも。 特にそう思うのは、明日もまだ休みがあるからかもしれないな。 でも、その次も、その次の次もずっとずーっとその先ももし休みだとしたら、 ちょっと怖くなる気がする。やはり、「休みじゃない日」があるから、 「休みの日」は良いと感じるのだと思う。日常があってこその非日常。 だけれどやっぱり日常も、日常らしさを楽しめるようになるのが良い。 ただ、なかなかどうしてそれが難しいのが、もどかしい。 *** さて。(すでに)昨日19日は、帰省してきた。 特に用事は無かったものの、母親に今月分のお給料の一部を渡したり、 もう働きに出ている弟の顔を久々に見て、元気を確認したり。 それと、先日入院した母方の祖母のお見舞いに行った。 弟は土曜も仕事だったので、祖母と母親と私。 そのときに年金などの話が出た。 「○○(叔父)さんは、年金がこれくらいしか貰えないらしい。 □□年しか勤めていないからしょうがない」 話の一端でそういうことが出てきたのだけれど、 ふと、自分は怖くなってしまった。 私は、ほとんど誰にも言っていないが、 28歳が人生の一つの転機だと思っている。 その年に「何かしよう」ということを決めているわけではないけれど、 「何かしよう」と思って実際に「何かする」という行動に移せる、 最初で最後の的だと思っている。もちろん、人生において 何かを始めるのに遅いも早いも無いとは思うが、それでも、 人生は有限だ。限られた時間を、どう使うかにも限りがある。 たとえば、仮に高校、大学を順当に卒業して、 社会に出たとしたときに、働き始めて大体23歳。 それから10年働けば、33歳。半分の5年で28歳。 一つの業界を知るのに、10年は必要だと聞いたことがある、 けれど、それは「知る」というより「極める」という意味だと思う。 「知る」だけなら、その半分で十分。だから28歳で一度考える。 「本当に自分は、この世界でやっていく、その覚悟があるか」ということ。 で、万が一、「やはり違う、生きたい世界が他にある」と思ったら、 実際に別の世界に移る手続きや労力、積み上げたキャリアの放棄、など、 様々に、強いられる負担というか、リスクを冒す必要があると思う。 リスクということを考えると、他の世界に行ったときの、想定外の事象 ということも、考えられる。「これは望んでいた世界なのか」ということ。 もちろん、ギャップもあると思う。けれど、そのギャップを 受け入れられるほどの覚悟と、踏み出した後の支柱があることが前提。 それで実際行動に移したとき、また一からキャリアを積み始める覚悟で、 「この先、仕事を続けていく」ってことを続けられる状態になれるよう。 それに踏み切れる時間的余裕があるのが28歳かと、自分で思っている。 で、先の年金の話で何が不安になったかと言うと、 もし28歳で別の会社や業界に移ったり、もしくはそこで キャリアのブランクが生じてしまった場合に、 自分の「勤続年数」はかなり少なくなって、 将来もらえる年金も少なくなってしまうのかもしれない、と思ったからだ。 だけれど、これを書いて考えている間に、考えはまとまってきた。 そもそも、年金制度自体、将来は分からない。 そして、自分が将来もしそういう制度に則って、受給者になったとき、 ただ年金だけもらって生活していくので満足なんだろうか、ということ。 きっと、年金もらってただ暮らしているだけ、って人は、今だって そう数は多くないんじゃないかと思う。みんな趣味があったり、 友人と会ったり出掛けてみたり、そういう余生を過ごしていると思う。 「お金があればそれで良い」それは違うと思う。 もちろん、お金が無ければ生活は出来ないけど。 だからこそ、これからの将来を考えたときに、 たとえ年金はもらえようがもらえなかろうが、お金は最低限欲しい。 そしてその上で、将来、「こういう仕事をしていたい」とか 「こういうことで遊んで、時間を使っていたい」という、余生にしたい。 要するに、今であれば、仕事はしたい。 それが将来的、つまり老後くらいになっても続けていたいのは何の仕事か、 ということを、最初に決めるのが、28歳だと思う。自分にとっては。 で、それを考えたとき決めたとき、「勤続年数や年金がどう」とか、 そんなことを考えずにその意志を貫き通せるように、生きたいと思った。 結局、ぐだぐだ書き散らして、結局今日も自己完結しちゃいましたね。 戯言すみません。 とりあえず、休日は良い。 そして、あと数年は、ここの業界で揉まれてみよう。今年から数えればあと3年。 *** 2011/03/20 09:12 ...
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