どうなっていくんだろうの他人目線のこと。 - 2010年12月26日(日) 土日。休息でした。 今週末恋人が久しぶりに泊まりに来てくれて、一緒に居られて幸せだった。 いつも、ありがとう。支えでもある。感謝してもしきれない。 *** さて。なんだろうな。毎日が過ぎるのがとても早くて。 この前入社して配属されて、って思ったら、 もう半年経とうとしていてすごくビックリしてしまう。 夢とか、自分で「こうなりたい!」っていうのは、そんなに考えていなくて。 でも、自分なりに進むべき・やるべきことは考えて過ごしているつもり。 ただそれは、週次・月次的なものしかない。しかも仕事の知識関係。 中長期的な、たとえば年次的な単位でなにか目標があるわけではない。 仕事以外で、私生活としての目標や理想があるというわけでもない。 時に問う。これでいいの? これでいい、ってわけじゃない。 でも、これじゃだめ、ってわけでもない気がする。 ここで私が書きたいことは、 「だから、こういう目標立てたい」とか、 実は、そういうことじゃなくて。 人間って、どうやって生きていくんだろうなぁと思ってるだけ。 人間というか、自分という人間は。 たとえば。 今、お付き合いしている女性と一緒に居てとても幸せ。 で、彼女と一緒に棲む話なんかもしばしばにしている。 それはもちろん相手が好きで大切な存在だから一緒に居たい、というのも あるけど、一緒に住むことが「良い」と判断するから。 そんな簡単な割り切り方は出来ないとしても、 敢えてするとするならば、損得勘定の「得」であると思う。 自分の気持ち的に、「得」だという判断。 ただ、そうすると、自分は今住んでいる一人暮らしのマンションから 引っ越す必要もあるし、もっと言うと、仮に同棲するなら、 今現在実家暮らしの彼女の家に行ってそういうお話もしないといけない。 じゃあ考えると、今住んでいるマンションを離れること、 その失うメリットってどうなの。と思ってしまう。 今の場所の立地条件、家賃、住み心地、アクセス、設備条件。どうよ? これ全部手放して、そういう条件と異なる環境へ飛び込む判断は? また、損得勘定で考えるなら、考えるのは無理な場合もあると思うけど、 敢えて考えてみるのであれば、それは「損」がどのくらいあるか、と。 個別の損得勘定の物差しを合わせて、 全体の勘定に。みたいな、そんな。 これって、今持ってるメリットと、 これから得られるであろうメリット(ただし得られる確かな保証は無い)と 変化を経験することで背負うであろうデメリットの勘案。 そういうのを考えてしまったりする。たまに。そんな深刻じゃないけど。 もちろん、決断を渋っているわけじゃない。 それで思うことは、「どうなるんだろうな」ってこと。 思えば。こんなことを言うと、デリカシーも無いかもしれないけど。 前の彼女と別れるとき、「どうなるんだろう」ってことを思っていた。 これは自分の人生なんだけど、プレーヤーも自分なんだけど、 イベントをクリアするのも自分なんだけど、なんだか、なんとなく他人目線。 そういうのが結構実は自分の中であったりする。 人生の、決めるべき、突発イベントを楽しむ。というか何と言うか。 良い言い方をすれば、客観的な視点を持っている。 悪い言い方をすれば、責任感の無い・他人事の見方。 仕事でも、ちょっとあったりする。 自分のやるべき作業はもちろんこなすけど、 問題とか発生したら原因追究して解決に向かうけど、 そのことで、もうあまり悩んだり嘆いたりしない。 「どうなっていくのかね」って、 もう一人の自分がどこかで見ていたりする。 もちろん、当事者の自分はひいひい言ってはいるんだけど。 あと。ちょっと補足しておくと。 最初から「どうなっちゃうんだろう」って思って、 それで「どうなってもいいや」と思うわけじゃなくて。 そういう思いに至るまでに、実は、ある程度 岐路というか選択をしてきている。 前の彼女と別れるときも、遠距離恋愛が確定したところで、 こういう未来のようなものも、実は想定していたりした。 「もっとどうにかならなかったのか」というのは考えた上で、 そこから少しずつ色々な選択肢を決めていって、 それで最終的に、「どうなっていくんだろう」さらには、 「どうなっても、納得の行く結果であるように」という思いに至った。 詳しく言っちゃうと、相手の就職先が地元に決まった時点で、 そう思った。もっと言えば、その前に自分で東京に引っ張ってくることも、 きっと不可能なことじゃなかったはずなのに、それを真剣にしなかった。 相手も、そういうことを望めなかった。それは「仕方ない」と思った。 だから、「それはもう、どうなっていっても、しょうがない」と思った。 仕事で問題が発生したときだって、ちゃんと原因追究して、 そして再発が防止できるような対策が立てられれば、それでよし。 自分のミスで起こったことなら責任問題はちゃんと考えなきゃいけないけど いつまでもうじうじと失敗を嘆いていても、次に進めない。 自分の作業の時どきで、押さえるべきポイントがはっきりしていれば、 ある時点でなにか問題が起こったときにはそれに真摯に向き合えばよくて そこにあるのが「どうにでもなれ」という精神であったりする。 何が言いたいって、上から書いてきたことの総括をすると、 「どうなったって、最後に決めたら、それが正解なんだろう」と、 そういうある種、諦念のような、覚悟を決めて、人生を見ている。 そういう部分があるなぁと思った。 今日の日記は、私のとても黒い・醜い部分が出てしまった気がする。反省。 さて明日からまた会社。そろそろ仕事納め?もう2011年か。 とりあえず、今年は残り三日間お仕事かんばろ。 *** 2010/12/26 23:01 ...
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