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支えと依存のこと。 - 2010年12月02日(木)

今日は会社を休んだ。
別に体調が悪いわけじゃないけど、ちょっとゆっくりしたかった。


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さて。ずる休みして考えていたこと。

今まであまり書きたくなかったことだけど、
こういう機会に触れてみようと思う。

恋人とのこと。

何から話せば良いか分からない。自分の恋愛観というんだろうか。
そういうところから書いたほうが良いのか。

思うに、私は「依存症」なんだと思う。こと恋愛に関して。
そんなことを書くと本当に私は、頭の中がお花畑のようなイメージだろう。

でも、強ちそれは間違っちゃいないのかもしれない、と思う。

毎日の仕事とか、啓発のための勉強とか、もっと言うと将来とか、
そういうことを考えるにあたって、または実行していくにあたって、
「恋人の存在」は、自分にとってかなり比重が大きい。
はっきり言ってしまうと、実は、それ中心で生活が回っている。

「恋人が居るから、そのために、がんばりたい」
聞こえが良い言い方をすればそうだ。でも実際は、
「恋人が居るから、それを拠り所にして、がんばれる」だ。

そういった意味で、私は恋人を、あらゆる面での「支え」と認識している。

ただ、それは時に度を過ぎた場合もあるのかなと思う。

そもそも、こんなことを言うと、
私のことを本当に気持ち悪いと思うかもしれないが、
正直言って、恋人と四六時中一緒に居たい、と思っている。
なんでそう思うのか分からない。原因を分析するつもりも特にない。
でも、無性に寂しいのかもしれない、と自分で思っている。

原因を分析するつもりは無いと書いたが、やはり触れておきたい。
人の昔話ほど、他人が聞いていてつまらないものは無いと思うが、
ここは日記という場なので、今回はちょっと書かせてもらう。


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端的に言ってしまうと、家族愛というのが、薄いと自分で思う。昔から。
ただそれは自分の育った家庭での愛情という意味で、
そしてなおかつ、それが「無い」というわけではない。ただ薄い。
だから家族自体のことが「嫌い」というわけじゃない。
家族のことを思い出して、ふとセンチメンタルになったりもする。
でも、きっとそれが他のごく普通の人より、自分は「薄い」気がする。

中学生くらいから私は反抗期を迎えて、
まぁそれは特にどこの家庭でもある普通のことかもしれないけど、
ただ、その辺りから親父が大病を患った。肺がんだ。
しばらくは治療の日々が続き、結構大きな手術も行って、
親父の闘病生活の色が、家庭の中で強くなっていたのを感じた。

私は高校生になり、なんとなく家族との折り合いが悪くなり、
衝突することも多かった。きっとそれは反抗期のせいもあったんだろうけど、
何より高校生活があまりに苦痛で退屈で、自分で自分のそんな感情を
対処する場が見つけられなかったからだと思う。本当に幼稚だけど。

で、学校はつまらないし友人関係も上手く築けないで、
それから帰宅しても何かと家族に当たってしまって、
でも父親が病気ということもあって、そういうのにも抵抗はもちろんあった。
そして父親の病気の様子もよく分からないまま、
「治ったかもしれない」「でも再発の可能性もある」なんてことを聞いて、
自分としては、どういう態度で親父に接して良いかも分からなかった。

私が高校の二年か三年かくらいのとき、親父は治療に専念するためか、
高校から私が帰ってきても、親父が家に居ることが多くなってきていた。
そのときくらいから、いよいよ親父に対する態度は、曖昧なものになった。

本当に最低な息子だったと思うが、そのときはどうしようもなかった。

最初で最後の、父親との大喧嘩をしたのもこのときだった。


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病気になる前は仕事人間で、
毎日遅くまで働いて家に帰ってきていた父のことを、実は憧れていた。
「残業してきて貰ってきたんだ」
深夜帰宅した父が、そう言って、自分にくれたパンがとても好きだった。
もちろんそのパンは美味しいから好きだったけれど、
それ以上に、笑顔で仕事のことを喋る父が、好きだった。

それだけに、ずっと家に居る父親のことが気に食わなくて、
もちろんそれだけが理由じゃないけれど、つい当たってしまった。
今まで、小さい頃に親父に叱られて叩かれたことはあったけれど、
お互いが胸倉を掴んで取っ組み合いをしたのは初めてだった。

そのときに親父から「お前の、育て方を間違えた」という言葉を吐かれ、
私は、ショックで夜中に一人で毎日泣いていたこともあった。
家族との溝は、どんどん深まっていくのを感じて、
しかもそれでもいいと思っている自分が居た。

今にしてみれば、親父も本当に辛かったのだと思うが、
当時の私には、とても思いも及ばないほど未熟だった。

そんなわけで、そういうことを言い訳にして
勉強なんか手に付かず、大学受験はもちろん失敗。
それを機に家を出ることを決意して、一人暮らしを許してもらった。
初めての一人暮らしは、それはそれは快適だった。


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その後、無事に大学に合格し入学。
大学は地元から遠く離れた場所を選んだ。もちろん一人暮らしだ。

ただ、一人暮らしをし始めて気付いたことは、人との交流の温かさ、だった。
ありきたりな言葉になってしまうけど、そういうのに気付いた。

実家に居たときには、家族のことが鬱陶しくて、毎日毎日顔を合わせて、
しかもそれで自分の時間を自由に持てないことにとても不満を感じていた。

だけれど、いざ一人暮らしをして、一人になって自由な時間を得て、
好きなときに好きなことをすることの出来る環境を手に入れた。
最初の頃はそれが嬉しくて楽しくて、本当に充実している日々だった。
こんなことを言うと軽蔑されるかもしれないが、
「友達なんて要らない」なんて考えていたときがあった。

だけど、大学進学して、周りは誰も地元の友達なんて居ない環境の中、
自分の心のベクトルが今までとは変わっていくのを感じた。
積極的に人と交流し、友達を作ろうとしている自分が居た。
無理にそうしていた時期もあったかもしれない。
「周りの楽しそうに学生生活を送る人たちに取り残されちゃいけない」と。
でも、そうやって色んな友達が出来るのが楽しいとも自分で思っていた。

その一方で、やはり実家の家族とはあまり良い関係ではなかった。
遠方に住んでいながらも、しばしば帰省して家族とは会っていた。
けれど会っても、会話をすれば口論になってしまうことも多く、
正直いつも「あまり帰省したくないなぁ」という気持ちが強かった。

大学も三年になり、就職活動の時期を迎えた。

私は当初、大学進学時は、就職活動はしないつもりでいた。
大学院に進み、専門職に就くことを夢見ていたからだ。
家族も、私のそんな意向を知っていた。

ただ、思うところがあり、
その道に進むのをやめ、私は就職の道を選ぶことにした。

家族、とりわけ父親にしてみれば、そんな私の選択は不満だったと思う。
「社会はそんなに甘くない。せっかくなら公務員にしろ」
公務員に憧れながらも、ずっと民間企業で働きぬいてきた父にとって、
私の「民間企業で働きたい」という意思は、甘く見えたはずだ。
それでも私は父の意見など聞かず、自分の意志を貫こうと決めて行動した。


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就職活動が本格化するその時期、大学三年の終わり頃、
ちょうどリーマンショックの影響が強く出始め、
大多数の企業の、去年までの採用路線が大幅に方向転換されていった。

もちろん、優秀な学生は引く手あまたで
そういった影響も特に感じなかっただろうが、
私のような平凡学生にとっては、就職活動はなかなか決まらず、
志望業界の見直しなどもやむを得ない場合もあった。

そんなとき、就職活動を通じて幾つか面接を経験し、
自分の進むべき方向性も大体見えようとしていたところ。



親父が、死んでしまった。



やはり肺がんだった。
私が大学四年に進学する直前のことだった。

前から容態が良くないことは聞いていた。
亡くなる数日前、母から
「父が検査入院することになったけど、心配しなくて良い」
というメールを貰った。
私は、愚かにもそのメールを信じて心配などしなかった。

後々聞けば、それは私を心配させないためにそう言っただけで、
本当はかなり病状は悪いらしかった。
それでも、入院する前の父は意識もはっきりしていたので、
入院後たった一日で意識もなくなり病状が一気に悪化したことは、
母や弟、他の親類にとっても、寝耳に水だった。

病室のベッドで安らかに眠った、酷く痩せ細った親父の身体からは、
昔のような恰幅の良いイメージは無かった。

それまではたびたび帰省していた自分も、就職活動で忙しくなったことで、
あまり実家に顔を出せないでいたことを悔やんだ。

父の死は、本当に自分の中で大きな出来事で、
もちろんそれは今でも変わらないが、
それでも前に進んでいかなきゃいけない、と思った。


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大学四年に進学し、一社から無事に採用内定を頂いた。

そこで私の就職活動は実質的に終え、
それからはアルバイトに明け暮れ、時間のあるときに帰省もするようにした。

けれど、父が亡くなったことで、
実家の関係も以前とは違ったものになりつつあった。

母と祖父母の関係が、良いものではなくなっていた。

「嫁姑問題」なんて巷で聞くように、
前々から実家でも、母と祖母の関係はそれほど良いものではなかった。

が、それを最後まで取り持っていたのが父の存在だった。
父は特に仲介をするでもなく、母の不満を受け止める緩衝材だった。

そんな父が居なくなり、いよいよ母の不満も
抑えきれないところまで高まっていった。
それに加え、長男を若くして失った祖母にとっては、
毎日毎日息子のことを思い、すすり泣く姿が、
母親にとっては耐え難いものであったようだった。

母にとっては伴侶を失い、祖母にとっては息子を失った。
それはどちらも深い悲しみではあったが、
それぞれがその感情に対処する方法は、まったく違った。

だからこそ、前向きに生きていこうと決めた母にとって、
いつまでも不幸を引きずる祖母とは、やっていけなかったのだと思う。
結局、母は私の弟を連れて実家を出て、アパートで暮らすことにした。
ただ、しばしば実家の祖父母にも顔を出すようにし、
関係がそこまで最悪な状態というわけでもない。

しかし、私にとっては、もちろん母と弟のアパートにも、
そしてもうすでに実家でも、自分の居場所は無かった。

帰省をするにも、最寄り駅からの足は無く、
母か弟のクルマで迎えに来てもらうしかない。

実家には帰りたいが、帰ってもそこにはもう何も無い。
物はあっても、心は無くなっている。母のアパートにも、私のものは無い。

寂しかった。今でもとても寂しい。


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「恋人の存在」は、そんな自分の心を埋めてくれる気がした。
本当に「支え」になってくれていて、感謝している。それは今もそうだ。

就職して社会人になり、毎日忙しい時間を送ることになった。
暇なときには恋人にいつでも会えるような学生時代とは違う。

それでも、「自分と一緒に居たいと思ってくれる人が居る」そう思うと、
辛いことがあっても、毎日なんとか頑張れそうな気がした。

そして、実際に会っているときは、
自分の全てのエネルギーを注ぎたいと思うし、少なからずそうしている。
大抵のことは目を瞑れるし、はっきり言って、
恋人と一緒に居て「苦痛だ」と思うことも、実はあまり無い。

だけれど逆に、「一緒に居ないとき」には、不安でしょうがなくなる。

「一緒に居ること」を当たり前に思っているつもりはない。
精一杯、一緒に居られる時間を大切にしたいと思うし、
一緒に居られるなら、いつまでだって一緒に居たいと思う。

でも、ふと自分から離れた場所に、彼女が居ること・行くことを思うと、
たまらなく不安になって寂しくなってしょうがなくなる。
物理的な距離じゃない。精神的な距離。
だけど、感じたその精神的な距離がたとえ被害妄想や杞憂であったとしても、
自分ではそれに気付かない。気付いていても、不安でしょうがない。

依存症だと思う。

どうしていくのがベストか?

「もっと大人になって、落ち着いた関係を目指そう」
そうかもしれない。でも、自分にそれは出来る気がしない。

「これでもいい。相手中心の生活で良い」そう思っている自分が居る。

ただ、裏切られたくない。

傲慢かな。でも、しょうがない。
こんな自分は嫌いだ。でも、それもしょうがない。

恋人から、家族に変わる日は来るのかな。
本当に分からない。一緒に居られるなら、一緒に住みたいけれど。
でも、一緒に居たい気持ちは、忘れたくないし、
もしそのとき相手もそういう気持ちを抱いているなら、忘れてほしくない。

家族愛って、なんだろう。

理想の家族って、なんだ。

こんな自分に、家族なんて持てるのだろうか。分からない。

きっと答えなんて出ないんだろうな。
答えは出ないけど、きっと現実は進んでいくと思う。

今日はよく寝て、気分を切り替えて明日一日またがんばろう。

幸せでありますように。

***

2010/12/2 18:18


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