僕らが旅に出る理由
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2010年05月22日(土) 孤独の扱い

ロンドンに居た頃、孤独はいつも隣の席にいた。

楽しい事もたくさんあったのに、実際に声を上げて笑った記憶は数知れないのに、孤独はいつでも私から離れることはなかった。
晴れて気持ちのいい日なのに、常に水溜まりの中に座っているような、じんわりとした嫌な冷たさを肌で感じていた。

こんな気持ちを抱えたままで人生を最後までとても終えられないだろう、と思っていた。一生未婚のまま過ごす人は珍しくないのに、きっと私はどこかで弱い人間なんだ、と思っていた。

それでいてたぶん強情だった私は、傍にいてくれる人なら誰でもいいとは思わなかった。だから結局、ほとんどの時間を不安定に過ごした。あの頃の私は今の私より、おそらくキレやすく、余裕のない顔をしていたことだろう。

今、そういう状態でなくなった事は、奇跡のような気もする。私は多くを求めていないつもりで、たぶんものすごく難しく高い注文を出していたのだ。そう思うと今でも毎日、生活を共にする誰かがいてくれることを感謝してしまう。

しかし今思うと、私はあれだけ孤独から逃げたいと思っていたのに、どこかで孤独をなつかしくも感じていたのかも知れない。あの痛みの中で、たとえ表面的にでも笑っていられたのは、孤独が私の身内だったからかも知れないのだ。
それが今、手元にない事で、少なからず窮屈な思いをしている自分がいる。

孤独のいいとこ取りというのは、できないものだ。
だからロンドンにもう一度住みたいかという質問は、私には難しい。
あの時代はかけがえのないものに思うが、あの時のひりひりする孤独感をもたない今の私がロンドンに行っても、もう何も感じることはできないだろう。

それがつまり、年を取るということなのかも知れないし、ありふれてゆくということなのかも知れない。いつか将来、冷たい孤独は再び私のものとなるかも知れないが、それは以前の孤独よりも、少し優しくなっている気がする。


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