自己肯定感について

2010年04月19日(月)

久々に落語会に行った。
よねりんの。
師匠のような息と間で笑わせる正統派で行くのか、地のおもろい兄ちゃんで行くのか。僕はおもろい兄ちゃんが個人的には好きだけれど、それでは、落語界にいる意味がないわけで、かといって乱調の美を描くのも柄じゃないだろうから、最初の志どおりで行くのが良いのではないかと。
七段目も愛宕山も、十分に手の内にして、自分の好きなようにできるからこそ危ないわけで、それももちろん感じてるだろうし、今回の客席はかなり高齢の方が多く、ほとんど落語に馴染みのない田舎の人たち。NHKでさえそんなに見ていないような、、。
そういうところでも、きちんと空気を作って行けてるし、それ用のやり方をひとつ持っておくのも大事なのだと思う。
いくつか、枕なんかで大きな笑いが起こったので、爆笑をさせてくれるかと期待したけれど、寸止め海峡なのか、すぐに話題が変わってしまった。
小さな笑いから徐々に大きな笑いに、というのが爆笑の取り方、と元ツッパリ漫才師の本に書いてあったので、それを実践しているところを見れたら嬉しいと思っていたのですが。
ただ本来の落語は、あんまり笑わせない、とか聞いたこともありますが。
僕は大いに笑いたい方なので。

水栓が外れて水が噴出す夢を見た。
なんとか外れた水栓を元に戻そうとしたけれど、何分か経って、若い男の人が直しにきてくれたので助かった。
錆びたボロボロの水栓だった。
下半身のことだろうか。


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猫目 虎三

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