蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 三浦くん

俺とあいつが昼休みを屋上で過ごすようになったのは、たぶん中学生になって卒業する先輩から鍵を譲り受けたぐらいだと思う。
思えばたぶん先輩は俺じゃなくて、あいつに鍵をやりたかったんだろうけど渡せなかったに違いない。
二学年上の目立つ頭の色したショートカットの美人、それがその先輩だった。明るくてやたらと饒舌で、男みたいにさばさばした性格だったけど、さすがに別れた年下の男相手に代々受け継ぐとかいう鍵を渡せるくらいにはまだ立ち直れてなかったんだろうと思う。
たった一つの歳が俺達には断崖みたいに溝がでっかくて、だからこそプライドは守らなきゃならない。
きっとそういうことだ、と勝手に解釈して。

無機質なスチール扉の向こうは、別世界みたいに広い空が広がっている。
どうしようもないくらいあっけらかんとしたそれに、いつもは見栄きって生きてる俺でも、一瞬顔が緩みかけた。
ガキん時に目的地もないくせに馬鹿みたいに外を走りまくった爽快感が、通り抜ける。そんな感じ。
目線を足元に落とせば、ところどころ灰色に朽ちたコンクリートと。

「先来てたのかよ」

先客は既にいた。
よく分からない分厚い本――ハードカバーとかいうらしい――を胸の上に乗せ、あいつは給水塔の影で寝ていた。
閉じた瞼は、ぴくりとも動かない。

「おい。無視すんな、起きろ」

投げ出した足を、軽く蹴る。

「起きろって」

二回目の蹴りで、初めて身じろぎした。

「……なに」
「何じゃねぇよ、」
「眠い」
「知るか」

あいつ――今井春日は、俺の台詞に少しだけ苦い顔をして起き上がった。
無愛想ではないが、いつもあまり表情がない。
なんとなく目を開けて、なんとなく息を吸い込んでる。聞いたわけじゃないけど、たぶんそんな風に思ってるはずだ。
なんて言うのか、よく言えば仕草の全部が自然体に見えるし、悪く言えば何も考えてなく見える。
クラスから浮いてはいないが、馴染んでもない。だけど女にはやたらと人気がある。顔が良いのは認める。こいつはそんな奴だった。

「スペアなんかいつ作ったんだよ、お前」
「んー?最近?」
「疑問形で聞くな。自分の事だろ」
「たぶんね」

受け答えになってない。
空を見上げてから、諦めて黙り込む。
答えを期待したわけじゃない俺は、そのまま手に持っていたコーヒー牛乳のパックを開けて、フェンスの方に歩いた。

俺と、こいつ。
特に仲が良くはない。
一緒に遊んだ事もないし、家さえ知らない。
唯一、席が前後してるっていうあるのかないのかはっきりしない、接点ぐらいしか思い付かない。
なのに何故か、こうやって屋上で一緒に過ごしていることを嫌なわけでもない。

誰かといて黙ることが普通という空間は、不思議と居心地がいい。
フェンスに顔を寄せて見たグラウンドでは次の時間の為か、数人の女子がハードルを出している。
学校指定とは言え、紺に赤のストライプが入ったジャージ姿は、お世辞にもイイとは言えない。

「あ、」

その中の一人を見て、E組なんだと気付く。

「宮村泉だ」

一人目立つ大人びた風貌は、遠目でも目立っていた。

「……呼び捨て禁止」
「は。何で」

独り言同然に口から出た台詞に、珍しく春日が食いついてきた。
興味ないことには、会話すら加わらないことは日常茶飯事だ。

「俺でも禁止されてるから」
「理由になんのか、それ」
「なるね」
「お前、何様?」
「んー…?何だろ、…俺様?」
「アホか」

呆れて振り返れば、今井はコンクリートに両手を広げて寝そべったまま、空を見ていた。いや、見てんのかどうかはわからないけど。
無防備なその様子に溜息を吐き、残ったコーヒー牛乳を飲む。
そういや、母親同士が姉妹だとか言ってたっけ。

「付き合ってるとか?」
「まだ」
「何だよ、まだって」

従姉妹なんかと付き合えば、別れた後も大変そうだしな。って、こいつがンな事気にする質かよ。
もう一口飲んで、再びグラウンドを見下ろす。
顔はまあ、いいと思う。
可愛いってタイプじゃないけど、綺麗だし悪くない。ちょっときつそうに見えるのは、猫みたいな目のせいか、気質のせいかは知らねぇけど。

だけど俺的にあの性格は頂けない。と言うより有り得ない。

無駄に正義感が強くて口の悪い女は、幾ら顔が良かろうと絶対御免だ。
去年一緒のクラスになった時、戸口にたむろって俺らに開口一番「通路を占拠するな」とか言って背中を蹴って来たのはあの女だ。
そんな小さいこと根に持ってる訳じゃナイけど、思い出せばむかつくことには変わりない。
男みたいな――いやそれ以上か――物言いは、同性にはそれなりに受け入れているらしいと聞くから驚きだが。

「つか、あいつ、お前と似てるよな。顔とか」
「そりゃ親戚だし」
「仲良いの?」
「朝起こしに来てもらうくらいには」
「…自力で起きろよ」
「起きれたらしてないと思う」
「……」

そりゃそうだ、と変に納得した。
だいたい親戚と言う時点で、こいつも宮村も変わってる、という共通点はあるわけだ。
フェンス越しに見えるグラウンドで、賑やかな笑い声が起きる。
笑い顔も綺麗だとは思う。うん、だけどやっぱり中身がアレじゃな。

「そういやさ、最近、彼女見かけねぇじゃん。喧嘩でもしたのかよ」

他校の制服を来た子と一緒にいるのを、夏前に何度か見た。髪の長い、可愛らしい顔立ちで、こういうのがタイプなのかと思ったことがある。

「別れた」
「お前続かないよなぁ、飽き性?」
「違う、と思うけど。面倒臭くなるんだよね、急に。会う約束とかされると最初はいいんだけど、段々面倒にならない?」

未だ寝転がったまま、今井はそう答えた。
予鈴が鳴る。

「相手によるんじゃねぇの」

響き渡るその音に、俺の声は相手に聞こえなかったらしい。
ゆっくりと起き上がった今井が、僅かに首を傾けてから曖昧に頷いた。

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2008年08月21日(木)
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