蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 無題2-11

どちらにしても傷つけてしまう。
泣かせたくはなかった。
あの日の浅はかな行為のせいで、期待させてしまったことへの罪悪感はいつも持っていた。

だが、相手の言動をいちいち気にするのに、正直疲れ始めてもいた。

「じゃ、またな」
「あ…」

正面に見えるマヒロの顔が、少しだけ歪む。

「……シュウ」

呼び止める声に、聞こえなかったふりをした。目を逸らして、扉を閉める。
耳に届かなくても、溜め息が聞こえた気がした。



ずっと、ずっと昔。もっとガキの頃。

クラスの奴と喧嘩したあくる朝、送迎バスが来ても、マヒロは幼稚園に行かないと泣いたことがあった。

マヒロの母親が怒ったり宥めたりしても、あいつは動こうとはしなくて、泣きながら玄関で蹲っているだけで。

その光景をずっと見ていた俺はバスが出る間際、何を思ったか窓から飛び降りてあいつを迎えにいった。

『おれがついてるから』とか何とか言って手を繋いで、一緒にバスに乗った。さんざん保育士やら親やらに怒られた記憶はあるが、後悔なんて一つもしちゃいなかった。

あいつは女で、俺は男だから。守ってやらないといけないと思ってた。

マヒロはもう覚えちゃいないだろうし、俺だって口が裂けても言いたくない記憶だが、色褪せても忘れたことはなかった。

妹みたいに思っていた、と言えば聞こえはいいのかもしれない。
傷つけたいわけじゃないし、泣かせたいはずもない。
けれど、女として好きかと言われれば、頷いてやることはできない。

だから未だに後悔する。

あの日あの雨の日。あんなことさえしなければ、マヒロを傷つけることはなかったのかもしれないと。

俺はずっと、後悔している。

くしゃくしゃになった箱から、もう一本煙草を取り出してくわえる。
壁にもたれ座り込み、かちりと付けたライターの灯りが、やけに眩しかった。


2008年01月10日(木)
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