舌の色はピンク
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2022年07月21日(木) 出産、緊急帝王切開、娘とのはじめまして

6時起床。
晴れ。
妻、陣痛こず。

今も痛みにあえいでいる。
もう食事は摂れないようなので
麦茶と漫画だけ差し入れ。

昼飯にはステーキを焼いて食べた。
向こうに遠慮して飯内容を謹慎する必要もなく
むしろ体力つけておいたほうがいいのはいいのだが
さすがにステーキって能天気すぎたか…でも美味かった。


僕ヤバとか読んで気を紛らわしつつ、15時に連絡が入った。
破水したとのこと。
激痛にあえいでいるらしい。
助産師さんの力添えを得て耐えているようだ。
17時に診察。
…ということだったが、16時15分に本人から電話が入った。
17時に病院にきてくれと。
本人からだからそう心配はいらないはず…だが、不意の呼び出しではある。
予定では、夫の立ち合いはまさに産まれる間際とのことだったし、
出産は破水から十数時間かかるのが通常らしいから、
なにか不測の事態が起きているのかもしれない。
危ぶんでいた帝王切開となるのかと、気が気でない。
手を震わせながら時間を待ち家を出た。

16時55分産院へ着き、二階の分娩室へ。
助産師さんが一人で対応している。
何人もで見守っている光景を想像していたから意外だった。
だが緊急的な様子はなくまずはほっとした。
妻は痛みにあえいでいた。
二分おきに訪れる陣痛の強烈な痛みに耐えている。
ペットボトルをストローから飲む以外の動作はできていない。
あとは吐き気に参って袋を構えている程度で、それも辛そうだった。
嘔吐できるわけではなく、胃液がだらだらと流れるだけのようだ。
僕の役目は陣痛に合わせて背中の裏を押してやることだった。
腎臓の裏あたりを強く押す。
 もっと弱めて
かるく押す。
 もっと強くして
言われたとおりに押す。
 もっと下
位置を調節する。
 もっと上
加減がわかってくる。
 もっと下 あと強弱つけて
加減に戸惑う。
 もっと広く押して 痛い痛い痛い痛い!!
ずっと続けていると手首も痛んで大変だったが、
比べるまでもなく妻の方が何百倍も大変であるので、
せめて少しでも気分がまぎれるよう、声はかけ続けた。
大丈夫。えらい。すごいよ。かっこいい。よしよし。
がんばってる。がんばってね。いいこだ。いいぞ。
同じことを延々繰り返し述べているだけだったが、
それでも幾分かはましだと信じて続けた。
先生は17時に来る予定だったのが、外来の診療が長引いているらしく、
あと20分ほどかかるだろうと助産師さんが柔和に伝えた。
17時15分過ぎ、先生が一度様子を見て、
子宮口ちょっと開いてきてはいるがまだ様子見、
次は30分後にくると言って去っていった。
30分が途方もなく先に思える…のは妻の方だ。
それでも、今日は午前中から痛みと闘っていたらしい。
同じ励ましを繰り返し続けて、17時40分ごろ現れた先生は、
子宮口は7cmほどになっていると告げ、
まだかかる…いやまだまだかかる、とおっしゃられた。
「次は18時半ごろにきます」
うそだろ…。
しかし妻は頑張っている。
途中何度かは痛みに耐えかねて、
もう無理かもしれないと弱音を吐きつつも、
それでも涙をにじませながら耐え忍んでいた。
僕が事前に読んだ記事では、
陣痛の痛みはトンデモナイが、不快な痛みではなく、
感覚の中で痛みが引いてからは開放の気持ちよさも伴う…とあった。
それを信じていたのだけれども
どうにも見ているとずっと苦しそうだった。
とはいえ、2分おきのインターバルの最中、
おそらくは数秒単位だろうが、眠りを挟んでもいた。
その最中も声はかけ続けてほしいというから従った。
途中、気を紛らわせるために妻がしりとりを提案してきた。
…が、やはり続けられないようだった。
なにかにぼうっと意識を向けられた方が楽なようで、
目の前に麦茶のペットボトルを置いて、
ラベルの字を眺めたりもしていた。
また、尿意のために管を通す処置はこれまた痛いものだったようだが、
助産師さんが処理するのに5分以上かかり、
これはこれで時間が過ぎてくれるので助かるとはた目には思えた。
僕は背中を押すタイミングと強さの加減をつかめてからは、
椅子に座って応援していた。
妻は時おり、腰元の衣服がずり下がって痛いとうめいた。
そうしたときには注文に従い上げてやった。
僕がついてからは助産師さんもつきっきりでなく、
割と部屋を留守にして、二人きりの時間もそこそこあった。
放置していいのかよという不安もあったが
お隣の分娩が佳境を迎えてもいたし
問題ないから離れることができるのだろうと信じることにした。
18時を過ぎてから、いきみたいと助産師さんに訴えていた。
いきんだ方が楽そうか、という問いに、
たぶん、と答える妻。
それではと助産師さんは妻の股を広げ、いきみを実践させた。
陣痛の一番痛い瞬間にいきむといいらしい。
大きく息を吸って、口は開けず下腹部に力を込めて全力でいきんで、
という指示に妻は従って、その通りしていた。
上手だ上手だと助産師さんは褒めていた。
このまま赤子が出るのだろうか、まさかな、と淡い期待を込めて
自分用に持参してきたウーロン茶を飲みつつ見守った。
膣から赤子の一部を取り出そうとするかのような構えを助産師さんはとっていたが、
出てくる気配はない。
子宮口はようやく8cmに達して、ほんの少しずつ開いていってるようだった。
が産まれるとなれば10cmが目標値となる。
陣痛時のいきみを何度も繰り返して、
そのたびにいい調子だ、上手だと言ってもらってはいたが出産には至らない。
18時半にやってきた先生は、やはり子宮口が現段階で8cmであるし、
これ以上続けるのは大変だろうと判断を下した。
その間も僕は声をかけつづけていたが、
余裕のなくなった妻からうるさいと一蹴されて
もう長い間妊婦が耐え続けているので体力の心配もあり、
また血圧もやや上がっているようだからと総合的な判断を下して、
帝王切開を勧めてきた。
ためらいはあったが、向こうの判断を信じることにした。
妻自身も納得していた。
もうやれるだけのことはやったからといえる。
帝王切開のリスクについて書かれた同意書を前に二人で説明を受け、
ペンを渡された妻はどうにか名前をサインした。
僕のサインも加わって、いざ手術だとなると助産師さん方の手際は見事だった。
てきぱきと準備が整えられていく。
僕は室内を追い出され、
ドアは開け放たれているもののカーテンで遮られた廊下で準備を待った。
不安で仕方なかった。
妻が持参してきたお守りを握り強く祈った。
初めて会ったときの妻は高校二年生の女の子だったな、と
当時の姿がふいに思い出され、泣きそうになった。
ここまできた。
心をつよくもたねばならない。
だが無力感が強かった。できることが何もない。
先ほどまではまだ寄り添えていたつもりだったが
今となってはアホ面で待つしかできない。
19時を過ぎて当直医の先生が現れ、今日は助手を勤めますと挨拶してくれた。
19時半を前に手術が始まった。
漫画やドラマで見た通りの手術の光景。
直接見据えられる角度は与えられなかったが腹に鉗子があてられているのはわかる。
血が見える。
思っていたほどおどろおどろしくはないな、とのん気に思った。
帝王切開は始まってしまえば1時間程度で終わると聞いていた。
腹を開けて取り出すだけならあっという間なのかもしれない、
と思っていた矢先、おそらく手術開始十数分で、赤子が取り出された。
顔も見えた。
立ち上がり、やった、やったと叫んだ。
妻は泣き、僕も泣いた。
赤子も泣いている。だがすぐ隣の処置室へ連れていかれた。
これから縫合となる。
決して邪魔するわけにはいかず、したがって言葉をかけてやれないし、手も握れない。
産まれてきた感動をめいっぱい体感するにはちょっとの間が開く。
その間もずっと妻の様子を見守っていた。
腰一帯の麻酔が効いているから苦しそうなそぶりはない。
処置している先生二人の様子にも不安なところはなかった。
胎盤については、後で見たいですと妻が助産師さんに注文していた。
赤子が取り出されて10分ほどしてから、
まだ縫合中の妻を差し置いて、僕の方へ赤子が渡された。
抱き方も教えてもらえずに戸惑う…というより大変怖かった。
腕に抱えた赤子は小さく、ひくひくと小刻みに動いていかにももろそうだった。
鼻はひしゃげてる。目は驚くほど切れ長の一重で、なかなかまぶたが開かない。
唾液に濡れた唇がきれいだった。
濡れた髪は天パにも見えたがこれは今だけだろう。
おでこには大量の産毛、頬にも産毛が多かった。
眉毛は二段組になっているよう見えた。
これは眉毛の中央部がまだ生えきっていなかったためで、
おそらく数日も経てばそれなりに生えそろうと思われた。
顔の血色はいいが手は恐ろしいほど白く、灰色がかってさえいた。
よくきたね、はじめまして、よくがんばったぞと挨拶した。
見れば見るほどこれが美少女になるとは思えない。
だがじっと見つめていると可愛く見えてくる。
ぶ厚いまぶたからたまに見える黒目や
頬のぼってりがたまらなくキュートだった。
はやく妻にも抱かせてやりたいと思うが、縫合には時間がかかっている。
あたうかぎり丁重にゆっくり、長い時間をかけてやってくれと願った。
赤子の顔はずっと見つめていても飽きないが
抱き方ひとつとってもこれでいいのか不安になってくる。
途中で助産師さんをつかまえて姿勢を正してもらった。
すわってない首が背中側にだらりと垂れるのが怖かったが
どうやらある程度は垂れ気味でいいらしい。
顎と喉の間は開けておくべきなんだそうだ。
10分か、15分ほどは抱かせてもらっていた。
ふとした拍子に落っことしやしないか気が気でなかった。
助産師さんの手に戻したときには安心感がまさった。
おおよそ30分ほどかけて縫合は完了。
妻をねぎらい、しかしまだ赤子は抱かせてやれないようで、しばらく待った。
縫合を終えた先生は赤子に異常がないかを調べ出し、
さらに10分ほど待って、大丈夫そうですと言ってくれた。
心臓に雑音があるものの、これは珍しくないそうで、とりあえずは問題ない見込みとのことだ。
ようやく妻の腕もとに赤子が置かれた。
妻は感無量の調子で、かわいいねえと繰り返した。
僕はその姿を写真に収めた。
スマホとコンデジで何枚か撮ってから、私のでも撮ってと妻がせがんだ。
片手でも操作できるようで、自分で撮っていた。
数分経って、赤子は初めてのお乳を飲む体勢に入った。
一たび乳首に吸い付くと離れない。
ずっとジュビジュビ音を立てて飲んでいる。
新生児の胃は小さじ一杯分ほどらしいから実際にはほとんど飲めてはいないのだろうが、
口もとは泡立っていた。
赤子が便を出しているとのことで助産師さんがおむつを替えてくれた。
量と色にビックリした。
こんなに小さいからだからよくもこんなに、とおののいていると
そういえば出生から一日二日は体重減るんだっけ、と妻が言い、
たしかにそんな話があったなと合点した。
色は真っ黒。
漆黒といっていいくらいだった。
二人で見守りつつ、写真を撮ったり、ようやく余裕をもって感想を言い合ったりした。
まずは何より、無事に済んでよかったことを確認し合った。


…こっからも長々と2時間近くかけて書いたが
Windowsメモ帳のバグで消失…
簡易に書き残す。

妻は喉が渇いたと訴えていたが
術後二時間は飲んではならないらしい。
腹も減っていたようだがこちらはさらに厳しく、
含んでいいのは流動食のみで、
それも翌朝からとのことだった。
ここでも助産師さんが場を去る時間が多く、
ちょくちょく三人きりになったりした。
のんびりただ赤子を眺める時間もあった。
僕は撮った写真を選定して、取り急ぎ親類には無事済んだという一報をした。
次いで、Twitterでも報告を入れた。
帝王切開となったから妻は今日はもう何もできず、
したがって僕がこのまま産院に寝泊まりする…という見通しも立っていたが、
スタッフで面倒を見れるかどうか相談してくると助産師さんは言い、
果たして今夜のところは僕は去ることとなった。
それでも23時くらいまではいていいらしい。

22時半ごろ、個室へ。
思っていたより広い。そしてきれいだ。新しい。
ベッドに横たわる妻からは手の届かない位置にソファがあり、
上に荷物の一切が置かれていた。
コンセントに延長ケーブルを挿し、LANケーブルも挿して延ばしてやる。
そのほか細々した物品をベッド横のテーブル台にまとめるなど、
指示に従ってまとめていった。
助産師さんはまた場を離れ、僕は衣類など持ち帰る荷物をまとめ、
明日の予定を確認するなどした。
赤子は妻の腕もとに置かれていた。
23時過ぎ、なかなか戻ってこない助産師さんを見つけるために
廊下に出てみたところで鉢合い、再び部屋へ。
赤子のおむつをまた変えてくれた。
その間に妻は喘息の薬を吸引し、
手元の水でうがいして専用の桶へ吐く。
僕がそれを始末すると、もう役目は済んでしまった。
助産師さんと赤子に挨拶し、
私のこともねぎらってという妻に、
もう応援の言葉は出尽くしてしまったとおどけてみると、
寂しそうな、わけがわからないというような無表情を向けた。
疲労困憊で精神の不安定なときに軽率だったか…と反省して
すぐにフォローを入れた。
ありがとう、よくがんばってくれたと再三伝え、23時15分ごろ産院を去った。

帰宅して、閉じきっていた窓を開けたときに感慨が訪れた。
夕方にここを出るときにはいくつもの覚悟をして出て行った。
それがよくもまあ無事に済んでくれたと、大きく安堵した。
義母と電話。
第一報に触れて号泣してしまったそうだ。
時間も遅かったから自分の母への電話は明日にすることにした。
それから方々へ、LINEとTwitterで報告。
たくさんの人が祝いの言葉をくれた。
人一人産まれたらこんなに祝福が発生するのだな、と感動した。
僕が産まれたときにも、と月並みな感想を得たりもした。
妻へは改めて長文のメッセージを送った。
この世界を一つ素晴らしいものにしてくれてありがとう、
そういう意味の文をやった。


0時を過ぎてから飯を食べた。
昼間に買っていたカツオを刺身に、味噌汁もいれて、
サラダはさぼった。


2時半ごろまで連絡やコメントを返したりこの記録を書いたりした。

夕方前に入浴したからとシャワーもサボって、
何も読まずに寝た。


れどれ |MAIL