舌の色はピンク
DiaryINDEX|past|will
10月から年月日を示す数字八桁が特異な日ばかりだな。 今日が20211110 明日は20211111 お次は20211112 頭おかしくなるぜ。
上の 「お次は」 は、お察しの通り 本来「明後日は」にすべきところを 文字数合わせるためだけに三文字表記となるよう 小細工した結果です。 そういうことって、ある。
クレイジーナントカさんの 「おれの おれの おれの話を聞けェー」 って歌、 高校生だったか初めて聞いたとき ちょっと面白ぇーじゃん と思ったのにそっから 「5分だけでもいい」 て続いて アレこれは て不安になりながらそのまま聴き続けてみたら 二番だか三番だかで 「2分だけでもいい」 ときて ウワーだめだろ て絶望した。 曲に歌詞をのっける都合上、 「5(ご)」か「2(に)」の一音にする必要があるから、 ここは「5分」「2分」としているのだ。 「1分」でも「3分」でも「4分」でも、 モーラが一つでも増えたら乗らない。 だから「5分」「2分」。 つまり、意味するところひいては表現の核よりも 表層的な方を優先しているわけで、 いやあ白ける白ける。 当時ティーンエイジャーならではのスピリッツが燃え盛り 異様にむしゃくしゃして 部屋の中を暴れまわるほど不快だった。 今でもあの歌は嫌い。
ただ文章書いててもこんなことは多い。 なんでもかんでも自制しているわけでもないから 上記の「お次は」くらいは通したっつうわけで、 その線引きの位置づけによってセンスがあらわになる。
そうそう。 ある信条とか表明した立場について 極端に徹底しなければならないかのごとく認識する連中が世にはいる。 わかりやすいのがヴィーガンに対しての やっすいツッコミ。 大豆加工などで代替的に食肉めいた料理をいただこうとする人らへ 「結局食べたいんじゃん」とか、 あるいは 「肉食べないのはわかったけどハーブは良いの?」 とか 矛盾点を鋭く突いたつもりでいる鈍い頭脳の面々の やっすいやっすい 誰にでもでき 誰にでも思いつき 誰の心も打たない あほ丸出しのツッコミ。 僕自身はヴィーガン思想にもその立場にも なんら理解を寄せるつもりはないが それにしたって 彼らの主張やその意義についてある程度の解釈はできる。 が詳しくは今は置いといて。 結局コレも「限局」の話だ。 仕分け、整理、線引き。 もうちょっと術語をきっと重ねられるな。 しばらく考えよ。
で
本日11月10日は結婚記念日。 レストランでのお祝いを週末にやるから 今日は言葉をかけあっただけだけど。 快晴で気持ちいい。 入籍日の前日にやった結婚式の日和がこんなだったから懐かしい。
弁当は鶏もも肉の照り焼き。 醤油と砂糖はいつも目分量だけど 今日はコレ以上ないってくらい ベストでジャストなバランスに仕上がって ウッマウマだった。 ただ朝時間がなくて 弁当箱にサラダ菜を詰めそこねたのが悔やまれる。
夕飯はレトルトカレー。 なんでもかんでも自炊する我が家ではご馳走にあたる。 ウン一応記念日だからな。 妻はバターチキンカレー、 僕はグリーンカレーにした。 レトルトでは流石に具材が弱い。 冷蔵庫に常備してある水煮タケノコをバターで炒め 塩コショウしたものを足した。 サラダにはオリーブオイルでかるくソテーした柿を添えた。 いずれも大正解の美味しさ。
日常のルーチンからの脱却。 たぶんいちばん求めてるのは「誘い」だ。 いま、友人…というより友人的な間柄の関係筋から、 「おうちでパーティーするからおいでよ」 と誘ってもらえたなら、 1%のメンドくささと10%の緊張、 5%のためらい、5%の後悔に弱りつつ、 残りは全部、生の実感に満たされるに違いない。 そのパーティーには何らかの目的が付帯されていてはならない。 パーティー自体が目的でなければならない。 なるべくなら、いつものお決まりのメンツといった少人数よりも、 ちょっと知らない人がいるぐらいの方が望ましい。
自分でやればいいのだろう。 今の家ならできなくもないし、やったろかしら。 だが三四人ならまだしも、 それ以上となると今はまだコロナが危ぶまれる。…。
今夜もとらドラ!を観た。 バナナジュースを飲みながら。 あと一回観たらこれで買ったDVDの視聴分は尽きる。 続き買うか? それとも借りるか。
|