三日月どろっぷ

2007年11月11日(日) 断ち切る術

人間関係のアレコレは、いくつになっても続くよね。
一人で生きていけないからさ。
学生時代は、特に逃げ場がなかなかなくて、
たとえば、学校だけが全てになってしまって、
とってもシンドイよなあ、と、思いながら彼女を見ている。

学校で「いじめを克服した」ヒトが書いた作文を読まされた、と、
彼女は言っていた。
部屋に落ちていた、その印刷物を、わたしも読んだ。
その子は、いじめる側も体験し、その後、自分もターゲットになって、
やっとその辛さがわかったと綴る。
そして、次のターゲットに的が移されたとき、自分が一番してほしかった事を
行動にうつした。
「あんだは、ひとりじゃないよ」と、話し掛けて、そして親と先生に二人で訴えた。
その結果、クラスからいじめは消えたのだ、と。

「声を出して、読まされたんだよね」と、むすめは、ぼやいた。

そんなことしかできないんだろうか、学校での対策って。
そんなことでも、しないよりは、マシなんだろうか。

昨日の部活が終わったあと、
「友達と約束したの?」と聞いたら、「ううん、してない」と答えた。
あとから、
「ホントはAちゃんが誘ってきたんだけど、あとからまた来て、
『NがBちゃんと揉めてるのを知らなくて誘っちゃったんだ・・・ごめん』って言われたからさ」
と、笑っていた。

夜。
わたしが友人にもらったポストカードを見せると、
「うわー、グロいんですけど」と、眉をしかめて、でも、まじまじと見つめて、
「このヒト、もう死にそうにみえるね」と、もう一枚の、牢獄の中のヒトを指差した。
それから、
「ねえ、これはなんて読むの?」
と、タイトルを指差した。
わたしが、「じゅばく」と言うと、「どういう意味?」「なんでこういう絵なのかなあ」と、呟いていた。

「うんとさー、歌でもそうだけど、絵も、見たまんまのソレだけじゃなくてさ、
それを創ったヒトのメッセージとか、想いが隠されていたり、こめられていたりするとお母さんは思うんだよね」
と、わたしは言った。
「でも、それをどう読むかっていうのは、見たヒトや聴いたヒトの自由なんだよ。
正解も不正解も、ないのね」
って、前置きした上で、わたしは、続けた。
「牢屋から出られなくて、死にそうになってて、苦しくて、でも出られなくて、
この小さな窓から差し込む光だけが、このヒトと外を繋いでるのかなあー。
とかね、お母さんは、そんなことを考えたけど・・・描いたヒトが何を考えながら描いたかは、そのヒトにしかわかんないよね」
「ふうん」
むすめは、分かったような分からないような顔で、頷いた。

学校で読まされた作文。
コトバで表現できるメッセージ。
「いじめ」という呪縛を断ち切るまでの物語。
でも多分、それはむすめのココロの奥には、届いていないメッセージ。

ほんとうの苦しみは、ほんとうの呪縛は、知らないうちに訪れて、
気づいたときにはもう、がんじがらめになって、身動きがとれなくなっている。
助けてと叫ぶ、声さえも、出なくなって。

だけど、それを断ち切らなければ。
そこから逃げ出さなければ。
生きていかなければ。

ケイタイメールの絵文字がなかったと言って、怯え。
お風呂に入っているのに「無視してると思われちゃう」と返信しようとするその姿が痛々しくて。
そうまでして、仲間でいなくちゃいけないのか、と、わたしは思うけれど。

それが彼女の呪縛なら、
やはり断ち切る術は、彼女の手によってでしかないんだろう。

無力だね。


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