7畳半

2007年06月17日(日) 子供たちと大人へ

パソコンいぢくってたら去年の詩(?)がでてきた。
以下


子どもたちは、大切に育てられているのだろうか。
子どもたちは、人を大切にしようといわれて生きているのだろうか。
ただ生んで放っておくだけならば、子どもたちは模倣しやすい悪い例を倣うだけだ。

子どもたちの使う言葉には、言霊がない。だが、かれらの悪口は鋭く刺さる。
子どもたちは、言葉の意味を、いかなるものかを知らない。

子どもたちは、自分がいつ、どこで知識が必要か、まったくわからずに生きている。
テレビも、インターネットも消えてしまえ。
過剰な表現も、彼らは何の制御もなく、だがそれらを受け止めるだけの力も備わっていないのに、受け入れる。
酒も煙草も、年齢制限はかけれるが、知識にはかけられない。
子どもたちには、知識と経験が伴っていない。
だから、しらないことを知っていることのように喋る。
嘘ばかりだ。
テレビやインターネットでは、情報も知識も手に入るが、体験はできない。
気持ちだけは、自分で体験しなくてはならない。
大人を非難する子どもたち
今何もしようとしていないのに、最高の未来像を描いている子どもたち
よく聞いてほしい。
君たちは、大人になるということがいかなるものかを知らない。
大人の気持ちになったことがないから。
大人の気持ちになれるのは、大人になっているときだけだから。
大人になったとき、君たちは自分をどう思うだろう。
そう考えることはできる。
だから、未来をまじめに考えてほしい。
今のことだけ考えてちゃ、未来はつかめないってことだ。

けれども、教師は大人だ。
大人は、子供であった。
だから、思い出してほしい。
自分が、子供であった時のこと。
子どもたちが、大人になるときのこと。
そして、子どもたちの未来を照らしてほしい。

増えすぎる人口。
多すぎる人は、人をどうでもいいと思うようになってしまったのではないか。
氾濫する言葉の中で、「命」や、「夢」っていう言葉が意味を成さなくなってしまったと、思いたくはない。


以上

なんか、これが去年の私です。
まぁつっこみたいとこも多々ありますよ。
子供だけが悪いのでもなく大人だけが悪いのでもない。
両方にあてはまる欠点だった多いし、
夢をみる子どもの未知性や可能性にはとてつもない力を感じるし。
確か、これ書いたのは、夜中に学級崩壊の様子とその再構成が描かれたテレビ番組をみた直後。

かつての自分が、私に何か訴えかけてくる。


この世界に生きることが辛いなら、この世界から消えるんじゃなくて、生きたいと思う世界にしなきゃって思ったり、なに熱くなってんだ俺は(笑)

人にモチベーションを与える仕事がしたい。

とにかく、安寧とした時間はを持つことは、許されぬってことだ。


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万田 倫 [MAIL]

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