世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2014年01月27日(月) どの程度と理解すればよいのか?


25日の法事は、お天気にも恵まれどうにか無事に終えたのだけれど、翌日も今日も明日もずっと仕事。
なので、曜日の感覚がぐっちゃぐちゃなのである。


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その後「豊饒の海」四部作を読み終えたのだが、しかし、読んでいる間じゅう、符牒めいた、妙な偶然の一致に見舞われ続けた。



たとえば…
「春の雪」にはタイ王室の王子様二名が留学のため来日、小説の主人公たちと学習院の同級生になり親交を深めるというくだりがある。


このタイ国とのかかわりが「奔馬」「暁の寺」にもうっすらと引き継がれていくのだが、小説中に、タイのクーデターは日本のように血なまぐさい騒動にならず静かにいつのまにか起っているのはなぜなのか、というような記述があって、この部分を読んでいるちょうどそのタイミングで、現在のタイ国でクーデターらしきことが起きているのではという報道があり、ナンダコレハ?!と思わずにはいられなかった。



その次が、地方裁判所。
四部作を通しての語り手であり、最後には主人公として老いさらばえた姿をさらす本多繁邦。彼は大阪で裁判官をしていたのが、ある理由から辞めて、弁護士になる。


その本多繁邦が東京(霞が関)の地方裁判所へ出かけてゆくという場面を読んだとき、その週、たまたま霞が関の地方裁判所一階でひとと会うことになっていた私は「ほうほう、あの裁判所は大昔からあそこにあったのだね。建物はさすがに建て替わっているだろうけれども」くらいに思っていた。
で、実際に自分が出かけていく前日の晩になって気がついたのだ。地裁で人と会う約束の明日が、一月十四日(三島由紀夫の誕生日)であることに。



それから、神社。
21日の深夜、TVをつけたまま画面は観ずに音声だけ聴きながら片づけものをしていたときのこと。TVではパワースポットとしてご利益のある神社ベストスリーの紹介、というようなことをやっていた。


そこで第一位(?、多分)として紹介されたのが、多摩川浅間神社。都内田園調布にある神社で、富士吉田の浅間神社の分社として建てられたとのこと。お社を新しく建て直したばかりなので、清新なパワーに満ちているとか、なにかそんな話だった。浅間神社ってどこにでもあるなあ、多いなぁくらいに思って床に就いたのだったが…


翌朝、休みなのを良いことに目覚めてそのまま、布団の中で読みかけの「暁の寺」を開いた。すると、読み始めてすぐに「富士吉田の富士浅間神社まで、二台の車に分乗して遊山に行った」という文章に遭遇。またかい!


本多繁邦は富士の麓(御殿場ニノ岡)に別荘を建てて、そのお披露目で友人知人を招待、皆でタクシーに乗って件の神社へ出かけて行くのであるが…ナンダコレハがおさまらなくて、物語の流れに再合流するまで一寸時間が要ったのだった。



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こういうことが重なると、これがどの程度のことなのかわからなくなってくる。たいそうなレアケースなのか、意外によくあることなのかがわからない。


そして。
24日の夜、画家の妻フロイライン・トモコ嬢に会ったので、つらつらこの話をすると、自分も「天人五衰」を読んだ直後に関西(京都?)へ出かけてあるお寺へ行ったら、そこが小説に出てきた月修寺のモデルになった寺と聞かされ、驚いたことがあると言われた。
そこは一般公開されておらず、内部の見学はかなわなかったそうだが、お寺へ至る道を歩きながら強い既視感に襲われ、ここへは以前確かに来たことがあるという気持ちになったそうだ。


それじゃあ三島の小説には何かその手のことを起こさせるようなパワーがあるのかもね、などと軽く言い合って、二人してなんとなく納得したような感じになったのだが…どの程度納得していいのか、分かりづらい話ではある。











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