世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2014年01月12日(日) 読んだ本(4)

 
昨日、高円寺の美容院へパーマをかけ直してもらいに行った。
一年くらい前(もっと前かな)から髪が細くなるわ、抜けるわで、髪を短く切るとかえってふけちゃう感じに。で、だらだら伸ばしっぱなしにしているうちに肩より下まで伸びた。
昨年秋からはその髪にパーマをかけて、ボリューム感と扱いやすさを出すことにした。こんなことになるなんて、ほんと思ってもみなかったよ。


いま面倒見てもらってる美容師さんは杉並に住んでる友人の紹介で、おじいちゃんが日本画家、お父さんが建築家だそうだ。美容師さんになったご本人は勉強嫌いの問題児だったと自らおっしゃるのだけれど、ご家族のことも含め、お話を伺ってると本当に楽しくて、土曜日も新春大放談。大いに笑って楽しかった。


パーマをかけたあと、四丁目カフェさんで遅いランチ。プラス、グラスで赤ワイン。
ここは広さがあって、適度な薄暗さとアールデコ(一部アールヌーヴォー)の室内装飾が雰囲気出してて、さすがサブカルのメッカ中央線沿線の面目躍如って感じのカフェ。


石油ストーブのほんわかした暖かさについ長居しすぎてしまい、新宿から参宮橋へ出て明治神宮へまわろうと思ったら、四時半の閉門に間に合わず、今年のお参りと御神籤は来週までおあずけになってしまった。
新年、正真正銘の「日没閉門」に、宵っ張りの夜型人間は襟元を正したのだった。



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昨年読んだ本の最終回〜。


「虚無への供物」(上・下)中井英夫(講談社文庫)


昨年末(多分12月10日頃)ワインの店で仕事の合間に新聞の文化欄をみていたら、この小説のことが書いてあった。
曰く、「虚無の供物」という物語は1954(昭和29)年12月10日に幕を開けるのだ、と。それから同年におきた洞爺丸沈没事故がモチーフに使われている、ということも。
それを読んで、もうずいぶん前に新装版になって出た「虚無への供物」が、ずーっと(恐らく十年くらい)積ん読になっていたことを思い出し、読もう!と思ったのだった。


この物語はアンチ・ミステリと呼ばれていて、普通のミステリとは構造的に違っているし、ミステリというジャンルにかかわらず、ほかのどんな小説とも違っている。
そして、濃厚な昭和の匂いがする。乱歩や夢野久作と同じような匂いがする。ただし、そんなに怖くない、私でも大丈夫ということは以前に誰かから教えてもらっていて、それで買ってあったのだと思う。


アンチ・ミステリというのがどういうものかについては、実際に読んでみるのが一番いいと思う(じゃないと構造的なネタばれになっちゃう)。ただ、中井英夫がアンチ・ミステリを書いた背景に、真剣な思いがあったことは確か。それがこの「奇書」を書かせた。それは「他人の不幸への視線」と関係があるのだけれど、ここにはこれ以上書かない。
読み始めてすぐに、2011年の震災後に読んでいることに大きな意味があると感じて、自分の無精からおきた偶然とはいえ、十年寝かせてから読んだ意味はあった、と思った。


ところで、小説の本筋にはほとんど関係ないチョイ役でボディビルをやっている藤間百合夫という男がでてきて、この百合夫のモデルが、三島由紀夫。
中井英夫自ら書いたあとがきによると、読み終えた三島由紀夫が中井の出先まで探して駆けつけてきて、技術批評や励ましの言葉を熱く語ったのだそうだ。
三島は読んですぐに百合夫=自分であることがわかったらしく、オレが出て来ない筈はないと思ったんだ、などと言い、五十頁くらい藤間百合夫について書いてくれりゃいいのにと言って笑ったそうだ。…いかにもな話!
(そうか、このあたりがミシマアワー突入のきっかけだったかも…)


中井英夫は不思議な人だ。黒子のようでもあり、またそうでもなくて、ちょっとわかりにくい。作家として小説も書いたけれど、短歌誌の編集者として現代短歌への慧眼を持ち、塚本邦雄、寺山修司、春日井建らにとっての大恩人だった。そして、三島由紀夫、澁澤龍彦らとの親交。


「虚無への供物」の登場人物のひとりに、八田晧吉というコテコテの大阪弁を話す男が出てくるのだが、その大阪弁の監修は塚本邦雄氏に頼んだということが、やはりあとがきに書いてあった。
それを読むが早いか、塚本邦雄の、早口でにべもない調子の、話している内容とは無関係にキツーイ大阪弁を生々しく思い出して、ひとり納得した。





「安土往還記」辻邦生(新潮文庫)


織田信長という戦国大名の栄華を、宣教師に随行して日本へやってきたイタリア人の目を通して描いた歴史小説。イタリア人の遺した古い書簡断片(南仏の蔵書家の書庫でみつかった古写本の最後に別綴じしてあった)の翻訳という体裁をとっている。


「大殿」と書いて「シニョーレ」とルビが振ってある。ヨーロッパ人の目を通して日本の戦国武将を語るというのが、いかにも辻邦生らしい。文章は静謐さに満ちていて、殺戮、大虐殺の類を書いても、歴史はそうして粛々と進んで行った…というトーンは全編変わらない。


豪華絢爛な安土城の内部のみならず、それを中心に据えた街区(城下町)の大きさと賑わい。どこまでも連なるお城の青瓦と、同じ瓦を載せてひろがる周囲の建物のパースペクティヴが、歴史音痴の私にもひととき美しい景色を見させてくれた。


この小説の発表は1968(昭和43)年。語り手の男は、外国人ゆえに大殿(シニョーレ)の内面を間近で垣間見る機会に恵まれるわけだが、この小説で描かれた織田信長と明智光秀の人物像とその内面の心理というのは、その後幾度となく作られたNHK大河ドラマの信長像(光秀像)に少なからぬ影響を与えたのではないだろうか。


どうやら「安土往還記」をそのまま原作とする映像作品はないようなのだが、たとえば作家や脚本家が織田信長とその時代を描こうとしたら、そしてこの小説を読んだことがあったなら、人物の造形においてその影響を逃れることはちょっと難しいのではないかと思う。現在誰もが思い浮かべる織田信長の共通イメージのかげに、辻邦生のこの小説が静かにしっかりと存在しているのではないかと推測する。









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