萬葉集覚書

2006年12月16日(土) 9 莫囂圓隣之大相七兄

莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立為兼五可新何本




あ…、フォントがおかしくなったわけじゃありません。
この歌は、いまだにどう読むべきか定説のない歌なんです。

但し書きに、斉明女帝が牟婁の湯(現在の白浜温泉)へ行幸された折に、心に浮かんだ感想を額田女王が歌として詠んだものだとしています。

読み方に定説がない以上、現代語訳することは不可能ですので、ここはこのまま、これだけを挙げておきます。


万葉仮名という言葉を聞いたことがある方は多いと思いますが、これがまさしく万葉仮名表記の歌なんです。
古代日本では字を持っていませんでしたから、記録を残そうとすると中国から導入した漢字に頼らざるを得なかったのですが、漢字をその音のまま導入した朝鮮半島と違って、日本人は悪戦苦闘しながらも日本語の訓を一字一字に宛てていきました。
当然ながら中国と比べた場合、語彙が極端に少なかったために日本語の訓が宛てられない字がわんさかあったわけです。
そういう漢字はそのまま漢語として使うことをせずに、その音だけを利用して日本語を表記することを思いつきました。
それが万葉仮名です。

ところが悲しいかな、その後遣唐使などの派遣によって大陸文化をどんどん吸収していった日本人は、漢字の制御に成功したわけですが、本来の漢字の音とその字が持つ本来の意味が理解できたときには、100年前に万葉仮名として使っていた和製の漢字表記の万葉集が読めなくなっていたのです。
以後、平安時代から現代に到るまで、万葉集の解読作業は連綿と続けられてはきたのですが、いまだにこの歌のようにお手上げ状態のものが残ってしまっているのです。

古来からこの歌には三十数種の読み方が宛てられてきましたが、そうすると、三十数種の解釈が成り立っているということになるわけです。

ということで、今回はお手上げです(^^;;


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セレーネのためいき

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