星とたんぽぽ

2006年10月18日(水) 昔話

  あるところに ふたりの女の子がいました

  ひとりは ほんの少し他の人たちよりも ゆっくりした時間の中に
  もうひとりは ほんの少し他の人たちよりも すすんだ時間の中に
 
  ゆっくりとした時間の中にいる女の子を 
  ある子が自分たちとちがうと 指さしてわらいました
  みんなも つられてわらいました
  ある子が見ているとイライラすると つきとばしました
  みんなも つられてつきとばしました
  女の子は しずかにしずかに ないていました

  すすんだ時間の中にいた女の子は
  みんなと同じことをするのが いやでした
  まちがっているとか ただしいとかではなく ただただ いやでした
  だから 自分だけの時間が流れる場所に にげました
 
  そんな女の子を ある子は自分たちとちがうと 石をなげました 
  みんなも つられてなげました
  女の子は ひそかにひそかに わらっていました
  そんな世界は長くは続かないと 知っていたので

  やがて まもなく世界が新しい扉をひらきました
  それまでの世界は すぐに 『過去』になりました

  新しい世界で 必死にまわりと『同じ』になろうとする
  わらった子 つきとばした子 石をなげた子
 
  でも ふたりの女の子は わかっていました
  そんなことに 何も意味はないのだと
  またすぐに新しい世界も 過去になるのだと
 
  だから ふたりはいつでも 
  自分の時間の中で自分らしくありました
 
  そして 自分の足でしっかり立つしあわせと
  自分と同じ速度であるいてくれる 大切な人に出会うしあわせを
  手にすることができたのです
                        
  むかしむかしの おはなしです



ニュースを見ていて、ふと思い出しました。
二十年前にも似たような事があったなぁ、と。

ただ、ニュースと違っているのは、
ふたりの女の子は、家族に話して、頼ることが出来たこと。
無条件で支えてくれる人がいる、それだけで人間は強くなれるのです。
コメンテーターが「子どもにとって学校が占める割合は大きいから」と
言ってましたが、確かに、それは大きいのだけれど。
壊れるか壊れないか、その決定的な差は、
自分を無条件で受け入れ、肯定してくれる存在の有無だと私は思います。
たとえ、学校で否定されても、家族が肯定してくれれば。
極端な話、学校に行かなくても、人生が終わる訳ではないのです。
今の時代、転校も出来るし、大検もあるし、留学という手だってある。
どんな方法だって、生きていける。
それは、経験をもって知っている。
でも。
支えが無ければ(無いと思っていれば)、
人間なんて容易く壊れてしまう。

だから、私は娘が辛いときに話してくれる存在で在りたいと思います。
<何でも話せる友達みたいな母娘>なんてのじゃなくていいんです。
秘密だってあっていいんです。
けれど、辛いときだけは、正直に頼ってほしい。
そして、無条件で支えてあげたい。

私が、そうしてもらったように。


























 




  


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