はぐれ雲日記
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2002年12月17日(火) ウリミバエとの死闘。沖縄

昭和47年、日本への復帰に沸く沖縄で、人々を震撼させる出来事が起きた。東南アジアから恐るべき害虫が飛来したのである。
 「ウリミバエ」。体長わずか8ミリのこの虫は、カボチャ、ピーマンなどの野菜に寄生し卵を産み付ける。野菜には瞬く間にウジが沸き、腐ってしまう。世界各地で猛威を震い恐れられていた、史上最悪の害虫「8ミリの悪魔」だった。

 天敵のいない沖縄の島々で、ウリミバエは大繁殖。次第に北上した。もし、本土に上陸すれば、日本の野菜全体が壊滅的な被害を受ける。日本政府は「植物防疫法」により、沖縄県からの野菜の持ち出しを厳禁した。

  「沖縄全域からウリミバエを根絶しよう」沖縄県農業試験場の研究者を中心に、プロ ジェ クトチームが結成された。リーダーは与儀嘉雄。農家の息子の植物防疫官だった。農家の苦しみを目の当たりにしてきた男の、必死の根絶作戦が始まった。しかし、農薬を持ってしても根絶出来ない最強の害虫を前に、プロジェクトは行き詰まった。ウリミバエは沖縄本島を席巻し、九州上陸は時間の問題となった。

 「沖縄でウリミバエをくい止めろ」政府は、ウリミバエ根絶のため、思いも寄らぬ 方法を沖 縄県に提案した。それは、放射線「コバルト60」をハエに照射して、生殖細胞を破壊。繁殖力を失ったハエを増殖させることで、何十年もかけて撲滅するという、気の遠くなるような作戦だった。
 全てが手探りの中、沖縄の男たちと虫との壮絶な戦いが始まった。作戦が始まって 一年、二年と過ぎる中、ハエが減り始めた。 「これで、ついに撲滅出来る」プロジェクトが、そう確信した時、その行く手に、とんでもない壁が立ちはだかった。それは、沖縄在留アメリカ軍基地。「内なる国境」だった。

 21年に渡る闘いの末、ウリミバエの根絶に成功。日本の食糧を守り抜いた沖縄の男たちの実話。

大正8年、沖縄で発生した害虫ウリミバエの被害拡大を恐れた日本政府は果物の移入制限を行いました。そして根気と時間と費用の掛かる一大根絶作戦を敢行したのです。まず成虫になる寸前に放射線を照射、生殖能力を失ったウリミバエを放して次第にその数を減らしていきます。放射線による不妊化効果です。

放射線をあてると突然変異の確率が高まることを利用した実例です。ウリミバエにコバルト60という放射性物資(放射能)からでるガンマ線という放射線を照射し、不妊化(子どもができなくなること)したのです。そして野生に放したのです。
 不妊化されてしまったウリミバエと野生のウリミバエが交尾をしても、もちろん子どもはできませんし野生同士の交尾頻度が低下していきますので、新たに生まれる野生のウリミバエの数はだんだん減少していったのです。これが何世代にもわたってくり返えされ、やがて子孫ができなくなったウリミバエ自体も根絶されたのです。
害虫駆除というと殺虫剤を散布することを考えられるかもしれませんが、殺虫剤散布では対象の害虫だけなく周辺環境や生態系にも影響を与えてしまいます。まただんだん殺虫剤の効果も落ちていくので害虫を根絶するにはなかなか難しいものがありますが、これに対して放射線照射により不妊化した生き物を野生に放す方法はその心配がありません。ただ番組の中でご紹介したように長い年月とそれに添った費用を要するのです。

沖縄のかたがたの死闘で、本土への被害が食い止められた。
今年に入ってはじめての感動でした。


鈍角 |MAIL

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