気がつきゃライブの時間だぜ
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2009年09月30日(水)   ☆スクロヴァチェフスキ@サントリーホール

9/30、サントリーホールで行われた、
読売日本交響楽団の定期演奏会に行ってきました。

指揮者は スクロヴァチェフスキ、
曲目は モーツァルトの41番、ショスタコビッチの11番。


半年も前にチケットを取ったのですが、
実は行くのを迷っていました。
なんせ、今は収入ゼロの身ですからね。

でも、10月から仕事にいくことになったので
やっぱり行こうと決心して 新幹線に乗り込みました。







行ってよかった。


行ってなかったら、ものすご後悔するところやった。





わたしは、クラシックについては
あんまりよく知らなくて
自分ですきやと思ったものを ぼつぼつ聞くくらいなんですが、
この日は ほんとに身体が震えるほどに感動しました。


最初のモーツァルトは、
オーケストラの数がずいぶん少なくて、
音もこじんまりしている感じがしました。

モーツァルトの時代って、
こんな感じで演奏されてたんかな、と思いました。

(いや、そういうこと、全然知らないんですけどね)

41番という、華麗で荘厳な交響曲が、
とても軽やかな、透き通った曲に聞こえました。

こんな41番もモーツァルトっぽいかな、と思いました。





そして、ショスタコビッチの11番。

実は、わたしは、
ショスタコビッチって5番やったっけ、「革命」っていうのん、
あれしか聞いたことがないんです。

でも、「革命」は、とてもすきだったので
11番も どんな曲かな、と楽しみにしていました。

この曲も、ロシアの革命を、劇のように表した曲なんだそうです。

始まるなり、抑圧された民衆の足取りのような、
重く弱々しい音が響いてきました。

しかし、なんかその音が、
とても美しい響きを持っていて
思わずひきこまれるように思いました。


わたしの席は、ステージの後ろの席で
つまり、指揮者の顔が見える席です。

スクロヴァチェフスキさんは、
大きく指揮棒を振るようなことはなく、
むしろ 左手で指示を与えているようでした。

しかし、だんだんと音楽が進むにつれ、
スクロヴァチェフスキさんの左手は、
高まってくる音の高揚に
まるでもどかしいかのように
せわしなく譜面をめくり、
でも、そのわきあがる音の中で 音におぼれることなく、
音に身をまかせながらも、
しっかりとオーケストラをコントロールしているように見えました。


なんせ初めて聞いた曲なんで、
よくわからないのですが、
ビオラとか、バイオリンとか、
弦がいっせいに ユニゾン(だったかな)を奏でるあたりから、
ものすごい音の力が伝わってきました。

だけど、その高揚に
楽団員の誰もがのみこまれてしまうことなく、
ステージの上で しっかりと心をあわせ、
ひとつになった演奏が繰り広げられていて、
わたしはもう、思わず身を乗り出して
その音を一心に聞き続けました。

伝わってくる空気の震えの感動に
心拍数がどんどん上がっていき、
頭ががんがんしてきて (しかし、クリアな状態)、
気づくとパンフレットの上に置いていた指が
知らず知らずのうちにぶるぶる震えていました。


わたしの一番近くにいる楽団員は、
ドラを叩く女の人でした。

バイオリンにくらべると、
ドラの人なんて 活躍するところは
ほんの何ヶ所かだし、
こういうのを演奏する人って どういうふうにおもってるんだろう、と
常々思ってたんですが、

この女性は、ドラのところにくると、
指揮者と、奏でられている音に集中して
ここだ! と思うところで決断を下すかのように
じゃ〜ん!! と鳴らしていました。

それが、ぴったりと決まっていました。

その時わたしは、
こういう打楽器の人たちって
音を鳴らす回数は少ないかもしれないけど
ちょっとでもタイミングをはずすと
もうどうしようもないくらいに目立ってしまって
今までの演奏をすべて台無しにもしかねない、
そんなものすごく大きなプレッシャーの中で
自分でそのタイミングを決めて 鳴らすんだなと思うと
それは、全編において音を鳴らしている弦の人たちと同じくらい
大きな精神力だなと感じました。



最後は、聞こえるかきこえないかのような、
静かな音で締めくくられました。








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