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2012年05月30日(水)

やっぱり苦手だ。宮沢賢治。

改めて思う。
やっぱり苦手だ。宮沢賢治。
嫌いというのではなく、「私には勿体ない方で・・・。」という感じ。

初めて読んだのは、確か小学校高学年。
小2で偉人伝コンプリートからずっと、ナチスドイツと太平洋戦争モノを中心としたノンフィクション一辺倒であり、
これではあまりにも一般教養に欠ける、と半ば義務感で読んだ。
その時の感想。「綺麗ごと言いやがって」

その後、時をおいて何度か読んだが基本的には感想は変わらず。
経歴を知り、なるほどと思う。
多分、私は"教育臭"が苦手だったのだ。

素封家の長男として産まれ、首席で旧制高校に入学。
誠実このうえ無い実践者として農民の相談相手として生きた。

おそらく、"こうしろ。ああしろ"とは言わないだろう。だから教育癖ではなく"臭"。
でも、お手本であることに自覚的ではあった。

一例が『注文の多い料理店』の広告チラシ。もちろん作者自身の手になるもの。
「これらは正しいもののの種子を有し、その美しい発芽を待つものである」
「これらは新しい、よりよい世界の構成材料を提供しようとはする」
などなど。

味噌汁の味噌が沈殿した上澄みを思う。
透明であり、清浄であり、美しい。
それが苦手だ。

先日読んだ本で、宮沢賢治を、同時代の詩人の尾形亀之助と対比させて書いていた。
同時代、同じく東北の素封家出身。なのにこちらは一生親のすねかじりのとんだぐうたらだったと。

でも、その本を読み、その後WEBにUPされているのを読むと。
私はこの人の自嘲や寂しさ、あるいは社会を包む得体の知れない空気や飛び交う悪意のベクトルへの恐怖はわかる。
最後は餓死のような自殺に近い死に方をしている。

と思うと。
"そこには何であれ可能であって、一瞬にして氷雲の上を飛ぶことも出来るし、赤い花の下のアリと話すことも出来る。
罪や悲しみでさえ、そこでは聖くきれいに、輝いている" と描写するイーハトヴなる夢の国を己の脳内に描き、実生活の風雨から守り続けた宮沢賢治の繊細さは強靭な精神力の上に積み上げられたものだとわかる。

凄いです。立派です。
私はダメ人間の尾形亀之助の詩の方が好きです。

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昼の街は大きすぎる

私は歩いてゐる自分の足の小さすぎるのに気がついた
電車位の大きさがなければ醜いのであつた
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作品も話はさておき、朗読会の感想。
段田さんは以前舞台で拝見してTVで見るより物理的にも存在感もずっと太くて深いと知っており、
その通りの安心感。
木村佳乃は松岡修造と並びお育ちの良さがいい面に出た人との印象。
てらいと屈託のない凛と真っ直ぐな声と在り方は変わらずも、優しさが強くなった。

山本さんは穏やかにそこに居た。
この人の濾過装置はどこにあるのかなと思う。

そして、おそらく会場のほとんどが感じたであろう感想。
「雨にも負けず」⇒ まるで磐音様のこと言ってるようだー


alain

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