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2012年01月22日(日)

『ロッキー・ホラー・ショー』まわりの日本人

吉本ばななの随分前のエッセーに、"『ロッキー・ホラー・ショー』まわりの日本人"と題した文がある。
初出1994年。

文庫(ばななブレイク)にまとめた際にの後書き的な文に、
「ちょっと熱くなって書きすぎたかも。
でもやっぱり、ショーマンシップは見た目だよな。
でも楽しみたいならどう楽しむのももういいと思うわ。私も丸くなったなぁ」と書いてフォロー(?)しているが、

いや同感っす。姐さん。

ロッキー・ホラー・ショーのホームページ(現在公演中の舞台の)を見て、
諸注意とかはまだ会場都合や客同士でもめたら面倒・・・みたいなのがあるから理解するとして。

こういう掛け声は浮くかもぉ みたいな忠告ページがあって、未だにこれかよ、なうんざり感。

"どうして、かっこいい人たちが楽しみをきわめるためにはじめたことが、日本に持ってくるとサラリーマン化して、
制度を守りなさい!という匂いのする共同体に変身してしまうんだろう。"

"私と同じような「・・・」という感情を抱いた無言の人がいるのではないか、" 


人の思いは重なりつつも同じではないから、吉本ばななと考えていることは違うはずだが、
同じような感情はある。
"「ええい、うっとおしい!こいつらみんな燃やしてしまえ!」" のような一瞬の憎悪。

高からず低からず、みんなで同じ温度で楽しまないといけない雰囲気。
仕切り役の過剰な面倒見の良さと幼児に語りかけるかのようなべたべたした言葉。
しけたなりして人前にしゃりしゃり出やがる奴。
見た目は内面だ。てめぇの外見が場にふさわしいかどうか考えてほしい。


LOVEが日本に入ってきた時、大切と訳されたとの説を聞いた。

LOVEがどこのベクトルに向かうにせよ、底には身内意識があり決して純度100%にはならんということかも知れん。
作品に対する"大切"よりも、同士・身内の一体感に"大切"が向かっているような気がする。
結果ではなく目的として。
身内の寄り集まりなら、無礼講。不細工な踊りもOKということ。

あーもういいんだよ。そういうの。
うんざりだ。


ってまぁ、新月前で気持ちが荒れてるのか?
23日の新月とほぼ時期を同じくして火星も逆行を始めるし、来週の前半は切り替え時期。ギアチェンジのタイミング。

だからかなぁ、このくそ寒いのに気持ちがもう春服。
珍しく華やかでPOPな色を着まくりたいモード。
とにかく目に入るものだけでも鮮やかにしたくて、衝動的にFigaroの春服特集を買ってしまった。

つっこみその1。買うのは本じゃなくて服だろ!
つっこみその2。財政緊縮って言ってたくせにー。いやまじで。


alain

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