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2009年02月06日(金)
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『ROOKIES』DVDも来て
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『ROOKIES』DVDは届いたところで、かなり満ち足りてしまった。 それなりには見ていますが、全部見るまでテレビの前から離れられないぜ!という状態ではない。 (って大人ですから。それないですから。)
企画の石丸彰彦のコメンタリーからはこのドラマにかけた期間と熱い思いが伝わってまいりましたが、 だったら、『華麗〜』はどーなんだという気がしないでもない。
あの肖像画とか鯉とか、鉄平の妻や元カノのキャラクターとかキャスティングとか、 (少なくとも稲森いずみは無駄遣いだったと思う) 鉄平も妙に小者っぽくて、時間と予算かけた割りに完成度は低いという印象。 何がかみ合わなかったのか・・・。
話は戻って『ROOKIES』 主題歌は盛り上がる箇所で流れると画面にあってるとは思うが、 一曲聴けば他の曲はいーかなぁという感想。
あと、 ・二人称がつねに"きみ" ・基本的に応援歌 という昨今の基本設定を忠実に守っている歌であるとも思った。
歌の中にあるシチュエーションがあって、特定のシーンが浮かぶという、 歌=ドラマみたいのがそーいえばないなーというのも感じた。
これはずいぶん前に、帰宅してつけたTVで阿久悠のドラマをやっていて、 見るとはなしに、でも案外見てしまった時に思ったこと。 で、気をつけて昔の曲を聞いてみると、"真っ赤なポルシェだのばかにしないでよだの" "壁際で寝返りうって"だの、"背番号1の凄いやつが相手"だの 状況説明があって、衣装説明も時にあって、振る舞いの描写が出て、そして気持ち説明が続く・・ というように、曲のなかである物語が動いているものがある。
それに比べると昨今は観念的というか呼びかけのような歌が多いね。 (良いか悪いではなく、風潮の変化として。)
で、思うと宇多田ヒカルって、歌の中に物語(STORY)がある歌が比較的多いかもしれない。 また、観念的であっても、あくまで独り言を吐き出すに留まっていて、呼びかけの意識が薄いとか。
彼女の昭和さって、揺らぐ歌声だけではないのだなと思った。
alain
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