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2007年07月03日(火)
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今この瞬間を母に見られても大丈夫か?
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「だって鬼リピしたから。」 と記憶に焼きつく理由を語れるものもある。
『BOYS TIME』とか。 (これは入手以来環境ビデオのようにリピ。オクで落としてホント良かった。)
これとは違って、別に好きでも覚えようとしたわけでもないのに、 頭について離れないものもある。
多分10年以上前にネットで読んだコラムが、妙に忘れられなくて、 何かあるとふと脳内に出てくる。
完全に覚えているわけじゃないんだけど。 EUが商品を輸入するとかで日本のホタテ缶詰工場に品質管理の査察に来て、 まったくもって管理がぐだぐだで、話にならないと言って帰ったという話。
日本の製造業は優秀とか、日本人は几帳面だとか、 そんなもんは幻想で今や手抜きとまやかしが横行し、 かつ、監督官庁のチェックは膨大な文書提出を要求するだけで、 現場現状のチェックという体制がまったくない。と。
そんな趣旨のコラムだった。 10数年前って言わなきゃわからない。 会社名さえ変えれば、今日書いたコラムとして使える。 変わり映えがしないというか。おそらく悪化しているのだろうけれど。
ごまかしによるぼったくり商法にたいして、 心の幸せがーとか極めて真っ当な非難や人生論はいくらでも書けるし。 何が善で悪であるかの情報は、世間にいやというほど散らばっているから、 カット&ペーストで綺麗にまとめられる。
でも、金があれば楽しみも健康も買えるよ!というのも真っ当で、 飢えている人に心の平安なんて語れない。
今現在客観的にみて全然貧乏でなくても、先々を考えていくら持っていれば安心なんて、 言えなければ、将来の欠乏に備えてお金に走ることは、やっぱり飢えなんだと思う。
だからさ。 現在の飢えないしは、知能が発達したが故に抱え込むこととなった予想しての飢え の双方を感じる心を麻痺させる仕組みとしての、宗教や文化・道徳、あるいは世間 なんかは、中身は違えど、どこにでもあるのは至極当然なことのなのだなぁと思った。
私の飢えが暴走する可能性を考えると。 立場が立場なら、結構安易に走りやすいタイプだと思うから。
じゃあ、何が歯止めとなるかというと。
価値判断基準は 「今この瞬間を母に見られても大丈夫か?」ということにあるような気がする。
alain
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