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2月に入って早々に発病。 金曜日の朝から、次第に激しくなる下痢と嘔吐。 カブトムシの幼虫に食い破られているような気持ちのする胃腸の痛み。 午前中は七転八倒。TELにも出られないので、電源はOFF。
一時過ぎくらいにようやく話せるようになり、3時過ぎには動けるようになったため医者に行く。 なんていうかさー医者に行けるようになった時って、もう症状のピークを過ぎてるんだよないつも。 「さっきまで、このくらい大変でした。」って訴えるのって、なんかむなしくて。
でも、今回の痛さは結構尋常じゃなく、ぶり返すことは最早恐怖でしかなかったため、 医者に行く。
ウィルス性の胃腸炎って感じ。潜伏期間二日。全治4日。 あれですかねぇ。ノロウィルス。一昨年の年末にえらいことになったやつ。
風邪熱で弱って抵抗力が衰えていたところに取り付かれたんでしょう。 と、まぁ病名はそうなんだろうけど、そういうものを捕まえてしまう心境に問題があるのでは? とのご指摘を頂きましたが、言われなくても承知のすけ。
だからといってどーしようもないしなぁ。 ま、だましだましってとこでしょうか。
で、気分転換に別の話。
加門七海の東京魔方陣っていう本の中で、見立て風水として、江戸城の旧本丸(徳川時代の江戸城の中心)と、 靖国神社と、神田明神を取り上げていた。
この3箇所は、旧本丸を直角とした3角形になる。 そして、明治時代に移築されて乾でない位置にある乾門を乾の方角に見立てると、乾の方角に靖国神社がのり、 丑寅の方角に神田明神が乗っているという話。
乾は魔の住む場所。丑寅は鬼のいる方角だ。
加門七海はここで出来た3角形に対して2つの解釈をしている。 1.靖国神社を国の守護とし、他を東夷として調伏するという考え方。 2.天皇家は戦没者に対してやましい気持ちがあり、靖国神社を慰撫されるべき御霊のいる場所として封じたという説。
思うにおそらく作者は、幕末ヲタではないので、 靖国神社がそもそも戊辰戦争での新政府軍の死者を祀った神社であるという話が抜けている。
『靖国神社も東夷になりうる力をもつゆえに魔方陣でくくられてしまったんじゃあないのだろうか?』 と書いているが、途中から趣旨が変わったのかもしれないが、成り立ちとしては、ありえない。 新政府軍の死者の慰霊社なのだから。 そもそもの三角形の成立意図が、まぁあったとしたら、それは説1のほうなのだと思う。
で、なんでこんなこと思ったかと言うと、靖国神社に行った時に、一番びっくりしたのが大村益次郎の像が、 いきなり入り口にめちゃくちゃ高く中心にあったこと。 戦没者のための神社ならば、他になんかあるだろーよと。 出征兵士の像とか、平和の塔とか。石碑でもいいけどさ。 頭の中は太平洋戦争の兵士戦死者のイメージしかなかったので、意外性に驚いた。
で、その印象があるままで、この本に出ている三角形を見た。
ん? 靖国神社の本殿って、神田明神向いてないか? 大村益次郎の銅像って、これは門番か?
戊辰戦争の総大将がどーんと参道の中心に構えているんだ。 途中から趣旨がかわったのかもしれないけど、最初靖国神社が出来た時は、 この神社は設置目的は東夷調伏のためだったのだと思う。 東夷相手に戦った死者の霊を、死してなお使役するっつーのもあざとい話だけれど、要はそういうことだろう。
となると、気になるのは、その後戦没者の総合慰霊碑になっていったことだよな。 2説の怨霊系封じ込めなんだろうか?
というように、都合よく意図だけを変えられるものか?三角形の図は変わらないのに? 大村益次郎の像もそのままで? 納得いかない。 せめて、この三角形を調伏するラインがどっかにあれば、わかるんだけどな。 おいおい調べてみるか。
あと、やっぱり大村益次郎に皇国の志とか、そういう思想を紐付けるのはいやだなぁ。 それと自分は今、多摩に住んでるし、血統的には東北なので、やっぱり西からきて、東夷を抑えるっていう意図は気分は悪い。 そもそもの東京遷都の意見って要約すると、東夷を抑えろ。賊国を鎮圧しろ。だもんな。
天皇をおくという仕組みに云々というものでもないし、見かけてすっごく綺麗だったので 好きになってしまったのだけど。 なーんかなぁ。
今年に入ってYahooのニュースで中で、福島県の知事が戊辰戦争での会津の死者も靖国に祀って欲しい という発言があって、やっぱまだまだ続いてるよと思ったのもでした。
alain
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