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2004年12月14日(火)

組!と三谷さんの蟹座性

『ほぼ日』で『組!』と略しているのを読んで、絶対2ちゃんの大河板読んでるって思った。
私も読んでるけど。『新選組!』の掲示板を色々ROMしたけど一番すき。
荒れ荒れのことも、きもいのもいるけど、一番FLATで率直だから。
掲示板で何が嫌いって、古手が牢名主と化して丁寧語でしつけをしてまわるのが嫌いで。
しかも荒れだすと、その丁寧語がいやらしい。

ま、という話をしたかったわけではなく。
一番多かった書き込みが"ありがとう"だったのに、ちょっとじんわり。
やっぱそうだよねー。
映画の宣伝とかで観客のコメントが流されること歩けど、
「すっごい」「泣けました」「感動しました」とかで、でも、このドラマは違うんだ。
一番に"ありがとう"なの。

2ちゃんに最善でも最良でもなかったかもしれないが、最愛の大河だ!っていうコメントがあって。
うなづく。そう、"最愛"なんだよね。


でもそれでいいのか?って気持ちもある。
芸術っていうのは圧倒的な存在感なり完成度でもって人を仰ぎ見させる、端的に言って、「すっげー!」って言わせるもので、愛でられてどーする、努力を誉められてどーする、あまつさえ、ねぎらいなんてと、という価値観もある。

あちらこちらの"ありがとう"が、上位者に対してというより、どっか同位者もしくは下位者に対する匂いを持つ・・・とか思うわけよ。
(でも、最愛なの・・・)


ちょっとだけ、占星術復活。
宮藤官九郎の太陽と月はいずこに?と調べたら、太陽:蟹、月:山羊。
(三谷さんは太陽:蟹、月:牡牛ね)
なぜ調べたくなったかというと、『新選組!』のモチーフは宮藤官九郎と同じだ!と掲示板での意見を読んだから。
身近な仲間との心の交流がテーマというとこが同じだ!と。

で、まさか・・・。と。
はい。どんぴしゃ。
小さな集団を守りはぐくみ大切にする蟹座。(ここまでストレートだと面白くない)

女性像とか文筆の水星とかについてはまた後日として。
一点だけ。

蟹座って、牡羊座から数えて4つめ。4って、小集団とか家族。
家=おたく? おたくうけする作家?そんなべたな。

でも、わかんないことないんだよね。
蟹座って価値観を同じくする一度身内と思った人については、保護し慈しみ、敵として一度切り捨てたら見向きもしないという。

つまりさ、三谷さんの今回の脚本でも、「うーん。ここらへんが限界なんだよなー。」
とみのほど知らずにも偉そうに思った点を一つ上げるならば、伊東一派の扱い。

加納鷲雄を例にとろう。48話『流山』。
(ひくひく泣きながら、分析かけてる自分がホントいやだ。)


局長と対面して、「ずばり近藤勇でしょう!」ってびしっと指差すかと思ったら、結局自分から口に出せないんだよね。彼は。
不自然ではなかった。
48話まで誠実で卑劣なことをしない人というきゃらを地道に積み上げてきているから。
でも、そーやって彼を自分の理解の範疇に取り込んでしまうのってどーかと思うわけよ。

どうやっても価値観の違う人はいるし、それでも敵じゃない人もいる。
のりのりで「近藤勇に間違いありません。」と加納鷲雄は断罪し、それでもなおかつ(伊東を殺してしまった負い目もあるはずだ)局長は受け入れる透明さを持つ。

このシーンを「宗教がかってなんだけどキリストみたい」とのコメントも2ちゃんにあった。
キリストかどうかはさておき、宗教ならばそれは一神教なのでしょう。
異教徒でも罪人でも誰でもよっといでー。救ってあげるから!な仏教とは違うと思う。
(そういう意味で仏陀のようだと例えなかったコメントは無意識にせよ、選別の匂いを嗅ぎ取っていたことになる。)

分かり合うものだけを許容する感性。
100人を超える組織を作ったにもかかわらず、何かというと、「山南の死が無駄になるのがわかんねぇのか?」「山南さんが・・・」と幹部同士の話し合いの場で死んじゃったお友達を持ち出す。
曲がりなりにも公的な警察組織なんだから、お友達集団は辞めましょうよ。と思うんですけど。
伊東も観柳斎も分かり合えない人(=異分子か?)と思っていたら、数分お話しただけで感じ入っちゃうし。
伊東を勝手に殺しちゃった鍬次郎はお咎めなしなんでしょーか?というあたりもわけわかんないし。
結局、仲良しクラブのごちゃごちゃなんだ。

組織ってもっと多様な人がいて、機械的なもんで、好きな人も嫌いな人も分かり合えない人も、利用し合い、ときにうっかり分かり合う程度のものだと思っていて。
もしくは目的を果たすために組み立てられた構築物で、人間は役割を果たすPartsだと思っていて。
(あくまで"私"がそう思ってるってだけなんだろうけど。)

結果、憎みあったり、うんざりしてたり、そのごうんざりする人たちもいるはず。
例えば、永倉新八とは言わないまでも、周平あたりがぐちと悪口言いまくりっていう話もぜんぜん違和感ない。
というか、一回の面談で感じ入る伊東よりリアリティあると思わないか?
でも、仲間を囲い込む三谷さんの世界観と相容れないんだろーな。
(宮藤官九郎の例はまた今度ね。いきなり思い出せない。)


三谷さんと宮藤官九郎に共通する伏線の多様というのも、身内意識の発露だと思う。
最終回はずっと見ていた人じゃなきゃ楽しめないって、三谷さん本人も言っていて、確かにそう出来ていた。
これは、よそもんは相手にしないっていう排他性でもある。

尽忠報国の志あっぱれなり!にしても、落書きの○○参上!にしても、あのまゆげにしても、土方さん嘘つくと顔に出るにしても、ご飯を頬張る左之助にしても、虎徹にしても、コルクにしても。
尾形はいきなり「山南さんに言われたんです。」とか言うし(そうだけどそれは16話も前だ!)
唐突に見ても、???である。(というか、"???であろう。" ←推測です。)

ただ、伏線は、見続けてきた人にはたまらないものがある。
「わかっちゃうもんねー。」と、妙な選民思想っつーか、優越感が沸いてきてしまうのだ。
で、一層同好の志との結束が強くなり、ますます、ここもわかる!というコネタを深くあさりだす。
(それにしても、かえるはヒュースケンの「井の中の蛙・・・」の伏線回収というとこまでくると、掘りすぎって気もするが。)


まとめに入っちゃうと、
自分のわかる範囲の人に対して,『おまいら、さいこー』と同士意識をもち、
自分と違う考えの人に対しては人として把握しない(=見えない)もしくは、敵対、って言う所。

その世界観がおたくの共感を呼ぶのでは?って思ってるんだけどね。
(それだけが愛される理由っていう気はないし。蟹座がおたくって言ってるわけでもないよ。そこらへんよろしく。)
おしまい。


alain

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