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2004年07月15日(木)
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脳みそ使う気ないなら、アルマジロでもやってろ
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暑い。けどクーラーの寒さも好きじゃないので、わりとそのままでいる。 去年まではクーラーかけて布団かけて寝るのが好きだったんだけど、今年は何もかけずにどよーんと寝てるほうが好き。 便秘体質だったのに、ここ一年くらいはどっちかって言うとよわよわ。 ちょっとずつ変わってく。停滞しているとしか感じられないけれど。
引越をきっかけにおきるのが合理化だと言う。 何とはなしに取っておいたもの、捨てる事も忘れていたもの、捨てる気になれなかったものを、この際だから、新しい気分で。。。とか言いながら捨てていく。無駄がなくなるというのだ。 無駄と言うのはつまり、遊びで、でそれがなくなることは、思い入れとか日常生活で役に立たないものを切ってしまうことで、それは心にあまりよろしくないという。 直近の役に立つ以外の価値観を認めない世界では寛げないというわけ。
引越しはなかったけれど、合理化好きだったんでなぁ。 部屋は自分だとすると、うーむ、そこらへんが潤いのなさなのか?! 引越しということで、さらに弾みがついておりますが。
弾みと言えば思い出したぜ。この間、図書館に本を寄付した時のうんざりした話。 (売りに行く本も山のように。なぜにそんなにあるのだ。そりゃ買ってるんでしょーよ。) でね、読んでもいない、若気のいたりというか、大望というか、つまりペイパーバックが4冊くらいあったんです。 それも持っていったところ、「洋書の寄贈は受け付けません。」と。
そこまではいい。貸し出し対象でないんですって言うのはしごく当然。 ところで図書館では古くなった本とか寄贈されたものの、幾らなんでもこれはってな本などを、 "好きに持っていってね"と置いて置く棚とかダンボール箱が、時折でる。 「そこに置いて、誰かに持っていって貰えないか」と言ってみた。
それも駄目だと言う。 「ならそこらへんのゴミ箱に捨てるだけなんですけど。勿体無くないですか。」 と言っても、ぼーっとした顔で説明もせず受け取れないと言う事になっているというのみ。
納得いかない。 本を扱う仕事をしている人が本をいるかもしれない人のところにではなく、ゴミとして捨てられる事をみすみす容認する姿勢が許せない。 きまりとか制約にはそれなりの理由があるはずで、それを外れてきまりが一人歩きして権力を持つ事が、たまらなくイヤだ。
洋書だと本の内容に責任が取れないから、怖くて受け取れないとでも言うのだろうか。 卑しくも図書館の司書が題名も作者名も読めないんでしょうか。 チャールズ・ディケンスの小説が図書館で廃棄本の棚に置くにまずいか否か位は判断つくでしょーよ。
自分の頭で考えない人を見てるとうんざりして、同じ空気吸ってるのもイヤになる。 脳みそ使う気ないなら、アルマジロでもやってろ。
話し変わってこの間見た夢。 誰だかは分からないが、打ち合わせの時に配られた資料を見る。 いたずら書きがそこかしこに。それが全て目だった。
私もだいたい手持ち無沙汰で書くのって、目だなぁ。というか今思い返してもそれ以外はない。 実用的なメモ(席もどったら何の順番でなにしようか。。。)みたいなのはある。 手が勝手に。。。って場合は、99.9%目だ。
目で思い出したけど(話とびすぎ)、週刊誌のつり広告でGacketの自伝のことが出てて、『目白』。 なぜにめじろ?住んでんのか?と思ったら、『自白』だった。納得。
alain
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