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2003年11月03日(月)

WEBに対する距離感への違和感

しばらくWEBから、遠ざかっていた。

疲れていたというのが一つ。熱出したり、いや、今も熱っぽいのだが。あと、忙しかったりとか。

そんな外的要因は理由にはなる。他者に説明するには楽な理由だ。
でも、そんなことは全然関係ない。

一言で言うと、WEBに対する距離感への違和感なんだと思う。

ネットにUPする文章を書くということに、笹舟に思いを乗っけて川に流すイメージを重ねてきた。
川を下って下って、川幅はどんどん広くなって、海に繋がる。途中で沈むだろうけど、どこで沈んだかはわからない。万に一つくらいは、どこかの誰かにたどり着くかもしれない。

って、そう思ってて。

最近、流す事よりも誰かにたどり着くことを思ってる気がして、それはなんか違うんじゃないかって気がしてた。
そもそもインターネットとかメールとかを、そんなに繋がれるメディアだとして認識してない。

きっかけにはなるし、時間も距離も越えられる。
調査にはいい。情報収集にはいい。
定期的にROMに行って、会った事はないけど、この人好きって、人のページもある。読んでて楽しい。

けど、そこで出来た繋がりは、バーチャルだと思う。どんなに太くても、それは自己の中でのイメージの中でのラインの太さとしか思えない。
自分が勝手にこの人さんせー、この人好き、って思ってても、その人は全然その人本人じゃなくて、自分の中のその人でしかない。
もちろん、人間関係一般にそうだけれども、WEBだと、それが純化する。

インターネットが情報量の少ないメディアであるが故だ。
電話では、スズムシの声は聞こえないという。その周波数の音を伝えるようには出来ていないからだ。
余分なものとしてカットされて、相手に届けられる。

インターネットは電話より、さらに大きなものを落としていってるツールだと思う。
感情というノイズの多いものを伝えるには、怖い。

仕事でメールを使いまくって、そう思った。
話さなくてもメールで済むやいいやって思えたのは、ほんの1,2年だった。
結局、足を運んで会って話さないと、メールのフォローをいれないと、結局話はまとまらない。
用件は済んでるわけだから、この訪問は"ご機嫌伺い"と称される。
無意味なようでも、これをこまめにしていかないと、いざという時、問題の瑕がどうしようもなく深くなっていくのだ。

なんか、話がどっかにいってるな。

自分の中で、こうやって文章を書いていて、それはつまり、自分の中へ中へと自閉していってることだと思っていて、でいて、外に受け手を求めているところもあって、一体、何をしているんだか、よく分からなくなって、面倒になってしまったのだ。

で、生きてる以外、何もしない生活をしてみた。
食い扶持をかせぎ、身の回りを小奇麗にして、風呂に入って、食べて、寝る。という生活。

それは、とても楽だった。本も再読ばっかりだったけど、がんがん読めた。
何もしなくていい。時間もたくさんあった。良く寝られた。

それも一つの選択肢としていいかもしれないと思った。
生きるだけをする。ということ。

で、今、生きるだけでいいかも、と思ったということを綿々と書いているかというと。
基本的にはそれでいいかもだけど、やっぱ、それだけじゃ、脳が暇ということ。

飽きちゃうんだよ!

だから、とりあえず。このページはこのまま続ける。
書きたいときに書く。内向するために書く。

だったら、外に流す必要が無いではないか。
と、も思うのだが。

外があるから内があるのであり、内向するには、外部がないと行かんと言う考え方も有る。
一般に人間は、地球に引きこもった存在であるとは言わない。
それは地球外に出て行くという常識がないからだ。
部屋の外に出て、学校なり会社なりでSHOPなり公園なりで、活動をすることを前提とするから、引きこもりという言葉が生まれる。

というように、ある程度、自分を他者とみて、自分の中の混沌を、屁理屈であっても意味が通るように言語化する。
そんな、内向をぽろぽろとしたペースで、続けていこうと思う。

外部に出るのは別の方法論で、やりましょう。別のフェーズで。で、目標としては、最低、窓を開けてみるということで。
物理的にではなく、エーテル的に。



alain

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