2008年05月15日(木)

気づけば柳先輩大好き!みたいになっていた。
なんてことだ…そんなはずじゃなかったのに…

どうせなのでこのさいデータマン柳という存在について適当に考えてみたいと思います。

データ

(1)判断や立論のもとになる資料。
(2)コンピューターの処理の対象となる事実。状態・条件などを表す数値・文字・記号。

三省堂提供「デイリー 新語辞典」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%C7%A1%BC%A5%BF&kind=jn&mode=0&base=1&row=0

だそうです。
データマンのデータはここでは(1)のほう。
そしてここで気になるのは 判断や立論のもとになる資料 という太字の部分です。

っていうか、そんなことは誰でも知っていて当たり前です。
データを取る、という行動の先に、分析というものが存在することを、誰だって知っていると思います。
当たり前すぎて データを取る(→分析する)と、カッコ閉じにすらなっている気もします。

たとえば「何歳くらいのどういう人がこういう商品を買っていく」というデータがあったとしたら、
「どういう商品を開発してどういう場所においてどういう販促をするか」をそのデータをもとに考えます。
消費者の行動の先読みをします。

まさにこれ↓です。

(1)判断や立論のもとになる資料。

資料をもとに判断をしてるわけです。
ただデータだけを集めても、なににもならない。その先があってこそ、データはデータとして生きる。
判断や立論を立てられなければ、ただ集められただけの資料にすぎない。その場合、データはただのゴミです。

柳が赤也がサンタを信じてるというデータを取ったとします。
それでクリスマス近くになって赤也が
「今年はサンタさん何くれるんだろう!ねえ、柳先輩どう思います?」と言って、
柳が「データ通り」と思うのは間違っていません。まさに言葉通り「データ通り」です。
しかしここでわたしたちには「それで?」や「だからなに?」という思いが湧き上がります。

「赤也はサンタを信じていて、しかも現在は自分の恋人なので、プレゼントはどのように決めたら良いのか」
柳がもしデータを役立てるならば、この疑問に対する答えを見つけるために赤也のデータを分析して判断します。

いまはまだ起こっていない事実を予測してそれに備える。
言いかえれば、先を読んで自分に有利に事を進める。
データを役に立てるとはそういうことだと思います。
そしてデータを役に立てるときのその利点。
それは「リスクを最小限に押さえる」ことが出来ることです。

作りたいものを作ってやみくもに「買って下さい!」なんて言って
売れたらそれはそれで幸運ですが、売れなかった場合大量の在庫を抱えることになります。
そんなの嫌すぎる…ていうか無理です。

先のことというのはわかりません。わからないということは、怖いことです。
怖いことに対して人は臆病になります。そういうとき「理屈」が味方になってくれるのです。

理屈

(1)すじの通った考え。道理。
「―に合ったやり方」
(2)無理にこじつけた理由や論理。
「―をつける」「こむずかしい―をこねる」
(3)物事がそうなる理由。ことわり。
「―ではわかっている」「―では飛ぶはずだが」
(4)事情。わけ。具合。
「おつかさんの方の―や何かでね都合がわりいから/洒落本・角鶏卵」
(5)色事。情事。
「はや床の―もすんだとみえ/洒落本・意妓の口」

三省堂提供「大辞林 第二版」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CD%FD%B6%FE&kind=jn&mode=0&base=1&row=0

ここでいう「理屈」は(2)です。そしてイコール「データ」です。
「データ」そのものというよりは「データを元にした判断」です。

理屈が背中を押してくれます。
「○○がこれだけ売れたからこの商品は最低でもこのくらいは売れるよ赤字にはならないよ」
と甘い言葉をささやいて、安心させてくれるのです。

しかし、乾先輩は言いました。「理屈じゃない」と。

人は臆病です。データに頼ります。
誰かを好きになり「セクシーなの?キュートなの?どっちが好きなの?」
と思ったらますそのデータを取りに行きます。
彼の好みがキュートだと判明したら、必死にキュートであろうと努力します。

理屈の(1)を見てみましょう。
データをもとに推論をすることはある種、もっとも筋道の通った考え方です。
主観に頼らず、実際の数字を分析し、そこから導き出されるもっとも正しいと思われる予測を元に行動を起こす。
あるべき道筋を通りたどり着いた考えに沿った行動、それ以上の正解はないように思われます。

でも理屈じゃないのです。
人はデータにも頼りますが、ひどく恣意的に物ごとを考えています。

恣意的

(形動)
その時々の思いつきで物事を判断するさま。
「―な解釈」

三省堂提供「大辞林 第二版」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%D7%F3%B0%D5%C5%AA&kind=jn&mode=0&kwassist=0

「恣意的にものを考える人間の考えを先読みすることは可能なのかどうか」

ある部分では可能であって、ある部分では不可能。
なぜなら恣意的に考える相手のことを分析するときに「データ」を元に「完璧な先読み」が出来るはずがない。
だからデータを分析して開発した商品をうまいこと売り出しても、予想以上に売れたり売れなかったりする。
「データ」は表面上に起こった事実でしかない、ということで、恣意的に判断する人間のその「もとになる」部分は内面で、
行動の理由になるのも、その内面です。理屈じゃない…まさに理屈じゃねーんだよ、と。

理屈じゃないのに、データに頼ろうとする。なぜならデータマンは臆病だからです。

やっべーまた無理やりだよ。
いっつもね、自分でもね、なんかの発表だったらこのへんで止められるなって思ってるんだよねマジで。

でも無理やり進めます。


人は恣意的に物ごとを判断する。恋愛に関してはこそさらそう。
なのに、セクシーを好むのかキュートを好むのかデータを取ろうとする。
それは恋に臆病になっているから。でもデータにばっかり頼ってる人もいません。
恋愛は理屈でするものではないからです。データマンは頭がいいのでそれをわかっています。
ですが、臆病です。リスクを負うだけの度胸もなければ、なにより信じられる「自分」というものを持ちません。
データは客観的事実です。データにばかり頼るということは主観に頼らない。
主観は限りなく自分とイコールです。

しゅかん

(1)対象について認識・行為・評価などを行う意識のはたらき、またそのはたらきをなす者。
通例、個別的な心理学的自我と同一視されるが、
カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え、
これが客観的認識を可能にするとする。
→主体
(2)自分ひとりだけの考え。
「―だけで言うのは困る」
⇔客観
〔subject を西(にし)周(あまね)が訳した語〕

三省堂提供「大辞林 第二版」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BC%E7%B4%D1&kind=jn&mode=0&base=1&row=0

理屈じゃないと言ってデータを捨てた乾は「自分」を信じて戦いました。
柳はデータをもとに乾より立派な先読みは出来ても、乾に勝てませんでした。

最初のほうで、赤也がサンタを信じていた場合、
赤也がその通りの発言をして、柳が「データ通り」と言ってもそれはどうか、って話をしました。
たしかにデータを扱うならそれはどうか。でもものすごく中学生らしくて健全に思えるのです。
「データ通り」と喜んでいるだけ、で済むなら、それはとても「中学生らしいデータマン」だと思います。

もし柳がデータを集めて分析して他人の先ばかりを読んでいるならば、
中学生として、人間として、不健全さを感じます。
データをもとにばかり考えるというのは、言いかえればデータにばかりこだわりすぎるということです。
こだわりすぎる、というのは時として人を病的に見せます。

データマンとしての柳には、なにかが足りなくて、何かが過剰です。

この足りないのにどこかが過剰で異常、というのは個人的にものすごく「受け」としての資質であると考えます。
あまりに客観にたよるあまり、主観がぽろりと抜け落ちた、そういう柳を外道は強く求めます。
恋愛は究極の恣意的行動です。最後には主観以外ありません。
なのにその主観がズレてる、もしくは変なことになっていたらどうなるかわくわくします。
どっかおかしい柳、まわりにはまともだって思われてるかもしれないけど、
それ全然違うよ!って赤也に思われている柳。むっはー!萌えるー!


ああごめんMANNINGENはじまったからもう行く。支離滅裂ですけどそれじゃあおやすみなさい。