日々

2006年05月10日(水) 雨はいやだね。

 う、ん、絵を描くようになってから漫画やTVアニメを見るようになった。目、鼻、口のパーツが書けないのよ、、あと物を持った手とか、曲げた手足とか、、、ふっ、なにをそこまでがんばっちゃってるんだか・・・。


 ♪今日の一曲♪
DARYL HALL & JOHN OATES (ダリル・ホール&ジョン・オーツ)
       【PRIVATE EYES(プライベート・アイズ)】

80年代の洋楽ブーム中、日本でも絶大なる人気を誇ったダリル・ホールとジョン・オーツ。
ホール&オーツです。
ソウルと言えば、今でもミュージック・シーンに強く影響を与えるジャンルの音楽ですが、このホール&オーツもソウルに強く影響を受けたアーチストなのです。
彼らが最も人気を得ていた80年代、その音楽は黒人の音楽ソウルを白人である彼らが表現した事から、ブルー・アイズド・ソウルと呼ばれていました。

 ダリル・ホール(1948年10月11日、フィラデルフィア出身)、ジョン・オーツ(1949年4月7日、ニュー・ヨーク出身)の2人は、フィラデルフィアのテンプル大学在学中に地元のダンス・ホールで出会う。1972年にアトランティックと契約し、デビュー。セカンド・アルバムに収録されている「シーズ・ゴーン」がスマッシュ・ヒット、その後76年、5枚目のアルバム『ロックン・ソウル』からのシングル「リッチ・ガール」で初の全米No.1を獲得する。その後数年間は低迷するものの、80年リリースの『モダン・ヴォイス』に収録されている「キッス・オン・マイ・リスト」が2曲目の全米No.1となり彼らの時代が訪れた。「プライベート・アイズ」、「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」、「マンイーター」等々トータルで16曲がトップ10、うち6曲がNo.1ヒットを記録した。ルーツであるソウル・フレイヴァーと洗練されたメロディに加えて、80年代に入って飛躍的に進歩したデジタル・テクノロジーの融合によって唯一無二ともいえるホール&オーツ・サウンドが生まれ、一世を風靡した。
91年にアコースティック・ツアーを行った後、事実上、解散することを選び、その後はそれぞれの道を歩んだ。ダリル・ホールは93年にソロ・アルバム『ソウル・アローン』をリリース後、ソロでの初来日公演も行った。一方のジョン・オーツはプロデュース業などで精力的に活動していた。95年、4年ぶりに2人での活動を再開、来日公演も行い、97年には『マリゴールド・スカイ』をリリースした。日本では2001年、SONYのデジタル・カメラ“サイバー・ショット”のCMで「プライベート・アイズ」が使われ、リヴァイヴァル・ヒットとなり、健在振りを示した。2002年8月には、ジョン・オーツが自身初のソロ・アルバムをリリース。翌2003年2月、5年半振りとなるニュー・アルバム『ドゥ・イット・フォー・ラヴ』をリリース。“80年代以来の傑作!”と絶賛され、大ヒット。5月下旬に行った来日公演も前年に続いて全国各地で大盛況であった。その後もツアーはほとんど休み無く続いており、ツアーの合間を縫うようにして最新作『Our Kind Of Soul』は制作された。


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