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朝からブルトンの『狂気の愛』を読み(こんな名前を自分につけてるくせに、まともに読んだのは『ナジャ』『秘法十七』『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』だけだったりする。いいかげんなものだ)、たとえば「だが、わたしは、ひとりの人間にとって、彼の欲望が表面的なものに留まっていることに一時的にせよ安住していることよりも、最大限の集中力で手錠をはずしてしまうような生き方に感動するのだ」(p.32)といった一文に唇の右端を釣り上げて笑ってみせたり、繰り返される「痙攣的な美」という言葉にインスピレーションをかきたてられたり、「待つことだけが最高に素晴らしい」(p.45)といった何でもない言葉に深く勇気づけられたりした。5年前に購入したこの本の裏カバーには何故だか一滴、私の血痕が落ちている。 長年探し続けた書籍に最高の形でめぐり合い、店主と深い言葉を交わした。『バタイユの黒い天使―ロール遺稿集』というもう十数年前に絶版になった書籍に深く惹かれるのは、冒頭に掲げられたロールの儚げな肖像写真もさることながら、厳しく拒み、そぎ落としながら、汚穢の只中に浮かび上がるある一つの真実を求め続けたかたくなさ、に「痙攣的な美」を見出すからである。1930年代という激動のフランスにあって、同じく厳しく拒み、そぎ落としながら、ただ聖性だけを追求したヴェイユとの対比も面白い。私はふたりを同じ強度で愛している。 ロールは35歳、ヴェイユは34歳でこの世を去った。 私も走り出すだろう。 明日、明後日、明々後日、いや、きっと、近い日に。 |