K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
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2010年10月27日(水)

どうも、こんばんは!
風邪で寝込んでいたただけーまです。
いや、久しぶりに風邪ひきましたが・・・
つらかったです(泣)
1人暮らしの風は本当に辛いとよく聞きますが、本当ですね。

でももう全快!まではいきませんが、8割は治癒したので。
もうばりばり学校行ってます♪
流石に10分くらい痙攣が止まらなかったときは死ぬかと思いましたがwww

でもぼくは死なないので。
平気です!

あ、マカロンすごくおいしいです!<母


最近は絵画よりも音楽の勉強にいそしんでいます!
やはりまだ趣味程度ですが。
でも西洋音楽がどう発展してきたかについてはすこしずつわかってきているような。。
そう、聖書の「はしため」としての音楽!
何より、出発点がこれに尽きます。
そこから、色々あって今に至る(笑)
ざっくりすぎですねwww
とにかく、音楽は聖書の補助から始まり。
純粋な器楽的なものになり。
その器楽的な支配が長らく続いた後に。
ようするに今でいう歌詞付きのポップスに至るのです。
この「言葉」〜「音楽」〜「言葉+音楽」の流れ。
大まかだけど、両極端までいって安定してきたみたいな感じなのかな。
そりゃ、今でも純粋な器楽の音楽とか、聖書に従う曲とかあるけど。
ここでは、当時支配的だった音楽形態のことを指しているんですね。
今は多分ポップスとか、ロックとかでもいいけど、とりあえず歌詞付きの音楽消費量が一番高いんだよね。
そもそも、歌詞付きのジャンルの方が今では多いという現状があるわけだけど。

この爆発的な大量消費を可能にしたのが、録音メディアであり。
ポップスはかなり初期の段階からメディアと結合してきた。
それこそレコードという時代から。
そこで相反するのが芸術音楽。
これは単純にクラシックを意味するものではなく。
1回1回の生の演奏を重視される音楽のことをいいますね。
そういう音楽はレコードと結託することが嫌い。
レコードっていう消費体系は何せ資本主義的で。
芸術の光栄ある孤立を崩すことにつながるからね。

更に「音楽をリピートする」という行為が可能になることが一体どういうことなんだっていうのも議論の的なのですが。
残念ながらそこまで深くは理解してないので、あしからず。


あ、くだらなく中途半端なことを書いてしまった。
うー・・・

とりあえず、「ローマの休日」が普通におもしろかった件について。
オードリー・ヘップバーンの異常なかわいさについて。
グレゴリー・ペックのドヤ顔について。
色々と考えねばなりませんね!!


というわけで。
hona-☆


多田K馬 /K馬への報告 /これ押すべし(≧ω≦)ノシ

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